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第一話 桜一景、綺羅びやか

 あたりまえの話ではあるが。

 大事件というものは、これから行くよと事前に連絡してくれて、こっちが心の準備をきっちり終えてからもういいよと返事をした後に訪れてくれるとは限らない。

 つまり俺、真田共路(さなだきょうじ)は今、何の覚悟も完了しないまま人生の岐路と言える事態に直面しているのであった。


「――――はぁ、」


 蝋燭の火は燃え尽きる寸前が最も輝くんだぜ、という古来より語り継がれる伝説があることは最早世界の常識だが、ところでそれって俺の心臓が今人生最大・制御不能の爆発的挙動を繰り返していることと関係あるのだろうか。


 あれ?

 もしかして俺、緊張とかでお陀仏すんの?

 あと数歩の距離にある、住み慣れた我が家が霞んで見える。この道を歩いた思い出がなんでだろう、次々と胸の中に湧き上がる。まるで映画のスタッフロール。


 こんなところで終わりか畜生!

 長い間ご生存ありがとうございました!

 真田共路の来世にご期待ください!


「ほう――ここが君の家か。立派な武家屋敷じゃあないか、真田君」

「そ、そんな大したものじゃあないですよ! 外見だけはそれなりですけど、こんなもんひいじいさんの代から直し直し使ってるようなただの古くてボロっちい骨董品です!」


 隣からの声に一瞬にして覚醒する意識。

 いやまあ死ねんけどね! 少なくとも今だけは絶対に死ぬわけにはいかんのだけどね!

 男には誰でも死亡フラグをバッキバキにしないとならない時があり、俺にとってはそれが今だからね!


 そうとも、この全く予期せぬタイミングで訪れた、完璧に不意打ちな惑星直列級の奇跡! あの清水先輩が我が家を訪れてくれるというイベント、どうして無駄に出来ようか!


 ――清水景(しみずけい)

 先の新学期で三年生に進級した、美術部の先輩。著名な絵画コンクールでも多数の受賞暦を持ち、芸術家としての将来を有望視される、我が校が誇る前途有望な人材である。

 その特徴は一言で表すならばクールビューティ。極上の絹糸のような長い髪、意志の強さを窺える凛々しい瞳、背はすらりと高く細身ながらも、華奢さを感じさせないのは彼女の引き締まった雰囲気故か。


 それらが相俟って創り出される美貌もさることながら、どのような事態に遭遇しても落ち着きを失わない冷静さと的確な発言を行う確かな判断力、そしてそれを頼りに持ちかけられた相談を嫌な顔一つせず快く引き受け、いつも相手の悩みの解決に本気で心を回すその優しさは、多くの生徒に頼られ慕われ憧れられている。


 かく言う俺もその一人であり、清水先輩には去年の入部当初から憧れていた。同じ部活でやってきたわけだし交流自体はそれなりにあったのだが、それでも今一歩、関係を進展させるような展開は起こらずにいた。

 そんな中この突然のお宅訪問!

 そりゃあ十秒で百回ガッツポーズも出ようというもの!


 そもこの状況のきっかけは、遡ること一時間前。美術室でのちょっとした雑談にある。

 季節は春。出会いと別れと――桜の季節だ。今年の桜はちょいと遅咲きであり、四月の第二週という最近になって、ようやく満開になるかという具合だった。


 その、折角の季節の風物詩。

 是非とも一枚描いておきたい、と思っていたのが清水先輩だ。

 だったのだが、先輩は悩んでいた。

 自分が描きたいと感じる構図が、どうにも見つからないのだという。

 

 曰く、道の端から端まで続く並木の桜の風景も壮観だが、他に遮るものや並ぶものの無い中で一本だけ優美に咲いた桜の風情を求めているらしかった。


『それはまた、中々細かい要望ですね。俺も美術部の端くれとしてそれなりに、景色には注意しながら町を歩き回ったりしてますけど、うちの庭以外でそんなの見たこと無いですし』

『何を言うんだ、真田君。たった今何も問題は無くなったじゃないか。少し寄り道をするが、いいかな? 突然お邪魔させてもらうんだ、手土産ぐらい持っていかねばかたじけない』


 ……と、こうした流れでございます。

 誓って言うが、俺としてはこんな展開になるなんて、想定だにしていなかったんだからね! そうだったらこんなに胸を痛めてないんだからね!


「素晴らしい。あれが、件の桜の木か」


 よほど理想通りの風景だったのか。先輩はじっと、感極まったようにして桜の木を見つめていた。門を越えて、玄関までの道から眺めることが出来るそれは、今年も立派に咲き誇り、ウチの庭を春の色に染め上げてくれている。


 ……どう思っても、今この目の前にある状況は変わらない。気合を入れろよ真田共路、現状はピンチではなく、先輩と親密度を深めるチャンスだということを忘れるな……!


