109.少女、憤怒する。
これまで五つの魔水晶を破壊して残る大罪は二つ。すなわち【傲慢】と――
「【暴食】だと思うんだよねぇ」
未だモリモリとおさかなを処理し続けるウルフィを遠巻きに一行は頭を悩ませていた。
ニチカが頭を抱えながら心当たりを探る。この街に来てからこのオオカミが口にした物に心当たりがないわけでは無かった。
「どういうこと? なんで市長の屋敷で出されたオヤツの中に魔水晶が練り込まれてるわけ? あのカップケーキだよね」
「アハ、つまり一歩間違えればオレかニチカちゃんがあぁなってた可能性が」
「ラン君、怖い事いうのやめて!」
ブクブクに肥大し一歩も動けなくなった自分を想像してニチカは青ざめた。
ウルフィには悪いが彼で良かったとも思う。だってオオカミなら多少コロンとしたところで愛嬌が……ブサカワで……ごめん、やっぱり無いわ。
少女がそんなことを考えている横で、オズワルドが合点が行ったかのように言った。
「なるほど、つまりウルフィは残飯処理機にされたわけか」
「いやまぁ、そうなんだけど、その呼び方ひどくない?」
「残飯処理? サリューンって魚が獲れすぎて困ってたんスか?」
そうじゃない、と師匠は続ける。そこにはオオカミが心配というより感心の色の方が濃かった。
「サリューンでは近頃魚がバタバタ死んでいるらしくてな、観光の街だから水路にそういった類の物が浮いてたらイメージ悪いだろう? でも原因不明で死んでる魚は食べたくない、だけどそこらに放るのも怖い。そういったわけで残飯処理係が一匹必要だったんだ」
「んなっ!? そんな怪しいもの食べさせられてるの!? ウルフィ―! ペッ、ペーッしなさい!」
焦るニチカだったが、心配ないとオズワルドが止める。
「平気だ、あの魚たちは別に病気や毒で死んだわけじゃないから」
「じゃあ、何が原因だっていうんスか?」
するとオズワルドは、周りに流れている水を舐めてみろと言い出した。
不思議に思いながらも二人は指先に水をつけて舐めてみた。イメージしていた味とのギャップに眉を寄せる。
「ちょっとしょっぱい……気がする」
「え、これもしかして海水だったり?」
ランバールの言葉にあぁ、と頷いたオズワルドは頭上を指した。
「サリューンの湖は一部が北の海と繋がっている。今までは水の湧き出す量が多かったから淡水で居られたが、何らかの理由があって湧き水の勢いが弱まったんだろうな。結果、海からの勢いに負け湖の塩分濃度が上がった。あの魚たちは浸透圧の関係で干からびたんだ」
浸透圧と言われてもピンと来ないが、確かに海に金魚を投げ入れたら死ぬ。原理はよくわからないがそれぐらいならニチカも何となく理解できる。
湧き水の勢いが弱まったということは……精霊の巫女はそうなってしまった原因を推察した。
「それって、水の精霊さまが関係してたりする?」
「だと思うんだが」
珍しくシリアスな顔をしたランバールも、その説を推すようにこう続けた。
「シルミアも、最近ますますチカラが弱まってるみたいっス。おそらくは水の精霊ルゥリア様も……」
とりあえずここに居てもウルフィにしてやれることは無さそうなので後回しにする。幸い(?)魚は次から次へと投入されているので飢え死ぬことはないだろう。
ニチカはムシャムシャと食べ続けるオオカミを見上げて大人しくしているように言う。
「辺りを探索してくるから、何かあったらすぐ呼ぶのよ」
「おいしいおいしいおいしいなぁぁ、僕ずっとこのままでも良いかも」
「……」
自体の深刻さを理解しているのだろうか、このオオカミは。
バキューム犬をその場に残し、さらに上流へ歩みを進める。
辺りはもう、輝く青い蝶たちが舞い上がりすごいことになっていた。普段から魔力を扱う二人もその様子は見えるようで驚いたように目を見開く。
「すごい数だな、目が眩む」
「水のマナって優雅に動くんスね~、風は奔放だから」
ランバールの足元を小動物に似たマナが駆けていく。ふと気になった少女はその見え方についてたずねてみた。
「私はマナが蝶の形に見えるけど、ラン君はどういう風に見えてるの?」
「オレ? ネズミだよ。尻尾の長い」
背中を駆け上って肩に登った青い光は、確かにネズミのようにも見えた。そのまま腕を伝い指先まで来る。差し出されたそれを触ろうとするとパッと散り、蝶に形を変えてこちらの指先に宿った。
「不思議だよね、どうして人によって見え方が違うんだろう」
「それは多分――なんだ?」
オズワルドが解説しようとしたその時、遠くの方で人がうめく声が響いた。
サッと緊張が走り一行は顔を見合わせる。一つ頷くと静かにそちらに向かった。
***
たどり着いた先に待ち構えていたのは、異様な光景だった。
「ああぁぁああぁぁ、水の精霊さまああ!! どうぞ、どうぞそのお姿を私の前にお現しくださいぃぃぃ」
見るからに上等な服を身に着けた、五十代と思われる太めの男性が水の中に跪き、岩でできた祠に向かってひたすら懇願している。身なりからしてそれなりに地位のありそうな外見だというのに、恥も外聞もなくひたすら土下座していた。すすり泣きながら彼は嘆く。
「もう、もう私では対処できそうにないのです……なぜ出てきて下さらないのですか……それでもサリューン付きの精霊なのですか……」
あまりの鬼気迫る声音に声をかけるのもためらわれる。
しばらく様子を窺おうとしたが、次に彼はとんでもない行動に出始めた。
