第12話 二人の魔物
「魔王様! もうお加減はよろしいのですか!?」
魔王邸の大広間にて、姿を見せた魔王に対しプリーストが慌てた様子で駆け寄っていく。
魔王はそんな彼に困った笑顔で応じてみせた。
「ああ。おかげ様ですっかり元気になった。
みんな、心配をかけてすまなかったね」
魔王は自らの完治を見せるように、キビキビと体を動かしてみせる。
そんな魔王の壮健な様子に、ウィッチは大げさなため息をついてみせた。
「私があれだけ色んな魔術を使っても駄目だったのに………まさか、ルージュの口づけ一発でここまで元気に戻るなんてね。
これだからロリコンは………」
「ふむ………。魔王殿にとって童女の接吻はどんな魔術よりも効果があるのだな。
幼児趣味もここまでくれば立派なものよ」
「だから僕にそんな趣味はないって!」
勝手なことを言う二人に魔王は文句を言うが、ウィッチはルージュを抱き締め、魔王から庇うように背を向ける。
「ルージュ。今夜からは私と一緒に寝ようね。
あんな変態おじさんが同じ屋敷に居たんじゃ、おちおち夜も寝られやしない」
「変態おじさんって僕のことか!?」
「ははは………」
相変わらずの下らない会話に、ルージュは少しだけ微笑む。
一時は消沈しきっていた魔人たちであるが、魔王の復活と同時にいつもの調子を取り戻したようだった。
「しかし、実際問題。
魔王様の体調はどうして回復されたのでしょう?
まさか本当にルージュの口づけによる訳ではないですよね」
「まあ、そうなんだけどね………」
プリーストとバルバロイの言葉に、魔王は顎へ手を当てなにごとかを考える。
そして胸元へ手を翳すと、ウィッチに視線を送った。
「ウィッチ。ちょっと見てもらえるかい?」
「へ?」
ウィッチの返事と同時に、魔王の手のひらへ黒い炎が灯らせ、それをウィッチの方へ向けて見せた。
発火魔術―――最も初歩的で簡易な魔術である。
黒火の揺らめきは静かで小さな松明のように瞬いている。
「どう思う?」
「以前より魔力の濃度が増してますね………なのに前より安定している。
それに魔王様自体の魔力量が上がっているような………」
「そうなんだ」
魔王は炎を握り消すと、自らの胸に手を当て言葉を続ける。
「ルージュの口付け―――いや、血液をもらってから、異能が強化された気がするんだ。
魔術の顕現が以前より楽になって、消耗も少ない。
その癖、威力は上がっている。
もしかしたら、僕が持ち直したのは別に体調が回復したからではなく、ただ単に魔力の量が増えたからなのかもしれないね」
「異能の強化、ですか………」
プリースト、バルバロイ、ウィッチの3人がルージュへと目を向ける。
当のルージュだけが、キョトンとした表情で不思議そうに魔王を見上げていた。
「血液の譲渡によって「異能を強化する」―――ひょっとしたら、それがルージュの異能なのかもしれないね」
◇
屋敷の中庭に一人、ルージュはカラカラと車椅子を回し空を見上げる。
今日の天気は麗らかな快晴。
大きな青空に小さな雲が浮かび、眩しい日差しがルージュへと差し込んでいた。
「………?」
ルージュは少し考え、もう一度空を見上げる。
見上げるたびに首を傾げ、もう一度。そんな風に何度も何度も空を見上げ続けた。
「やはり、違和感があるのだろう」
そんなルージュへ、ふと野太い声がかけられる。ルージュが振り返ると肥え太った中年男がニヤケ笑いで立っていた。
「フェイトさん」
フェイト―――会うのは久しぶりであるが、確か魔王たちの知り合いだったとルージュは思い出し、ペコリとお辞儀する。
「おじさんたちにご用事ですか?
私、呼んできます」
「いや、いい。
奴隷、今日はお前に用があって足を運んだのだ」
「私に?」
不思議そうに首を傾げるルージュへ、フェイトはニヤニヤと笑みを深めてみせた。
「先ほどからやたらと空を眺めていた様子だが、見え方に何か違和感があるのではないか?」
「そうなんです………上手く説明できないんですけど、なんかいつも見ている空と違うなって………」
「ふむ………」
フェイトはルージュの顎をくいと上げ、その真紅の瞳をじっと見つめる。
「どうやら、網膜の細胞がいくつか死滅したようだな。
錐体細胞だか何だかというやつ………識別できる色を何色か失ってしまったらしい。
まあ、この程度で済んだのは御の字というところか」
「?」
フェイトの言葉にルージュは首を傾げる。生憎、彼が何を言っているのかよくわからない。
「フェイトさん。私、この間おじさんに自分の血をあげたんです。
そしたら、おじさん。元気になったんです。
これは私の「いのー」の力なんですか?」
「ああ、魔王が回復したのは、確かに貴様の異能によるものだ。
別に与えるのは血でなくても構わんぞ?
