90.少女、ネコミミ化する。
パチリと、はじけた火が暗闇に散り消えていく。
携帯用の片手鍋の中で、湯がグラグラと沸き立っている。ニチカはその中にキューブ状の茶色い『スープの素』を放り込むと荷物の中からハサミを取り出した。近くの川で洗ってきた野菜とベーコンを次々に切って直接鍋に落としていく。十分もしない内に簡単な野菜スープが出来上がった。あとはカチカチに固い黒パンをいくつか取り出して――
「できたよー」
そう呼びかけるが、こちらにやってきたのはオズワルドだけだった。いつもはご飯ができる前からすっ飛んできて横で目を輝かせているウルフィが来ない。
目を凝らすとキャンプ地の灯りがギリギリ届く端で、茶色い尻尾だけがかろうじて見えた。ニチカは困ったような顔をしてぽつりと呟く。
「呼んでこようかな……」
「いい、放っておけ」
師匠は木の根元に陣取り、勝手にスープをマグによそり始めて言う。その言葉には『行くのは許さない』という響きが篭もっていた。
岩のようなパンをスープにひたして柔らかくする。気まずい空気の中、少女はため息をついた。
***
『どけ! 何やってんだ!』
あの時、前に立ちはだかった使い魔にオズワルドは激昂した。だがウルフィは退こうとはせず、あろうことか低いうなり声をあげた。
『いくらご主人でもっ、ダメだ!』
『なに?』
『……』
らしくないだんまりを決め込み、それでもオオカミは毛を逆立てる。だがそれは威嚇ではなく恐怖ゆえなのだろう、地に踏ん張った足は可哀そうになるほど震えていた。
『……覚悟はできているんだろうな?』
ザリ、と一歩詰め寄った男は右手を前方に伸ばして構える。ガタガタと震え始めたオオカミを見て、ニチカはとっさにその間に割り込んでいた。
『ま、待った待った! なに急にシリアスになってんの? ウルフィの話も聞いてあげようよっ』
邪魔立てされ、いつものように不機嫌さを隠そうともしない男は少女の後ろを顎でしゃくった。
『こっちが聞く気でも、そいつが話す気がないみたいだが?』
『……ウルフィ?』
振り返るとオオカミは尻尾を足の間に巻き込みうなだれていた。キューンと小さく鳴く声に胸を締め付けられる。
『主人に逆らった使い魔の末路は一つだ』
師匠のぞっとするほど冷たい声に怯むが、それでもニチカは両手を広げてウルフィを庇うように立ち塞がった。
『使い魔とかそんなの関係なしにウルフィは私の友達よ、罰を与えるつもりなら私を黙らせてからにして』
この男の性格を考えれば、こちらにまで酷い仕打ちが来るかもしれない。
だがオズワルドは眉間にそれはそれは深い皺を刻んだかと思うとその横を通り抜けて行ってしまった。緊張の糸が切れてへにゃりと座り込む。辛そうな声がその背中にかけられた。
『ごめんね、ニチカ』
『え? あぁ良いの良いの。誰にだって言いたくないことの一つや二つあるものだからね。とはいえ――』
気力と共に勢いをつけて立ち上がる。今はもうだいぶ遠くなったオズワルドの影が木立の向こうに消えていった。
『追いかけなくちゃ。あの過激魔女のことだもの、下手したらこの森ごと焼き払いかねないわ』
『そ、それ困るよぉ。そんなことしたら村が――』
村? と、下を見る。ウルフィはしまったと言うように目を見開いていたが、クスリと笑って聞こえないふりをしてあげる。本当に隠し事が下手な子である。
しばらく無言で森を駆け抜けた二人は、いきなり開けた場所に飛び出た。切り立った渓谷にかけられた橋の前では、なぜか師匠と二匹のオオカミが押し問答を繰り広げていた。
『だから、その盗っ人を追ってるだけなんだ俺は。かくまうつもりなら容赦しないぞ』
『ソンナヤツ、知ラナイ。ソレヨリオマエ、ニンゲン、トオサナイ』
『ソウ、ニンゲン、悪イヤツ』
『この……!』
憤ったオズワルドが一歩詰め寄る。駆け付けた少女は慌ててその間に割り入った。
『ストーップ! もう、何やってんの、押し通るつもり?』
『またお前か』
心底嫌そうな顔をされたが、もう慣れっこだ。こんなことくらいで心折れていたらこの男の弟子なんて務まらないのである。
ふふんと笑ったニチカは両手を広げて彼をやんわりと押し返した。
『良いから良いから、こういう和解の交渉事はあなたより私の方が適任でしょ。さて』
くるりと振り返った少女はしゃがみ、こちらを未だ警戒した目つきでにらんでくるオオカミと目線を合わせた。向かって右側がねずみ色の被毛で、左側の若く見える茶色い毛の方が先に口を開いた。
