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第10話 とある英雄の夢(1)

 私はまた、夢を見ていました。


 夢の中では、私と同じくらいの年齢をした2人の少年が、手に剣を持ち戦っているようでした。

 彼らが居るのは暗くて粗末な闘技場。

 その観客席では数百人もの人々が、彼らの戦いに歓声を送っています。


 少年達が持つのは刃がこぼれた剣で、互いに血を流しながら鬼気迫った表情で戦い続けていました。

 刃が身を裂き、血を噴出すたび、観客席からは一層大きな歓声が響き渡るのです。


 彼らを見つめているうちに、私はあることに気付きます。

 殺しあう二人の少年の、その片方。

 小さな体で懸命に剣を振る少年の姿に、見覚えがあるのです。


 そう。あれは、おじさんです。


 私と同じくらい幼くて、髪も目も今と違う色で顔に傷も無いけれど、あの男の子はおじさんに違いありません。


 互いに剣を交わしながら、少年のおじさんは隙をつき、相手の手首を切り飛ばしました。

 武器と利き腕を失った相手は、力尽きたように崩れ落ち。目から涙を溢れさせてしまいます。


 狂わんばかりに響く歓声。

 総立ちになる観客たち。

 命乞いをするように泣き喚く少年。

 そして微動だにせず、少年を見下ろす幼いおじさん。


 おじさんは剣を握ったまま、闘技場に設置された小部屋へ目を向けます。

 小部屋には立派な服をきたお爺さんが立っていて、右手に白い旗を、左手に黒い旗を握っていました。


 お爺さんはおじさんに向けて黒い旗を掲げます。

 その途端、利き腕を失った少年がキーキーと奇声を上げながら逃げ出すようにおじさんから離れいきました。

 だけど闘技台は高い壁に覆われていて、彼に逃げることを許しません。


 少年は壁に爪を立て、狂ったようによじ登ろうと足掻くのですが、そもそも片手を失った状態で脱出は無理というものです。

 何度もずり落ち、ガリガリと壁を引っ掻くことしか出来ないようでした。


 おじさんは剣を握ったまま、そんな少年へゆっくりと近づいていきました。


 更に逃げようとする少年をうつぶせに取り押さえ。

 髪を掴んで顔を上げさせて、その首筋を衆目に捧げるおじさん。


 おじさんはそのまま、少年の咽喉笛を剣で切り裂いてしまいました。 


 少年の咽喉から鮮血が噴出し、おじさんの姿を赤く染めていきます。

 歓声はいよいよ闘技場を揺らさんばかりに轟き、観客たちは興奮した様子で足を踏み鳴らします。おじさんへは次々と貨幣のようなモノが投げつけられていました。


 おじさんは溝鼠のようにヒョコヒョコと地面に落ちた貨幣を拾い集めます。

 その顔は相変わらずの無表情でしたが、彼が奥歯を噛み締めているであろうということが、何故か私には理解出来たのです。



 静かな、静かな深い夜。

 目を覚ましてしまった私はカラカラと、車椅子を走らせてお屋敷の中を進んでいきました。


 海岸都市を滅ぼすと、みんなが勇んで屋敷を後にしたのが6日前。

 そして、3人が愕然と肩を落とし、おじさんを抱えて帰ってきたのが3日前の出来事です。


 久しぶりのおじさんは、不思議なことになっていました。

 体に傷はありません。

 なのに、まるで死んでしまったかのように深く深く眠っていて、決して目を開こうとしないのです。


 おじさんは今も、お屋敷の自室で眠っています。

 どうしてこんなことになったのか尋ねても、みんなは「わからない」と目を曇らせるだけで、途方に暮れているようでした。


 あれから、お屋敷は火が消えたように静かです。

 ウィッチさんもバルバロイさんも、プリーストさんも、みんな難しい顔をして俯いてばかりいます。


「あれ、ルージュ?

 こんな時間にどうしたの?」


 おじさんの部屋の前にはウィッチさんがいました。

 ウィッチさんは魔術というモノも使うことが出来るようで、何とかおじさんの目を覚まさせようと手を尽くし続けているようです。


「もう真夜中だよ?

