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ひねくれ師匠と偽りの恋人  作者: 紗雪ロカ
8-淫靡テーション
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87.少女、拒絶する。

 その匂いに鼻をひくつかせた司祭はそそり立つ自身を――自身を?


「こ、これは……」


 彼は自分の体の変化に動揺する。自己主張していたはずのイチモツがへにゃりと萎れているではないか。


 その時、司祭の全身をぞくりと悪寒が走った。夜道で悪魔に遭遇したとしてもここまでの恐怖は感じないだろう。震えながら振り向いた時、凄まじく冷えた眼差しとまともに目がかちあった。

 黒衣を纏った若い男だ。まさに氷のようなと表現するにふさわしい鋭いまなざしをこちらに向けている。だがしょせんは人間だ。部下たちを呼べば簡単に取り押さえられるだろう。そのことに安堵しやや気力が回復する。

 司祭はすっくと立ち上がると威厳のある声を出した。


「なんだ貴様は! 上の見張りは何をして――ごあっ!?」


 無遠慮によってきた男の強烈な蹴りが司祭の腹に命中する。もんどり打った体は壁に叩きつけられてべしょりと落ちた。


『冷厳なる氷雪、安らかなる眠りと慈悲を持っての者をかいないだき……』


 流れるような詠唱が男の口からあふれだす。それと同時に司祭の落ちた辺りを中心に霜が降り始めた。手足がパキパキと凍っていくのに気づいた司祭はヒッと息を呑むが男の詠唱は止まらない。


『……永遠とわに』


 結びの言葉を呟いた時にはもう、司祭の身体は氷の棺に閉じ込められていた。かろうじて出ている頭が恐怖で気を失ったのかガクリと落ちる。

 オズワルドはしばらくそれを見下ろしていたが、急に激しく咳き込んだ。口から外した手には赤い物が付着していたが、軽く顔をしかめただけの彼は服の裾で拭うと歩き出した。

 悪趣味な氷のオブジェには目もくれず、ニチカの前に立つ。一瞬ビクリと反応した少女は、歯をカチカチ鳴らしながら怯えた眼差しを向けてくる。そのことに戸惑いながらもオズワルドはそっと声をかけた。


「ニチカ、俺だ。わかるか?」

「いっ、いやあああああ!!! いやあ!!」


 手を差し伸べた瞬間、拒絶ともいえるレベルで少女が叫んだ。驚いて手を引くとニチカは半狂乱に頭を振りたくった。


「来っ……来ないでっ!! やだ! 触らないでッッ!! あああああぁぁぁあぁああああぁああ!!!!!」


 手負いの獣のように大声を出す少女は、鎖につながれたまま暴れた。壁に背中を押し付け、自由な足でめちゃくちゃに空を蹴る。


「やだ、やだよぉ、お母さん、お母さん、助けておねがい、どうしてぇぇ なんでぇぇ……」


 次第に勢いを失った少女は、壁にもたれるとすすり泣きを始めた。暴れたせいか両手首の鎖部分の皮膚が裂け、少し血が滲んでいる。


「おかあさぁーん……」


 グスグスと泣き続けるニチカの傍らに片膝を着き、オズワルドはそっと頬に手をやった。少女の肩が少しだけ跳ねたが、もう叫び疲れたのか大声を出されることは無かった。代わりにしゃくりあげるような泣き声が地下室に響く。


「怯えなくていい」


 穏やかな声で話しかけたオズワルドは、ゆっくりと手を回し、細かく震える頭を抱き込んだ。あやすように背中を優しく叩きながらそっと口を開く。


「お前を傷つけたりはしないから」


 震えは少しずつ収まっていき、やがて全身の力を抜いたニチカは師匠に体重を預けた。


***


 拘束する鎖の錠を外し、オズワルドはくたりと力のない身体を抱えて地下室から出る。腕の中で焦点の合わない目をしていたニチカだったが、窓からの日の光に当たるとぼんやりと瞬いた。