『ココ、トオサナイ、ニンゲンダメ』
『そっか、人間はダメなのね? どうして?』
『ニンゲンハ、恐ロシイ、卑怯ダ、チビ達ヲ連レテイク』
『私は卑怯じゃないし、あなた達の子供を誘拐するつもりもないわ。それでもその橋は通れない?』
『耳ト尻尾ノ無イモノハ、ダメ』
ふぅーむ、とうなったニチカはチラリと後ろに視線を走らせる。ウルフィは森の中からこちらの様子を伺っているが出てくる気配はなさそうだ。立ち上がった少女はスカートの裾を払いながらあっさりと引き下がった。
『そっか、なら仕方ないわね。騒がせちゃってごめんなさい』
オズワルドを引っ張ってその場を立ち去る。不服そうな顔をしながらも大人しくついてきてくれたところを見ると、彼も力押しは難しいと判断したのだろう。こういうところは察しがよくて助かる。
『で、どうするつもりだ』
森まで戻って作戦会議をする。ウルフィは少し離れたところでジッとこちらを見ていた。それを横目で見ながらニチカは自分の頭の上辺りを指さす。
『耳と尻尾のない者はダメって言ってたじゃない?』
『言ってたな』
『だから、その、動物に変身できるような魔女道具とか……あったりしない?』
ハァァとため息をついた師匠は、片手で顔を覆ってうつむいた。
『さすがにそんなものは無い』
『あちゃ、やっぱりダメか』
やっぱりと言う単語にギロリとにらまれる。慌てて視線を逸らしたニチカは燃えそうな小枝を拾い集め始めた。
『まぁまぁ、お腹が減ってちゃ良い考えも浮かばないよ。お夕飯作るね』
***
そして冒頭に戻るというわけだ。
お腹は膨れたがこれと言った案は浮かばず、ニチカはウトウトし掛けていた。だがいきなりビーッビーッと警報が鳴り始めひっぱたかれたように目を覚ます。
「……人だな」
オズワルドが中腰になり周囲を警戒する。たいていこのような野宿をする際は彼の魔女道具で結界を張っていた。
結界とは言うものの、一定の範囲内に生き物が入ると手元の箱からアラームが鳴るだけという仕組みだ。だがそれのおかげで不寝番を置かずに済むありがたい道具なのである。
その箱がけたたましく鳴いている。ニチカがグッと杖を握り締めていると、木々の向こうから大きな荷物を背負った中年の男が現れた。
「おっ、やっぱりキャンプだ。いやすまねぇ驚かせるつもりは無かったんだ。ちょいと火にあたらせてもらえねぇか?」
いかつい風貌で無精ひげを生やした男は、了承も得ないうちに火の近くによって来る。その頭の上で揺れているものを見たニチカはひくりと頬を引きつらせた。
「ん? あぁ、これか? そんな顔するなよ、そういう趣味じゃねぇって」
視線に気が付いた男は、苦笑いを浮かべ茶色の髪の隙間からにゅっと伸びた耳をもぎ取った。よくできた付け耳のようだ。同じようにふさふさの尻尾も外してみせる。
「あのテイル村ってのはニンゲンご法度だからなぁ、こんな変装でもしなきゃ入れてくれなくてね」
「それって……!」
ピンと来たニチカは声をあげるが、反対にオズワルドは苦々しげな顔をしてみせた。
「目的は火じゃなく商売だったってわけか」
「察しが良いね、美形のにーちゃん。どうだい? 今なら安くしとくぜ」
なるほど、つまりこの行商人は最初からこちらの事情をお見通しで近づいてきたらしい。彼は山のような荷物の中から箱をいくつか取り出してみせた。
「さぁさ見てってくれよ。うちのは大都市シャスタの高級クラブでも使われてるんだぜ」
数分後、髪の色と同じ耳と尻尾をつけたニチカは悶絶していた。どういう仕組みか感情に合わせてぴるぴると動いてしまう耳を押さえながら叫ぶ。
「なんで私がネコ耳なのよ!」
「似合ってるぞ、珍獣」
「アンタが言うなっ」
とがった犬耳をつけたオズワルドに思わずツッコミを入れる。こんな姿、知り合いには絶対に見せたくない。……やめよう、そういうことを考えるだけで余計なフラグが立ちそうだ。
「毎度ありぃ。そうそう、これはオマケ情報なんだがな」
ほくほく顔で代金を懐に入れた商人は、少しだけ声を潜めて内緒話でもするように続けた。
「今日一日あの村を回ってきたんだけどよ、どうにもキナくせぇ雰囲気が強くてな……なんでも『イケニエの儀』ってのが近いうちに行われるらしい。アンタらも入るつもりなら気をつけなよ」




