師弟が部屋でグダるだけ
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短めですが糖度高めを目指しました(当社比)
本は知識の泉である。どこかの偉い人が言った台詞には全面的に同意しよう。ニチカだって本から得た物は測り知れない。先人たちの知恵を学べるのはとてもいいことだ。
「だからって、彼女が来てるのに本を優先するっていうのはどうかと思うの」
ひくりと頬を引きつらせ目の前の黒い頭に訴える。本に集中している彼にその声は届かない。届いている気配もない。本日何回目になるのだろうか、諦めにも似たため息が少女の口から零れ落ちた。
女神の右腕として忙しく日々を過ごすニチカと、相変わらず怪しい魔女道具を作っては売り歩くオズワルドの休日は合わない。合わせようと思えば合うのだろうが、予定外の出来事がことごとく二人の時間を邪魔する。やれユーナの駄々こねが始まっただの、やれ遠方の取引先から呼び出されただの、珍しい鉱石が見つかったから行ってくるだの、植物が、書籍が、道具が……ここまで書けばわかるだろうが九割はオズワルドが原因だ。
今日とて例外ではない。意気揚々と自宅まで遊びに行ったニチカを出迎えたのは、読書に熱中しソファから一歩たりとも動こうとしない男の姿だった。入ってきた際ちらりと一度だけこちらを見たが、すぐに視線を手元に戻し『じき読み終わるから待っていろ』とだけ告げられたのである。
最初はその言葉を信じて部屋の掃除をして待っていたニチカだったが、隅々まで綺麗にしても男の読書は終わる気配を見せなかった。床に突っ伏し抗議したが(まだぁぁぁ? ねぇまだああああ!?)返答は得られなかった。
たかだか百ページの紙の塊に負けてなるものかと、少女は作戦を変える事にした。ソファの隣に腰掛け、甘えるように体を押し付ける。
「し・しょ・お。オズワルド~?? ねぇってば~」
普段こんなに素直になることは少ない。さぁどうだ、どうなんだ、どう……
「……」
(無反応――!!)
完全敗北したニチカはソファに沈んだ。何となく予想はついてたけどさ、と思いながら肘掛けにもたれかかる。
ベソを掻きながらオズワルドの方を観察する。想像以上に面白い内容だったのか、男の目は純粋な知的好奇心に輝いていた。その十分の一でもいいからこちらに興味を向けてくれないものだろうか。なんだか悲しくなって左腕の隙間から師匠と本の間に潜り込んで見上げてみた。束の間、目が合う。
「ぶべ」
べしょりと潰されて可愛くない声が出る。後頭部を押さえつけられたままもがいていると、多少苛立ちを含んだ声が降ってきた。
「さっきから何なんだお前は、大人しく待っていろと言っただろう」
「だってぇぇ」
情けない声で抗議するが、すでに男の視線は本へと戻っている。諦めた少女はもぞもぞと動いてオズワルドに抱え込まれるような体勢に移行した。また叩かれるかと身を固くしていたのだが意外にもそのままにさせてくれる。内心ほっとしながら背中を預けると、頭の上にのしっと重みを感じた。しばらくは顎置きに甘んじよう。
そうしていると自然と目の前に広げられた本が視界に入る。話題に入れるかも、と細かな文字の羅列を追ってみたが、言い回しがとにかく難解でおもしろさの欠片もない。言葉の端々から拾い上げるにどうやら生鮮食品の保存に関する論文のようだ。
「おはなしじゃないのー?」
「俺が恋愛小説を読むように見えるか?」
「んー、少しはそういうの読んで人の気持ちを察するのを勉強した方がいいんじゃない?」
「安心しろ、理解した上でのいつもの発言だ」
「何が安心できるのかまったくわからないんですけど」
冗談まじりに軽く笑いながらゆるゆると会話は進んでいく。緩やかな午後の陽射しがひるがえるレースのカーテンと共に踊っている。
「なんで読みながら会話できるの? ほんとにちゃんと読んでる?」
「お前との会話なんて数パーセントの意識も要らん、片手間だ」
「ひどい。じゃあ私も別のこと考えながら話すから」
「シングルタスクのお前には無理だ」
「ぶー」
「……その指輪、なんで中指につけてるんだ?」
「別に、深い意味なんてないよ」
「……」
「意味を持たせたいのなら、勝手に抜き取って移し替えてもいいんだよ~? ほらほら」
「フン、馬鹿な事を」
「いい天気だねー」
「そうだな」
「……うん」
触れている背中が暖かく、なんだかニチカは眠くなってきた。返答に微妙なタイムラグが発生してきたことに気が付いたのだろう、オズワルドが確認するように問いかけてきた。
「眠いのか?」
心地いい響きの声が、眠りの浅瀬にまどろむ少女を撫でるように流れていく。ゆるゆると振り仰いだニチカはぽやんとした表情のまま答えた。
「うん。あー、なんだか幸せだなぁ」
大好きな体温と匂いに包まれて、この上なく穏やかだった。不安も焦りも哀しみも、どんな悪夢が押し寄せてきても今なら跳ね返せてしまいそうだ。そんな発言を、ひねくれ者の師匠は次のページをめくりながら鼻で笑った。
「安い幸せだな、天気がいいだけで幸せとは」
「天気だけじゃないよ、もちろんそれもあるけど」
「じゃあなんだ」
微笑んだ少女は本を持つ手にそっと自分を重ね、打ち明ける。
「これは他の誰にもないしょなんだけどね、この世界に落とされたあたしが、一番安心できる場所ってここなんだよ」
それは心からの本心だった。珍妙な物でも見るような顔で見下ろしていたオズワルドだったが、ふいにため息をつくと読みかけの本をパタンと閉じた。額に軽い感触を受けてニチカがみじろぐ。頬へ、そして口へと、優しくてとびきり甘い幸せが落とされる。
「本は良いの?」
一息ついたところで尋ねると、なぜかオズワルドは悔しそうな顔をしていた。しばらくして観念したように打ち明ける。
「……興味の対象が移った」
ようやく書物と逆転できたのだと、少女が気付く前にまた幸せが落とされる――
お知らせ。この度、ありがたいことにCross Infinite World様より英訳版として電子書籍を出版して頂ける運びになりました。今夏8/31の予定です。
中身はもちろん全て英文ですが、表紙と挿絵がすばらしいので良かったらお手に取ってみて下さい。詳細は活動日報もしくは作者Twitterにて