「先輩先輩、これからデッサンするにしても、まず荷物を置いてきましょう」

「む、そうだな。すまないな真田君、夢中になると周りが見えなくなるのは私の悪癖だ」

「いえいえ。悪い癖どころか、その集中力の凄さも俺は尊敬してますから。それに、折角先輩が津村堂で上等な茶菓子を買ってくれたんですから、まずは一休みしましょうよ。あの桜、俺の部屋の縁側からよく見えるんです。花を描くのは花見の後でもいいと思いませんか?」

「縁側……ああ、渡り廊下で繋がったあの離れが君の部屋なのか。うん、あそこからなら確かにいい景色が見えそうだ。お言葉に甘えさせてもらっていいかな、真田君」


 先輩、微笑。

 俺、卒倒寸前。

 大歓迎です、と先輩を家の中に招き先導して廊下を歩く。


 なんだこれは。話がうまく進み過ぎだ。

 こいつは来たか。真田共路人生最高の日が訪れてるんじゃないのか。

 一緒にお茶を飲みながらの団欒トークで、俺達は一歩進んだ地点へ旅立つ可能性がなくもなくもなくもないんじゃないのかこいつぁ!


 今となっては前日、衝動的に部屋の模様替え兼大掃除を行ったのも、最早天啓としか思えない。普段何かと散らかっている俺の部屋も、どんな来訪者にも堪え得るキレイキレイっぷりとなっている!

 無論、家族にだろうと見せられない、男子高校生にとって普遍的な価値を持つお宝ブックも抜かりなく隠蔽済み!


 恐れるものが無さすぎて逆にコワイ。未来が明るすぎてもう前が見えない。

 渡り廊下を越えて離れの前に辿りつき(今までの場所から違う関係に到達する隠喩)、俺はむしろ見せ付けるかのように勢いよく襖を開けて(新しい関係性を切り開く隠喩)、


「いやー、探した探した! 模様替えの後の楽しみといえばやっぱり宝探し( ガサいれ)だよねー!」


 拝啓。

 父よ、母よ、友人達よ、元気でやっていますでしょうか。

 こちらは、人生最高の日を迎えたと思ったら襖の向こうが桃色地獄絵図でした。

 部屋の中央、畳張りの床の上に置かれた座卓の上に、真田共路のが完全にバレるブックたちが、ああ、なんということでしょう、逃れ得ぬ白日の下に晒されているのです。


「んー……それにしてもキョウジってば、中二の頃から被写体のセンスが頑なに変わらんねー。筋金入りというか殿堂入りレベルの業界特定ジャンルへの功労者だねこりゃ」


 俺が時空の乱れに飛び込んで時間を巻き戻し今日という日を全て無かったことにする為にはどうすればいいかを全人類の中で一番真剣に考え始めてから実に十秒後、そいつはようやく俺達の存在に気付いて、勢いよく振り向きながら慌てたように声を上げた。


「っつわああああああああっっ!? え、キョ、キョウジ な、なんで! どうして! 今日は部活に顔を出していくから遅くなるって言ってたのに!」


 浮気現場を見つかった妻か、などというツッコミのひとつも普段の俺なら出来たでしょうが、今となってはもう、無駄な言葉を交わす理性も吹っ飛んでいる。

 クレーンのように力強く正確な動きで、俺はそいつの首根っこを引っ掴んで持ち上げる。


「ねえキョウジ、今から私大事な話をするよ。よく聴いて欲しい。人は不完全な生物だ。全てを得ることは出来ず、全てを知ることが出来ない。でもね、それは決して悪いことなんかじゃないの。全てを得て知るということは、つまり身に余る辛さや苦しさも引き受けてしまうということだから。いたずらに得て、知るばかりが幸福に繋がるとは限らないんだよ。つまり――キョウジがちゃんと今朝言った通り遅く帰ってきてれば、こんな場面に出くわさずに済んだんだ! このいたたまれない状況はキョウジのせいだ! 私は悪くねえ! 私は悪くねえー!」

「よし! 遺言も聞き終えたところで早速煮るなり焼くなりしようか!」

「あらゆる権利をすっ飛ばしてのいきなり私刑確定宣告ッ!?」


 今更のようにガタガタと震えだすそいつ。だが許さん。おまえが軽々しい気持ちで引き起こしてしまったこの惨劇は、現在進行形で俺のトラウマとして成立していっているのだから。

 つうかさっきから先輩何も言ってくれないんだよ!

 怖いよ!

 怒りで自分を縛ってないと逃げてしまいそうなんだよ俺!


「はは。随分と仲がいい様子だが、その子は真田君の妹かな? ……いや、それにしては歳が離れすぎているか。従兄妹か、或いは近所の子供か?」


 まったく動じずの完全スルー! 流石先輩、クールビューティの看板に偽り無し! だが反応無しはそれはそれで痛苦しい!


「それと、済まんな。貧乳で」


 すいません前言撤回します! 反応される方がマジで辛いです! 勘弁してください!

 ――この状況を打破しなければ、傷は広がる一方だ。あえて貧乳云々の発言はスルーして、展開を大筋に戻して質問に答える。


「あー、いえ、その、非情に申し上げにくいのですが……」


 襟首を掴まれたままずいっと差し出されたそいつは、初対面の人間に対して一切警戒していない、実に無邪気な、威厳も神秘性も皆無な笑顔を披露しつつ俺の言葉の後を継ぐ。


「はじめまして! 何を隠そう私は、この家のカミサマをやってる綺羅(きら)って言うんだよ! よろしくね、キョウジのお友達さん!」



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