113.少女、受けとる。
「前にシーサイドブルーで乗った個体じゃないか?」
師匠の言う通り、あのうっとりするほど優雅な飛び方はマリアだ。
彼女はそのままサリューン近辺の陸地に着陸したかと思うと体勢を低くする。しばらくすると甲板からたくさんの人が降りてきた。
乗客が皆、湖を渡る連絡船へと乗り換える中、キラッと光った何かが猛スピードでこちらに向かってくる。翼のある……四つ足の獣だろうか?
「おーい、こっちこっち」
ランバールが片手を上げて合図すると、その大きな生き物は翼を羽ばたかせ目の前に降り立った。
雪のように白い身体に黒色のブチ。しなやかで長い尻尾をくねらせ、なめらかな毛並みが朝日を反射し光り輝いている。ネコ科のようだがライオンともトラとも違うようだ。
その背中から小柄な人物が降り立つ、勝ち気そうな顔はこれまた見覚えのある物だった。
「ミーム!」
「ニチカ! 久しぶり、元気だったか?」
相変わらず短い髪を跳ねさせた少女は嬉しそうに手を取る。
思わぬ人物との再会にニチカは笑顔で手を握り返した。
「元気元気! こんなところで会えると思わなかった!」
「アタシもさ」
そこの緑の兄サンに呼ばれたんだ、とホウェールの操舵手は朗らかに笑う。
どうやらここ数日で動いていたのはオズワルドだけでは無かったようだ。
「あのぉ……それで、その子は?」
さきほどから彼女の傍でジッと立っているネコ科の生き物を見ながらニチカはおそるおそる問いかける。
その美しい生き物は、水に濡れるのが嫌なのか時折足をプルプルッと振っている。翼が有るのでこれも旅客機なのだろうと予想は着くが、どうにも他の種には感じない気品というか、気高さを感じさせた。
「コイツはホウェール航空組合の中でも特に上客にしか貸してない最高ランクの旅客機でさ、タイプはレパード。ユキヒョウだよ」
ほら挨拶、と首筋を優しく叩かれユキヒョウが優雅に上半身を低くし、お辞儀のような物をする。その背中には二人乗り用の鞍が取り付けられていた。
翼の付け根を掻いてやりながらミームは説明を続ける。
「この子、一日半くらいだったら一度も降りずに飛び続けられるんだ。スピードも速いしあっという間に向こう岸まで運んでくれるはずだよ」
オマケに賢いので操作もまったく必要ないという。すでにルートは言い含めてあるそうだ。ただ時たま乗りながらで良いから水分補給だけさせてやってくれと彼女は言う。
「ほんとに良いの? こんなすごい子を貸してもらって」
そう聞くと、ミームは豪快に笑ってニチカの肩を叩いた。
「何いってんだ。言っただろ? アンタたちならいつでもタダで乗せてやるってさ」
そして、少しだけ真剣な顔をしたかと思うとこう続けた。
「マナのバランスが崩れたせいでマモノが暴れてる。輸送業としてはありがたいけど人が満足に道を歩けないっていうのはやっぱりなんか違うんだ。頼んだよ精霊の巫女さん」
***
ユキヒョウに乗って出発した師弟を見送り、残された者たちは振っていた手を降ろした。
その顔に浮かぶ不安な色を各人隠しきれはしていなかったが、それでも無理にランバールはおどけて明るく振舞った。
「あ~あ、行っちゃった。やっぱりオレも今からホウキに乗って追いかけよっかなー」
「やめておいた方が無難よ。あっちから許可が出たのはオズちゃんと他に一名だけなんだから。ランランが死にたいっていうんなら話は別だけどね」
「おー、こわ」
その目にギラリとした光が宿るのを見て、シャルロッテは先回りで釘を刺すことにした。
「肉体を捨ててまで追いかけるっていうんなら、私が止めるわよ? 半精霊さん」
「てへ、バレました?」
ふざけているのか本気なのか悟らせないのは相変わらずのようだ。
話の流れにイマイチ乗れないと判断したのか、ミームは肩にかけていた荷物を背負い直すと手をピッと額に当てた。
「じゃ、自分はこれで」
「おっ、届けてくれてあんがと~」
ランバールは徒歩でホウェールの元へと帰っていく操舵手を見送る。
完全に二人きりになったのを確認し、シャルロッテはその背中にからかう様な響きを投げかけた。
「で、ニチカちゃんに告白はできたの?」
半精霊は振っていた手をゆっくりと止め、そのまま髪を無造作にかき乱す。しばらくして彼は静かに口を開いた。
「……知ってたんスか」
「これでも女やって長いからね。見てれば分かるわよ」
なら結果も分かってんでしょ、と小さく返ってくる。シャルロッテはあえて無言のまま続きを促した。
「あーハイハイ、フラれましたよ! しかも無意識下レベルで拒否されましたー!」
ヤケになったランバールが背中からバッタリ倒れこむ。水しぶきが跳ね波紋が広がった。
「なんだよーもー、あのタイミングで行けば絶対オレの事好きになってくれると思ったのに~!!」
まるでダダっこのように両手足をバタつかせる様子にシャルロッテはケラケラ笑ってやる。そうしてやることがこの青年への一番の慰めになると分かっていたから。
ガバリと上体を起こしたランバールは納得がいかないとでも言いたげに振り返って拳を握りしめた。
「っごい良いシチュエーションだったんスよ! 高台で誰も居なかったし、良い雰囲気にするために時間調整とか頑張ったし!」
「あなた、案外ロマンチストよねぇ」
