赤い糸たどれば-4-
いやほんとにもう勘弁して欲しい、ただでさえ理性がギチギチと音をたて引きちぎれそうなのにこんな真似をしやがって、やわらかいきもちいい出来る事なら今すぐ押し倒してブチ込んでやりたいですけど何かぁぁぁ!
内心そう叫んでいた男だったが、すすり泣くような音にハッとする。額を押し付け泣いていたニチカはとぎれとぎれの声で嗚咽を漏らしていた。
何も言えずにしばらく黙り込む。ようやく息がつけるようになったらしい少女から微かな声が聞こえて来た。
「わ、たしのこと、嫌いになった……? 忙しくて、あえなかったから?」
くぐもった声が空気と背中を震わせる。違う、そうではない。今も見ているであろう何者かの存在を伝えようと振り返った瞬間、同じタイミングで顔をあげたニチカと目が合った。
泣き濡れた黒曜石のような目。微かに赤くなった眦。今も空気中に漂っている催淫香と、彼女自身から立ち昇るフェイクラヴァ―の甘い香りが脳をグラリと揺さぶる。
いや……それだけではないのは、もう認めている。クスリや種の影響もあるが、すがりついて泣かれているこの状況は単純にクる。
(まずい、そんな表情)
オズワルドが彼女の一番好きな表情はなんだと聞かれたら、表立っては笑顔と答えるだろう。だが、それと同等か、場合によってはそれ以上に好みなのが泣き顔だった。理性とは別のところの自分が勝手に喋り出しては脳に言い含めるように言を継ぐ。
(ぐちゃぐちゃになるまで泣かせたい、泣かせて、哭かせて、啼かせて)
ニチカの目の淵に溜まっていた涙がまばたき一つで押し出され頬を伝う。濡れたまつ毛が震えるたび、うすぼんやりとした明かりを反射してキラキラと輝いている。ズクリ、と、己の奥底に潜む加虐的な部分が首をもたげた。
思わずその目元に唇を押し当て残っていた涙を舐めとる。小さく悲鳴をあげる身体を抱きしめ柔らかさを堪能する。涙など塩っ辛いだけのはずなのにひどく甘く感じた。まるで極上の酒のように舌の上に広がっては気分を高揚させる。
気づけば耳まで責めていた。軽く甘噛みするたびに甘い吐息を上げピクンと跳ねる身体が愛おしい。触れるたびに染まっていく柔肌も、なにもかもが欲しくなる。弱いところは知り尽くしている。少しずつ開いていったのは他ならぬ自分なのだから。
(俺だ。俺だけがお前が知る唯一の男に……)
なんて独善的な思考。だがそんな想いさえ隅に押しやり、再度正面から見つめあう。
苦し気に眉根を寄せた少女は男の手首を捕まえた。ためらっているかのようにしばらく動かなかったが、きつく目をつむるとその手を自分の胸にそっと触れさせた。
「っ、」
これは本当に人の体なのかと疑うほどやわい感触が薄布一枚通して伝わってくる。そこに触れた事などこれが初めてでも無いのに、こんな気持ちになるのは初めてだった。
言葉を失うオズワルドをニチカは見上げる。潤んだ瞳を歪ませ、精いっぱいの訴えをした。
「私、子供じゃない、よ」
羽織っただけのマントが華奢な肩から落ちそうになる。もはや理性などかなぐり捨てて押し倒そうとしたその瞬間、
――!
