仲風と口説など
琉歌を書いてしまったので、ついでに少し薀蓄話です。
沖縄の歌(民謡、宮廷音楽)の句型には、
琉歌の八八八六の他に
長歌の八八八(八が幾つか続いて)六(で終わる)
仲風の五七(又は五五、七七、七五)八六、
口説の五七(又は七五)の組み合わせのものがあります。
仲風は上句(五七にあたるところ)の部分を大和言葉にしているものもあり、何というか凝った感じのする歌です。
口説は宮廷音楽の組踊内では旅の道中を表すのにも使われます。
旅の途中の風景や通った道、見かけたりお参りしたお寺や神社、渡った橋の名前などが織り込まれるのです。
口説には決まった曲があり、それに乗せて歌われます。
その為に歌詞違いが山ほどあって、教訓歌、恋歌など
様々です。
薩摩(鹿児島ですね)への行き帰りの様子を歌った「上り口説」「下り口説」を始め、舞踊になっているものも多いです。
琉歌や長歌、仲風は詠み歌と曲に合わせて歌う歌とがあります。無論同じ歌が時と場合によって歌われたり詠まれたりもします。
仲風で私が思い出すのは千六百年頃の和文学者、政治家の平屋敷朝敏です。
この人は時の宰相と反目して刑死したのですが、その詳しい経緯が判らないままの、ある意味謎の人です。
組踊「手水の縁」の作家でもある彼は琉歌も書き遺していて、仲風にはこの歌があります。
「花の木陰に 住み慣れて
如何しなちかしゃぬ 別て行ちゅが」
ハナノコカゲニ スミナレテ
(沖縄語だと ハナヌクカジニ シミナリティ)
イチャシナチカシャヌ ワカティイチュガ
(訳:美しい花《女性、遊女》の所に住み慣れてしまって
別れて行く悲しさをどうしたらいいのか)
注:「なちかしゃぬ」は今は標準語の「懐かしい」と混同されて、沖縄の人でも懐かしいという意味で使う人がいます。けれど今でも本来の沖縄語では「悲しい」「名残惜しい」という意味です。
ちなみに標準語「懐かしい」の意味の沖縄語は「あながちさん」。
なかなか色気のある歌で、心が惹かれます。