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第9話  魔女

「馬鹿な………これがあの、海岸都市だと?」


 ユウキは目の前に広がる空虚な瓦礫群を前に、茫然自失としたまま立ち尽くしていた。

 王都から遥かな旅路を経て、ようやく到着した海岸都市。

 五大都市の一つに数えられ、貿易の中心として王都に負けず劣らずの繁栄をなしていたはずのこの都市は、今や瓦礫と死骸が広がるだけの廃墟と化していた。


 ユウキたちが海岸都市に到着したのは本日の夕時である。

 昨夜、海岸都市付近の山岳地帯にて野営をしていたところ、眼下でこの都市に炎が回っていることを確認。そのまま夜を徹して強行軍に至ったのだ。

 しかし、彼らの到着は少しだけ遅かったらしい。

 海岸都市はすでに滅ぼされ、魔王たちは何処かへ立ち去った後であった。


「ユウキ様! 生き残り、生き残りがいました!!

 地下壕に避難していた人々は、災禍を免れることが出来たみたいです!!」


 探索に向かっていたセイギが大声でユウキに呼びかける。彼の背後には数名ほどであるが、市民や防衛部隊と思しき人間がぼろぼろに汚れた姿で立っている。

 

「お前達! いったいこの街で何があったのだ!?

 いったい誰が、どうやって、こんなことを―――!?」


 堰を切ったように疑問の言葉を重ねるユウキに対し、生き残りの一人―――防衛部隊員と思われる装いの男が遮るように口を開く。


「説明は後でします!

 それより、こちらへ来て頂きたい!