どこかで押し殺したような小さな歓声が上がった。ハッとしたオズワルドは一瞬固まり、間一髪のところで彼女のマントを引き上げた。きっちりと巻き付けキュッと結ぶ。
「え」
一瞬だったのか数秒だったのか、次に男の口から出たのは決定的な失言だった。
「……そんなもの、見せるな」
決定的に言葉が足りなかった。セリフの前に「見られているんだから」とか「ここではまずい」だの差し込むべきであったのに、動揺しきった男の脳はそれすら判断がつかなかったのである。
しまったと思った時にはすでに遅く、俯いた少女から怒りと羞恥のオーラが噴き出す。感情により増幅された魔力が魔導風を発生させ服をパタパタとはためかせた。キッとにらみつけた少女の目から涙が一筋流れる。
「師匠のっ……師匠のヘタレぇぇえ!!」
「誰がヘタレ……ッ」
むしろ堪えた自分を褒めて欲しいと激昂しかけるのだが、本能的な恐怖に殴られ考える前に身体が動いていた。目の前に迫った爆撃を本当にギリギリのところでかわす。恋人に向ける威力ではないと引き攣ると同時に、標的を失ったエネルギー弾が壁にぶち当たりすさまじい音を立てた。
「あー……、そこだったか」
「え?」
ガレキの向こうに見えて来た光景にオズワルドは半笑いを浮かべ、ニチカは矛を納めた。もうもうと舞う土煙の中で目を回していたのは、二人の少年だったのである。
***
「ほんっっとーに、申し訳ありませんでした!」
宿屋の主人がもげる勢いで頭を下げ、隣で抑えつけていた息子の頭をドゴォと殴って沈める。ドサリと落ちた少年を前にして、背後の少年はガタガタと震えていた。そちらに向かってオズワルドは呆れたように問いかける。
「俺に山に行けと行ったのは罠に嵌めるためだったんだな?」
「へ、へへ、兄さん美形だからさ、どうせならそっちの方が相手の女の子も嬉しいかなって」
食堂でサービスをしてくれた少年はへらりと笑いを浮かべたが、友人の父親にゴッと沈められ友と同じ道をたどる事となった。
彼らの目的、それはずばり『覗き行為』だった。性に対する興味を持ち始めたのは、まぁある意味ではとても健全な事だったが、困ったことに村にはそういった物を入手できるルートがまるでない。
そんな時、宿屋の息子が風呂場の近くで妙な地下室を発見した。どうやら大昔に使われていたらしい褥部屋を見た時、彼の中である一つのひらめきが生まれてしまった。入手できないなら生で見学してしまえばいいじゃないかと。
適当な旅の男女をそれぞれ見繕い、食堂屋の少年が操る簡単な光魔法を『運命の赤い糸』と称して誘導し、部屋に落として催淫香を焚き込む。あとはニチカとオズワルドが実際に体験した通りだ。
「これで連泊を切り上げて帰っていく客の謎も解けたな。見ず知らずの相手とヤっちまってお互いに気まずかったんだろう」
「なるほど、つまりあの部屋は昔のこの村の人たちの人口増加の一端を担っていたわけだ」
名推理とばかりにユーナがドヤ顔で続ける。地下室の存在自体を知らなかったらしい宿屋の主人は土下座しそうな勢いで頭を下げていた。
「まぁまぁ、ヘンな噂が立つ前に原因が突き止められてよかったじゃないか。それより僕も詳しくみてみたいなぁ、そういう民俗学的な事って結構キョーミあったりするんだよね」
なぜか嬉々として聞き込みを始めるユーナをおいて、オズワルドはその場を後にした。もうすっかり辺りは日も暮れ村の通りはオレンジ色のランプが灯されている。何も知らない宿泊客たちは楽しそうにさざめき合いながら流れていく。
「……」
探している人物はさほど離れていないところに居た。ニチカは道脇のベンチに腰かけ、ふてくされたように露天のソフトクリームを食べていた。あの騒動の後もう一度風呂に入りなおしたらしく髪が濡れている。さてどうやって誤解を解いたものかと考える前に、相変わらず視線を合わせようとはしない少女が先に切り出した。
「さっき嫌がったのは」
「ん?」
「見られてるって知ってたから?」
ふーっと肩の力を抜いたオズワルドは、当たり前だろとでも言いたげにこう続けた。
「俺に見られながらやる趣味はない」
きっぱりと言い切ると、ニチカはようやくこちらに視線をちらりと向けた。
「それは、私のこと、他の人に見せたくなかったって……認識でいい?」
どうやら弁明するまでも無かったようだ。口の端を少しだけ吊り上げて笑うオズワルドに答えを得たのかニチカはようやく笑顔を浮かべた。
「そっか、ならいいや」
そうだ、彼女のあられもない姿など他の男になど見せてやるものか。それは自分だけが知っていればいい。
和やかに笑う少女に暖かい気持ちが広がる。と、同時に先ほど収めたはずの熱が燻りだす。そっとその頬に触れた男は、屈みこんで囁くように問いかけてみた。
「このまま、俺の部屋に来るか?」
一瞬その意味を考えていた少女は、次の瞬間目に見えるほど分かりやすく赤面した。弾かれたように立ち上がると二、三歩前へ出る。
「いっ、いいよっ、今日はユーナ様たちと一緒の部屋とっちゃってるし。キャンセル料とかもったいないからね」
逃した。心の内で舌打ちをしたオズワルドだったが、背中を向けたままの少女の耳が真っ赤になっているのを見て一つ瞬く。緩やかな人の喧噪にかき消されそうな声の大きさで、ニチカは小さくつぶやいた。
「ち、近いうち、あなたの家……行くから…………その時に」
人波に飛び込むように姿を消した少女を見送り、男は先ほどまで彼女が腰かけていたベンチに座り夜空を見上げた。
温泉街の夜はゆるやかに更けていく……
たいへんお待たせいたしました…半年以上も掛かってしまいましたが800ブクマお礼SSはここまでとなります。そしてこのあと155頁『始まりの終わりと』に繋がるわけです。
今後もキリの良い数字でお礼SSは続けていくつもりですので、どうぞよろしくお願いします。ここまで読んで頂きありがとうございました!