106.少女、生える。
この街の賭場に、ある一人の男が居た。物心ついた時からカードを触り、十になる頃には大抵の大人にも負け知らずとなった彼は、己の腕前に絶対の自信を持っていた。
自信を胸にみなぎらせた彼は今日も卓の一席に座り、心の内を出さぬよう呼吸を落ち着かせる。この賭場で鍛えた年月は伊達ではない。
そして、手元に配られたカードをチラリとみる。
予定通り前もって『親』に伝えてある通りのカードだ。
どう転んでも役なしにはなり得ない、それでいて不自然ではない程度に強い手札。
それを確認し、すっと流れるように開幕を告げる。
「ベット」
男はこの店に雇われたいわゆるサクラだった。一般客のふりをしつつ、場を盛り上げて最終的には店にほんの少しだけプラスになるよう事が運ばせるのが仕事。
端的に言えばイカサマだが、男は罪悪感など微塵も感じていなかった。
どうせこんな観光地にある、お気軽でお手軽なカジノなのだ。どんなものかなと興味本位でやってきた客にハラハラドキドキしてもらうだけの。
要はエンターテイナーと一緒だ。劇を見たら代金を支払う、自分がやっていることはそれとなんら変わりはない。
そこで今夜のカモ――もといお客様を再度見渡す。
「こ、コール」
右隣に座っていたメガネで黒髪の男が肩を縮こまらせながら小さく言う。
コイツは気にしなくていい、先ほどからの連戦で大勝負に出れないビビりなのが分かっている。その証拠に手元に残っているチップは賭けられるギリギリの枚数だ。適度に乗せてやれば勝手に降りるだろう。
「コール」
その向こうから妖艶な声が響く。
視線を向けると豪奢な金の巻き髪を揺らした女と目が合った。優雅に微笑んだ彼女の大胆に開けた黒いドレスの胸元が目に入り慌てて視界を逸らす。
こいつだ、コイツがやばい。
先ほどから一進一退繰り返しながらも着実に枚数を増やしている。無邪気にコロコロ笑いながらも腹の内を読ませない今夜一番の強敵だ。
(素人装っちゃいるが、かなり場慣れしてやがる。だが十分に楽しんだろう。こっちも仕事なんでね、そろそろ取り戻させて貰おうか)
イカサマ師はグルのディーラーに目配せをしてサインを送る。ここで勝負に出るぞ!
「三枚くれ」
手元に残したのはハートの5にクラブの5。
新しく来たのは7が三枚。強引にフルハウスが揃う。
同様に黒髪の男とその向こうの女もカードをドローする。
男は五枚すべて。女は……ゼロ?
(なにっ)
その表情は穏やかな笑みを浮かべていてまるで読めない。
初手で役が揃った? それもかなり自信のある手が?
(いいや焦るな。こちらはフルハウス、負ける可能性があるとしたらフォーカード以上だが、親がそんなヘマをするはずがない。勝てる!)
そう踏み切ったイカサマ師はすでに積まれているチップを上乗せした。
「レイズ」
「降ります」
「さらにレイズ」
「なっ……!?」
気弱に降りた黒髪の男とは裏腹に、金髪の女は銀縁のチップ二枚と金をさらに一枚上乗せして妖艶に微笑む。ドキリと鼓動が跳ねてさらに思考が鈍った。
(ハッタリだ! こちらが降りるのを待っているだけだ、一枚も交換しないなんて役なしに決まってる!)
ならばこちらも乗ってやろうじゃないかとさらに上乗せ。
この辺りで周りの客達がザワつき視線をこちらに向けてくるのを感じた。
(チッ、何なら隙を見て上の手にすり替えようと思ったが、こんなに見られてたんじゃ……)
よほど7をもう一枚よこせと指示したくなったが、周囲の目がありすぎる。ここは最初の予定どおりフルハウスで勝負に出るしかない。大丈夫だ、いけると心を落ち着かせながらさらにチップを掴む。
「レイズ」
「まどろっこしいわね、いいわ全部乗せるから」
「!?」
そういって女は手元のチップをすべて前に押し出す。大胆を通り越して馬鹿の賭け方である。焦ったディーラーが舌をもつれさせながら確認する。
「お、お客さん。いいんですか?」
「良いの。この勝負、勝つつもりだから」
そうだ、ここで勝ったのなら馬鹿ではない。
鮮やかに弧を描く赤い唇に背筋をぞくぞくとしたものが走る。
彼女は言っているのだ。チップと共に勝負師としてのプライドを賭けろと。
(わかったよ、ここで退いたら男じゃねぇ!)
