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ひねくれ師匠と偽りの恋人  作者: 紗雪ロカ
11-リビングデッド・ハート
122/171

122.少女、確かめる。

 こちらの襟を掴む手が、微かに震えている。

 それに気づいたニチカは恐怖心を堪えまっすぐに見つめ返す。見下ろしてくる瞳はやはり怒りに染まっているのだが、猛り狂う炎の陰に怯え傷ついたような色が見え隠れしている。


(知られた! 見られた! バレた!)


 胸元の青い指輪がかすかに光り、真っ赤に熱した鉄の塊のような気持ちが心になだれ込んでくる。


(もうダメだ、知られてしまった、きっとコイツも俺を見放す。離れていってしまう、いやだ、いかないでくれ、憐れんだ目で俺を見るな、耐えられない、軽蔑されるくらいならいっそここで――)


 あの湖面で泣き続ける少年と目の前の青年が重なり、言葉では言い表せない熱い気持ちがこみ上げた。


「っ!」


 気づけば両手を伸ばしてその首にしがみついていた。予想外の動きに男はうろたえ手を離し引き下がる。逃すまいと追うと、男の背が書架にぶつかり数冊の本がバサバサと落ちてきた。

 その音が止んだ後、今度こそとばかりに少女は彼を力の限り抱きしめた。息も絶え絶えに感情を吐き出す。


「お、くれて、ごめんね」

「な、にを」

「あの時、抱きしめてあげられなくてごめんね……っ!」


 今、ここにいる。確かに触れる。

 当たり前に感じていたそれがどれだけ奇跡的な事だったのか、少女は身に染みて感じていた。


「あなたに会えて、私しあわせだからっ だから」


 あぁ感謝します。感謝します。この人をここまで生かしてくれた全ての要因に。

 美しい慰めの言葉なんかニチカは持っていなかった。それでもこの気持ちをなんとか言い表そうとただ胸にこみ上げる感情を口にする。



「生きててくれて、ありがとう」



 この世に存在し続けてくれてありがとう。


 わあわあと泣きじゃくるニチカに抱きつかれたまま、男は目を伏せた。

 先ほどまでの荒ぶっていた気持ちは、目の前で鼻水垂らしながら感情をだだ漏らす少女に流されてしまった。


 どうしてリッカではなく、こんな自分が生き残ってしまったんだと自問自答を繰り返していた。

 死ぬ勇気も起きず、なぜまだ生きているのかと過去の自分が何度も責め続けていた。

 悪夢はこれからもずっと見続けるのだと思っていたのに


 生きていて、諦めないでくれてありがとうと、その一言が心に刺さり続けていた氷の棘をあっけなく溶かす。


 ずっとその一言が欲しかったのだ。

 母にすら否定された生は、間違いでは無かったと。


 さまよっていた手が少女の背中にまわされる。


「死にぞこなっただけだ……」




「幻滅したか?」


 ひとしきり泣いたニチカを横に座らせ、オズワルドはそう聞いた。

 ニチカはその言葉に膝を抱えたまま頭を振る。いつものように茶化しもせず、素直に謝った。


「勝手にのぞき見してごめんなさい」


 人の心に土足で上がり込むようなことをしたと、今さらながらにひどい罪悪感に駆られる。しかし師匠は憑き物が落ちたように穏やかだった。


「……あの魔法陣はな」


 少し離れたところに落ちた本を見やりながら彼は口を開く。その顔はどこか遠いところを見つめているようだった。


「天華の――この地を出るまでの俺の記憶と繋がっている。捨てたい記憶を本に封じ込めて、二度と誰の目にも触れないよう破いたんだ」

「記憶を消したってこと?」


 そう尋ねると男はゆるゆると頭を振った。


「記憶はだいぶ薄らいだが痛みは残り続けた。シャルに連れられてエルミナージュに入学した後も色々とやらかしたんだ。禁忌と言われてる人体蘇生でリッカを生き返らせようとしたり……結果的に失敗して、それが原因で退学させられたけどな」

「そうだったんだ……」


 しかし……と、しおらしく膝を抱えているニチカを横目に見ながらオズワルドは考える。

 こんな無茶苦茶な形とはいえ、一度破いた魔法陣を修復されてしまうとは思わなかった。平面構造である陣に、立体という概念を持ち込んだ奴が果たして今まで居ただろうか?