 どうしても助けてもらいたい者がいるのです!!」


 男は体中から血を流し、歩くことさえままならない有様であったが、必死になってユウキの手を引こうとする。ユウキは仕方なく彼に従うことにした。


「わかった………何を引いても人命救助が先だ。

 ただし、何があったのかは後で詳しく話してもらうからな」



 瓦礫の山を踏み越えて、ユウキたちは男の後へついて行く。

 海岸都市を南の方向へ進んだ町外れ、そこには巨大な崖があり、その崖肌に設置されるように大きな鉄の扉が備えられている。

 扉の中は石造りの巨大な空洞で、奥の方に生き残りと思しき人々が隠れ潜んでいるようだった。


「ここは?」


「ここは緊急時の避難先として領主様が築いていた地下壕。

 災禍の際、領主様は早々に避難指示を出しまして………元の規模を考えればわずかな数ですが、ここで難を逃れることが出来たのです」


 ユウキたちを連れて来た戦士は地下壕を示しそう説明する。

 地下壕には老若男女問わず、誰もが憔悴しきった表情でボロボロに傷ついた体を庇うように座り込んでいた。


「それで、助けてもらいたい者とは?」


「こちらです」


 男はユウキの手を引き、空洞の中心部へ連れて行く。

 そこには小さな人だかりが出来ていて、倒れている誰かを必死に介抱しているようだった。

 戦士はその人物を指し、ユウキへ向き直る。


「助けてもらいたいのは、フクツ様………防衛部隊の連隊長を務めていらしたフクツ・ブルスクーロ様です」


「フクツ殿だと!?」


 それはユウキがスオウから「協力を仰げ」と指示を受けていた男。

 かって、自分たちが所属する『誇り高き英雄の騎士団』の前身、『魔女討伐騎士団』において、多くの戦果を挙げた戦士の名前である。


 フクツは腹に歪な大穴を空け、ひゅーひゅーと薄い息を吐いている。

 失血のためか意識は無く、腹の出血は止まる気配をみせない。

 戦士はフクツに手を置き、顔を曇らせる。


「かろうじて、生きてはいますが………。

 フクツ様は重傷を負い、意識も混濁している状態です。

 我々も何とか治療を試みているのですが、この場所では碌な医療品もなく………。

 ユウキ様、何とかフクツ様を助けて頂けないでしょうか?」


「ふむ………」


 ユウキにとっても、フクツに死んでもらっては困る所である。

 しかし素人目に見てもフクツの傷は致命傷。

 仮に王都の医療施設へ送致したところで助かるとは思えなかった。


「我々とて医療品の類は所持しているが、これほどの傷はどうにも………いや、待てよ?」


 一時、諦めかけたユウキであるが、そこで自分達が持ってきた『備品』について思い出す。

 それはスオウが半ば無理やりユウキに持たせた、例の手に余る備品であった。


「セイギ、馬車から「あれ」を持ってこい。

 あれならば、もしやするとフクツ殿を助けることが出来るかもしれん」


「は、はい!」


 ユウキから指示を受け、セイギは一度地下壕から出て、その備品を取りに向かったのだった。



 幾許かした後、セイギと案内人がふうふうと息を荒げながら、その「備品」を持ってくる。

 それは棺桶を思わせる大きな木箱で、蓋に大きな南京錠がかけられていた。


「お、重い………」


「くそ、何だって俺がこんなこと………」


「文句を言わずにさっさと持ってこい。

 それは非常に危険な物品だからな。

 慎重に扱えよ」


 セイギたちが木箱を置くと、ユウキは懐から鍵を取り出し、南京錠をガチャリと開く。

 そしてナイフを手に構え、警戒するように蓋を外して中身を確認した。


「ふう………特に問題は無いようだな」


「あの、ユウキ様。

 それはいったい何なのですか?」


「見れば分かる」


 セイギの問いへ応えるように、ユウキは木箱を乱暴に蹴飛ばし、中に入っていた備品を床へ投げ出した。


「なっ!?」


 セイギはこの備品が何なのか知らなかった。

 旅の途中でも、この備品は常に馬車の奥深くへしまわれており、日に二度ほどユウキが「点検」を行うだけであったのだ。


 だから、中から現れたモノに対しセイギは目を見開いてしまった。


「女………?」


 そう。それは人間の女であった。

 薄茶色の髪をした女が、全身を厳しい拘束衣によって縛られ、口に猿轡を噛まされた状態で力尽きたようにうつ伏せで倒れ伏している。

 死体のように青白い肌をしているが、微かな身動きを見るに、生きてはいるようだ。


「ゆ、ユウキ様………この女性は………?」


「女性などという言葉を使うな。

 これは魔女。

 未だ多く残る、アルカナ・マギアの残党だ。

 拘束しているからといって油断するなよセイギ。

 こいつらは指先さえ動けば、容易に人を殺すことができる」


「魔女………?」


 セイギの困惑を無視し、ユウキは足で魔女を仰向けにひっくり返すと、その横腹を強かに蹴りつけた。


「おい、魔女よ。

 お前の力を借りたい。

 指示に従うのなら、一つ頷け」


「………」


 魔女は視線だけでユウキを確認すると、唯一自由になる首元を伏せ、コクリと頷いてみせる。

 ユウキは念押しするように魔女を睨むと、セイギへ口を開く。


「よし。猿轡を外し、右腕の拘束を外せ。

 体に自由は与えるなよ?

 右手の肘から下以外は拘束を緩めるな」


「は、はい………」


 セイギは未だ理解が追いついていない様子であったが、それでも必死になって魔女の戒めを解いていく。

 間近で見た魔女は、あまり自分と年齢の変らない少女であるようだった。


「あ………う、あぁ………」


 ずっと猿轡を噛まされていたためか、魔女は満足に言葉を話すことが出来ないようで、口をパクパクと動かし呻くように声を発している。

 胡桃色の瞳だけはギョロギョロとせわしなく、ユウキやセイギ、周囲の状況を伺っていた。

 ユウキはそんな魔女へ冷徹な口調で命令する。。


「おい、魔女。

 そこに男が倒れているのなわかるな?