そのロマンチストは想いを告げた時のことを思い出した。あの誰も居ない塔の上で彼女を抱きしめた時の事を。
***
――好きだよ、ニチカちゃん
小さくて華奢な身体を引き寄せる。背中に手を回し抱きしめようとした――その時だった、それまで流されかけていた少女の瞳に初めて動揺が走ったのだ。「違う」と。
言葉にこそしなかったが、強ばった身体と、何よりもその瞳が雄弁だった。
(あ、ダメだ、これ)
直感的に悟ったランバールの胸にチクリと棘が刺さる。
強引に押し切ることも出来たが、結局パッと彼女を離し、その場の雰囲気を和ませるようにおどけてしまった。
――……な~んて、こんな状況で言うことじゃないよねぇ、あははっ
――あ……ごめん、ランくん、ごめんなさ……っ
それでも修正は効かず、傷つけてしまった事に気づいた少女が謝りだす。
それが地味に追撃だった。とは言わなかったが。
***
「あんな顔されちゃオレだって傷つくってのー! オレはニチカちゃんを泣かせたかったわけじゃないんだよぉぉ」
相手を想うからこそ身を引いた。つまり、それほどまでに本気になってしまった。
青年はキッと視線を上げると、今はもう小さな点になってしまった想い人を見やる。決意に満ちた表情で自分に言い聞かせた。
「あきらめない、今回はタイミング悪かっただけであって、もっと時間かければあんなデリカシー無し男、余裕で勝てるし」
「まぁ、ガンバッテー」
「ロッテ先輩、棒読みやめてー!」
そんなことより、と身も蓋もない切り返しでシャルロッテは言う。
「二人が無事に帰って来られるかの方が重要じゃない?」
「……そっスね」
気持ちを恋愛モードから切り替えたランバールは、湖面を駆けていく緑のマナ達に命じた。
――流れよ大気 追い風を、さらなる追い風を
***
(あ……)
風の流れが変わり、背中を押されるような感覚にニチカは思わず振り返る。
サリューンは遥か遠く小さくなっていたが、確かにその想いは感じることが出来た。
「ラン君が、後押ししてくれてる」
ぽつりと呟いた言葉にも、前に座るオズワルドは無反応だった。心なしかその横顔は固く青ざめている。
「オズワルド?」
「……」
「ねぇ」
このやりとりも何度目だろうか、反応を諦めた少女は改めて小型旅客機『レパード』を見下ろした。
滑らかに水面スレスレを翔けるユキヒョウは出発してから全くスピードが落ちていない。翼を動かすのは最低限で、飛ぶというよりは滑空していると言った方が近いのだろうか。振動はほとんどなく最上級クラスだと言うのも頷けた。
しばらく水面を見つめていると、サリューンの輝くように澄んだ水が少しずつ重たい色に変わっていく。大陸の切れ目、湖と海との境目が目前に迫っていた。
「ニチカ」
「ん?」
久しぶりに聞いた師匠の声はわずかに掠れていて、散々ためらった言葉をやっとの事で押し出したような声だった。
「持ってろ」
シャラッ
「わっ、わっ、っとぁー!!」
いきなり放り投げられた何かを海に落とす直前でパシッと捕まえる。
ネックレス、だろうか? 繊細な銀のチェーンをたぐり寄せると、ペンダントトップの代わりに青い美しい石のはまった指輪が付いていた。
ギョッとした少女は間髪入れずに目の前の背中に尋ねる。
「今度は何の装置!?」
ガクッと肩を落とした師匠は、持ち直すのにしばらく時間がかかった。
予想外の反応に驚きながら、ニチカは怪訝そうに後ろから声をかける。
「あの?」
「……そうだな、装置だな。まったくこれっぽっちも意味を持たない単なる魔女道具だ」
「う、うん?」
「今まで通信に使った青い髪留めを覚えているか?」
やや投げやりな問いかけに、ニチカは頷きながら過去を思い出し指折り数えた。
「ホウェールのマリアのところで初めて魔法を使った時と、風の里でのレース中に付けたあの綺麗なやつでしょ?」
「あぁ。あの石をカットして内部反射率を高めてみた。入射と出射の角度を一定にすることでブレを抑えて――」
「ちょちょちょ、待った。つまり……えーとこれは」
目眩を覚える前に難しい説明を遮る。
そんな少女を肩越しに見ていたオズワルドはフッと笑った。
少しだけ眉尻を下げた、包み込まれるような暖かい笑顔だった。
「お守りだ。持っとけ」
「わ、わかった」
また新たな顔を見たことで少女の心拍数は跳ね上がる。
シャラリと首にかけ指輪を見つめる。ラウンド型だった石はカットされ小さくなっていたが、輝きは凝縮されているようで以前よりも輝いて見えた。
単純に美しい装飾品に見惚れていると、ほとんど聞き取れないくらいの声が届いた。
「緑じゃなくて悪かったな」
「なんで? 私、この青好きだよ? 吸い込まれそうでまるで――」
そこでハッと気づき言いよどんでしまった。
不自然にならないギリギリのタイミングでニチカは次の言葉を押し出す。
「そ、空みたいな色で」
あなたの瞳みたい。とは言えず、言葉をすり替える。
石と同じ色の眼差しを向けたオズワルドは、手を伸ばすとニチカの髪をくしゃりと撫でた。
「離れるなよ」
「っ……」
「死にたくなければな」
これから向かう極寒の北国『ホワイトローズ』
最後の精霊が居るところがこの男の故郷だというのは、何かの偶然なのだろうか。
ニチカは言い知れぬ不安を抱えたまま、胸元の指輪をギュッと握り締めた。