赤い糸たどれば-2-
ご機嫌に視線を合わせる二人の後ろで、少し遅れて到着したシャルロッテがトンッと着地する。ホウキを縮小して荷物に放り込みながら今にも駆け出しそうな二人の背中にストップをかけた。
「そんなに慌てなくても温泉は逃げたりしないですよユーナ様、ニチカちゃんも」
「シャルちん、せっかくの女子旅なんだ。テンションあげてこーぜ」
グッと親指を立てた上司を見ていたシャルロッテは、にやりと笑って顔を寄せた。
「はめ外しちゃってもいいですかねぇ」
「おぬしも悪よのぅ、うりうり」
世界のマナ事情を一括管理する女神が、日々たまっていく業務にストレスをついに爆発させたのが今日の昼前の話。駄々っ子のように床に転がりビービーと泣き始めた彼女をなだめるニチカの横で、シャルロッテが温泉宿の話を持ち出したのが事の始まりだった。そこからあれよあれよと言う間に『天界慰安旅行』が決行されたのである。
じゃれあう二人を横に、薄いブルーの空を見上げていたニチカはこの場には居ない緑色を思い浮かべながらぽつりとつぶやいた。
「ラン君も来られればよかったのに」
情報収集は得意だが、どうにもデスクワークが苦手なランバールはこの場に居ない。温泉旅行には前のめりすぎるほど乗り気だったのだが、出がけに致命的なミスが見つかり泣く泣く居残り作業と相なったのである。今頃は監視役のヴァドニールを横に机にかじりついていることだろう。
ふとニチカは会話が途切れていることに気づいた。見れば顔を寄せた二人がニヤニヤと口元に手をあてながらこちらを見ている。直感で身構えるとユーナの口からとんでもない単語が飛び出した。
「浮気?」
「なっ……!」
頬がカァッと熱くなる。言い返す言葉を探している内にも、彼女たちはからかうように声を潜めて話し出した。
「まぁぁ奥様聞きまして? 彼氏持ちというご身分でありながら」
「温泉、湯けむり混浴、見知らぬ地で密かにしっぽり……」
「もうっ、何いってるんですか! 私はただ単にかわいそうだなって!」
顔を真っ赤にして怒り出すニチカに満足したのか二人は笑いながら行ってしまう。残された少女は頬を膨らませてグッとこぶしを握りこんだ。
もちろん二人が本気でないことはわかっている。自分のこんな反応が見たいだけなのだと理解はしているが、上手く受け流せずついむきになってしまう。
(敵わないなぁ)
己の単純さを嘆きつつニチカは小走りで駆け出した。その後ろ姿をじっと見つめている二対の目があるとも知らずに……
***
タンッと踏み切った身体が一瞬だけ宙に留まり、盛大な飛沫を夕焼け空に散らせながら水柱を立ち上がらせる。
服を脱ぐなり一直線に露天風呂に飛び込んだユーナに向かって、風呂マナーに厳しい少女は苦言を申し立てた。
「ユーナ様何やってるんですか! 他のお客さんに迷惑でしょう!」
「へっへっへ~、固いこと言うなよぉ。貸し切り状態なんだからいいじゃないか」
スーイスーイと平泳ぎなんて始める女神の言う通り、湯船や洗い場に他の客の影は見当たらない。夕飯前の中途半端な時間では地元の人も来ないのだろう。
それでもかけ湯くらいしてから入ってくださいよとニチカはボヤきながら桶を手に取った。ほこほこと白い湯煙をあげる湯をすくい、タオルでまとめた髪に掛からないように肩からかけていく。
優しい茜色に染まる空がせまりくる夜にゆっくりと侵食されていく。一番星が輝く空を見上げほぅっとため息をついた。宿のおかみが教えてくれた通りこの時間は最高のロケーションだ。
「これが温泉? 思ってたより広いわねー、二人のテンションが上がるのもわかるかも」
「でしょう? お風呂とはまた違った」
