一服盛る話-後編-
だが、別段変わった様子はなくオズワルドは淡々と菓子をつまみ始める。失敗したのだろうか?
思い出したようにまだ濡れたままだった髪を拭き始める師匠に、ガッカリすると同時にどこか安堵もしてしまう。
「……」
ふいに途切れた会話など気にするでもなく、彼は平然とタオルを動かし続けている。
……何をやっているのだろう、騙して惚れ薬を飲ませるような真似までして。
罪悪感を感じながらも諦めきれずに、ダメ元で少女は問いかける。
「ししょー」
「何だ」
「私のこと、好き?」
てっきりいつものひねくれた返しが来るだろうと覚悟していた耳に、その言葉は届いた。
「当たり前だろ」
えっ、と顔を上げると、オズワルドは照れるでも皮肉るでもなく普通の表情でこちらを見ている。反射的に聞き返す程度には普段の塩対応に慣れきっていた。慌ててローテーブルに手をつき身を乗り出す。
「ホントに!? 珍獣としてとかじゃなくて!?」
「あのな、珍獣なんて本気で思ってるわけないだろうが。ちゃんと一人の女として好きだ」
少し呆れたように言われ、少女の顔がパァァと明るくなっていく。やはり薬が効いているのだ、普段のオズワルドなら絶対にこんな事は言わない。
勇気付けられたニチカは膝立ちのままにじり寄る。男のすぐ側まで来るとしばらくためらっていたが、ニマニマと綻んでくる口元を抑えきれず思い切ってぽふっと抱きつく。腹部に頬を押し付けるような体勢になるとほのかな石鹸と彼の匂いに包まれた。
その位置からじぃっと見上げ、淡い期待を込めて視線だけで訴える。
「どうした?」
「……あたま、なでて」
オズワルドは一度だけ瞬いた後、柔らかい笑みを浮かべ、大きな手をニチカの頭に乗せた。
「今日はやけに素直だな」
(ふぁぁぁああ~~~!!!)
髪の毛を梳くように撫でられる。夢か、これは夢なのか。心臓が持たない、キュンキュンする。
心地よさを堪能していた少女は、頬まで降りて来た手に無意識の内に目を閉じてすりつく。まるで猫のような仕草に男は目を細めた。
「お前、ホント可愛いな」
「ほぁ!?」
不意打ちに思わず目をあけると、青い瞳がこちらをひたと見据えている。愛しいものを見るような目つきに胸の辺りが締め付けられる。
「だから心配になる。お前が他の男に話し掛けるたび、俺がどれだけ嫉妬してるか知らないだろ」
「あ、あの」
「本当は天界じゃなくて、この家に閉じ込めておきたいくらいなのに」
そんな素振り、一度だって見せた事はなかったくせに。
言葉を探している内に、まっすぐに見つめられ視線を合わされる。どこまでも真摯な響きを保ったまま言葉が紡がれた。
「お前は俺のものだ、他の誰の元へ行くことも許さん」
その言葉に魂ごと抱きしめられるようで、無意識の内にじわりとにじんだ涙が目のふちに珠を作る。
「行かない、よ……私にはオズワルドだけだよ」
鼓動が高まり幸せに包まれていく。頬に添えられた手を包み込むように触る。
落とされた口づけはひどく優しくて、いつもの強引に引きずり出される快感とはまた違った気持ちよさがじんわりと身と心を満たしていく。
だが決して物足りないものではなく、次第に深くねっとりと濃厚な愛され方に変わっていく。普段よりゆるい動きに焦らされるようで、もどかしくて、自分から求めるように動いていることに気づいたニチカは赤面しながらも止められない。首すじをツゥと舌でなぞり上げられ、ビクビクと細かく痙攣してしまう。
腰に回された手に引き寄せられ隙間なく密着する。このまま溶けて一つになるのではないかと錯覚するほど身体の芯が熱い。
は、と離れた口を最後まで繋いでいた銀糸がふつりと切れた。
「たぶん俺は、もうお前なしじゃ生きていけない」
「あ……」
「ニチカ、」
俺が欲しいか、と耳元に熱い吐息がかかる。
身も心も痛みだって、この人から与えられるものだったら何だって愛しいと、そう素直な気持ちを伝えようとした――その時、ふとキッチンに置かれたままだった小瓶が目に入った。
惚れ薬。
