ひねくれ教師と落第生-前編-
ブックマーク600到達ありがとうございます!
お礼の短編を書きましたのでどうぞ
天界にある一室、窓辺の日当たりのいい机に突っ伏して、一人の少女がすやすやと眠っていた。
陽に透かすと少しだけ赤みを帯びる髪、まだあどけなさを残す顔だち。無防備に眠り続ける少女――ニチカは幸せな気分だった。
女神の右腕として天界に籍を置き、あちこちを駆け回る日々の彼女だが、めずらしく今日の仕事はひと段落ついていた。うたたねをしていても誰に咎められることもないだろう。
ゆっくりと穏やかな午後の時間が流れる。その時ふわりと、懐かしい匂いが漂ってきたような気がしておもわず口元がゆるむ。そう、この匂いは確か
「にへへ……クリームパン……棒チョコ……三角バタートースト……」
日本にいたころ、よくお世話になった購買パンの甘い香りだ。どちらかというと惣菜より菓子パンの方が好きで100円玉を数枚握りしめて走った思い出がよみがえる。
(あぁ懐かしいなぁ……こんな夢を見るなんて、ちょっとホームシックにかかってるのかも)
ふわふわとした意識の中、目が覚めたらリゼット村のパン屋にでも行ってみようかと頭の片隅で思う。
だが外部からの刺激で無情にもまどろみから引き上げられる。頬をつつくそれをうっとおしげに払うが、指先はしつこく戻ってきては何度も刺激を与えてきた。
「んっ……もう、やめてよ」
こんなことをするのは一人しか居ない。いつの間に天界まで上がってきたのだろうと思いながら顔を反対側へと向ける。それでも今度は肩をつかんで揺さぶられる。続けて聞き慣れた低い声が降ってきた。
「……チカ……起き……」
「後にしてよぉ、今日は休みにするのー」
「……きて下……」
先ほどよりさらに強く揺さぶられる。イライラが一定のラインにまで達したニチカはついに顔を上げた。
「だーっ、いい加減にしてよ師匠! 用なら後……で……」
焦点が徐々に合ってくるにつれ、少女の言葉尻は消えていった。
こちらをのぞき込んでいたのは確かにオズワルドだった。整った顔に黒い髪、近頃は掛けていなかった眼鏡の奥で青い瞳が少し驚いたように見開かれている。
その服装はいつもと微妙に違っていた。全身黒づくめが常の彼が、パリッとした白いシャツに、なんとネクタイを締めている。
異変を感じてゆっくりと辺りに視線をめぐらせれば、そこは天界の広々とした白い図書室ではなかった。
前面には緑の黒板。それに向かうように整然と並べられた机たち。おそろいの制服を着ている少年少女たちがあっけにとられたようにこちらを向いている。
一拍おいた後、彼らは示し合わせたかのように爆発するような笑いを始めた。
ギギギと固い動きで師匠を見上げると、彼は優しくかつての名を呼んだ。
「授業中の居眠りは感心しませんね、桜庭知花さん」
オズワルド『先生』は数学の教科書を手に笑っていた。
***
「あははははっ、なに師匠って! どんな夢みてたのっ」
昼休み、三角バタートーストをかじりながら知花はうつむいていた。喉が焼け付くような甘さをいちごオレでグッと流し込む。
机の向かいにすわっているのはメリッサによく似た「芽衣紗」ちゃんに、アンジェリカによく似た「梨香」ちゃんだ。彼女たちも知花と同じ制服を着ているためクラスメイトとしてなじんでいる。
「夢に尾沢先生が出てきましたの? いやですわ知花さん欲求不満でなくて?」
「だれがっ!」
ニヤニヤと笑う二人に憤慨して立ち上がる。500mlのパックを一気に飲み干した知花はグイッと口元を拭うと、足音荒く歩き出した。
「ちょっとー、冗談だって。どこ行くの?」
「校長室!」
こんな、いかにも『完結したファンタジー小説の学パロ番外編』みたいな状況に陥っているのには心当たりがある。肩を怒らせ記憶の中にある校舎の間取りを思い出しながらある部屋を目指し進んでいく。