 お前の魔術で彼を治療しろ」


「あぁあ………あい。わはりまひた………」


 魔女の返答を確認し、ユウキは彼女の襟首を引っ張ってフクツの傍らへ引き摺っていく。


「妙な真似はするなよ。

 少しでもおかしな素振りがあったら、この場で叩き切ってやるからな」


「はい」


 魔女は腰だけ起こすとカンを取り戻すように、何度も深呼吸する。

 そしてキュッと口を引き締めると、指先に一筋の光を灯す。

 彼女の指に灯るのは儚げな緑色の光、それはまるで蛍が舞うように幻想的な軌跡を描きながら円陣模様を描いていった。


「修道魔術―――『照らす緑の息吹(ヴェール・ブレス)』」


 魔女の呟きと共に、彼女の手のひらへ緑色の光が灯る。

 魔女はその光でなぞるようにフクツの腹へ手をかざしていった。


 柔らかな翡翠色の光が、フクツの腹穴を照らしていく。

 光はフクツの腹に空いた大穴を、少しずつ確実に癒していくようで、脈々と湧き出ていた出血は止まり、心なしか彼の顔色も赤みを取り戻してきたようだった。


「すごい………」


「ああ、邪悪な術ではあるものの、魔女の力は人域を越えている。

 こんなモノに頼らなければいけないのは、屈辱ではあるのだがな」


 そっとフクツの腹を擦る魔女を睨み、ユウキは忌々しげにそう呟く。

 そんなユウキの物言いへセイギは僅かながら憤りを感じてしまう。

 まだ理解の追いつかない所であるが、どうやら彼女は遠征中、ずっとあの小さな木箱に閉じ込められていたらしい。


 あまりに人道へ反することではないか。

 王国の規範たる騎士が、こんなことをして許されるのか?

 元々、温和なところがあるセイギは、そんなことを考えてしまうのだ。


 治療は時間にして1時間ほど続いた。

 ずっと治癒の魔術を受け続けてきたフクツの腹は、出血が完全に止まり傷口に薄い皮膜さえ張り始めたようだ。

 最初は途絶えそうなほど薄かった呼吸も、今は平静なものに落ち着いている。

 どうやら、彼の命を取り留めることが出来たらしい。


「あの………そろそろ、いいですか?

 私、もう限界で………これ以上は………」


 対して魔女は、顔から血の気が失せてますます屍のように青ざめてしまっていた。

 魔力の枯渇状態。一時間もぶっつづけで魔術を行使し続ければ、こうなることは明白であった。


「駄目だ」


「うう………」


 なおも続けさせられる魔術の使用によって、もともと青白かった魔女の顔色は更に蒼白なものとなる。

 傍目から見ても危うい様子、遂に彼女は力尽きたように地面へ倒れ伏してしまった。


「あ、大丈夫―――」


「馬鹿、待てセイギ」


 思わず駆け寄ろうとしたセイギを押し留め、ユウキはツカツカと魔女に近づいていく。

 そして剣の鞘でパシリと魔女の頬を叩き、厳しい声音で問いかけた。


「おい、生きているのか?」


「………はい」


 魔女は口元から胃酸を溢れさせ、げほげほと咳き込みながら何とか答えてみせる。

 ユウキは魔女への警戒を緩めないまま、セイギへと問いかけた。


「フクツ殿の具合はどうだ?」


「は、はい。

 完治とは言えませんが、当面の危機は脱せたようです。

 後は通常の治療で何とかなるでしょう」


「わかった」


 ユウキはホッと一つ息を吐き、言葉を続ける。


「では、もうこの魔女は不要だ。

 厳重に拘束して、その箱へ戻しておけ」


「ま、待って! 待って下さい!」


 ユウキの言葉を受け、魔女がいやいやと首を振る。


「少しだけ………ほんの少しでいいからお日様を見させてください!

 もう何日もあの箱の中なんです!

