卒業式って…
私の小学校と中学校と高校の卒業式は卒業生とそのすぐ下の学年の生徒だけで行われました。
ちょっと小学校の卒業式は変わってまして。
「卒業式のうた」という歌を歌うんです。
送辞も答辞も先生からの言葉もみんな歌になってまして。少し違和感があり、変な感じでした。
第一歌うのに一所懸命で感激する暇がないんです。
先生からの歌も何か嘘っぽいし。
こちらからの答辞の歌もねえ、何だか。
自分たちで考えたわけではない、あらかじめ決められた歌詞を歌うのは小さめの服を無理やり着ているような窮屈さがありました。
次の年からは普通になったと聞いてそりゃそうだと思いましたもの。
中学の卒業式はもっと悲惨でした。
私たちの前年の卒業生は卒業式で「巣立ちの歌」を合唱しました。
やはり卒業式らしい歌だし、綺麗でした。
当時二年生だった私たちは
「来年はあれ歌えるんだね。」
とそれは楽しみにしていたんです。特に合唱部の人たちは力入ってました。綺麗に歌うぞ、って。
ところが。中三の三学期。
冬休みが終わって初めての音楽の授業で
「これ、卒業式に歌うから」
と先生から渡された楽譜は
「歓びの歌」(タンホイザーより)!
なんでだよー??
そんなに私たちが卒業するのが嬉しいんですか?
しかも一応公立なのに
「神の宮で祈る」みたいな歌詞が入っている歌、歌って良いのかしらん。
しかもタンホイザーって…教育上良いんですかあ?
歓びならまだ歓喜(第九)の方がマシだと思いますが。
ほぼ生徒全員の心のブーイングは無論無視されました。
あんなに心がこもっていない合唱も無かったのではないでしょうか。
しかもやはり翌年からは「巣立ちの歌」に戻ったと知って怒り心頭に達した友人を二人ほど知っています。
以降はもう、式に感激とかを求めなくなりましたから淡々と。ですけれど。
やはり小中学校の卒業式くらいは少しこう、感動できるようなものであって欲しいものです。
このエッセイはこれで完結となります。
今まで読んでくださった方々に心から感謝申し上げます。
正直思ったより長く続けてしまって何を書いたかも把握し難くなりました。数字本当に苦手なんです。長編小説を書いていらっしゃる方を心から尊敬します。
また別題で書き始めるかもしれませんし、どうするかも決めていませんが。
またご縁がありましたらお目にかかりましょう。