遅れてやってきたシャルロッテを見上げた瞬間、少女は声を失った。
たわわ。そんな形容詞が似合うリッパな物をお持ちの彼女は恥じらうでもなく堂々と腰に手をあて仁王立ちしていた。その見事なプロポーションにユーナが口笛を鳴らす。
「すげーい、さすがはシャルちん。G? H?」
「あら、ユーナ様だって元の身体は似たようなものじゃないですか」
「確かに同じくらいかも。今の身体が身軽すぎて忘れてたけど肩こるんだよねぇ」
「わかりますわかります」
わかりませんわかりません……心の内でひたすら呟きニチカは必死に存在感を消していた。静かに入湯し端の方へ逃げていく
しばらく巨乳あるあるで盛り上がっていた特盛り二人だったが、ようやく少女の存在を思い出したのかそちらを振り向いた。石造りのへりにもたれかかるようにしてへこむ並盛りが一人。
さすがに身体的特徴に関しては悪いと思ったのだろう、フォローするような言葉が後ろから飛んでくる。
「ンな気にすんなニっちゃん! 大切なのは大きさじゃなくて感度だから」
「そーよぉ、それにおっきくするのは実は難しくないのよ? よく食べてちょっと揉めばすぐだから」
「知ってるかい? それって自分でやるより好意を持ってる相手にやってもらった方が効果高いらしいよ、女性ホルモンの関係だとか」
「要は気分ってことですね、良かったじゃないオズちゃんに――」
ついに限界点に到達した少女の放った湯の波がモロに二人を呑み込んだ。フォローどころか逆効果である。
そのまま洗い場まで打ち揚げられた二人は、鬼気迫る少女の圧力に恐れをなしそそくさと退散することに決めた。浴場で魔法をブッ放すなんてどちらが入浴マナー違反なんだとは口が裂けても言わないし言えない。
「あ、あー、シャルちん背中流してほしいな~」
「いいですよ、いきましょうか」
「えへへ、僕おねえちゃんだったし、洗ってもらうのが夢だったんだ~」
仲良く移動する背中をにらみつけたまま、ニチカは指先に渦巻く業火を霧散させる。ため息をついた彼女は再び溜まり始めた湯の中にとぷっと腰を落とした。そのままそっと包み込むように胸に手を添えてみる。
(この世界に来る前より大きくなってる、と思うんだけどな。言うほど小さくはないよね? ……オズワルドもやっぱり大きい方が好きなのかな)
口を尖らせ確かめるように揉んでいた少女だったが、ふとある可能性に思い至り雷に撃たれたようなショックを受ける。
(あり得る! だって身近にいた存在が、あのたわわロッテさんが基準なんじゃ!?)
アレと比べられてしまえばどう考えても勝ち目はない。それに未だに自分が彼女なのが信じられないほど彼はモテる。きっとこれまでにもたくさん迫られることはあったのだろう、例えばそう、今この瞬間にも胸を武器に――
(あーもうっ、何かんがえてるのよ私! ないない、ないから!)
ブンブンと頭を振っていたせいか、魔法を放った余波か、単純に湯あたりしたせいか、あるいはその全部か、クラリとめまいを感じたニチカは少し湯から上がって思考を冷やすことにした。
まったく妄想甚だしい。師匠はあくどくて詐欺まがいで言いくるめはひどいが浮気するような性分ではないはずだ。……たぶん。
(会いたいなぁ)
ここ最近は休みの予定が合わずしばらく顔を見ていない。今ごろ何をしているだろう、自分のことを少しは思い出してくれているだろうか?
作業中なら絶対思い出しもしないだろうな……と、遠い目で自虐的に笑った時だった、ふいに背後の茂みからガサゴソと物音がして振り返る。
「?」
野生の動物でも居るのだろうかと興味をひかれたニチカは、腰かけていた石から立ち上がりゆっくりと覗き込んでみた。そこには――