「え……あれ?」


 そして横抱きにされていることに気づき、慌てて暴れだした。


「なっ、なんで!? うわ! なにこれ!?」


 少女はきわどく肌蹴た胸元を慌てて掻き合わせる。それを見た男は何も言わずに下ろしてやった。

 地に足をつけたニチカはうす暗いホールを見まわして記憶を辿る。確かここで司祭に捕まり、地下室に放り込まれなかっただろうか? 本気で訳が分からなくて首を傾げる。


「……どうなったんだっけ?」


 抜け落ちたようにそこだけ記憶がぷっつりと途切れている。衣服が乱れてるのもわけが分からないし、風邪で宿に残してきたはずのオズワルドに抱えられていたのはもっと謎だ。


「一体、何があったの?」


 とりあえず尋ねてみると、師匠はこちらをじっと見て簡潔に言った。


「お前が掴まって監禁されたから、俺が殴りこんで解放した」

「じゃあ、捕まったのは夢じゃなかったんだ!」


 うわー、迂闊すぎるよ私ー。などと少女はすっかりいつもの調子に戻っていた。それを見ていた師匠は真顔で問いかける。


「覚えてないのか」

「?」


 唐突にそんなことを言われ、ニチカはわけが分からず呆けた顔で見上げる。その顔が答えになったのか、オズワルドはそれ以上詮索することは無かった。代わりに風の里での『彼』とのやりとりが蘇る。


***


『彼女には忘却術がかけられている。それもかなり強力な』


 風の里をでる際に引き留められ、魔術に鼻の利くランバールから告げられたのは予想だにしない一言だった。チラリと見れば、少し離れた場所で別れの挨拶をしているニチカはいつもと変わりなく明るい表情をしている。


『最初はセンパイが掛けたものかと思ってたんスけど魔力の質が違う。たぶん、イニ神の仕業じゃないかとオレは思います』


 そこで言葉を区切ったランバールは、真剣な表情で忠告した。


『彼がニチカちゃんのどんな記憶を封印しているかはわからない。だけどそれが膨大な量だっていうのは分かります』

『記憶っていうのは鎖上に繋がってますからね、ふとしたキッカケでずるずると封印していたものまで引きずり出されてしまう可能性もある』

『彼女が失ってる記憶が良いものか悪いものかは分かりませんが、封印が解かれたら何かしらの影響はあるでしょう……そこは覚悟しておいた方がいいっス』


***


 ――何が記憶の引き金になるかは分かりませんから。


 終わりの言葉を頭の中で反芻する。じっと見ればニチカは怪訝そうな顔で見つめ返してきた。

 以前からオズワルドはこの少女に対してある疑問を持っていた。彼女が語る過去に違和感があるのだ。こちらから尋ねれば、それはもう嬉しそうに自慢の母親や妹のことを語り出すのだが、それがどうにもいびつというか、『理想』すぎる気がする。それともニホンとやらではそれが普通なのだろうか。自分自身まともな家庭環境で育ったとは言いにくい。口に出して尋ねるのがためらわれた。

 そうしてオズワルドは深入りせず淡々と先を歩くことを選んだ。ニチカは怪訝そうな顔をしながらも後に続く。


「待ってよ、そういえば出歩いて大丈夫なの? 風邪は?」


 カチャッ


 だがその問いに答えるよりも先に、二人の行く手から武器を構える固い音が響いた。見れば一組の男女が、黒く小さな『何か』をこちらに向けていた。手が震えているのか微かにカチャカチャと音がホールに響く。先ほどまで魔水晶の下で致していた彼らは敵意に満ちた声で問い詰めてきた。


「お、おい、司祭様はどうした!」

「ご神体には、指一本触れさせないわよ!」


 銃だ。小さなハンドガンのようだが何か普通とは違う。オズワルドは直感的にそれが魔に関するものだと判断した。不用心に一歩近寄ろうとしたところでニチカがハッと反応する。慌てて師匠の襟をつかんだ彼女は後ろに引っ張った。


「ダメっ」

「!?」


 パンッ

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