第五話 領主の息子
第五話 領主の息子
≪ヴェリオス≫
窓の外に立つ若武者の姿を一目見て、俺は直感的に彼が噂の領主の息子、アシュリーなのではないかと思った。
すらりとした贅肉のない容姿に、凛とした面差し。
そして噂どおりの――、それ以上の美しく、儚い様。
俺は思わず見惚れてしまったほどだ。
(桜の花のようだ……)
誰かとその面差しが似ていると思い、俺はすぐに、それが今は亡き妹弟子だと気づいた。
修業時代の苦い思い出。
だが、俺はそれをすぐに振り払った。
「何か、御用ですか?」
何事もなかったかのように、俺は低い声で若武者に尋ねた。
「このような場所から失礼……。家の者が何かとうるさいものですから。――貴方の様子が心配だったので見に来たのですが、大丈夫なようですね?」
「貴殿が私を助けて下さったのか。――お名前を、伺ってもよろしいか?」
俺がそう問うと、彼は少し驚いた顔をし、それから、はにかむように笑った。
「これは……、失礼。私はアシュリーと申します」
俺は軽く頭を下げ、彼に敬意を表した。
「さすれば、アシュリー殿。此度は助けていただき、感謝いたします」
「なに、気にしないで。私が助けに行ったときには、すでに賊は消えていましたから。お強いのですね」
「見られていたとは恥ずかしい限り」
俺が苦笑いすると、アシュリーは軽く微笑んだ。
まだ会って間もないが、俺は彼と話すのが心地良いと感じていた。
領主の跡取り息子にしては、口調も物腰も柔らかく、どこか人を惹きつけるところがある。
(領主の息子だから、か。潜在的な魅力というものがあるのならば、彼はそれに恵まれているのだろう)
「賊が引いてくれたので助かりましたが、あのまま行けば、良くて相討ち。最後に数でかかられれば、手足も出ずに負けていたでしょうな」
その言葉に軽く目を見開き、アシュリーは驚きの表情を浮かべる。
しかそ、それが俺にとっての正直な本音だった。
古傷さえなければ……というのは言い訳であり、現状でどう打破するか、それが武人たる者であろう。
それができないのであれば、腰のモノを売ってしまい商人にでもなればよい。
「少し部屋に入ってもかまいませんか? 外は冷えるので」
アシュリーは腕をさすって見せながら、部屋を指さした。
その様子に俺は思わず苦笑する。
まるで幼い子供のようだ。
「どうぞ」
そもそもここは、彼の邸宅だ。
その彼が許可を求めるというのは少し妙な気もしたが、俺に気を使ってくれているのだろう。
気遣いができるというのは、良いことだ。
領主の息子というのは、大抵の場合、親に甘やかされて君主然としており、してもらって当前という人間が多い。
それが一概に悪いとは言わないが、気遣いができるということは、目端が利くということ。
彼が跡を継げば、ガラニア家は一段と結束し、ますます強固になるだろう。
「千突のヴェリオス様と……、そう賊が言っておりましたが。そのような名高い武人とお会いできて光栄です」
「――正しくは、“元”武人ですよ。もはや足が言うことを利きません。しかし、武人であることを捨てきれないままに放浪を続けている。中途半端な存在です」
「そのようには見受けられませんでしたが。あれだけ強くて、中途半端などと……!」
驚いたような、憤慨するような様子に、俺は思わず笑っていた。
古い知人がこの場にいたら、それこそ驚いたことだろう。
俺はめったに声をたてて笑わないことで知られていたから。
そんな俺が笑うほど、引き込まれる。
(彼には……、アシュリーには、歪みがない)
中途半端と言っているのは、強さだけの問題ではないのだが、彼はそう受け取らなかったようだ。
武の時代。
武人を志した者であれば、誰もが強さを求め、戦いに明け暮れる。
それが当然の時代。
「私はそろそろ武人であることを捨て、軍師として生きようと思っています。されど、なかなか思うようにいかず……」
「軍師とは、領主のそばで策を練る者ですね?」
「よく誤解されていますが、それは軍師の一面でしかありません。軍師とは、その国の政策、人事、戦争、ありとあらゆることの補佐を行う者の総称。なればこそ、師の文字が付きます。語源である古の時代の事を言えば、初代エゼリオン帝は軍を率いて諸国を平定された。当時の軍師とは、軍を率いる者、帝の師であるわけです」
「なるほど……。そうであるならば、貴方の望みは、望外に大きなものですね」
アシュリーは感心したように言ったが、俺はそれに自嘲の思いを抱かずにはいられなかった。
「無論。それは分かった上で放浪しております」
自分でも馬鹿げた夢だと分かってはいるが、それでも、俺にはそこに賭けたい気持ちしかなかった。
世の中には、舌三寸で宰相にまで上り詰め、大いに名を遺した者もいる。
己が武にかけて、将軍にまで上り詰めた者もいる。
自分の才を信じればこそ、俺は軍師になるという野望に燃えていた。
だからこそ、多くの軍師を輩出したリラジール塾の門をたたき、三年もの間、ひたすら軍学の勉強を続け、門下生同士で切磋琢磨もした。
互いに未来のライバルと認めながら。
俺はその中でもかなり優秀であり、最後には塾頭まで任されたが、仕官するには頼れる伝手もコネも無かった。
だが、熱い想いだけは誰よりもある。
誰かを補佐し、その者に天下を取らせる――、これほど痛快な人生があろうか?
どうせ人生は一度きりなのだ。
「アシュリー殿の夢は、さしずめこの国の覇王ですかな?」
これだけの領土と力があれば、やり方次第で伸し上がることは十分に可能。
事実、この領地はそれだけの力を蓄えつつあると俺は見ていた。
「私はこの土地を愛しています。領地を、そして、領民を守ることができれば、それで充分です」
それは俺にとって意外な答えだったが、アシュリーは本気でそう言っているように見えた。