子どもの遊び
沖縄の民謡に「やっちー(兄さん)」という歌があります。
幼い頃のことを思い出して兄と話しているという歌です。
グミやヤマモモや桑の実を食べたこと、
石投げや木の枝を叩いて遊んだことに言及していて
「どこも同じように遊んでいたのだなあ。」
とその歌を初めて聞いた時に思いました。
そして先日、ある沖縄出身の年輩の婦人が
「『ケーヒットゥリ』という民謡の歌詞にあることを子どもの頃にそのまま遊びとしてしていたのよ。」
と話してくれました。
彼女の言うその遊びとは、草に降りた露を糸芭蕉の繊維の糸(織物には使えないくらいの太いもの)で掬い、糸に載せた露の数を競うというものでした。
「朝は朝日が、夜は月が露を光らせて綺麗だったの。私が育ったのはすごい田舎だったからオモチャなんて無かったからね。」
そんなことを聞いて振り返ってみました。
私が小さい頃の女の子の遊びというと
ままごと、お手玉、おはじき、あやとり、折り紙。
水仙の花を見ると幼い私や、幼い娘たちがままごとでこの花を茶わんと茶托に見立ててお茶を飲む振りをしたのを思い出します。
金盞銀臺とはよく言ったものだと思いました。
あやとりは小学一年の時に親しかった子が大得意で、彼女が作る蟹とかタワーとかを見るのが好きでした。
それはとても手早く綺麗に作るのです。おかげで私は覚えられずじまい。
竹馬や剣玉、コマにメンコ、ビー玉は男の子の遊び。
女の子は入れてもらえなくてなんだか悔しかったな。でもビー玉は綺麗だから女の子たちも駄菓子屋さんで少し買って持ってました。お店ごっこでお金のかわりにしたものです。
竹馬は小学校に大量に置かれた時があって(たぶんどこかから寄贈されたのだと思います)。それまでは男の子の遊びだった竹馬が男女問わず流行りました。
私が小学高学年の時に流行った為にずっと以前からやりつけている同学年の男子にはかなわなくて。
竹馬に背を向けるように高学年の女子の間でゴム飛びが流行りました。そしてゴム跳びが流行ったおかげで私は逆立ちが出来るようになったのでした。
私は縄跳び、特に長縄跳びが大好きだったんですけれど。
今思うと何であんなことが出来てたんでしょうか。
長縄の中に自分の縄を持って入って事前申告した数だけ跳んで出るのが特に好きだったんです。
その他にも結構色々な遊びをしたものです。
怪我や喧嘩もありましたけれど。
鬼ごっこやサッカーで走り回ったり、雑木林で宝探しをしたり。
一体どこにそんな体力があったのでしょう?
半分でも三分の一でも良いから今の私にあったらなあとか、つい思ってしまいます。