どんど焼き
左義長のことをどんど焼きともいうのだと、自分の子どもが小学生になって知りました。
ちなみに母の育った浅草の辺りにはこの風習は無く、
正月のお飾りは専門の業者さんが家々を回って回収していったそうです。火事を恐れた浅草らしいと思いました。今現在どうしているかは知りませんが。
左義長の火に書き初めや習字の紙をくべて、紙が高く舞い上がるほどその年に習字の腕が上がると言われている土地もあるようです。確か私の父がそんなことを言ってました。
私が育った小学校では左義長と呼んでいて、卒業まで毎年参加しましたけれど。
実は私は子どもの頃、左義長が苦手でした。
太い青竹を組んで、その年使った門松や注連縄を重ね
て火をつけるのですが組んだ竹や門松の竹が大きな音を立てて爆ぜるのが恐くて。
竹串に刺して焼くお団子も灰がついたりして今一つ美味しくなかったし(とはいえ縁起物なので持ち帰って祖母にあげました)。
それからずっと経って。
私の子どもたちがお世話になった小学校ではどんど焼きとして行事がありました。
PTAの役員も何度かしましたので手伝いましたけれど出来るだけ会場に行かなくて済むように動いていましたね。恐くて。
学校の家庭科室でお団子を作ったり、甘酒を作ったり、豚汁を作ったり。
それでも時折聞こえてくる竹の爆ぜる音にビクつくので、一緒に作っている人に笑われました。
そうして、先月。神奈川県の隅っこの自治体の会議で
どんど焼きの行事の話題になりました。
我が家のお飾りはほんの小さなものなので引越してからどんど焼きに参加したことはありません。でも今回は甘酒作りの手伝いを頼まれました。
行事の内容はほぼ例年通り、でも餅つきは取りやめますとのことでした。
ノロウィルスの予防の為です。
ここでは餅つきもしていたんだなあ。
私はそれくらいの感想でしたが、会議に出席していた役員さんの何人かがとても残念そうでした。
つきたてのお餅が楽しみだったんだよと後から伺いました。お手伝いの余禄みたいなものだけど、皆でついたお餅の味は格別なんだ、と。
さて、来年は餅つきが復活できますかどうか。
復活すると良いですね。