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弟との出会い

僕が幼稚園の年長組になった夏のことだった。

両親と祖父母の5人家族だった。

でも、おかあさんから家族が一人増えることを聞いていた。

いつの間にかお母さんのお腹が少しずつ膨れてきた。

最初、僕は理解できず

「お母さん病気なの。痛くないの。」

と心配気に尋ねていた。

お母さんは、苦笑を浮かべ

「この中には赤ちゃんがいるのよ。あなたに兄弟ができるのよ。まだ、男の子か女の子かわからないけれど。」

やさしく語りかけてくれた。

確かにお腹に手をあてると、向うから何かが押し返してくる。

じっとお腹を見つめていると時折小さな小さなてのひらや足裏の輪郭が浮かび上がってくる。

お母さんのお腹の中に別の生き物がいることが、何だか、すこし怖かった。

「あなたも同じ様に生まれてきたのよ」

ふいに頭の上から声が降りてきた。

どうやら、僕は夢中で長い時間お腹を見つめていたらしい。

お母さんが、疲れたのかお腹を服の中にしまってしまった。

「お腹を冷やしたら、中の赤ちゃんが風邪をひいちゃうでしょう。あと二週間程したら出てくるから、その時に、じっくり見てあげてね。お兄ちゃん。」

お母さんに言われて初めて僕は気がついた。

僕がお兄ちゃんになることを。

幼稚園の友達には兄弟がいる子が多かった。

だからお兄ちゃん・お姉ちゃんがどういうものか、何となくは理解をしていた。

僕がお兄ちゃんになる。兄弟の面倒をみたり、喧嘩したり、遊んだりするんだろうか。

よくわからないな。そうだ。明日、幼稚園で友達に聞いてみよう。知らないことは聞いていいって幼稚園の先生も言っていたし、先生にも聞いてみよう。

僕は明日が楽しみになった。浮かれつつも布団に潜り込むとすぐに眠ってしまった。


朝、起きたらすぐにでも僕は幼稚園へ行きたかった。

友達に兄弟ができることを自慢したかった。そして、兄弟とは何なのかを聞きたかった。

兄弟がいる友達を見ていて、雰囲気はわかっていた。自分によく似た存在で、そして全く違う存在。

時には思い通りになり、時には思い通りにならない。

そんな、難しい存在がいて嬉しいんだろうか。僕には理解できなかった。

ただ、何となくお母さんが僕一人の者ではなくなったのが分かった。兄弟と半分こにしなければいかないんだろうなと感じていた。

ようやく、お母さんが幼稚園に行きましょうと言ってくれた。僕は随分前から準備はできていたのに。

すでに、カバンも帽子も準備はできている。後は靴を履くだけ。

大きい声でおじいちゃんとおばあちゃんへ

「行ってきます。」

と声をかける。

すぐに

「行ってらっしゃい。車に気をつけてね。」

と返ってきた。おばあちゃんの声だ。おじいちゃんはいつもムスッとして口数が少ない。

朝の挨拶はいつも頷くだけだ。

お父さんは、ずっと見ていない。日曜日にしか会えない。

毎日、僕が起きる前に会社に行き、僕が寝てから帰ってくる。

お仕事頑張ってるんだなってことはわかるけれども、寂しい。

生まれてくる兄弟もこんな寂しさを感じるんだろうか。だったら僕がお父さんの代わりをしなくちゃいけないな。だって、僕はこの世に一人しかいないお兄ちゃんだもん。

僕はお母さんと手をつなぎ、足取り軽く家を出た。

幼稚園へ行く道中はずっと兄弟の話をしていた。

お母さんは妹がいること、お父さんは6人も兄弟がいること。ケンカもしたけど、一緒に遊んでいることのほうが多かったって聞いた。妹が小さい頃はおむつも替えたってお母さんは言う。

