第16話 二羽の雲雀と二匹の怪物(上)
「ふむ………まったく、前途は多難だな」
王宮の中庭に腰を下ろし、スオウはため息混じりに呟く。
先ほどまで話していたレイアードは、別の用を果たすためすでに立ち去っていた。
「叔父さんの二の舞か………確かにあり得る話だ。
さて、どうしたものか」
今後のことについて、スオウは思索を巡らせる。
騎士団を事実上手放したスオウにとって、レイアードから1000の兵を受けたのは僥倖なことだ。
レイアードの言葉通り、王都の外には王国へ怨みを持つ者たちがひしめいている。
武芸の腕に自身はあるが、流石に一人では魔王へ辿りつくことさえ出来ないだろう。
そんなことを考えていた時、スオウの眼前を一人の少女がパタパタと走っていった。
「む?」
顔までスッポリと覆う真っ黒なローブ姿。一目ですぐわかるその卦体な恰好にスオウは見覚えがあった。
「………シエル・アルコバレーノ?」
そう。それは、先ほど王室の前で会ったレーゲンの娘である。
あれから結構な時間が経った。王との謁見を終え、帰るところなのだろうか?
父であるレーゲンの姿は見えず、どうやらシエル一人であるようだ。
「………」
何となく、スオウはシエルの後を追って中庭へと歩を進めていく。
何でそんなことをするのか自分でもよくわからないが、スオウはどうしてかシエルのことが気になっていた。
あのガラスのように生気の宿らない瞳。それがどうにも引っかかる。
シエル・アルコバレーノからは何か、異質の気配とでも言うべきものを感じ取ったのである。
シエルには直ぐに追いついた。
彼女は中庭の外れで、地面に膝をつき座り込んでいたのだ。
「シエル」
背後から近づきスオウがシエルを呼びかけると、彼女がゆっくりと振り返る。
シエルは胸元で掬い上げるように、何かを両手で持っていた。
「それは………?」
「鳥………」
「鳥? ………雲雀か」
シエルの手には一羽の雲雀の姿があった。
雲雀を包むその手から、ずるりと内臓が零れ落ちる。
どうやら雲雀は腹を裂かれ、腸がずり出ているようだ。
裂け目はまだ新しいもので、雲雀の荒い息に合わせて血が溢れ、シエルの手を赤く染めていく。
「これ………どんどん冷たくなっていく。
どうして?」
瀕死の雲雀を見下ろしたまま、シエルが不思議そうに口を開く。
それはスオウに問いかけるというより、独り言を言っているかのようだった。
「鷹にやられたか、犬猫の類にやられたか………。
どちらにしろ、その傷ではもう助からんな」
「助からないって?」
「死ぬ、ということだ」
「死ぬ………」
シエルは相変わらず無表情なまま雲雀を見つめている。
その姿からは感情の機微というものが伺えず、スオウは自分が人形と会話でもしているような錯覚を受けてしまう。
「どちらにしろシエル、それから早く手を離したほうがいい。
そんなものに触れていては、何か病気に感染してしまうぞ?」
「………」
スオウの言葉を無視し、シエルが再び背を向ける。
そして彼女は無言のまま片手を離すと、その指先へ緑色の光を灯した。
「魔術!?」
スオウは驚愕に目を開く。
多少のことでは動じないつもりであったが、この事態は想定外だ。
この国では、国王の名において魔術の使用が厳しく禁じられている。
魔術を使ったと噂があるだけで拘束されるのだ。人前で使うなど、即座に処刑物である。
まして場所は王宮の中庭。王国への反逆行為とさえ言ってよいものだった。
スオウは慌てて周囲を見回し、誰もいないことを確認するとシエルの肩を抑える。
「シエル! 今すぐにそれを止めろ!
