砂漠の蛇-中編-
一瞬、竜が喋ったのかと錯覚する。しかしよく見ればその背には一人の青年が跨っていた。緑の髪を気だるげに掻き上げたその人物は、鮮やかな新緑の瞳を少し驚いたように見開いていた。
「ランバールが二人!?」
少年は驚きの声を上げて前後を見比べた。雰囲気や着ている物までよく似通っている。新たなランバールの方もそれに気づいたようで、黒竜の背中からタッと降りて来た。
「うわ、お前もしかしてバルドロ?」
その名前にも聞き覚えがあった。かつて盗賊団のサブリーダーを務めていたランバールの右腕だったはずだ。新たな――いや、本物のランバールは偽物を指さして笑い出した。
「なんだその髪、染めたのか? 似合わねー」
ここまで来ればさすがの少年でもわかった。かつてのサブリーダーがランバールの名を騙り、罪をなすりつけようとしていたらしい。
まさかの本物の登場にバルドロはたじり始めた。腰の短刀を抜き油断なく構える。ところがランバールは余裕しゃくしゃくと言った感じで近付いてきた。少年が溺れかけている水場を挟んで対岸同士で会話が始まる。
「なーにやってんだか。団は解散するって言っただろー、オレのなりすましとかやめろよ。こっちはもうひとかたならぬ身なんだぞ」
「うるさい! 俺らをアッサリ捨てて行ったくせに、俺たちがどれだけ苦労したか知らないだろ!!」
「はぁ?」
バルドロの発言にランバールは纏う雰囲気を変えた。目をすぅっと細めた彼は冷めた表情で吐き捨てる。
「知るわけないだろ、どうでもいい」
一瞬だけ出した本性をごまかすように彼は笑う。その軽く構えた右腕の上を緑の光が駆け抜けた。ネズミのような形をした風のマナは見る間に数を増やし、ランバールを取り囲むように風が巻き起こり始める。
「ばっかでー、己以外信用するなってのがチームの掟だったろうが」
「俺たちは、アンタを信じてたのにっ」
悲壮な表情を浮かべるバルドロに対し、ランバールは少しも態度を崩さず淡々と突き放す。
「依存してんじゃねぇよ、オレは端っからお前らなんか仲間だとは思ってない。生きるためお互いを利用していただけだろうが」
「……」
「なぁバルドロ、お前何度オレを暗殺しようとしたっけなぁ。一つ残らず上げてみせようか? 知らないとでも思ってたか」
青ざめたバルドロはカタカタと震え出す。先ほどまで少年を捕食しようとしていた蛇は、さらなる大蛇に呑まれかけていた。ふいにニコッと笑ったランバールは、まるでイタズラ少年のように声のトーンを上げて話し出す。
「ところで、シャスタの近くにある肥溜め池知ってるよな? 一度落ちたら一週間は臭いが取れない」
その肥溜めなら少年も知っていた。いや、シャスタに住む者なら知らない人は居ない有名な汚物集積所だ。余りに刺激臭を放つため厳重に立ち入りが監視されている場所で、近付くと嗚咽と涙が止まらなくなるらしい。
いきなり何の話だと首を傾げる少年とは違い、バルドロは察したらしい。一気に青ざめた彼はナイフを投げ捨てると近くのオブジェにしがみついた。
「やめっ……」
「お帰りはあちらです、どーぞ」
瞬間、ランバールの周囲に渦巻いていた緑のマナたちが爆発したかのように輝きを増す。思わず目をつむった少年のすぐ頭上を暴風が通り過ぎた。ほどなくして男の叫び声が遠ざかっていく。目を開けるとバルドロの姿は消えていた。ブチ破られた天井を見上げていたランバールが、ケラケラと笑いながら手を庇にしている。
「おー飛んだ飛んだ、もうちょい……もうちょい……ナイスイーン!」
どうやって見えているのかと疑問に思うが、それよりも差し迫った状況に少年は我に返った。すでに水が顎の下まで到達している。
「た、たすけて、もごっ、ぶはっ!!」