 私、太陽の光が見たい………!」


 魔女は立ち上がる体力も残っていないようであるが、視線だけを地下壕の出口に向けて懇願する。

 出口からは微かであるが、外の光が漏れ入っていた。

 魔女はその光へ焦がれるように、必死になって視線を送っているようだ。


 しかしユウキは鞘から剣を引き抜くと、その剣先を魔女の咽喉元へ突きつける。


「黙れ。お前に自由な発言は許していない。

 それ以上無駄ごとを叩くようなら、ここで殺してしまっても構わんのだぞ?

 お前の代わりなど、いくらでもいるのだからな」


「ひっ………」


 刺すようなユウキの視線に魔女は体を震わせてずりずりと後ずさる。

 彼女はセイギとあまり年も変わらぬ10代の少女だ。

 そんな少女が剣を突きつけられて、恐くないわけが無いだろう。


「ユ、ユウキ様! ちょっとやめて下さいよ」


 セイギは思わず、魔女をかばってユウキの前に立ちはだかってしまう。


「どういうつもりだ? セイギ」


「そ、その、フクツ殿が助かったのは彼女のお陰なのでしょう!?

 せめて、もう少し優しく―――」


「馬鹿なことを抜かすな。

 こいつは正道から目を背け、王国に潜む邪悪そのもの。

 魔女を人間だと思うな」


「だ、だけど………」


 セイギは逡巡するように、背後の魔女へ目を向ける。

 彼女はあどけないと言っていいほどの童顔で、可憐な容姿をしている。

 とても、そんな邪悪な存在であるようには思えない。


 セイギの瞳から憐憫の情を感じ取り、ユウキは口元を忌々しげに歪める。


「もういい………お前など、もう知らん。

 おい、案内人。

 お前でいい。お前が魔女を箱にしまっておけ」


「ええ!? 俺っすか!?

 何で俺がそんなことまでしねぇと―――」


「あ?」


 急に自分へお鉢が回ってきた案内人が不平の言葉を上げるが、ユウキの威嚇するような声音を受けてすぐに降参してしまう。


「うへぇ、おっかねぇ。

 わかった、わかったっすよ!

 嬢ちゃん、悪いけどまたあの箱に入ってもらうっすよ」


「ち、ちょっと待って………!」


「待てないっす」


 案内人は多少申し訳無さそうな様子を見せるも、特に容赦をするつもりは無かった。

 抗う魔女の体を手際よく縛り上げ、その口に猿轡を噛ませて、さっさと箱の中へしまい込んでしまう。

 そして、やれやれと蓋を閉めると、セイギに向かって声を上げてきた。


「おーい、セイギ君。

 この箱は俺一人じゃ運べない、手伝ってくれないすか?」


「………」


 案内人の声は届いていたが、セイギは真っ直ぐにユウキを睨んだまま微動だにしない。

 その眼差しには困惑と、ユウキへの確かな憤りが宿っていた。


「ユウキ様………なぜ、彼女をあんな扱いにするのですか?

 例え家畜だってあんな粗雑にはされない。それこそまるで物のようではないですか!?」


「奴が魔女だからだ」


 ユウキはセイギの弾劾を正面から受け、そしてその上で彼の憤りを否定する。


「いいか、セイギ。奴らの………魔女の外見に惑わされるな。

 あれらは姿こそ人の形をしているが、中に宿る魂は悪魔そのもの。

 あの魔女にしたってそう。

 あいつはな、王都に潜伏し破壊活動を企てていた魔女グループの一人だ。

 我々への服従と引替えに命こそ留めてあるが………本来は処刑されて然るべき反逆者なんだぞ。

 同じ人間などとは考えるな」


 ユウキから返されるのは真っ直ぐな視線。

 己が行動には何も誤りがないと、確信しているように真摯な眼差しだった。

 セイギはそれから、思わず視線を反らしてしまうが、心に浮かんだわだかまりが消えることはなかった。


「僕には………納得できません」


「貴様………」


 噛み締めるようなセイギの声に、ユウキは表情を強張らせる。

 二人の間には敵意と言っていいほどの険悪な空気が流れ始めてしまった。


「おーい、セイギくーん! 聞いてるっすかー!?