人目につけば、大変なことになってしまうぞ!!?」
「離せ………」
スオウの手から身を振って逃れ、シエルは魔術式を描いていく。
その時、彼女の顔を覆っていたフードが外れ、シエルの面様を外へ晒しだしていった。
「なに………?」
スオウは目を剥き、先ほどよりも激しく驚愕の声を漏らす。
彼の目に映るのは純白の長い髪と、七色に変幻する異形の瞳。
まるで件の魔王たちと同じような異様に、スオウは戦慄を持って固まる。
そんなスオウの驚愕さえどこ吹く風と無表情に、シエルは淡く輝く翡翠色の光を手に携え、その光を雲雀へと翳す。
雲雀の変化は劇的だった。
傷からはみ出ていた内臓が見る間に肥大化し、ドクドクと脈打ちながら再び血を循環させ始める。
弱り閉じかけていた眼が限界まで見開かれ、ついには眼球が眼窩からボロリと零れ。しかし眼球と繋がったままの視神経がまるで触手のように零れた目玉を持ち上げ、ギョロギョロと周囲を見回し始めた。
羽毛は一瞬して全て抜け落ち、代わりに晒された肌が鱗のように硬くなって、メキメキと音を立てながら折り重なり巨大になっていく。
「つっ………!」
膨れ上がる雲雀の体を支えきれなくなったのかシエルは、手から雲雀だったものを取り落としてしまう。
雲雀は一度地面を転がり、そしてすぐに手根中手骨が翼を突き破り、節足動物のように骨をついて立ち上がった。
「オ゛、オ゛ォ゛ォ」
裂けんばかりに嘴を広げ、雲雀が嘶きを上げる。
腹からはみ出た臓物を蠢かし、裂けた骨で立つ姿はもはや、鳥類というより怪物のそれ。
その姿は異形。
趣味の悪い神様が悪ふざけで造ったような、おぞましい怪物だった。
「オ゛オ゛オ゛ォ!!」
怪物はシエルを捕らえると、骨を軋ませて地を蹴り、襲い掛かっていく。
それは、己をこんな姿へ変えたシエルへ、怨みを晴らさんとするかのようだった。
「ひっ………」
「下がれ、シエル!」
スオウはシエルを庇うように怪物の前に立ち、懐から小刀を取り出す。
次から次へと巻き起こる異常な事態にやや呆然としていたものの、スオウに流れる英雄の本能が、とにかくこの少女を守らねばと体を突き動かしていた。
怪物は羽とも爪ともとれなくなった鋭い切っ先を突き出すが、スオウは左腕でそれを振り払い、残った右で怪物の腹へ小刀を突き刺す。
「ア゛アァ!!」
怪物はそのままバランスを崩し、地面へ体を擦るように転倒。
すぐに身を起こそうとするが、スオウは間髪を入れず、怪物の頭を足裏で踏み砕いた。
小動物の頭蓋を砕く音と、同時に響く怪物の断末魔。
頭を失った怪物はそのまま力を失い、ぐったりと体を地面に投げ出していく。
「け、怪我はないか? シエル」
怪物の死を確認し、スオウがシエルに視線を向けると、そこにはペタリと地面に座り込むシエルの姿があった。
シエルは無表情ながら目を見開き、彼女なりに目の前で起こった惨状を驚いているようだった。
「シエル………お前はいったい」
なぜ、そんな髪と目をしているのか。
なぜ、魔術などを使ってしまったのか。
なにより、あの雲雀を怪物に変えた魔術は何だったのか。
スオウとしては聞きたいことが山積みであったのだが、口を開くより先に別の声が二人へ投げかけられる。
「魔術の気配を感じて来てみれば………やはりお前か。シエル」
「レーゲン殿!」
レーゲンは相変わらずのニヤケ笑いを浮かべ、二人と怪物の亡骸へ交互に目を向ける。
そして怪物の死骸を拾い上げ、愉快そうに目を細めてみせた。
「シエル。この怪物はお前が造ったのか?」
「………うん」
「どんな魔術を使ったのか知らんが、流石はお前だ。
このような異形、私だって早々造れるものではない!」
讃えるようなレーゲンの言葉にスオウは耳を疑う。
どんな魔術―――この男は、自らの娘が魔術を使ったと分かっているのか?
分かった上で、こんなにも喜びを露にしているというのか?
「レーゲン殿。ご息女が魔術を使ったところは、幸い私しか見ていない。
早々にその怪物を隠すのだ!」
「隠す? なんで?」
「なんでも糞もあるか!
