アイヌの物語
アイヌの物語にはざっくり分けると
神が主人公のユカラと人が主人公のウェッペケレ(厳密には発音が違います。が正確な表記ができませんでした。)と正直なおじいさんと狡いおじいさん話のパナンペペナンぺがあります。
私が特に好きなのはウェッペケレです。
基本アイヌの物語は、主人公の視点による一人称で語られます。
私はこういう者で、その私が何かしようとして何処かに行くと、不思議な人に会った。その人が私を誘ったので私は同行したら…というような語り口です。
そして大抵何らかの教訓が含まれていて(野草を刈り尽くしてはいけないとか家は綺麗に整えろとか)、それを守った主人公は豊かになり、
「『何を食べようとも食べたいとも思うことのない生活をするようになった』とある老人が語りました。」
で結ばれます。最後だけが三人称で、このお話は言い伝えなのだよ、となるわけです。
この『』の中の言葉に胸が詰まります。いかに食べることが大変で、大切なことだったのか、と。
百合の球根を掘り出してデンプンを取り、残った粕も丸めて乾燥させ、保存食にする。
男手がいないと狩をする人がいないため、なかなか肉を食べられない。
基本食がお粥なのは、来客があった時など、人数が増えても皆で食べられるように(水を足して量を増やす)です。
ドングリの処理は一度やってみたら大変でした。取るのは簡単で量も多いのですが、アク抜きした後皮を剥いて干して乾燥させてひと段落。食べるにはまた戻して茹でて。まあトチの実よりはマシでしたけれど(トチのアク抜きは綺麗な川がないと不可能な為に手順を読んだだけで諦めました)。
シイの実は煎るだけで食べられるのに。
ユカラによると
神は人間に祀られる為に肉と皮を纏い、動物の姿になって神の世界から出て、良く祀ってくれそうな清い心を持った人間の前に現れます。そして放たれた矢を受け入れます。
だから、狩った人間は肉と皮を自分に与えてくれた神を祀り礼を尽くします。気に入ってもらえたら、又来てくれるからです。
食べることが当たり前に出来、それこそ
「何を食べたいとも食べようとも思わない生活」
をしている私への戒めのように、アイヌの物語が心の中にあるのです。