でも、おむつって何か僕は知らなかった。とりあえず、お母さんの手伝いをすればいいということがわかった。


その夜、お母さんがお腹が痛いと言い出した。

お父さんとおじいちゃんが慌てている。おばあちゃんは落ち着いてどこかに電話していた。

「出産予定日よりも2週間早いな。病院へ急ごう。」

「タクシー呼ばないとな。」

「もう、病院への連絡とタクシーの手配をしましたよ。」

おばあちゃんが電話していたのは、病院とタクシーだったんだ。

一番頼りになるなぁ。僕は邪魔にならない様に部屋の隅でじっと佇んでいた。

家族全員、二人目の出産ということもあり、よくある誤差の範囲で特に気にしていなかった。

お母さんは、深夜遅くタクシーで病院へお父さんとおばあちゃんに連れられて行った。

僕はおじいちゃんとお留守番だ。僕が小さいから家にいなさいって言われたからだ。

新しい家族が増えるんだと、皆希望に満ちていた。

明日、僕も病院へ行って新しい家族と会えるんだな、なんてボンヤリと思っていた。

まだ、弟なのか妹なのか分からない。

できたら、弟がいいかな。

男同士なら思いっきり遊べそうだよね。

その日、僕は弟と夢の中で思いっきり遊んだ。

とてもとても楽しかった。


後から分かったことだが、この時はすでに手遅れだった。

難しい言葉だったけど、なぜか覚えられた。

『妊娠中毒』

意味はさっぱりわからない。でも、結果は簡単に分かった。

翌々日、弟は冷たい体で帰ってきた。

年齢、生後17時間。

弟に名前はまだなかった。


弟は、世界を見ていない。

弟は、世界を聞いていない。

弟は、世界を嗅いでいない。

弟は、世界を触れていない。

弟は、世界で動いていない。

弟は、世界へ声を発していない。

弟は、世界を最後まで感じなかった。

それが弟の全生涯だった。

たった17時間が全生涯だった。

1日にも満たない。

嬉しいこともなく、苦しいだけの人生。


徐々に弱まる鼓動。

止まりそうな呼吸。

少しずつ下る体温。

そして、弟の時が17時間で止まった。


家族みんなが悲しんだ。

お母さんは、「私が悪いの。」と小さい声で呟き続けている。

僕の声もお父さんの声も誰の声も届かない。


僕は生まれて初めて死に出会った。

何て、こんな近くに居るんだろう。

あれ、おかしいな。

よく考えれば、毎日食べている肉や魚は死体だ。

野菜だって生き物なんだから死体だ。

周りは死に埋め尽くされている。

そんな単純なことに気が付かなかった。

死に出会うのは初めてじゃない。

気が付かなかっただけじゃないか。

僕は、気が楽になった。

家族の中で僕だけ悲しんでいない。

だって、死は全てにあるんだから。

そう、いつかは解らないけど僕にも来る。


「まだ、小さいからよく解らないんだね。泣いていいのよ。」

おばあちゃんは、やさしく僕に囁く。

僕は、返事が出来ない。

返す言葉を知らないからだ。

「そうだね、本当に悲しい時は声も出ないよね。」

おばあちゃんは勝手に僕の気持ちを語る。

死なんて日常に一々悲しみを感じていたら、ご飯が食べられないじゃないか。

死が大切なことだから食べる時に「いただきます。」って言うんじゃないか。

そして、残さず食べる。つまり全ての死を受け入れ、「ごちそうさまでした。」って言うんだ。

昔の人は、本当によく考えて言葉を作ったんだなぁ。

でも、弟は食べ物じゃない、と思う。

「いただきます。」はおかしいって思う。

食べる必要はないと思う。

せっかく弟とやっと出会ったのに何て話しかけたら良いんだろう。

言葉が出てこないな。

あぁ、話す必要はないんだ。

弟は、死んでいるんだ。

弟の様に黙っているのが正しいんだ。


弟の顔をじっと見つめる。

とても白い。そういえば、友達の弟のほっぺたは真っ赤だったな。


おしめを替えるのは何時したらいいのかな。

一緒におにごっこは何時できるのかな。

できるわけがないよね。

死んでいるんだもん。

僕は半年以上、弟がお腹の中から出てくるのを待っていた。

昨日かそれより前だったかお母さんのお腹越しにタッチしたじゃないか。

お腹の中じゃとっても元気だったのに。

どうしてお腹から出てきたのにタッチしてくれないの。

君がしてくれないのなら僕からするね。

君?何だかむずかゆい。いつも友達のことは名前で呼んでいるのに、一番近い弟を名前で呼べないなんて少し悲しい。

木の箱に入れられた弟の手を握る。

冷たい。

そして、とても小さい。

もしかしたら、思いっきり握りしめたら目を覚ますかな。

よし、やってみよう。

僕は力を振り絞った。

でも、弟は泣くどころか指一本動かさない。

死んだら、生き返らないんだ。分かっていたことなのに。


「棺桶の蓋を閉めるよ。」

後ろからお父さんが声をかけてきた。

気が付くとたくさんの人が黒い服を着て集まってきていた。

何となく僕はそこに居づらくなり部屋の角に三角座りをして棺桶を見つめていた。

変わった唄が始まり、いろんな人が頭を弟に下げていく。

写真が飾ってあるが、棺桶にいる弟と同じ写真だ。

そういえば弟はあれが最初で最後の写真になるんだ。

この世でたった一枚しかない写真。


僕の弟は、17時間しか生きていなかった。

一緒に遊ぶこともケンカすることもできなかった。

でも、僕にすごく大きな想い出を残してくれた。

絶対に忘れない。

弟の分も一緒に遊び、泣き、笑い、怒られよう。

いつ死んでも、悔やまないように弟を胸に秘め生きていこう。

結局僕は一度も涙を流すことがなかった。

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