肉でも、記憶でも、感情でも、それこそ命でも。
捧げるものが大きければ大きいほど、受け取る異形は強大なものになる」
「つまり、私の異能は「自分の元気を、みんなに譲り渡すことが出来る」ということなんでしょうか?」
「ふふふ、お前はどうやら勘違いしているようだな」
「………?」
「お前の異能は「奪う」力だ。
お前が自らの血で魔王に力を与えたように、お前は他者の血、肉、命から力を蓄えることが出来る。
いいか、魔人 奴隷。
お前の異能は『怪物』という。
使いようによっては、あの魔王さえ凌駕することが出来るかもしれんぞ?」
「怪物………」
ルージュは相変わらずよくわからないといった表情でポカンとフェイトを見返していたが、少しだけ笑顔を浮かべると、ペコリとフェイトへ頭を下げる。
「よくわからないけれど………私の異能。
フリークスと言うんですね。
フェイトさん、教えてくれてありがとうございました!」
そう言うと、ルージュはご機嫌な様子で屋敷へと帰っていく。
もしかしたら、自分の異能について魔王たちへ自慢しにいく心積もりなのかもしれない。
彼女にとっては仲間たちの力となることが最優先で、その代償などどうでもよかった。
別に肉でも、記憶でも、感情でも、それこそ命でも。求められれば容易に渡すつもりだったのだ。
ルージュの小さな背中を見送り、フェイトは皮肉気に口角を歪める。
「ふん、オレとて多くの人間を魔人に墜としてきたが、あそこまで壊れている奴は初めてだ」
魔王を始めとした、4人の魔人たち。
失意。憤怒。空虚。絶望。
彼らが魔人へ身を墜とした理由は様々だ。
そして、彼らはそんな感情から目を反らすように、狂気の想いだけを抱いて冒涜的な破滅を求めている。
だが、同時にそんな自分たちの行いが間違っていることを心のどこかで理解しているのだろう。
だからこそ彼らは、異形の大元であるフェイトへ嫌悪を抱いているのだ。
自ら人の身を捨てながら、その素因であるフェイトを憎む。
非常に矛盾した話であるが、もしかしたらそれが、彼らに残った最後の人間性でもあるのではないかと、フェイトは思っていた。
「それに引替え、あのスレイブだ。
奴はオレへの嫌悪も、仲間たちがしていることへの疑問も。
自らの異能が持つ破滅性に対しても、興味がないらしい」
そんな魔人たちの中で、ルージュにだけは迷いが無かった。
目の前で殺される人々も、機能を失っていく自らの体に対しても、彼女の心には何一つ響かなかった。
興味が無いのだ。
優しくしてくれる人が好きで、優しくされるのが大好きで。
受け入れてもらえることが全てで。
その優しい人たちがどんなに悪辣を重ねたところで、ルージュにとってはどうでもいい。
殺戮も、破壊も、冒涜も、ルージュには理解できなかったし、する気もなかった。
ただ、魔王たちが自分に優しくしてくれれば、それでよいのである。
人畜無害な外見や性格とは裏腹に、その心へ潜むのはひたすらに無機質な黒であった。
「ふふ、魔王よ。
最初こそ余計なことをしてくれたと思ったものだが………とんだ逸材を拾ってきたものだ。
もしかするとその少女は、お前以上の魔物になるやもしれんぞ」
カラカラと遠ざかるルージュを見送りながら、フェイトはそんな言葉を呟くのだった。
◇
20年前に終結した、アルカナ・マギアの動乱。
そして、この世界の女に魔力が齎されたのは60年前。
その更に10年ほど昔、現在から数えて70年ほど前の事。
この大陸に一人の女が現われた。
純白の髪に真紅の瞳。
この大陸に居住するどの知的種族とも異なる外見を持ったその女は、自らを『ユキ』と名乗り『魔術』という異能の力を持っていた。
炎や氷、あらゆる自然現象を自在に操り。
どんな病気や怪我も、手を翳すだけでたちどころに癒していく。
人々にとってそれはまさに、神が如き奇跡の力であったのだ。
ユキは大陸中を周遊し、その奇跡を持って人々を救いはじめる。
今より貧しく、荒んでいたこの大陸で、救いと安寧を与えたユキは救世主のような存在であった。