 早く手伝ってくれー!!」


 そんな空気へ割ってはいるように、案内人が無神経な声を上げる。

 ユウキはため息を吐くと、剣呑になっていた眼差しを納める。


「何にしても、魔女は運ばなければいかん。

 セイギ、早くあの馬鹿を手伝ってやれ」


「………はい」


「………いずれ、お前にも分かる時が来る。

 魔女は我々の敵だ。

 この世界に巣食う魔女は、一人残らず殺し尽くさなければならない。

 奴らはそういう存在なんだ。

 セイギ。お前も騎士ならば、それを忘れるな」


 最後にそれだけ言って、ユウキは避難者たちの元へ向かっていく。

 セイギは彼の背中へ目を向けたまま、どうにもならない憤りを噛み殺していた。


 自分が騎士を志したのは、それが正義であると思ったからだ。

 弱き者たちを守るため、巨悪に立ち向かう正義の戦士。それが騎士であると信じ、憧れ、セイギはこの『誇り高き英雄の騎士団』へと入団を決意したのだ。


 しかし、あんな年端もいかぬ少女を監禁し、ゴミのように扱うことが正義なのか。

 その力を否定しながら、都合のいい時だけ道具のように利用するのは正しいことなのか。

 国王陛下からこの剣を賜ったのは、無抵抗な者たちへ向けるためだったのか?


 そんな思いがセイギの心に木霊する。


「セイギくーん、なにぼさっとしてるんすか。

 さっさと箱を運んじまいましょう」


 そんな葛藤に暮れるセイギと対照的に、恐らく何も考えていないであろう案内人は、箱に手をかけたまま呆れてしまうのだった。



「ふぃー。

 やたら重い箱だとは思っていたけど、まさか中に人が入ってるなんてね。

 どうりで重いわけっすわ!」


 案内人はうんざりと箱を地に下ろし、ため息をつく。

 これでもう数度目の休憩。

 地下壕からは運び出したものの、二人がかりでも魔女を内封した箱は重く、もともと貧弱な案内人にとって手に余るものであった。

 運んでは下ろし、また運んだりを繰り返し、二人は牛歩の如くゆっくりと外の馬車を目指していく。


「にしても………あのユウキ?

 あいつむかつくっすねぇ。

 俺より年下の癖に、えらそうにしやがって」


「………」


 案内人はヘラヘラと悪態をつきながら傍らのセイギへ目をやるが、当の彼は沈黙したまま目を伏せるだけだった。


「どしたんすか、セイギ君。

 あの馬鹿隊長が言ったこと気にしてるん?

