Hさんのこと
私も家人も人の好き嫌いがはっきりしているので、
友人はそう多くない方だと思っています。
ただ一旦好きになると、相当許してしまうので自分でも首をひねることがあります。
Hさんは家人の会社の先輩で、入社当時家人がお世話になった人でした。
その後、家人とHさんとは支社と営業所に分かれ、部所も移動して。
でもたまに会っては飲み歩いていたそうです。
家人が私と結婚した頃が一番(距離的に)離れていて会い難くなっていました。
披露宴で紹介されて初めて会った時は恐かったです。
パンチパーマにやぶにらみ、顔つきも絵に描いたようなヤ○ザさんでした(いえ、堅気の方ですけど)。
話してみるととても思慮深い、優しい方で私も大好きになりました。
そして随分経って。あと五年したら定年を迎えるHさんが家人と同じ支社に移動してきて、部所は違いますが同じフロアで働くことになりました。
その間にHさんは心臓の手術を二度していて。糖尿病を発症して、娘さんが結婚した後にご自身の離婚など色々あって、当時は一人暮らしをしていました。
確かペースメーカーを入れていた筈です。
なのにタバコもお酒もやめていなくて。
美味しいものが好きだからカロリー制限もせず。インシュリンを自分で打ってる状態なのに。
家人はHさんの周りの人たちに
「あの人に酒を飲ませるな。一緒に行くならあの人の分まで飲んでしまえ。」
そんなある意味すごいことを言い(Hさんは寂しがり屋なので人といる為に飲みに誘うタイプでした)、実践して。Hさんに嫌がられても付いて行きました。
私はせめて一食だけでもとお弁当(500cal以下)を作って家人に託し、Hさんに渡してました。
野菜と発芽玄米の炊き混みご飯に魚を少し、あとはみんな野菜と豆と海藻の煮物。休みの日まではどうしようもありませんが。
なんだかんだで五年が経ち。その間家人もHさんも移動は無くて。Hさんは無事定年する月を迎えました。
定年の直前、有給休暇を使い切るためにまとまった休みを取ったHさんが休みの初日の土曜日、我が家にやって来ました。家人と私が迎えました。
「まあ、なんだ。色々ありがとな。」
お茶を飲んで、私が作った糖分を控えたお菓子をつまんで(まるでパンじゃねえかと言われました)、よもやま話の中で、十日ほど後の、月末の送別会には同期が集まるから楽しみなんだと言ってました。そして最後に
「そん時は飲むなって言うなよ。」
と家人に釘を刺しました。
あぁ。それを言うために家に来たんだね、とHさんが帰った後。家人と二人で笑いました。
それから六日後、Hさんの娘さんから
Hさんが亡くなったという電話がありました。
急性心不全。こたつで伸びをして倒れてそのまま。
片手にタバコ、片手にライターを持ったままで。
「俺の後輩の奥さんがな、俺のために毎日弁当作ってくれるんだよ」
娘さんや親戚の人たちにそう言って自慢していたことをお通夜の席で聞きました。
家人は柩から離れたがらず、ずっと黙って涙を流してました。
もう十年ほど前のことです。
家人はHさんの年齢を越えました。
毎年一度は片道一時間半かけてお参りに行きます。
家人はHさんが大好きだったコニャックかスコッチウイスキーを墓前に供えます。
「あの人に飲むな飲むなってうるさく言ったからな。
もうどんだけ飲んだって構わないから。」
絶対。
Hさん以外の人が同じことしたら許せないと思うのに。
Hさん、あなただから許せたんです。私たち二人とも。