「ダメだぜ少年、簡単に他人を信用しちゃあ。アイツみたいなのに利用されちゃうよ~、まぁ今回は運が無かったな」
軽い調子で忠告したランバールが水面を歩いてくる。一瞬助けてくれるのかと期待したが、彼はそのまま横を素通りして向こう岸へと行ってしまった。
「ぼわぁぁ、おわああああ!?」
「さてと、なんだこの仰々しい扉は」
差し迫った状況の少年なんてお構いなしに、彼はのんびりと正面扉の前に立つ。少年を犠牲にして開かれた扉は暗闇へと続いているようだった、というかこの位置からでは何も見えない。そろそろやばい。
「こんな単純なわけないよな……」
「助げでおねが、ごぼっ」
何とか顔を水面から出しているが水が口に入ってきた。もうダメだと覚悟したその時、ガコンと大きな音が響き水位が少しずつ下がり始めた。
「う、うぅ、?」
見れば通路の両脇に穴が開かれ、濁った水が奈落の底へ勢いよくドドドドと排水されていく。全身濡れネズミになった少年は呆然としたままようやく地面にぺたりと座り込んだ。再び音がして拘束されていた右手が抜ける。
「命ひとつ儲けたな、こっち来いよ」
声のする方を見上げれば、緑の髪の青年が笑みを浮かべて待っていた。よろける足でなんとか立ち上がった少年は一歩一歩確かめるように段差を登っていく。登り切った先で何となく振り向くと向かいの通路で巨大な黒竜が目に入りギョッとする。竜は身体を丸めてスヤスヤと眠りについていた。
「あら寝ちゃったか。主人に似てマイペースだなぁ」
扉に向き直ったランバールは暗闇へと降りていく階段を顎でしゃくった。
「見な、下に続いてるように見えるだろ? ところがよーく見ると途中から不自然にホコリがない。多分仕掛けがあるんだろうな、仲間を一人犠牲にして進むとあの辺りでいきなり足元が無くなり奈落の底へと真っ逆さまってところか」
「そんな、じゃあお宝なんか最初から無かったのか?」
がっくりと肩を落とす少年の横で、ランバールは壁に差し込んだ何かを摘まんで反回転させた。
「いいや、これは鍵を持たない盗賊を排除する仕掛けさ」
いびつな形をしたその鍵から手を離すと、振動と共に上から階段が下りて来た。パラパラと細かい石が落ちてくる中、ズズンと重たい音を立てて昇り道が出現する。
「こんな仕掛けが……」
バルドロが置いていったランタンを拾い上げ、軽い調子で昇っていくランバールの後を少年もおっかなびっくり追いかける。やがて突き当りで一枚の扉にぶち当たった。先ほどの仰々しい扉とは打って変わって、どこにでもありそうな簡素な木の扉だ。引き開けた瞬間、目もくらむような光があふれ出してきた。
「うわ、うわ」
ランタンの明かりを眩しく反射する金の光が、暗いところに慣れきっていた少年の瞳孔を刺激する。宿屋の一室ほどの広さの部屋にはところ狭しと金塊が積み上げられていた。金だけではない、赤く滴るようなルビーや深い輝きを宿すサファイアもそこかしこに転がっている。
「本当にあったんだ……」
大きな声を出して飛びつくのがためらわれ、少年は小声でそっと呟く。反応が無いことに横を見上げれば、ランバールは複雑な表情で宝の山を見つめていた。やがて彼は踵を返して元来た道を降りていく。
「あっ、ちょっと?」
慌てた少年は目についた宝石を一つかみポケットに押し込むと後を追った。鍵のところまで戻ると青年は軽く笑って出迎えてくれた。
「なんだ、もういいのか?」
「それはこっちのセリフだよ。お宝が目当てで来たんじゃなかったのか?」
その問いに彼は答えなかった。無言で鍵を引き抜くと降りて来た時と同じ音をたてて階段が引き上げられていく。それを見送ったランバールは鍵を少年に投げて寄こした。
「やるよ」
「え、えっ」