第15話 英雄の亡霊
国王との謁見後。スオウは王宮の中庭で腰を下ろし、湧き上がる興奮を納めることにした。
騎士団長を辞めると啖呵を切ってしまったが、我ながらとんでもないことをしてしまったものだ。
誇り高き英雄の騎士団―――元魔女討伐騎士団は彼の祖父クリムゾン・ヴーロートが初代団長を務め、以来カーマイン、グレンと歴代のヴーロート家当主が引き継いできた名誉職。
それを自ら放り捨てたとなれば、母から大目玉を喰らってしまうかもしれない。
「ふふ………」
それでも、スオウの心に後悔は無い。
国王の言葉ではないが、騎士団の主たる任務は魔女の撲滅。
毎夜、魔女を燃やす日々に、スオウはほとほと嫌気が差していた。
「おや、スオウ殿。
こんな所におられたのですか?」
そんなスオウへ一つの声が掛けられる。
声の先には、一人の老人が温厚な笑みを浮かべていた。
「レイアード将軍………」
「少し、よろしいかな?」
レイアード将軍はよっこいしょという声と共に、スオウの隣へと腰掛ける。
彼が何を考えているのかわからないが、自分は先ほど、この老人を怒鳴りつけてしまったのだ。
気まずい思いを胸に、スオウは頭を下げる。
「レイアード将軍。先ほどは失敬した」
「気に召されるな。
スオウ殿の言葉が、国を想ってこそであることは、私もアラン皇太子もわかっておる。
忌憚なき発言こそ、今この国にもっとも必要なものなのだ」
体裁の悪いスオウに対し、レイアードは相変わらずの笑みで答えてみせた。
フリッツ・レイアード将軍。
総勢10万人を誇る王国正規軍の長であり、王国武官の最高統率者である。
年齢的にはスオウの祖父、クリムゾンと同輩。
クリムゾンが「王国の剣」ならレイアードは「王国の盾」であると謳われ、王国の二雄として戦乱の時代を戦い抜いた猛将である。
国の方針について、何かと意見の食い違うスオウとレイアードであったが、互いに武人としての敬意は抱いていた。
「それで………スオウ殿はあくまで、その魔王とやらを倒しに行く心積もりなのですか?
今ならまだ、騎士団長の務めに戻ることが出来ますぞ?
陛下には、私が口添え致しましょう」
「申し出はありがたいが………もう決めたのです」
「そうですか………」
頑なスオウに対し、レイアードは困ったようにため息をついてしまう。しかし、その口元には変わらず愉快そうな笑みが浮いていた。
「やはり、クリムゾン殿のお孫ですな。
一度決めたら、何を言っても無駄なようだ。
しかし、その魔王とやらが本当に実在すると言い切れますか?
私はどうも、フクツ連隊長の報告が信じられんのですよ」
「魔王は実在する………私はフクツ殿の言葉を信じます」
「過剰な猜疑は身を傷めますが、過剰な信用は身を滅ぼしますぞ。
貴方とフクツ連隊長には、これという繋がりも無かったはず。
どうしてそこまで、彼を信用されるのですか?」
「………」
レイアードの問いかけに、スオウは沈黙してしまう。
スオウがフクツの言葉を信じる、その根拠。
実のところ、スオウはそれをあの場で隠していたのである。
「レイアード将軍………実はフクツ殿の報告について一つ、私は隠していることがあるのです」
「ほう………?」
「海岸都市を襲った魔王………奴の名はグレン・ヴーロート。
魔王の正体は私の叔父であったと、フクツ殿は仰ったのです」
「何だと!?」
報告を伝えるとき、スオウは魔王の正体を隠していた。
偶然ではなく恣意的に、スオウはグレンの存在を秘匿していたのである。
「何故、黙っていた?」
「国王陛下は未だ、グレンの亡霊にとり憑かれている。
魔王の正体が叔父だと知られれば、陛下は決して私の出陣を許して下さらない………そう思ったのですよ。
もっとも、結果は逆効果でしたがね」
ヴーロート家は代々王国へ貢献し続けてきた一族であるが、現国王にとってはいつ裏切るやも分からぬ不穏分子という印象が強い。
20年前。グレンの犯した暴挙によってヴーロートへの信頼は地に堕ちてしまっている。
「叔父は………グレンは、あの無念を決して忘れていない。
むしろ20年の時を経て、その怨嗟は更に濃くなっているでしょう。
奴の憎しみは、もはや国を越えこの大陸に生きる者全てへ向けられている。
私はヴーロートの末裔として、あの男の甥として、絶対に魔王を倒さねばならんのだ!」
「………」
噛み締めるようなスオウの言葉。それをレイアードは真剣な眼差しで受け止める。