 こんな時間まで起きているなんて。

 お姉さん、感心しないなぁ」


「おじさんのことが気になって………」


「あぁ………」


 ウィッチさんは困ったように笑うと、優しく私の頭を撫でてくれました。 


「まったく………こんな女の子に心配をかけるなんて、魔王様は本当に駄目なおっさんだよ」


 ウィッチさんはいつものように私へ微笑んでくれたけど、その顔は明らかに疲れきっていて目の下には真っ黒な隈が浮かんでいました。


「ウィッチさん。おじさんのところへ行ってもいいですか?」


「うん………」


 私の求めにウィッチさんは力なく頷き、そっと部屋のドアを開けてくれました。


 おじさんの部屋は簡素です。

 部屋の隅に本棚が一つと小さな机が一台。

 そしてその横に、白いベッドが一つ置かれているだけです。


 そのベッドの上に、おじさんはいました。


 微かな呼吸を上げながら、だけど顔面だけは悪い夢を見ているように蒼白で。

 こけた頬を晒しながら、相変わらず眠っているようでした。


「おじさん、ルージュです」


「………」


 私は声掛けますが、返事が帰ってくる訳もありません。

 それが何だか悲しくて。

 私は思わず、息を詰めてしまいます。


「ルージュ………声をかけても、魔王様にはわからないの。

 昏睡状態って言ってね。

 何を言っても、何をしても、もう魔王様には届かないんだ………」


「…………」


 ウィッチさんの言葉に私は項垂れてしまいます。

 分かっていましたが、こんなおじさんを実際に目の当たりにしてしまうと、胸がズキリと痛んでしまうのです。


「ウィッチさん、私に何か出来ることはないのですか?」


「こればっかりはね………覚醒の魔術も試してみたけど、全然効果が無かった。

 見た目は寝ているだけみたいだけど、これは唯の眠りじゃない。

 まるで、呪いをかけられたみたい………」


 ウィッチさんは諦観したように、顔を手で覆ってしまいます。

 いつも明るいウィッチさんが見せるそんな様子に、私はいよいよ打つ手立てが無いのだということを悟ってしまいました。

 

 私はもう一度、おじさんの顔を見つめます。

 私には、おじさんの為に何も出来ることはないのでしょうか?

 ただ、為すがまま為されるがまま、おじさんを見つめることしか出来ないのでしょうか?


『―――いや、ある』


 ふと、私の心の中に声が響きます。

 それは私の声ですが、少し違う私の中に潜む何かの声。

 それは地の底から震えるように、私の脳奥へひりひりと言葉を続けます。


『奪われたくない。

 たとえ何を失ったとしても、何かを奪われたくはない………そう思ったから、あなたは魔人になったのでしょう?

 だったらその力を使いなさい。

 あなたの異能は、全てを失ってでも、全てを奪われないないためにあるのだから………』


 声の言っていることはあまりに意味不明で、何を伝えたいのか要領を得ませんでした。

 だけど私はその時、どうすべきかだけは分かっていたのです。


 声に誘われるように、わたしは口の中。頬の内側を歯で噛み千切りました。

 口肉が裂け、私の口内が血で満たされていきます。


「ルージュ?」


 何でそんなことをしたのか、自分にもわかりません。

 だけど、私は口の中一杯に血を溜めて、おじさんに顔を近づけます。


 おじさんの顔は相変わらず蒼白です。

 閉じられた瞳に汗ばんだ肌。

 そして、少しだけ開かれ、微かに呼吸を続ける唇。


 私はそんなおじさんの唇に自分の唇を重ねると、口の中の血液をおじさんの中に流し込んでいきました。


 血液は少しずつおじさんの口内へ浸蝕し、それがおじさんの舌に触れた途端。

 がばりとおじさんは私の頭を抱き掴み、更に血を求めるように私の唇を強く吸い返してきました。


 まるで餓えた獣が獲物へむしゃぶりつくように、おじさんは私の血を求めます。

 私は出来るだけゆっくりと、おじさんが飲みやすいように血を少しずつ分け与えていきました。

 

 一滴、また一滴と、おじさんの口へ血を垂らしていくたび、私の体からは力が抜けていきます。

 頭の中がぼうっとして、ぐるぐると目が回って、心が曖昧になっていくのです。

 それでも、この行為を止めるわけにはいきません。


 だって、これはきっと―――私の望みを叶えるために私が手に入れた力。

 失うことと引き換えに、奪われることを拒絶する。

 魔人 奴隷スレイブの異能なのです。


 口の中の血を全ておじさんに明け渡したあたりで、私は意識が途絶えかけパタリと前のめりに倒れてしまいます。

 だけど、倒れそうになる私の体をおじさんがふわりと抱きとめてくれました。


「………ルージュ?」


 口の端に血を滲ませたまま、おじさんがきょとんとした顔で私を見下ろします。

 蒼白だった顔色には血の気が戻り、真紅の瞳には再び生気が戻っていました。


「ルージュ………おじさんはいったい………」


 ああ、これで大丈夫。

 私はきっと、おじさんを元気に戻せたはず。

 もう、心配しなくてもいいんだ。


「おじさん………おはようございます」


 私はそれだけをなんとか伝えると、糸がプツリと千切れるように意識を失い、深い闇の底へと沈んでいきました。

 

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