人々はユキに感謝し、崇め、いつしか尊敬の念を持って『幸福の魔女』と呼ぶようになる。
王国もユキの存在を黙認した。
彼女の崇拝者がやや宗教団体染みてきたことへ多少の危惧は抱いていたものの、ユキはそんな信者たちを組織化する様子が無かったし、何より王族や貴族たちに対しても奇跡の力をさしのべていたからだ。
ユキの救いに貧富貴賎の区別は無かった。
貧しい者にも、豊かな者にも、聡い人間にも、愚かな人間にも、平等に分け隔てなく奇跡を与え続けたのである。
それによって王国の貧困は改善し、国力は上昇していった。
苦しいことや、目を背けたくなることが多かったこの世界において、ユキが祝福を与え続けたこの時だけは「幸福の時代」であったのだ。
しかし、とある少女の漏らした一言が、そんな「幸福の時代」へ終わりを告げる。
それはとある貧しい村での出来事。
村へ訪れたユキはいつものように、荒れた畑へ豊潤を齎し、病人たちを癒していった時のこと。
病床に伏せていた父を回復させてもらった少女が、何気なく漏らした言葉である。
少女は言った。
『私にも、貴女のような力があればいいのに』と………。
別に、その少女に他意があった訳では無いだろう。
しかし、ユキはその言葉に微笑み、夜空へちらりと手を翳す。
その手から銀瑠璃の光が昇り、まるで星月のように瞬くと夜の帳へ消えていった。
翌日、大陸には雪が降った。
真夏の朝方である。季節はずれどころではない。
人々は驚嘆し、誰もがその雪へ目を向ける。
それは一見すると雪のようであったが、大地に降り積もることは無く、陽炎が如く霧散し消えていく。
そして、その雪のような何かを浴びた人々には異変が起こり始めていた。
体の芯で何かが火照るような感覚。
これまで感じたことのない、別の何かが組み込まれていくような幻想的な衝動。
その異変は、大陸に居住する全ての『女性』だけに等しく起こっていた。
魔力の目覚め、である。
その日、この世界に生きる全ての女性が、魔力という新たな力を得ることになったのであった。
魔女として新たな力を得た女性達は、その術を魔術として体系化。
ユキほどではないにしろ、魔力による力を操り、男たちには決して出来ない奇跡を次々と顕現させていった。
王国は事態を深刻に捉える。
この国は他の国々と同様に、男性が主体となって社会を動かす国家なのだ。
しかし魔女―――女性たちは政治や権威活動への参入を要求。
その強大な力を背景に、半ば脅迫と言っていい態度で王国へ新たな権利を求め始めたのである。
貧しいながらもそれなり安定を誇っていた王国であるが、これらの事態を受けて動乱の兆しが見え始めていた。
そんな折りに起こった、大量殺戮事件「魔女の夜」
その事件を契機に、王国は魔女との全面抗争を決意する。
国民による魔術使用の全面禁止。
魔女に対する全人権の剥奪。
そして、魔女を狩る者。
対魔術に特化した戦闘組織『騎士団』の設立である。
騎士たちは貧富貴賎の区別無く魔女を狩りつづけ、対する魔女たちも騎士や、その大元である王国に対し魔術の破壊活動を繰り広げる。
どちらでもない人々はそれらに対し、女は自分が魔女だと思われぬよう、男は魔女たちの殺意を受けぬよう、ただ震えて祈ることしか出来なかった。
ユキによって築かれた「幸福の時代」はわずかな時を経て『暗黒の時代』へと変わっていたのである。
「ふん」
レーゲンはパタリと本を閉じ、皮肉気な笑みを浮かべる。
彼がいるのは『学園都市』
王国発祥の地であり、多くの学術資料を抱えた研究都市である。
海岸都市で足止めをくったレーゲンであるが、その後無事に馬車を手に入れ、王都へ向かっている途中であったのだ。
学園都市は五大都市の中で最も王都と隣接した都市である。
レーゲンは帰都の途中、この都市に立ち寄り魔女発生についての文献へ目を通しているところであった。
「20年前、あのグレン・ヴーロートによって幸福の魔女が倒され、『暗黒の時代』は終焉を迎えた。
しかし、その結果がどうだ?
