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ひねくれ師匠と偽りの恋人  作者: 紗雪ロカ
2-港町シーサイドブルー
14/171

14.少女、嘆く。

 古めかしいドアを後ろ手に閉め、ニチカはまるでこれから決戦に向かうかのような勇ましい表情をしていた。正面の男を視界に捕らえ、まっすぐに視線をそちらに向ける。


「とてもお情けを頂戴にきた女には見えないな」


 オズワルドは窓を向く椅子に腰掛けワインを傾けていた。サイドテーブルにグラスを置くと肘掛け部分に頬杖を着きこちらに身体をひねる。月明りを取り込んで不思議な色合いの青い瞳がニチカの射抜くような眼差しを余裕で受け止めた。薄く笑いを浮かべる男は挑発するかのように呼びかける。


「どうした、早くこっちに来い」


 ツカツカと歩み寄った少女はロビーで借りてきた羽根ペンをスッと取り出した。それを認めた男の眉間に皺が寄る。


「……何だそれは」

「ずっと考えてたの。これしかないわ!」


 さぞ名案が浮かんだと言わんばかりの表情を浮かべ、少女は瞳を輝かせて拳を握り締めた。


「涙が出るほどくすぐって、それを私が舐めれば解決!」

「アホか」


 ズバッと切り返されニチカは目を見開く。この返しは百パーセント予期していなかった。


「なんで!? 良い案でしょ!?」

「この単細胞のちぢれマイマイめ。そんな情けない真似を俺にしろってか? 断固拒否する勝手にくたばって死ね」

「なんでよ契約が違うじゃない!」


 涙目で掴みかかるニチカだったが、腰に手を回されビクリと反応する。引き寄せらそうになり慌てて片膝を男の足の間に突くと自然と見下ろす体勢になった。いきなりの至近距離に否が応でも心拍数が上がる。


 オズワルドはいつもかけている眼鏡を外していた。目を細めて口の端をつり上げる微笑に視線を奪われる。


「俺だって体液を提供するからには少しでも楽しくやりたいんだがな? 成り行きとは言えこんな状況なんだ、お互い楽しくやろうぜ」

「でも、その、私は」


 やっとのことでしどろもどろに視線をそらす。初恋もまだのニチカにとっては何もかもが初めてだった。踏み出してしまっていいのだろうか。


「こちらを向け」


 あごを掴まれ視線を合わせられる。恥ずかしくて自分が茹ダコのようになってしまっているのではないかと心配する。


 いや、仕方ないのだ。こうしなければすぐにでも体内の薔薇が目を覚ましてしまう。


「~~~っ」


 目をきつく瞑りプルプルと震える少女に、オズワルドは一瞬噴き出しそうになった。だがなんとか堪え、そっと唇を重ねる。


「………」


 静かな室内にかすかな水音だけが響く。ゴクンと飲み下した音を合図にお互いに離れた。


 しばらく張りつめた顔をしていたニチカはワッと顔を覆って逃げ出した。後に残されたオズワルドがそっけなくつぶやく。


「……ガキめ」


***


 部屋を飛び出したニチカはテラスまで飛び出すと壁を背にして大声で泣き出した。


「ニチカ!? どうしたの?」


 どこから現れたのか、元のオオカミ姿に戻ったウルフィが飛び降りてきて驚いたように言う。


 それでもニチカは泣き続けた。嗚咽が治まるまでたっぷり五分は泣き続けただろう。他に誰も来ないのが幸いだった。


 隣に座り込んだウルフィに背中をテシテシされ、ようやく落ち着いてくる。


「わ、わたし、今まで男の人を好きになったことすらないのに、いきなりこんな事になって」

「ニチカは、ご主人とのキスがイヤなの?」


 問いかけられて、泣き腫らした目元を拭いながら弱々しく頭を振る。ぐちゃぐちゃになってしまった頭の中を整理するように正直な気持ちを打ち明けた。


「そうじゃなくて、不安なの。こんなんじゃ元の世界に帰ったとき、本当に誰かを愛した時、この事がよぎるんじゃないかって」

「んー? よくわかんないけど、つまり……どういうこと?」

「気持ちよすぎるのよーっ!!」


 正直に言おう、上手すぎた。割り入るように入ってきた舌がこちらを絡め取り、歯列の裏をなぞるように――思い出すだけで顔から火を噴きそうになる。


「あーもうっ! あのヘンタイなんであんな上手いのよ! 私は初心者若葉マークなのよ! もう少し手加減してくれたっていいじゃない!」

「う、ううん?」

「どうしようウルフィ、私ヘンなのかな? アイツの事これっぽっちも好きじゃないのに、キスされただけで感じちゃう変態なの!?」

「お、落ち着いてよニチカ」

「そんなのイヤーッ!」


 髪を振り乱し必死に記憶を追い出そうとする。口では嫌がっていても身体は正直に反応してしまうだなんて……もしかしたら自分は淫乱なのでは? そんな心と身体の感じ方の差に感情が振り回される。


「うっ、うっ……」


 また溢れてきた涙をすくい取るように、ウルフィが優しく目じりに唇を押し当てた。ノロノロとそちらを見るとオオカミは尻尾を千切れんばかりに振っていた。


「じゃーさ、こう考えればいいんだよ。キスは僕らの挨拶代わりなんだって」

「あい、さつ?」

「そう、嬉しく思った時とかありがとうって思った時にちゅーするの。パパが娘にするのと同じって考えればいいんだよ」


 パパと言う単語にブッと吹き出す。


「ふ、フフッ、あ、あんなお父さんイヤだよ」

「へへ~」


 ひとしきり笑うと、どこか気持ちがスッキリしたような気がした。膝を抱えて夜空を見上げればいくつもの星が瞬いている。


「そっか、そうよね。気の持ちよう……なのかな」

「そーだよー、だから僕もニチカにちゅー」

「アハハ」


 ほっぺにじゃれ付くようなキスをされ、くすぐったさで笑いがこみ上げる。今はこのオオカミの純粋さがありがたかった。


「ありがとうウルフィ。そうだよね、こんな事態になったのは私の責任でもあるんだから、つまんないことで泣いてちゃダメだよね。オズワルドだって契約でしてくれてるだけなんだし、怒るのは的外れか」

「そーそー、ニチカは笑ってる方がかわいーよ」


 にっこり笑ったウルフィは本当に癒しだ。彼が居なければあの森の中で野垂れ死にしていたかもしれない。感謝してもしきれなかった。


「さぁさ、そろそろ寝ないと明日起きれないよ」

「そうね」


 立ち上がった少女は、くるりと彼に向き直ると膝立ちになりギュッと抱きしめた。少しでもこの気持ちが伝わればいいと思いながら。


「本当にありがとう。おやすみ」

「えへへ、どういたしましてぇ」

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