とある重厚な扉の前に仁王立ちした知花は、すぅっと息を吸い込むとノックもせずにいきなり開け放った。
「ユーナ様! 悪ふざけはやめてくださいっ」
校長室は空だった。……いや、大きな背もたれ付きの椅子が向こう側を向いている。
ジッと出方を待っていると、ふふふと言う含み笑いが響きくるりと椅子が回転した。
「残念だったな知花くん。私だ――ごはぁ!?」
サラサラの金髪を気障っぽくかき上げた男は、ふっ飛んできた置き時計の直撃をモロに喰らい机に沈んだ。
すばらしいフォームでそれをブン投げた少女は、冷たい視線のまま彼の襟元を掴んだ。
「なんでイニが居るのよ。しかも人型になってるし」
「チチチ、この世界ではイニではなく『仁』校長と呼んでくれ」
「どうでもいい!」
「ごふっ」
彼を椅子に突き戻した知花は腕を組んで説明を求めた。イニ……いや仁校長は頬をさすりながら彼なりの事情を打ち明ける。
「それが私にもよく分からないのだが、先ほどユーナに叩き起こされて校長役を演じてくれと」
「やっっぱりユーナ様が黒幕なのね!」
おそらくまたしても彼女の思いつきだろう。その無駄に有り余る知識と技術と魔力を無駄遣いしてこの空間を形成したに違いない。
「こんなことする暇があるなら仕事しろっつーの……!!」
拳を握り締めブルブルと震えていた知花は、もうここに用はないとばかりに踵を返す。慌てた仁校長が足にすがりついた。
「待ってくれ! 久しぶりの出番なのだ。もう少し話そう、なっ?」
「メタいわーっ!」
ガスッと踏み抜くとヘンな声を出して校長は沈んだ。
***
相変わらずの彼を放置して廊下に出ると、昼休みも終わりかけだというのに生徒たちがはしゃいだように一方向へ駆けていく。
「生徒会よ!」
「生徒会の方がお見えになるぞ!」
ロロ村のマキナとスミレに似た生徒が話しているのを聞いてそちらに向かう。校長でもないとすれば――そうか、そっちだったか。
「通して下さ……ちょっ、むぎゅ!」
渡り廊下の人だかりを掻き分けていくと勢いあまって人垣の中に押し出されてしまう、ふと視線を上げればダボダボの制服を着た幼女がこちらを見下ろしていた。
「……ルゥちゃん、君はせいぜい中学生なんじゃないの」
「む? なんじゃおぬし! 生徒会会計のわらわを侮辱する気か!? 無礼者!」
飛び掛ってこようとする彼女だったが、側に居た大柄な男と優男に止められ空中でバタバタと両手足を振るに留まった。
「こらこら、そうやってすぐ挑みかかるのはぬしの悪い癖だぞ」
「それがルゥちゃんのいーいところさっ!」
(ムリがあるムリがある……)
ガザンとシルミアも学生服を着ているのだがどう見ても十代には見えない。その影にひっそりと居るノックオックも同様だ。
必死にツッコミたい気持ちをこらえていると、ざわと辺りがどよめいた。
「鈴仙院様よ!」
「あぁ会長、今日も素敵……!」
レイゼン?と聞きなれない名前に顔を上げた知花はド肝を抜かれた。てっきりいつもの少年姿だと思ったのに、ユーナは本体で現れたのだ。
女性にしては背が高く、堂々とした立ち振る舞いには少しも隙がない。美しい黒髪にキリリとした涼しげな眼差し。視線を向けられた女子生徒がくらりとめまいを起こしてバタバタと倒れていく。
そんな中、知花を見つけたらしい彼女はパッと手を上げた。
「やぁニっちゃん! んあ、どしたの?」
「いやその……オーラが凄すぎるというか……」
執務室に安置されている抜け殻はいつも見ていたが、実際に動くとここまでカリスマ性があるとは……。
思わず顔面に手をかざして萎縮してしまう知花の肩をバシバシ叩き、ユーナこと鈴仙院優奈はケラケラと笑った。
「どーよどーよ、この再現率! かなりイイ線行ってると思わない?」
「そうだっ、どういうことなんですかこれ! なんで私の高校が……っていうかオズワルドもメリッサたちも居るし!」