第三十九話 敵(かたき)
第三十九話 敵
戦と外交により、北方全土がガラニア家に降る。
その事実に、各国はガラニア家の現在の実力を認識した。
旧来のガラニア家を脱皮し、新たに強国へとのし上がったことを。
しかし、中央もそれを指を銜えて見ているほど、甘くはなかった。
ガラニア家に各家の警戒心が高まる中、ゾギナス家は次々と南方を攻略し、南方最大の家メネア家はついに降伏。
衝撃が全国に走る。
最早、大家しか残っておらず、どの家も中央を支配するゾギナス家と隣接する今、いつ攻められてもおかしくない状況が生まれたからだ。
そんな中、ゾギナス家が傀儡政権として操る朝廷から、ガラニア家に使者が送られた。
それは懐柔の意味か、アシュリーを北方守護に任ずるという内容であった。
風の噂では、トマイダ家当主セリウスにも使者が行き、東方守護に任ぜられたという。
後顧の憂いである二家を懐柔したならば「ゾギナス家の次の目標は西方である」と、誰しも認識した。
そんな折、西方の大家アイナス家から一人の使者がガラニア家に来訪していた。
≪ヴェリオス≫
謁見の間。
そこには俺を含む三人の者がいた。
御簾の向こうに座す、アリーシャ。
俺は御簾を隔てた直ぐ傍に、側近として座る。
目の前にはいる西方の使者は、二枚目だが武人然とした雰囲気を醸し出しており、一癖も二癖もありそうだった。
「お初にお目にかかります。拙者、アイナス家に仕えるテラリオと申します。此度は御当主様直々に面会して頂き、恐縮の至り」
テラリオ。
アイナス家にその人ありと言われる重臣。
武勇に秀でており、その策謀もほかに追随を許さない程と聞く。
またその忠義心は誰もが認めるほどであるとも言う。
そのような大物が、遥々西方の果てから北方まで来たことに俺は少なからず驚きを覚えた。
そして静かなる怒りも。
それ程、アイナス家は此度の交渉を重視しているのだろう。
しかし、よりにもよってこの男が使者とは。
祖父シュライデンの敵。
西方で起こったマルギア戦において、祖父シュライデンを騙し討ちした男がテラリオだった。
俺は怒りに心が染まりそうな自分を抑える。
普段のように冷静になり切れない自分にも怒りを覚える。
俺はぐっと我慢して、アリーシャの言葉を聞くべく御簾に耳をそばだてた。
アリーシャの言葉をテラリオに伝える。
「アシュリー様は『堅苦しい言葉は抜きで良いと』との仰せ、普段の言葉で話されよ。堅苦しくならず、ここはお互い腹を割って話し合おうではありませんか」
「では、お言葉に甘えて」
微笑ながら言い、くつろいだ雰囲気を出すテラリオ。
「で、貴殿はどの様なお話を持って参られたのかな?」
俺が尋ねると、テラリオは笑みを浮かべたまま言う。
「なに、難しい話ではないのだ。互いに手を組まないかと言う、ただの誘い。それだけのこと」
「ほう」
俺はテラリオを見つめる。
俺自身の考えで言えば、答えは否。
一騎打ちの最中、人を騙し討ちするような者の言葉など信じられないからだ。
それでもこの男がどう続けるのか、自分を抑えて聞くことにした。
決めるのはガラニア家当主であるアシュリーたるアリーシャだからだ。
無表情を装ってはいるが、この中で冷静さを欠いているのは俺だけであろう。
俺の気持ちなど知らぬテラリオは爽やかに、御簾の向こうにいるアリーシャに語りかける。
「最早ゾギナス家が周囲を併呑しようと動いているのは明白なこと。拙者が仕えるアイナス家が滅びれば、次はガラニア家かトマイダ家が潰されるのは自明の理」
(どの口がそれをほざく……!)