 それをヒントに何かを思いつきそうで、ぼんやりと弟子の作った即席の架け橋をもてあそぶ。その隣でニチカはしきりに胸元の指輪をいじっていた。


「さっきすごい光ったけど、今そんなことないなぁ」


 いまいち危機感を感じていない様子にため息をつく。ようやく追いついた書庫で冷たくなりかけている少女を見つけたこちらはヒヤリとしたというのに。


「お前な、どこまで深く精神世界にダイブするつもりだ。俺が呼び戻さなけりゃ永遠に肉体からオサラバしてたぞ」

「えっ、死にかけたの!?」

「感情移入しすぎなんだよ、バカ」


 そう言って額をこづくと、ニチカは慌てて両手を振り回してバランスを取る。

 それが何だか愛しく思えて、心のそこにポカリと火が灯されたような、そんな気がした。

 自分の口元が無意識の内に弧を描いてしまっていることに気づいたオズワルドは、小さく咳払いをしてニチカの胸元を指さした。


「その指輪、カットして性能を上げたと言っただろ、やろうとすれば俺とお前はかなり深い意識レベルでリンクできるんだ」


 講義の体勢でこちらに向き直り聞いていた少女の顔が徐々に赤くなっていく。俯いたその口から蚊の鳴く様な声が漏れた。


「……それって、私の気持ちまでわかっちゃうって、こと?」

「? どういう意味――」


 そちらを向いたオズワルドは心臓の鼓動を一つ跳ばした。真っ赤な顔でこちらを見上げているニチカが、何かを切り出そうとしている。

 胸元をぎゅっと握り締め、片方の手でこちらの袖をつかんでいる。持ってきたカンテラの光がジジジ……と、揺れた。


「た、確かめたいことがあるの」

「……何を」

「キスしても、いい?」

「…………」


 男は不意を突かれ軽く目を見開いたまま静止する。その様子を否定と受け取ったのか、少女は慌てて弁明を始めた。


「あぁうん、気持ちは分かるよ。自分から拒否しておいて今更なに言ってんだって感じだよね」


 そこで遅れて恥ずかしさがやってきたのか、微妙に視線を落として声のトーンが下がる。


「ダメ……かな」

「いや、構わないが」


 えっ、と顔を上げるニチカの背後にぱぁっと花が咲いたような気がする。かわ――何でもない。


「いいの? ほんとにいいの?」

「確かめたいことがあるんだろ?」

「ありがとう!」


 目を輝かせた少女がご褒美を待つ犬のようにこちらをキラキラと見上げて来る。

 お互いに動かないままほんの少し時が流れた。事態に気づいたニチカが呆けた声を出す。


「……え?」


 そこでニヤリと笑った男は両の手を軽くあげ、無抵抗の意思を見せた。


「キスしたいんだろ? ほらしろよ、俺は動かないから」

「!!!」


 言葉の揚げ足を取られ愕然とする。してもいい?とは聞いたが、まさか自分からするはめになるとは。

 言っておくが、これまでは全て受け入れるばかりだった。どうすればいいのか。


「う……あの」

「どうした? ここまで言っておきながら怖じ気付いたか?」

「~~~ッ!!」


 眼を泳がせてあーだの、うーだのどもり始める少女に男はほくそ笑む。

 折れてやるつもりは無かった。あの朽ちた教会跡からずっと拒否されてこちらとしてもいい加減腹に据えかねていたのだ。優位に立ったオズワルドはどこか楽し気に言う。


「与えてもらうばかりじゃ不公平だろう。たまには返してみろ」


 さぁどうぞご自由に。これはささやかな復讐だ。



 ようやく覚悟を決めたのか、少女は少し考えてわざわざ正面に移動してきた。足の間にすっぽりはまるように正座をする。ためらいながら膝立ちになると、こちらより目線が高くなる。頬に添えられた手が少しだけ冷たい。

 間近にある顔をじっと見つめていると、少しだけ不満そうな顔をしたニチカはその態度に注文をつける。


「目、閉じてよ」

「閉じるさ」

「……もう」


 すっと降りてきた唇が重なる。宣言通り男は動かず少女の好きにさせる。

 初々しさの残る幼い口づけ。触れるだけの、せいぜいが軽く食む程度のやわい刺激が伝わって来る。

 うっすらと目を開けるとすぐ間近に目を瞑るニチカの顔があった。その表情は余裕のない物でまた愛しさが募る。


(いつから……だろうな)


 他人のぬくもりなど拒否していた自分の後ろに勝手に着いてきて、いつの間にか横を歩いていた。

 明るくはない過去を知り、それでも受け入れてくれた時だろうか

 それとも、共に行こうと朝日の中にひきずりだされたあの時だろうか

 いや、もしかしたら、もっとずっと前から……


「っは、ぁ」


 口を離したニチカがぼーっとしたように自分の唇に触れる。引き寄せたくなる衝動を何とか堪え静かに問いかけた。


「何か分かったか?」

「ふしぎなの」

「?」

「どうして、こんなに幸せな気持ちになれるんだろう」


 この場面でそれは最高の殺し文句だった。

 もう遠慮してなるものかと腰を引き寄せようとして――


 ガタっ


 突然響いた音に二人して固まった。

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