下手をすればシエルが魔女として処刑されてしまうのだぞ!?」
激昂を露にするスオウを、レーゲンはヘラヘラと笑ったまま見下ろす。
「それについては心配ない。
たったいま国王陛下から、シエルのみ特例措置として魔術の使用許可を得てきた。
今日はもともとその為に、ここへ足を運んだのだ」
「魔術の使用許可だと!?」
スオウは信じらない思いで問い返す。
アウランティウム13世の魔女嫌いは筋金入りだ。
元より、魔女狩りが始まったのは彼の代になってから。
「魔女の夜」によって前王アウランティウム12世が死去してからのことなのである。
そんな彼が魔術の使用許可を出すなど、前代未聞のことであった。
「先ほども言っただろう。
愚か者は愚かなほど御しやすいと。
それに小心が混じれば、それこそいくらでも言いなりに出来るのさ。
スオウ殿は些か国王の扱いが下手であるようだ」
「…………」
「では、私はこれにて失礼するよ。
これからやらねばならんことが山積みなのでね」
呆気に取られるスオウを尻目に、レーゲンはパタパタと手をふり足早に去って行き、その後をシエルが無表情のままついて行く。
「レーゲン・アルコバレーノ。
お前はいったい………」
スオウはただ、力尽きたように地面へ座り込む、
彼の背後では物言わぬ怪物の残骸が、怨嗟の表情を浮かべたまま死んでいるのだった。
◇
ルージュには最近、お気に入りのペットが出来ていた。
それは、一羽の小さな鳥。
プリーストの話では、雲雀という種類の小鳥であるらしい。
その日、いつものようにルージュは車椅子で中庭を散歩しているとチチチ、という小さな鳴き声を耳に捉えた。
鳴き声を探って向かった先では小さな鳥が地面に倒れ、虚ろな瞳を空に向けていた。
どうやら翼が折れているようだ。ルージュは小鳥を拾い上げると自分の部屋に持って行き、助けてあげることにしたのである。
小鳥は翼以外は特に怪我も無かったようで、植物の種や昆虫をよく食べ、水をよく飲んだ。
ルージュはこの飛べない鳥をとても気に入り「アカネ」という名をつけて、甲斐甲斐しく世話を続けたのである。
しかし、そんな彼女の苦労が届くことはなく、アカネはルージュのことを蛇蝎のように嫌っているようだった。
近づけば、逃げるか威嚇するかのような行動を取り、餌も水も決して彼女の前では取らない。
同じ部屋にルージュがいる限り、アカネは睡眠さえもしない警戒ぶりであったのだ。
「野生の鳥だからね、仕方ないよ。
それに雲雀は臆病なんだ」
泣きついてきたルージュに魔王が言った言葉だ。
実際その通り、野生で生きた鳥が人間に懐くことなどそう無いのであるが、ルージュにはアカネがどこか違っているように感じていた。
アカネは自分を、恐がるというより、忌み嫌っている。
アカネに触れようと手を伸ばせば指を噛まれ、近づけば激しい高鳴きで威嚇する。
それは人間という種族を恐れるというより、ルージュという異物に嫌悪を抱いているかのようだった。
それでもルージュはアカネのことが好きだった。
近づけば威嚇されるので、遠くから眺めることしか出来なかったが、アカネが2本の足でカツカツと歩く姿は可愛らしく、ルージュはそれを眺めていれば満足だった。
しかし、少し経ってからルージュはアカネの異変に気付く。
アカネの羽が明らかに抜け落ち、表皮が露出し始めていたのである。
病気になってしまったのかと、ルージュは慌ててプリーストの元へアカネを連れて行ったのだが、彼はただ難しい顔で俯くだけだった。
「うーん、これは病気ではないな。
いいかい? ルージュ。
これは毛引き症というものだ。
鳥類の中には、強いストレスを感じると自傷―――自らの羽を引き抜いてしまう種類がいるんだよ。
私の診た限り、アカネに病気は無い。
恐らく、飛べないことがストレスになっているんじゃないだろうか?」
「飛べないことが………」
ルージュは暗い顔で俯いてしまう。
一度羽の折れた鳥が、再び空を飛ぶなど叶わない。
完全にしょぼくれてしまったルージュを、誰かが後ろから抱き締める。
「ほらほらルージュ。そんな暗い顔をしないで!
こんな時こそ、お姉さんにまっかせなさい!」
「ウィッチさん?」
明るい表情で自分を抱き締めるウィッチへ、ルージュは困惑の目を向ける。
「任せるって………」
「私、これでも一応魔女なんよ?
それに自慢じゃないけど、かなり凄腕のつもり!
ちょっとあかねちゃんを私に見せて御覧なさいな」
ウィッチはアカネを受け取ると、治癒の魔術を施し始める。
段階を置いてゆっくりと、何度も何度も魔術を受けていると、次第にアカネの羽はピクピクと動き始めた。
これまで微動だにしなかったアカネの羽が再び動き始めたのである。
「動いてる!」
「おお、これはいけるかも!
ただ、骨の接合は繊細だからね。
焦らずゆっくり治していこう」
それから何日にも渡って、ウィッチはアカネへ治癒の魔術を施していった。
日に日に、アカネの羽は活力を取り戻し、数日後には羽をバタつかせることまで可能となっていったのだ。
「うーん、羽自体はこれで完治したと言えるかな?
私に出来るのはここまで。
後はちゃんと栄養を取って、本当の意味で元気になれば大丈夫。
アカネが再び空を取り戻せるかは、ルージュの腕にかかっているよ!」
「はい! ウィッチさん!」
目に見えて元気になったアカネを支え、ルージュは元気よく頷くのだった。