その事実を思い出した瞬間、昂っていた気持ちが冷水でも浴びせられたかのように青ざめていった。
そうだった、この情熱的な言葉も、いつもより各段に優しい扱われ方も、全ては薬の効果。作られた計算上の愛情。
自覚した瞬間、すさまじい罪悪感がこみ上げた。こうなることを望んでいたはずだったのに、こんなまがい物の愛の言葉は違うと脳が叫び出す。
「あ、うぁ、ご、ごめんなさいいいいい!!!」
「!」
ドンッと男を突き飛ばした少女は、転びそうな勢いで家を飛び出した。あふれる涙を散らしながら、ただひたすら逃げた。
***
翌日、機嫌のよさそうなシャルロッテの向かいには、その表情をそのまま反転させたような男の顔があった。彼は悪鬼然とした表情のまま、地を這うような声で宣言する。
「もうお前には二度と俺の魔女道具を卸さないことに決めた」
「や~ん、ちょっとした手助けじゃない。怒っちゃやーよオズちゃ~ん」
媚を売るようにシナを作る姉を、男はギロリと睨みつける。常人ならそれだけですくみ上ってしまいそうな迫力だったが、そんな表情には慣れ切っているシャルロッテはオズワルドが持参した小瓶をつつくように指の先で押さえた。
「素直になれない弟のために、お姉ちゃんが影から助けてあげたんじゃない」
「頼んだ覚えがない」
「とか言いつつ、分かってて飲んだんでしょ?」
「……」
弟子がいれた紅茶に異変を感じたのは、本当に飲む直前だった。かすかに甘い香りとこちらを一心に見つめて来るニチカの表情を見て悟ってしまった。あぁ、これは確実に何かが入っている。
独特の匂いと頭の中にある知識を照らし合わせた結果、それは他ならぬ自分で作った調合薬だった。芋づる式に手配したであろう犯人の高笑いするような顔が浮かび上がり心の中で舌打ちをする。大方泣きついて来たニチカにあの女が入れ知恵したのだろう。
簡単に引っかかってたまるかとカップを下ろそうとした寸前、キラキラと期待するような眼差しを感じて動きが止まる。
「――、」
この薬は脳の働きを少しだけ鈍らせ幸せで満たす効果がある。口が軽くなり、普段隠していることを白状してしまう――言わば自白剤の目的で作ったものだ。
それを盛られた。師匠を罠に嵌めようなんて百年早いと思うと共に、ほんの少し後ろめたい気持ちも浮かんでしまう。
こんな手段に走らせてしまう程、彼女に対して愛情表現をして来なかったという自覚はある。いつもからかい、ごまかしてきた。
ならば全て分かった上で、敢えて乗ってやるのも一興ではないだろうか。素直になれない自分も薬の力を借りればもしかしたら……
「それで逃げられたとか……ブフッ、ほんと、不憫……」
顔を背け全力で肩を震わせる元凶に、首を絞めたくなる衝動に駆られる。
激情をなんとか飲み込んだ男は、シャルロッテが保管している棚を勝手に開け、委託していた調合薬をすべて回収する。もう二度とあんな真似ができないよう一つ残らず徹底的に。
「っはぁ~おかし~、悪かったわよ、お詫びに良い事教えてあげるから」
さすがにからかい過ぎたと思ったのだろう、笑い過ぎてにじむ涙を拭いながらシャルロッテは男を呼び止める。
聞く耳もたずに出て行こうとする黒い長身に向かって、弾む声で投げかけた。
「あの子、今回盛ったのを自白剤じゃなくて『惚れ薬』だと勘違いしてるわよ」
「……は?」
「昨日逃げ帰って来てから部屋にこもって泣きっぱなしみたいだし、はぁ~誰か真相を教えてあげてくれないかしら~」
振り返るとわざとらしく困ったように眉を寄せたシャルロッテが、ニチカの部屋の方角をピッと指している。
無言で部屋を出たオズワルドは足早に進んでいく。
あの姉に手のひらで転がされているような気がするのは不愉快極まりないが、
それよりも先に、
今ごろ後悔の念で泣きはらしているアイツの腕を引っ張って言わねば気が済まない、
今さらこの身に惚れ薬など効くはずもないだろう!と
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