第三十六話 叔母
第三十六話 叔母
≪アリーシャ≫
叔母フレンシアは、未だに衰えぬ美貌の持ち主だ。
若い頃は、その美貌に何人もの若者が虜となり、どの国からも嫁に欲しいと使者が来たらしいが、最終的には政略結婚でケラナイ家に嫁いだ。
ケラナイ家の所領はそれ程でもないが、ガラニア家の盾となる位置にある。
当初は、家の犠牲になった悲運の姫君と言われたが、実際は今でも夫婦仲が良く、子も六人いると言う円満さ。
そして、当主である夫を通じてのケラナイ家への献身ぶりから、家中ではかなりの名声を得ていると聞く。
――その叔母が、来訪の使者を通し、本日訪ねてくると報せてきた。
私は緊張していた。
何故ならば、叔母フレンシアは既にケラナイ家の人間であり、アリーシャが女性であることを知る、数少ない人物でもあったから。
会見の間にて、フレンシアを待っていると、女官長に案内された叔母が厳かに部屋へと入ってきた。
静かで洗練された所作であるのに、彼女から発せられる威圧感は相当なものだった。
(やはり、この人は苦手だ……)
それが私の率直な感想だった。
叔母は御簾の前まで来ると、女官長に言った。
「ラナイ。この邪魔な御簾を上げなさい」
いきなりの要求に、女官長が珍しくうろたえた様子を見せた。
「フレンシア様……! それはできません。現在、ガラニア家では直接アリーシャ様の顔を合わすことができぬよう法度で決まっております」
女官長は懸命に抵抗したが、フレンシアは、そんな彼女をジロリと一瞥した。
「アリーシャと私は叔母と姪。家族間に法度などありませぬ。それとも、私に二度も同じ言葉を言わせる気かしら?」
「……ですが」
私はフレンシアに、その様な抵抗は通じないと観念し、女官長に声をかけた。
「御簾を上げたなら、女官長は下がりなさい」
「よろしいのですか?」
「いいのです」
私はキッパリと言い切る。
「分かりました」
女官長はそう言うと、御簾を巻き上げ、一礼して部屋から出て行った。
「ようやく二人きりになりましたね。一段と美しくなって」
私を見たフレンシアはそう言うと、ため息をついた。
「それにしても、兄も罪な人ね。貴方にこんな姿をさせたまま逝くなんて」
私は父が亡くなってから、男装以外の姿をしなくなった。
以前は外に出る時以外には女性の服装もしていたが、今はそれすらない。
そうやって四六時中自分が男であるように意識しないと、御簾越しとはいえ、いつなんどき、表に出なければならない時があるか分からないからだ。
「それは武家に生まれた者の定めとあきらめております。叔母上は年を重ねるごとに美しくなっていき、羨ましいです」
「まあ、あんなに小さかった子がそんな事を言えるほど成長しましたか」
そう言うと、フレンシアはコロコロと笑った。
私は叔母が苦手だったので、率直に訪問の理由を訊くことにした。
「叔母上、此度の来訪はどのような目的で来られたのですか」
「家を守るために」
キリッとした顔になると、フレンシアは私を睨むように鋭い目つきで睨む。
「守るとはどういう意味でしょうか?」
「短期間とはいえ、ここ連日の動きを見れば、ガラニア家が覇道に向けて動き出していることは明白。私の予想では近日中に北方はガラニア家に平伏すことになるでしょう。そうなれば次の矛先は、近隣諸国。違いますか?」
私はフレンシアを睨み返す。
ここで臆すればそれを認めたことになるからだ。
それは不味い。
ヴェリオスの策では、ケラナイ家を落とすのは最後の最後。
それまでは当家の盾として利用しないと、ゾギナス家に隣接してしまい、一気に攻められかねないからだ。
「そんなことはありません。叔母上の考えすぎでは」
「アリーシャ。私を見くびってもらっては困ります。このぐらいの推測ができなくて、我がケラナイ家程度の小家が生き残れていると思いですか」
「叔母上。……勘違いされた上で話されても困ります。あくまでもそれは憶測でありましょう」
私は白を切り通す。
「まだこの上で、私を愚ろうしますか」
益々圧迫する威圧感。
ここですべてを吐露すれば、計画が躓くことを意味する。
それは結果として、より多くの領民を泣かせることとなる。
それは出来なかった。
私はヴェリオスに出会った時を思い出す。
彼のような気迫を。
今後も私は戦場に出ないであろう。
ヴェリオスとケルガンがいる限りは。
でも私の戦争はここ。
政治の場が戦場。
私は戦場に立つ気持ちで、心を引き締める。
私の様子の変化にフレンシアは、軽く眉を顰める。
「どうやら、あのヴェリオスと言う男に貴方は操られているようね? 惚れた弱みかしら」
鋭い口調で言うフレンシア。
「ヴェリオスを出しなさい。彼と話がしたいわ」
「あの者はあくまでも家臣の一人。全ての決定は私がしていること」
「あくまでも、貴方の考えでガラニア家は動いていると言いたいのね」
「事実その通りですので」
フレンシアはため息をつく。
急速に威圧感が縮まる。
「私相手に一歩も引かぬとは。アリーシャも強くなりましたね。……それとも恋が貴方を強くしたのかしら?」
「御推察は御自由に」
やれやれといった風に、フレンシアは苦笑いを浮かべる。
「貴方は既にガラニア家の当主として立派に成長したのですね。ならば私も、叔母ではなくケラナイ家の代理として交渉させて頂きます」
「ええ、私は当初よりそのつもりでした」
「ケラナイ家としては、一切の自治を認めるならばガラニア家に降る用意があります」
「それはまたどうして」
意外な言葉に私は訝しる。
「中央を制覇したゾギナス家が四方を攻め始めているのは知っているわよね。それが我が家にも調略や圧力で来ているのですよ。ならば、どうせどこかに属するなら、出来るだけ高く売りたいと言うものでしょう」
「ゾギナス家でなく、当家を選んだ理由をお聞きしたい。あちらは朝廷すらも勢力下におき、今や日の出の勢いですが」
「強い所に靡いた所で、使いされて捨てられるのが落ちです。ならば少しでも優遇される勢力に身を置きたくもなりましょう」
笑いながら言うフレンシア。
「叔母上……」
私はフレンシアの張りつめた気迫の意味がようやく分かった。
彼女は自分の家を両肩に乗せて来ていたのだ。
一歩も引けるはずもない。
私は叔母に対し、何と言えば良いのか一瞬分からなくなっていた。
しかし、ここで情を掛けると、最終的に泣きを見るのは領民達。
私は重くなった口を開き、叔母に降伏の条件を言うのだった。
無表情を装うが、それはとても心苦しかった。