先ほどまで浮かんでいた温和な笑みは、いまや完全に絶たれていた。
「スオウ殿………グレン・ヴーロートは20年前に死んだのだ。
奴を殺したのは、他でもない貴方自身ではないか」
20年前。グレン・ヴーロートによる大虐殺が行われた日。
当時まだ14歳だったスオウは、国王を守るため剣を取った。
その剣によってグレンの顔面を両断し、王と国を救ったのである。
スオウが未だ王国の要職についていたのは、そんな理由によるところもあった。
レイアードの言葉に対し、スオウはゆっくりと首を振る。
「20年前のあの日、叔父は異形に成り下がっていた。人を越えたモノに墜落してしまっていた。
あの程度で死ぬとは思えない」
「そもそも、その異形という物が信じられないのです。
あなた達が訴えるグレンの様子は、あまりに奇想天外すぎる」
王都で突発したグレンの大虐殺。
それの目撃者は少ない。というより目撃した者はほぼ全て、グレンに殺されてしまったのだ。
数少ない生き残りが訴えるグレンの様子は、あまりに信じ難いものだった。
曰く、純白の髪に真紅の目を持っていた。
曰く、魔術のようなモノを操り、漆黒の業火で人々を焼き払っていった。
そして。
曰く、スオウに顔面を両断されたグレンは、黒い影のようなモノに包まれ、何処かへと消えてしまった。
レイアードを始め、人々は彼らの言葉が信じられなかった。
まるで御伽噺や空想小説のようではないか。
男に魔術を操ることなど出来ないし、グレンが包まれた黒い影というのも意味不明過ぎる。
人々は彼らが幻覚を見たのだと判断した。
救国の英雄として絶大な信頼を得ていたグレンによる、突然の大反逆。
信じがたいその出来事に、国王やスオウは錯乱し、ありもしない幻影に捕われてしまったのだと、そう考えたのだ。
結局、王国においてグレンはスオウに倒され、遺体は焼失してしまったのだということになっている。
「スオウ殿………あなたがそこまで魔王に拘る理由。
この翁にもようやく分かった。
だが、あえて言わせてもらおう。
グレンの亡霊にとり憑かれているのは、貴方とて同様なのではないか?」
「何だと?」
「重ねて言うが、グレンは20年前のあの日。あなたに討たれて死んだ。
あなたも、国王陛下も、死者の影に捕われ過ぎだ。
グレンの死を持って、暗黒時代は終わった。みな、新しい時代を生きている。
スオウ殿はいつまで、グレンの影に捕われているおつもりなのだ?」
『魔王の正体はグレンである』
その告白はレイアードにとって、魔王の実在へますます不審を抱かせるだけのものだった。
そもそもレイアードは、グレンが死んだと思っている。
その死者が蘇り、王国に反旗を翻すなど荒唐無稽を越えて与太話もいいところである。
常識的に考えて、魔王などというモノが存在するわけがない。
しかし、そんなレイアードの諫言にも、スオウの決意は揺らがなかった。
「グレン・ヴーロートは死んでいない………私には分かる。
私は今度こそ、必ず、あの男を殺してやらねばならんのだ!」
「あなたの主張は思い込みに寄るところが大きすぎる。
そんな決意に賛同する者はおりませんぞ。
スオウ殿はたった一人でも、亡霊を追いつづけるおつもりか?」
「構わない」
スオウの決意は悲壮な殺意となって、彼の全身からごうごうと放たれている。
どんな言葉を用いたところで、彼の決意は揺るがぬようだ。
説得は無為と悟り、レイアードは諦めたように肩を竦めてしまう。
「………貴方はどこまでもあの男の―――クリムゾン・ヴーロートの孫であるようですな。
一度決めたら梃でも動かんようだ。
まったく、貴方を見ていると、若き日のクリムゾンを思い出してしまう」
「レイアード将軍………?」
スオウは困惑の目を向ける。
先ほどまで慇懃なほど丁寧だったレイアードの声音から、穏やかさが消えていたのだ。
向き直ったスオウの視線。その目には豪壮な笑みを浮かべる老将の姿があった。
「だが、単独で敵と戦うのは、些か心許ないだろう。
スオウ。貴様に1000の正規兵を貸してやる」
「な?」
「本来なら数万の正規兵をドンと与えてやりたいところだが………ワシとて自由に動かせるのはこの1000人程度でな。
だが、奴らはこのワシが直々に鍛えた王国の精鋭。
その実力は万の兵にも決して劣らんぞ?
どうだスオウ。奴らの命運、背負う覚悟はあるか?」
「む、無論です!