 上司の言う事をいちいち真に受けてたら、精神持たないっすよ」


 へへへと軽薄な軽口を飛ばす案内人へ、セイギは沈痛な表情のままそっと顔を上げた。


「別に僕は………ユウキ様が間違っていると思うわけではないんです」


「はぁ?」


「王都で魔女たちが行っている悪行の数々。

 それを顧みれば、ユウキ様の態度を否定する気にはなれない。

 確かに魔女たちは悪だ。

 何の罪も無い人々を殺し、王都に災禍を撒き散らす悪魔たちなんです」


 セイギは一度空を仰ぎ、そして箱へ視線を移す。


「ユウキ様の言葉は理解できるんです―――そう、確かに理解できる。

 だけど、どうしても納得が出来ない。

 僕はあの時、あの魔女にせめて、外の光だけでも見せてあげたいと思ってしまった。

 例えそれが、騎士団の規律に反することだとしても………」


「全く、セイギ君も騎士というだけあって、糞真面目っすねぇ。

 そんなんじゃ、若禿げになっちまいますよ」


 弱々しく、だけど断固としたセイギの声音に案内人は肩を竦め呆れたように答える。

 そして何か思いついたように、懐から小さな針金を取り出して見せた。


「そんなにそう思うのなら、こっそり外を見せちまいましょう。

 こんなしょぼい鍵、俺ならワケないっす」


 そして、そのまま針金を南京錠に突っ込み、なにやらガチャガチャと弄くりだす。


「いったい何を?」


「前の仕事で、ちっとばかり鍵を扱っていましてね。

 開錠作業ならお手のモンなんすよ」


「前の仕事って………ひょっとして泥棒ですか!?」


「ちげーっすよ! ただ鍵屋の手伝いをしてただけっす。

 まあ、途中で嫌んなって逃げちまいましたけど………うっし、開いた!」


 案内人は南京錠を外すと得意げにセイギへ目を向けてみせる。


「ほい、もう鍵は外した。

 後はどうぞご自由に」


「しかし、ユウキ様の指示へ逆らう訳には………」


「しー! 事故っすよ事故。

 偶然カギが開いて、偶然フタが外れたってだけの話っす。

 ようは、バレなきゃいいんすよ」


「だけど………それは騎士として………」


 この期に及んで躊躇いをみせるセイギへ、案内人はいい加減イラついたように声を荒げてしまう。


「あーもう、グダグダうるせぇなあ!

 こまけぇことはいいんすよ!

 ぶっちゃけ、俺は魔女のことなんてどうでもいいんすよ!?

 ただ、セイギ君には雇ってもらった恩があるから、仕方なく開けてやったのに。

 そんなに言うならもういいっす。

 鍵、掛け直しておくっすわ」


「ち、ちょっと待って下さい!」


 怒りのまま南京錠を握り直す案内人を、セイギは慌てて制止する。

 そして、ようやく覚悟を決めたように、箱の蓋へ手を掛けた。


「そうですね………確かに案内人さんの言う通りだ。

 偶然の事故で蓋が外れた以上、仕方ない。

 そういうことにしておきましょう」


 セイギはそのまま箱の蓋を開ける。中には先ほどの魔女が膝を抱えるようにして転がっていた。


「………!」


 突然の事態に魔女は恐怖の目を向けるが、セイギはそれへ柔らかく微笑んでみせた。


「君、わかるかい?

 ちょっとだけど外へ出してあげる」


 セイギは魔女を起こすと、その猿轡を外してやる。

 

「…………?」


 魔女は怯えたようにセイギを見上げ、箱の隅へと身を寄せている。セイギは出来るだけ優しげに微笑み、魔女へと手をを差し伸べるのだった。



 魔女は肺いっぱいに空気を吸い込む。

 周囲にはまだ死臭や焦げ臭さが漂っていたが、あの黴臭い箱の中に比べれば雲泥の差である。

 久しぶりの伸ばした手足には多少の痺れがあるが、今はそれさえもがうれしく感じられる。


「んー………」


「み、水を汲んできたきたんだけど………飲む?」


「あ、ありがとうございます」


 魔女はセイギから杯を受け取ると、中の水をゆっくりと飲み干していった。


「………」


 そんな魔女を見つめながら、セイギはしばし黙り込む。

 こくこくと咽喉を潤す魔女の姿は、王都の街娘となんら変わらない。

 これがあの悪名高き魔女だと、セイギにはとても思えなかった。


「どうかしましたか?」


 無言のセイギへ魔女は不思議そうに問いかける。

 微かに流れる風が魔女の髪を揺らし、大きな胡桃色の瞳がセイギの顔を映していた。 


「いや………」


 セイギは一瞬言葉に詰まるが、一拍置くと改めて魔女へ問い返すことにした。


「君の名前は………?」


 セイギの問いへ魔女はあどけない笑みを浮かべてみせた。


「オリーブ。

 私の名前はオリーブ・アイボリーと申します。

 ―――騎士様」


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