「コール」
自然と口をついて出た言葉にディーラーがぎょっと目を見開く。
だがそんなものすでに視界には入っていなかった。
女の緑の眼差しとかち合う。
結果はどうなれど、今この瞬間が最高に楽しかった。
誰もが固唾をのんで見守る中、二人がヒュッと息を吸う。
緊張で出来た薄氷を、叩き割った。
「「勝負!」」
***
「やった、やった、お~もうけ~」
黒いドレスでぴょんこぴょんこと跳ねながらシャルロッテが地下カジノから通路に踊り出す。その後を影のようについてきたオズワルドは呆れたようなため息をついた。
「どっちがイカサマ師なんだか……」
「しーっ! それはナイショなんだからっ」
先ほどの勝負、大きく出たシャルロッテは相手のフルハウスに対して見事なストレートフラッシュで勝利を収めていた。
そんな良い手が満を持して都合よく揃ったのは、シャルロッテが恐ろしく強運――だからではなく、隣に居たこの男の功績によるところが大きい。
「ほーんと、オズちゃんが隣に居てくれれば負けなしね」
「隣で派手なパフォーマンスをしてくれるから、こっちも小細工がやりやすいんだ。分け前は半分な」
「んもう、ちゃっかりしてるんだから」
シャルロッテが人目を引いている隙に、自分のカードと取り替えて役がそろうようにしてやる。それでも足りなければ懐に忍ばせた自前のカードとすり替える。
つまりオズワルドが強いのはギャンブルでも運でもなくイカサマの手口だった。あちらがやるのだからこちらがやったとしても文句は言えまい。
夜風の吹き抜ける街中を抜けながら、ご機嫌なシャルロッテは昔を懐かしむ。
「学生の頃はよくやったけど、案外サインとか覚えてるものね」
「懐かしい話だな」
表水路に出る直前、きらびやかな町並みの隙間からふと見えた景色にシャルロッテは足を止めた。
サリューンの湖は遥か遠くまで見通すと暗い海へとつながっている。その海を越えた先にあるのは、白く閉ざされた氷の大地だ。
「シャル」
後ろから響く男の声は感情を滲ませないよう意図的に冷たくした物だった。声の調子を崩さず彼は問いかける。
「頼みってのは、こんなつまらないイカサマの手伝いだったのか?」
押し隠した感情はおそらく心配の類だろう。
性根は昔と変わらず素直で優しいのだ、この男は。
……それを素直に表に出すにはだいぶひねくれてしまったが。
「ん、そうよ。付き合ってくれてありがとね」
だからシャルロッテは嘘をついた。長い付き合いだからたぶんバレてしまっただろうけど。
「ありがとうオズちゃん。先に宿に戻って」
これ以上はついてくるなと、そんな眼差しを向けた。
***
オズワルドは今夜とってあるはずの宿へと向かう途中、繊細な手すりの装飾がほどこされた橋の真ん中でその異変に気づいた。
「?」
黒々と光を反射する水面に、何かがぷかりと浮かんでいる。それも一つではない、いくつもの魚の群れが腹を見せ波間に揺れている。
「おい、こっちもだ」
ちょうど中央広場からやってきたゴンドラの上で、網を持った二人組が顔をしかめる。
「まったく何なんだ、ここ最近やたら魚が死んでやがる」
「悪い伝染病でも流行ってんじゃないだろうな」
「まさか。ここは水の都サリューンだぞ? 水の精霊ルゥリア様が居る限り、地下から湧き出てる湧き水に異物が混ざる事なんて――」
ゴミでしかない魚の死体を押しやりながらゴンドラは行ってしまったので、会話はそこまでしか聞き取れなかった。
頭の片隅に今の会話を書き留めてようやく橋を渡り終える。目指す宿屋の前まで来たオズワルドは、予想だにしない光景に足を止めた。
「……」
「……」
宿屋の前の植え込みに、少女が生えている。
じとっとした眼差しを向けてくるニチカの背中を、宿屋から漏れ出る光が照らしていた。
互いに無言のまま見つめ合う。先に視線を逸らしたのは少女だった。そっけない口調で尋ねられる。
「シャルロッテさんは?」
なぜだか気おくれして肩に力が入る。女がこういう表情をしているときは非常にめんどくさい事態になるであろうことを男は知っていた。ゆっくりと、慎重に言葉を選ぶ。
「途中まで一緒だったが、後は知らん」
「ふーん」
少女は植え込みのレンガの上で膝を抱え込みしゃがんでいる。どうでもいいがその体勢、正面からだと下着が見えそうだが大丈夫か?
「中に入らないのか?」
幸いにしてこの雰囲気でそんな爆弾発言をかますほどオズワルドは考えなしではなかった。あくまで冷静にそう問いかけるが、ニチカはやはり固い表情のままだ。
だいぶ北に近いこの街では夜は冷える。むき出しの腿を見て素直に寒そうだなと感じた。
ややあって少女はぶすっとした表情のまま答えた。
「ちょっと散歩したい気分だったの」
「? そこでそうやってることが?」
ここに来てとうとう地雷を踏んでしまったらしい。
あげ足を取られてカチンと来たらしいニチカは勢いをつけて植え込みから飛び降りた。
「これから行くところなの!」
「お、おい。例のお偉いさんとやらには会えたのか?」
「今日は用事で居なかった。明日改めて行くつもり」
「どこ行くんだ」
「だから散歩だってば!」
坂を転げ落ちるかのように機嫌が急降下していく。何だ、何がいけなかった。
「ニチカ」
横をすり抜けようとした彼女の手首を掴む。
ハッとして振り返った少女は一瞬の驚きの後、泣くのをこらえているかのように眉を寄せた。
あぁやっぱり。こういう顔は嫌いじゃない。
笑顔にさせてやりたいと思うのに、もう少しつついて泣かせてしまいたい気もする。
(どうしてこいつの泣き顔は、こう)
湧き出た疑問に心の中で首を傾げていると、特大の爆撃をされた。
「も、もう、あなたに触られたくない」
「……は?」
予想外の発言に思わず掴んでいた手がゆるむ。
すかさず一歩引いた少女はわなわなと震えながら叫んだ。
「今日のクスリも、要らないから!」
彼女はそれだけ言い残すときびすを返して逃げ出した。
その拍子に肩についていたらしい何かがはらりとレンガ敷きの道に落ちた。
それをつまみ上げたオズワルドは目をすぅっと細める。
「……あぁそう、そういう事」
見覚えのある緑の髪の毛は、二人が密着していたことを示すのに十分な証拠だった。
だからどうしたと髪を投げ捨てたオズワルドは、胸の内でくすぶる苛立ちを無視して宿へと入っていった。