ひねくれ教師と落第生-後編-
不思議そうに問いかけられ、悟られてはマズいと慌てて話題を探す。なんでもいい、不埒な考えとは程遠い話題を――
「そ、そういえば先生眼鏡してるんですね! それって伊達でしょ? 教師っぽく見せるためなの? アハハ」
「え」
気取られてはいけないという意識で語調がどんどん加速していく。もはや自分が何を言ってるかも分からなかった。
「っていうか尾沢って! もしかして下の名前は天華だったり? いや~それはちょっと安直すぎるか」
「……」
「それで、それで、保健のせんせーは腹違いのお姉さんじゃない? あ、当たってる?」
「何を言ってるんですか」
「それにその口調! あはははっ、無理しないでいいよ、あなたが本性最悪なドSで性癖デパートなのは」
「……」
「知ってるか……ら」
「……」
「……」
やってしまった。
こちらを見据える絶対零度の瞳に凍りつく。彼はにこやかな表情を保ったまま静かに知花の肩に手を置いた。
「桜庭」
「ひゃい」
「どこでその情報を手に入れた?」
寒い。凍えるような寒さが心に突き刺さる。
笑顔の仮面を貼り付けたまま、男は徐々に肩の手に力を込めてきた。
「いた、いだだだだだ!!!」
「確かにお前は数学に関してはサルの脳みそにウジ虫でも湧いてるのかと疑うレベルだが、今回に限って言えば花丸だ。お察しのとおり俺は本性最悪で、虫唾が走るほど嫌いな糞ガキ相手に仮面かぶっている性格破綻者だ」
「だ、誰もそこまで言ってな――」
スッと目を細めた彼から目が離せなくなる。
ぞわりと、場の雰囲気の変化に総毛立つ。イヤというほど知っているこの空気は
「知花」
(あ、やば……)
肩に置かれていた手がするりと動き、首筋を撫でられる。ビクッと跳ねた知花の手の中で、いちごオレのパッケージがベコリとへこんだ。
そのまま頬に添えられた手でくっ、と上を向かされる。反射的にいつものように目を閉じると唇にやわい感覚が落ちてくる。
最初は触れるだけだったそれが次第に深くなっていく。椅子に手をついてやや仰け反っていた知花は目まぐるしく考えていた。
(なんでいきなりこんな事になってるの!? だってこの世界の私とオズワルドはただの生徒と先生なんじゃ……っ)
そんな思考を消し去るくらいに追い上げられていく。片手間にいじられる耳とで意識が分散されてもうワケがわからなくなっていく。
「ぷあっ」
しかし何の前触れもなくいきなり解放された。不足していた酸素を涙目になりながら取り込もうとする。
肩で息をしていた知花だったが、平常を取り戻す前に抉じ開けるように口の中に親指を突っ込まれた。そのまま内側から頬を挟むように掴まれる。
「ほあ?」
わけが分からず見上げると、潤む視界の向こう側で彼がフッと笑ったのがわかった。
「イイ顔だ」
「う? ――んぐぅ!?」
いきなり指三本を突っ込まれ、思わず奥歯にグッと力が篭る、が
「噛んだら手ごと突っ込むぞ」
「!?」
恐ろしい脅し文句に何とか顎の力をゆるめる。そのまま長くしなやかな指をゆるゆると出し入れされてカァッと熱が上がっていく。
口の端からあふれた唾液が未だ紙パックを握り締めている手の上に落ち、何とも卑猥な気分にさせられた。
誰も居ない夕焼け色の教室でその動作だけが繰り返される。されるがままになり、背すじをゾクゾクと快感が駆け抜ける。
(私、今どんな顔してる……?)