散り散りになった魔女共は思想を更に過激化させ、毎夜のように破壊活動を繰り返す。
それを恐れる騎士たちは、毎昼のように夥しい数の魔女たちを処刑する。
その内の何割が本当に魔女なのかは知らんがね」
レーゲンは文献を投げ捨てると、背後に目を向ける。
そこには人間の手や足、頭などが打ち捨てられたように大量に転がり、その中心でシエルが無表情なまま佇んでいた。
「まあ、お陰で私の研究も円滑に進んだと言えるのか。
恐怖に駆られた人間は、どんな悪徳からでも目を反らすことが出来るらしい」
海岸都市で偶然遭遇した魔王たちとの戦闘。
それ自体は何事もなく退けることが出来たのだが、そのせいでシエルに負荷を加えてしまった。
流石に極彩色まで使わせたのは早計であったかもしれない。
レーゲンは仕方なくこの学園都市に立ち寄り、処刑予定であった魔女を買い取ってシエルへ与えることにしたのである。
シエルは人外染みた力を持つ魔女であるが、その修復には魔女の血肉を必要とする。
彼女の周りに散らばった残骸は、全てシエルの贄となった者たちであった。
レーゲンはそれらの残骸を足でよけ、シエルの頭に触れて微笑む。
「暗黒時代―――魔女狩りの実施と共に、国王陛下はユキを拘束し、王宮の奥深くへ監禁したようだ。
もっとも、彼女はすぐ魔女たちによって解放され、アルカナ・マギア創設の切欠となるのだが………」
レーゲンは国王―――アウランティウム13世の年老いた顔を思い浮かべ、ひひっと小さく笑う。
「強大な力を下手に恐れるから、みすみすそれを失うのだ。
ユキを己が手駒と出来たならば、アルカナ・マギアとの紛争など、起こることもなかっただろうに………まったく、国王陛下は若い頃から無能であらせられたようだ。
そうは思わんか? シエル」
「わからない」
レーゲンの問いかけへ、シエルは首を振るだけだった。
それでもレーゲンは満足そうに、シエルの頬に残った血を拭ってみせる。
「くく………それなら、それでいい。
私はあの老いぼれのような、無能とは違う。
お前の奇跡の力。私の為に役立ててくれよ?」
「はい」
シエルは返事し、瞳を伏せる。
レーゲンの娘、シエル・アルコバレーノ。
それは、レーゲン・アルコバレーノが無数の屍と冒涜を重ねて造り上げた奇跡の賜物であった。
かつて、レーゲンは魔女の撲滅を訴えながら、魔術の研究へ並々ならぬ熱意を持って勤しんでいた。
そんな折り、遂に彼は幸福の魔女を蘇らせる術を思いつく。
祖体となるのは幸福の魔女。彼女の体から抜き取った子宮である。
幸福の魔女 ユキがグレンに倒され20年の月日が流れたものの、彼女の遺体は腐らず、在りし日の形態を保っていた。
彼が場所として選んだのは幸福の地。
そして、ユキが生誕したとされる『聡明な賢者の学舎』の地下、『福幸の部屋』である。
その部屋には今もなお、ユキの魔力が残骸のように、色濃く残っている。
男性ゆえ、魔力というものを持っていなかったレーゲンは、そんなユキの残り香を利用することにしたのだ。
レーゲンは抜き取った子宮を部屋の中央に置き、それへ魔女たちの血や肉、臓物などを詰め込む。
そしてその中へ、自らの精液を注ぎ込んだ。
するとその肉塊は蠢き、挽肉で出来た心臓のように確かな鼓動を打ち始める。
レーゲンがそれへ、更に魔女の死骸を近づけると、肉塊から肉の触手が伸び、死骸を侵食するように貪っていった。魔女を与えれば与えるほど、肉塊は人の形に近づき、備えた魔力を強大なものにしていくようであった。
それに確かな成果を感じ取ったレーゲンは、魔女たちを送り込むよう国王へ嘆願する。
幸福の魔女が蘇れば、きっと国王の力になるとしたためたそれを国王は受理し、捕縛した魔女を幸福の地へと送り込むようになったのである。
レーゲンは送られた魔女を殺し、その屍を餌として肉塊へ与え続けた。
そんなレーゲンの『研究』は10年もの長きにも渡り、数え切れないほどの魔女がその贄となっていった。
どれほどの人数を与えただろうか?
数千か、数万か、レーゲンにもわからなくなってきた頃、肉塊だったそれは完全な人型を模り、自我のようなものさえ形成しはじめた。
ホムンクルス―――人工的に造り上げた幸福の魔女のレプリカ。
シエル・アルコバレーノが完成したのである。
完成したシエルの外見は、幸福の魔女と遜色のないものだった。
美しい容姿に、純白の髪。
ただ、その瞳だけは真紅でなく、七色の光を帯びている。
それはもしかしたら、彼女の礎となった魔女たちの、怨嗟の光であったのかもしれない。
「ふふふ、お前は期待通り………いや、期待以上の力を持って生まれたようだ。
お前を手中に納めた者は、この大陸の覇者となるだろう」
「………?」
学園都市の一角で、レーゲンは愛しささえ持って、シエルの頭を撫でる。
しかし、彼女を見下ろす黒い瞳には、狂気的な笑みが浮かんでいた。