「わかりました、私の覚悟を見たいのですね。ならばお姿を見せるまでこの流れに顔をつけたままでいますからね。本気ですよ!? 冗談じゃないですからね!?」
そういって息を吸い込み、ざぱぁと流れに顔を着ける。しばらくは沈黙していたが次第に手をバタつかせてきた。それでも顔を上げようとはしない。
「ちょっと何やってるんですかー!!」
飛び出したニチカは、慌ててその顔を上げさせる。
半分意識が飛んでいるらしい男は口から鼻から、色んな液体を流しながらピクピク痙攣していた。言っては悪いが非常に見苦しい。
人命救助に必死になる少女とは裏腹に、倫理に乏しい男二人は平然と会話をしながらのんびりやってきた。
「こんなところで自殺か? 水死体は汚ないことになるからやめといた方がいいぞ」
「そうそう、水中で膨張してこう、ぶーっと膨れてね」
「ふざけてないでこの人起こすの手伝ってよ!!」
失神して重たい身体をなんとか砂浜の上に移動させる。
ブハッと息を吹き返した男は、こちらを心配そうに覗き込んでくる少女を見ると一瞬顔を輝かせた。が、すぐに落胆したようにため息をつく。
「違う……ルゥリア様はこんなへちゃむくれじゃない……」
「恩人に対して第一声がそれかーっ!」
「ニチカちゃん、どうどう」
襟首をつかんで水の中に叩き返そうとするが、苦笑したランバールに止められる。そのまま彼は失礼な男に向かって問いかけた。
「あんた、サリューンの市長っスよね?」
今日会う予定だった。と続ける横で、ニチカが再び掴みかかる。
「どうしてくれるのよっ、あなたのせいでウルフィが怪物みたいになっちゃったじゃない!!」
「うぐぐぐぐっ、やめてくれ! 何をするっ」
少女の手をふりほどいた男は襟元を正しながら感じ悪く毒づいた。
「フン、最良の策だろう。あのような駄犬がこの街の窮地を救えるのだ、名誉なことではないか」
「何いってんのよ、すぐにどうにかしてっ」
「ひぃっ! 何なんだね君は! やめないか、私は偉いんだぞ!」
その態度にムカムカしてくる。鼻息の荒い少女を後ろに下げて、オズワルドは到って冷静に問いかけた。
「湧き水の勢いが弱まった苦情を、水の精霊に直談判しに来たんだな?」
「そうだ、だがルゥリア様は沈黙を保ったまま出てきて下さらない……なぜだ、なぜなんだ」
黒い岩で出来た祠は、入り口がぴったりと閉じられたままだ。
『……』
確かにその中に何かが居る気配はするのだが、その誰かは動こうとはしなかった。
何はともあれ挨拶から。それが信条のニチカはおそるおそる外から声をかけてみる。
「あのー、水の精霊さま? 初めまして、お話したいことがあるんです。ちょっとだけでも良いんで姿を見せて下さいませんか?」
『……』
試しに声をかけてみるが、やはり沈黙を保ったままだ。ふぅっと息をついたニチカは眉を寄せて仲間たちに振り返った。
「ダメみたい。相当機嫌が悪いのかな……」
「何だ、意味ありげに語りかけておいて。大したことないじゃないか」
あなたのその態度にきっと水の精霊さまも嫌になってるのよ。
そう心の中でニチカは毒づく。この市長への印象は最悪だ。
「誰かこの中に水属性は居るか?」
途方に暮れていた市長は、突然そんなことを言いだす。なんでもあの祠を外側から開けるには、水の属性を持つ人物が魔力を流し込むしかないらしい。
「ならあなたがやればいい話じゃない。サリューンの市長さんなんでしょ」
ニチカが冷たくそういうと、彼は途端にぶす暮れた表情になり黙り込んでしまった。どうやら彼では力量不足らしい。
だが認めたくないのか、急に怒り出した市長は拳を振り上げながらわめいた。
「いいからさっさとやれ! そうすれば私への態度は不問にしてやるっ」
「呆れた。それが人に物を頼む態度?」
とはいえ、このままこうしていても事態は進展しない。
顔を見合わせた三人は話し合いを始めた。どうにも分からない表情でニチカが口火を切る。
「っていうか、属性ってなに? 好かれるマナの色のこと?」
「そうだよ。当然オレは風。ニチカちゃんは?」
「え」
当たり前のように尋ねられても困る。そんなもの意識したこともなかった。
戸惑っていると、隣にいた師匠が手の甲でこちらの頭をコンと叩きながら答えてくれた。
「コイツは火だ。今回の場合は反属性だな」
「火、だったの? 私」
知らなかった、なぜオズワルドは知っているのだろう。
またもこの世界の常識に取り残されていると、ランバールが己の目を指で指しながら見分け方を教えてくれた。
「その人の先天性属性っていうのは、初めて魔力に触れた時、瞳の色に現れるものなんだけど……え、まさか、センパイが?」
戸惑ったようにそちらを振り返るランバールに、オズワルドはなぜか得意そうにふふんと笑う。その様子に風の半精霊はガクッと肩を落とした。
「そっかーニチカちゃんの『初めて』はセンパイかー……」
「ちょ、ちょっと何、その言い方!?」
妙な含みを感じてなぜか顔が熱くなる。きっとあれだ。オズワルドの家を出て歩いた道中、両手を握られ電流のような感覚が全身を走った時のことだろう。
遠い目をしながらランバールは追い打ちをかける。
「ニチカちゃんの魂はすでにセンパイの色に染められてたのか……」
「その言い方やめてってば!」
それがこの世界でどんな意味を持つのかは知らないが、話が脱線している。
あなたはどうなの、と尋ねる前にオズワルドはため息をついて袖を捲り始めた。
「俺がやる。お前たちより少しはマシだろう」