しかし………いかに将軍のあなたと言え、勝手に兵を動かしては陛下から処罰を―――」
突然の申し出にスオウは狼狽えた声を上げるが、レイアードはその口を手で塞ぐ。
「しー! 黙ってりゃ分からんって!
陛下はもはや高齢。ぶっちゃけ、もうボケてきとるからな。
兵の動向など、いちいち気付かんよ!」
そう言ってレイアードは豪快に笑ってみせる。
そんなことを言っても、国王に意に背くのは命がけのことだ。
自らの息子でさえ手にかけたあの王が、レイアードに対し躊躇するとは思えない。
つまり………それほど、この老人は自分を信頼してくれているということなのだろう。
「ありがとう………ございます」
「礼などいらん! 別に好意だけで、兵を貸す訳ではない」
跪くスオウに対し、レイアードは首を振ってみせる。
「ワシは魔王なんてものを信じていないが………海岸都市が崩壊したのは紛れもない事実。
陛下の命令どおり捨て置くなど、出来るわけがない!
そこでだ、スオウ。
王国武官最高統率者として、貴様に密命を与える。
貴様は我が兵を率い、王国を救ってみせろ。
方法は問わん。貴様の信じるがまま、自由に動くがいい。
そして必ずや、動乱の根源を見つけ出し、打ち倒すのだ。
出来るな!? スオウ・ヴーロート!」
『王国の盾』フリッツ・レイアード。
彼もまたクリムゾンと同じく、王国を守り続けた英雄の一人である。
年老いたところで、その矜持には一片の穢れもなかった。
「確かに、承りました」
「うむ!」
平伏するスオウの前で、レイアードは胸を張る。
そして、再びその口元へ温和な笑みを戻すと、スオウへ穏やかに言葉を告げる。
「あと、あまり無理はされぬように。
私のようにある程度はなあなあで済ませることも、生きる上では必要ですぞ?」
「は、はぁ………」
「どうしても出陣したかったのでしょうが………国王陛下に直訴したのは悪手でしたな。
陛下が有用な判断を下すとでも思いましたか?」
「い、いえ………」
「今や陛下は己の保身しか考えられなくなっている。
年老いたこともあるでしょうが………何より彼はあまりに覇王であり過ぎましたな。
玉座について50余年。陛下は敵を作りすぎたのですよ」
「敵………魔女のことですか?」
スオウの言葉に対し、レイアードは静かに首を振ってみせる。
「魔女………無論、魔女は最大の敵ですが、この国の敵は魔女だけではない。
未だ大森林の領地を巡って争っているエルフ族。
属国化したものの、未だ勢力と技術を持つドワーフ族。
王国内にだって、不穏分子はいくらでもいる。
海岸都市の領主は反国王派として有名な男でした。私やアラン皇太子がフクツ殿に不信感を持つのは、そんな理由もあるのですよ」
『今や王国の敵は魔女だけじゃない。
エルフやドワーフなどの他種族。
貧民や辺境人などの虐げられる民たち。
そんな人たちの怨嗟や憎悪を入り混じり、大きな魔となってこの大陸を暗黒で包んでいるんだ』
レイアードの言葉を受けて、スオウの心にそんな言葉が去来する。
それは幼い頃、大好きだった叔父から聞いた話と同じもの。
「国王陛下は、心の機微というものに敏感な方だ。
恐らく、周囲から向けられる殺意を、ひしひしと感じているのでしょう。
もともと疑り深い方であったが、今や猜疑の塊と成り果てている」
長年、国王に寄り添い続けた老将は疲れたように笑ってみせる。
「ブルト第一皇太子、オーリン第二皇太子………アラン皇太子を除き、陛下は自らの後継者を全て処刑してしまった。
ご子息だけではない。長年王国へ仕えてきた文官、武官たち。彼らも陛下の不信をかった者は次々と粛清された。
この私だって例外ではない。少しでも疑念を抱けば、陛下は躊躇わず私を殺すだろう」
「………」
レイアードの言葉に、スオウは無言で俯く。
恐らく、現在最も粛清対象に近いのは、自分自身だろう。
「国全体が病んでいるのですよ。
周辺から憎悪を買い、内部は恐怖に慄き、そして頂点が狂っている。
スオウ殿。ゆめゆめ気をつけなされ。
王都の外は、貴方が考えている以上に多くの敵がいる。
敵は、魔王だけではない」
「………肝に命じておきます」
レイアードはスオウの肩に触れると、念を押すように小声で伝える。
「そして、これだけは忘れぬように。
出陣前に、ご家族の安全だけは間違いなく確保しておくのだ。
でなければ、貴方も………グレン団長の二の舞となってしまいますぞ」