もう頭がボーっとして何も考えられない。
無意識にその手首をつかもうとした瞬間――
ピロリンとどこからか間抜けな電子音が響いた。
「……え」
一気に現実に引き戻された知花の目の前で、男は携帯端末を操作し感心したように頷いた。
「ふむ、なかなかいい動画が取れた」
「なぁっ!?」
慌てて回り込めば、四角い画面の向こうに自分が映っている。なんとも言えず物欲しげな上目遣いな様はどうみても……
「あとはこの指の部分にモザイクを入れれば完璧だな」
「こ、こらぁああっっ!!」
突発的に奪い取ろうとするがひょいとかわされてしまう。小さな手のひらサイズの端末をめぐる醜い応酬が今始まった。
「なにっ……なんで……っ!! 消してよそれ!!」
「何で? 少しはその足りない頭で考えてみたらどうだぶわぁぁか! 俺の本性を少しでも周りに言いふらしてみろ、ネットの裏掲示板に速攻でこれが流出するぞ」
「うわあああ!!? それが教師のすること!?」
バッと掠め取ることに成功した知花は、素早くゴミ箱のマークをタップする。
(やった!)
「安心しろ、すでに自宅のパソコンに転送済みだ」
「ぎゃーっ!?」
頭を抱えた知花はそれでも何とか反撃を試みる。ビシリと指した指先が震えているのは怒り8割:羞恥2割と言ったところか。
「こんなのバラまいたら自分だって教師生命終わりじゃない!」
「アホめ、特定できないように加工しまくるに決まってるだろ、俺の音声は全部消す」
「ううっ、ううう~~っ!!」
怒りで涙すら滲んでくる。それを心底意地の悪そうに見つめていた男は楽しそうに言った。
「これで俺とお前は運命共同体。お互いの為にも秘密を守ろうじゃないか、え?」
わざとらしく握手を求めてくる態度に、頭の血管がブチブチと切れていく。目の前の机に思い切り手を叩きつけ、少女は叫ぶ――
・
・
・
「誰があなたなんかの言いなりになるもんですかーっ!!」
「どわぁ!?」
その剣幕に目の前の男が驚いたように一歩引く。少女はたたみ掛けるように乗り出した。
「やれるもんならやってみなさいよ! あなたのその腐った性根叩き直してやるん――先生?」
「先生?」
相手の姿を見てはた、と言葉を止める。眼鏡とネクタイをしていたはずの数学教師は、見慣れた黒いコート姿の師匠に戻っていた。
「……」
「ニチカ?」
辺りを見回せば、夕暮れ時の教室は午後の柔らかな光が射す天界の図書室へと変化していた。
はぁぁ~っとため息をついた『ニチカ』は、たった今まで突っ伏して寝ていたはずの机に手をつく。
「そうだった……」
「?」
一気に脱力した様子の弟子に、オズワルドは怪訝そうな顔をする。
「夢でも見ていたのか? だいぶうなされてたぞ」
「誰のせいだと……」
聞こえないように小さくこぼし、ニチカは微妙に気まずい思いで視線をそらした。
夢の中の登場人物は、現実世界で自分が相手に抱いているイメージがそのまま反映されているはずだ(ユーナやイニに限っては本人だったが)
だとすれば、自分は心の奥底ではオズワルドの事を、あのような卑劣な手段を用いる人物だと思っているのだろうか?
(そんなことない、ないよね? だって私はこの人のことを信じてるでしょ?)
ズキン、ズキンと痛む良心を感じながら、ニチカは聞いてみた。
「あ、の、師匠」
「なんだ?」
「もし自分が秘密にしていることを相手に知られたら、どうする?」
二、三度瞬いた男は、当たり前のように言い放った。
「相手の弱みを握る」
「はっ?」
「もしくは作る。捏造してでも弱みを握って対等な立場に立つ。常識だろ」
そうだ、こういう奴だった。自分の中のイメージと少しも遜色はない、いっそ清々しいほどの一致振りではないか。
その回答に肩を震わせていたニチカは、どこかホッとしながらも叫んだ。
「現実でも同じくらい最低じゃない!」
おまけ
「ところでどうしてここに? ユーナ様に何か用?」
「いや、昼寝してたら夢にお前が出てきて」
「私?」
「ここじゃない妙な場所で何かを教えていたんだが」
「……」
「その後イイところで目が覚めたから続きをと思って」
「ゆ、夢でしょ、それ夢だから、夢だから寄るなぁぁ!!」
近しい者同士の夢は繋がることもあるようで。