表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
45/146

M姉のこと

M姉、といっても実の姉ではありません。

ただそう呼ぶことを許されて、今でも

「Mさん」と呼ぶと別人を指すような違和感があるのでこの呼称のままです。


とても優しくて明るい彼女と知り合えたのは私が高校生の頃です。彼女に日本舞踊を習っていた幼馴染Cの発表会に行った時でした。

「今はたまに相談に行くくらいなんだけど、子どもクラスの頃の先生なの。今も子どもを教えてるのよ。」

そうCは紹介してくれました。

「子どもが好きなだけなのよ。」

そう言って笑ったM姉の笑顔は本当に子どものようで綺麗でした。


「私ね、小さい頃からずっと日舞をしていて、師範になってしばらくして子どもに教え始めたの。そろそろ大人の指導をと師匠から勧められるけれど、私やっぱり子どもが好きだから子どものクラスから離れたくないのよ。」


気取らない明るい話し方をする人で、いっぺんで好きになってしまいました。

その場で電話番号と住所を教えてくれて。簡単な地図まで書いて、

「いつでも連絡して。」

と言ってくれました。社交辞令ではなく。


そしてCと一緒にお邪魔したり、電話で話したりしているうちにM姉と呼ぶようになり。M姉のことが少しわかってきました。


踊りを見込まれて舞台に本格的に立つようになった中学時代にドーランで荒れた肌をからかわれ、不登校になったこと。

高校には行かずに通信教育を受けて大検に合格、夢だった幼稚園の先生になる為に大学に入学。無事卒業して念願が叶ったのに身体を悪くして二年で退職。

でも身体が良くなって子どもに日舞を教え始めたら、

自分で踊るより楽しいことがわかり、舞踊家になるより舞踊を教えることを選んだこと。

Cに聞いたら師匠には随分惜しまれたそうです。

日舞の大会や新聞社のコンクールなどで賞を何度も取った人なのだとか。


何度か子どもクラスのお稽古を見学しました。

いつもの明るい穏やかな声で、優しく指導するM姉は生き生きとして、振りを直す時も、

「よーく見ててね。いいかな?こうするのと(実演する)、こうするのとでは(実演する)どっちが綺麗かな?皆はどっちが良いと思う?」

そう言って当人だけでなく、他の生徒たちにも考えさせて答えがでるまできちんと待って。

「言われてすぐに出来るようなら、私(先生)はいらないよね。頑張れば少しずつ出来るようになるよ。忘れても良いの。もう一度覚え直すと忘れにくくなるから大丈夫。」

急かされない、とわかっている生徒たちはとても落ち着いて習っていました。

ああM姉は本当に子どもが好きなんだなあと見学する度に思いました。


私がM姉の家を訪ね始めた頃。M姉は長期入院している子どもたちの慰問ボランティアも始めました。

懐いてくれるのが嬉しかったらしく、会う度にそのことを話してくれました。


私やCが結婚して、それぞれ一人目の子(私は女、Cが男)が生まれた時も喜んでくれて、

「大きくなったら是非うちのクラスに入れてね。」

と言われました。


そして私が二人目を妊娠したと分かった頃。

M姉が入院しました。慌ててCと見舞いに行くと、

「大したことじゃないのよ。検査だからちょっとかかるみたいなの。でもこれで入院してる子どもたちの気持ちが少しは理解できるようになるかもしれないわ。病気も悪いものじゃないわね。」

「子どもクラスはちょっと前から二人で教えるようになっていたし。ほら、Dさん。知っているでしょう?あの人なら一人でも大丈夫だと思うの。でも早く復帰したいわ。それよりあなたたちの近況教えて。」

顔色は少し悪かったけれど、いつものM姉で。

Cと二人、

「また来るから。お大事に。」

とお暇すると

「じゃ、退院した後でね。」

そう言われて。ご家族にも挨拶して、帰宅しました。


しばらくして今週の土日でも又お見舞いに行こうか、退院した連絡も来ないし。Cの都合も聞いて……

そう思ったのがもう夜遅く。明日Cに連絡しようと思って寝たのが十時半過ぎでした。

それからほどなくして、日付の変わる頃Cからの電話でM姉の死を知りました。

嘘でしょう?まだ五十にもなってないのに?大した病気じゃないって言ってたのに?


実は大した病気であり、無理に無理を重ねていたのだとご家族から聞きました。

本人も、覚悟しての入院であったと。


「良い縁が無くってね。」

そう言って、結婚も出産もしなかったM姉ですが。

実は幼稚園の先生を辞める原因となった病気は卵巣と子宮を摘出するもので。子どもを望めなくなった時点で結婚は諦めたのだとも。


あんなに子ども好きな人が。

Cと二人で絶句しました。私たち凄く惨いことをM姉にしていたのではなかったか。そう思って。


「Mはあなたたちがお子さんを連れて遊びに来てくれるのを喜んでいましたよ。」

M姉のご両親も弟さんもそう言って慰めてくれましたが。


いつもの優しい笑顔に花は確かに似合うけれど。

確かに、退院した後だけれど。

こんなのは嫌だよ、それはないよ。

起きてよ。M姉。話をしてよ。

ねえ、尋ねたいこと増えちゃったよ。

集まった私たち。CやM姉の元教え子たち、M姉の教室を任されたDさん、今習ってる生徒たちも。皆でわんわん泣きました。



「大丈夫。人生なんとかなるものだよ。

中学も高校も行けなかった私が幼稚園の先生になれたじゃない?

あなたの子がね、学校に行きたくないならそれなりの道を選んでもらえば良いだけだよ。

あなたも一緒に考えてさ。

あなたたち夫婦が子どもの味方であることだけが大切なの。

子どもの居場所を作って、そこを守ってあげてね。

帰れる場所があれば子どもはそこに帰って来るから。」


M姉。初めての妊娠で、育てられるか不安だった私に言ってくれたこと。ちゃんと覚えてるよ。

ありがとう。


この月の終わりに亡くなった彼女のこと。

毎年毎年思い出します。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