俺はそう怒鳴りそうになる。
しかし、アシュリーの臣として俺は淡々と答える。
「我が家は、先日守護職に任じられたばかり。帝の覚えもめでたく、その様なことがあるとは思えませぬが」
「腹芸は無しでいこう。此方は腹を割って話したい」
御簾の方をちらりと見ると、アリーシャが頷くのが分かった。
俺も改まった言葉使いを止め、普段のものに戻す。
「いいだろう」
底冷えする声で俺は言う。
ダレスがいれば、その声音に違和感を覚えたかもしれない。
「話が早くて助かるトマイダ家の連中は頭が固くてな。交渉も苦労したよ」
テラリオは暗に、トマイダ家とは既に密約ができていることを示唆する。
揺さぶりか。
小賢しいと言う感情がわき出る。
冷静にならなければと、自分に言い聞かせる。
感情に左右されると、碌な判断もできない。
このテラリオと言う男は喰えない。
俺はそう思った。
その喰えなさを補って余るものがあるほどの魅力も兼ね備えていることは否定できない。
どれも計算ずくであろうが、数々の逸話では同胞や家臣を戦場での窮地から救い、味方からは圧倒的な支持を得たり、負け戦時でも抜け目ない条約で圧倒的不利な戦後条約すらも逆手にとって主家に有利に仕組む程だ。
この男が家臣と言うだけで、アイナス家はどれだけ得をしていることか。
家中がテラリオを中心として、岩のように固まっていることは想像するに難しくなかった。
俺とこの男は根本的な所で、似ているのかもしれない。
家の汚れ仕事を一手に担って家の礎となっている。
そう考えると余計に怒りが増す。
このような男と自分の立場が似ていることに。
祖父の敵と言うだけではない、同族嫌悪と言っても良い所が。
その気持ちに敢えて蓋をし、続けて言う。
「同盟して、ガラニア家に何の益があるのか。このままゾギナス家に降り、領土安堵という手もある」
俺の言葉にテラリオは笑う。
「それは無いだろう。そんな考えがあるなら、無理をして北方を制覇し、家中にいらぬ波風を立てる必要もなかったはず。違うかな?」
「ガラニア家は、旧領を取り戻しただけのこと。靡いて来た家は、単に当家が恐ろしくなったに過ぎぬ」
「ヴェリオス殿、オレは貴殿と話をしに来たわけでは無い。ガラニア家当主アシュリー殿と交渉に来たのだ」
「それは失礼。当家の法度では、直に当主が他者と話すことを禁じられていてな」
テラリオがヤレヤレと言わんばかりにため息をつく。
「正直に言ってはどうかな。惚れた女を守りたいからやっていると。ゾギナス家に妾として差し出すように催促されるのが怖いのであろう、貴殿は。隠し通せているつもりであろうが、アイナス家の諜報能力を見くびってもらっては困る」
俺はその言葉に、一気に不快感が増す。
アリーシャの秘密を知っているだけではない。
こいつが知っているということは、それ以上の規模を持つゾギナス家が知らないはずはない。
ただ、それよりも不信感が募ったにすぎない。
疑惑の境界線を越えたと言っても良い。
交渉の場で、他家の晒してはいけないカードを易々と晒す態度に。
俺はアイナス家が……テラリオが信用できないと確信した。
気が付けば扉に向かって叫んでいた。
「……ダレス!! この者はガラリア家を地獄に導く使者だ。捕えてゾギナス家に引き渡せ」
ダレスが護衛を引き連れ、部屋に入ってくる。
「使者殿を拘束ですか。御無体な側近殿ですな」
呆れ顔ながら、使者の前だけに言葉を改めて不服そうに言うダレス。
部下の護衛に指示し、テラリオの周囲を囲む。
「ほほう、この程度の人数で、オレを捕まえる気とは。……片腹痛い!!」
言うと、腰の刀を抜き放ち、鞘を投げ捨てるテラリオ。
その顔はニヤリとふてぶてしく笑っていた。
護衛達が一斉に飛びかかる。
巧みな足捌きで護衛達の攻撃を避けるテラリオ。
ダレスも攻撃に加わるが、まるで歯が立たない。
次々と倒される護衛達。
余程余裕があるのか、全て峰打ちで血しぶきが上がらない。
苦悶して倒れ込む護衛達。
いつの間にかダレスとの一騎打ちになるが、ダレスの苦戦に対し、まだ余裕を見せるテラリオ。
「……シュライデンと言う名に覚えはないか」
俺の問いに、戦いながらしばし考え込むテラリオ。
「知らぬな。それがどうした?」
「マルギア戦でお前が騙し討ちにして倒した相手だ!!」
俺は太刀『獅子帝』を抜くと、ダレスとテラリオの戦いに割り込む。
太刀と刀がぶつかり合い、火花が飛び交う。
激戦する鍔迫り合い。
テラリオが言う。
「あの時の武人のことか。ああでもせねば、あの戦、当家が負けていたからな。戦に謀略はつきもの。違うとは言わせぬぞ」
「ぬかせ! 一騎打ちで不意打ちなど、貴様に武人としての矜持はないのか!!」
周りなど関係なく叫んだ。
俺はいつになく熱くなっていた。
我を忘れていると言ってもいい。
「主命の前にあって己が事など二の次よ。それが家臣の務めと言うもの!!」
「そのような薄汚れた命、此処で散らせてくれるわ!!」
「策謀の士と聞いて来たが、所詮は武人根性の抜けぬ犬であったか」
テラリオがせせら笑う。
「それが貴様の遺言だと受け取ろう」
俺は高速の突きを繰り出す。
それを躱すでもなく、次々と打ち払うテラリオ。
「ヴェリオス、俺が死ねばガラニア家に陽の目はないぞ。三家であればこそ、ゾギナス家にも刃向えると言うもの。トマイダ家と連合したところで、先は見えている」
「……それがどうした!!」
「お前は、私情でガラニア家を道連れにするつもりか。それが臣のすることか!!」
「くっ!!」
普段の冷静さが徐々に俺を取り込もうとする。
アリーシャを道連れにするのは本意ではない。
しかし、しかし……。
縮地を使い一挙に距離を離すと、『獅子帝』を床に刺し、太刀『窮奇伝来』に手を伸ばす。
ただ触れただけで、湧き出る憎悪が増幅される。
抜き放つと、心がどす黒く染まっていく。
それと供に、体中に力が満ちていくのを感じた。
心の声がささやく。
『こいつを殺せ』と。
俺は縮地を連続で使い、一気に脇から攻め入る。
防戦一方になるテラリオ。
そして、最後にテラリオの刀を弾き飛ばす。
首を刎ねようとした瞬間。
アリーシャの叫び声が御簾から放たれる。
「ヴェリオス、剣を退きなさい。これは主命です」
太刀を持つ手が止まる。
主命だからではない。
彼女の――アリーシャの命だから。
俺は躊躇いながら、『窮奇伝来』を鞘に納める。
「この場は剣を退こう。しかし、貴様が信用できんのは、変わらぬ」
俺は静かに、怒りを抑えて言った。
「そこは信じてもらうしかないな。オレと言う人物とアイナス家を」
この場になってもそれを言うか。
そう言いたかったが、抑える。
冷静になって考えると、それしか手が無く、俺の構想もそうであったからだ。
使者が、テラリオと言うだけで頭に血が上る。
未熟としか言いようがない。
俺は自分の感情を切り捨てようと、我慢する。
徐々に冷え込む自己の心。
そして、いつもの冷静さを取り戻す。
「貴様は信用できぬ、しかし……アイナス家は信じるとしよう」
俺はテラリオを睨みつけると、アリーシャに進言する。
「この機を置いて、ゾギナス家を倒す機会はないと愚考します。御裁可を」
暗に協定を結び、一気に三方から攻めるように示唆する。
「よろしい。ヴェリオスの考えを尊重し、アイナス家と同盟を結びましょう。それでよろしいか、ご使者殿」
アリーシャが静かに言う。
テラリオは満面の笑みを浮かべて頷く。
「流石は北方の雄、アシュリー殿。感謝致します」
そう言うとテラリオは一礼し、用は済んだと言わんばかりにこの場を去った。
「……アリーシャ様」
「何も言わなくていいのです、ヴェリオス。よく剣を納めてくれました」
俺が頭を下げると、ダレスのため息が聞こえてきた。
何故かアリーシャのほっとする雰囲気が伝わってきた。