第二十九話 軍師
第二十九話 軍師
雪の積もる真冬。
ガラニア家の快進撃が続く。
まさかこんな時期に進軍してくる敵がいるとは思わず、エガンドリ領は無人の野を行くが如くであった。
北方にとって戦は春に行うのが常識で、真冬は農閑期だが、農民が出陣することは難しい。
また自領に居を構える家臣にしても、人の背丈ほど積もる雪の中、戦に行くのは理に合わず、他部隊との集合すらままならない。
故に北方一帯では不文律の決まり事として、真冬は戦争が行われない時期とされていた。
その常識を超えた侵略。
それは家臣を中枢に集め、常時動員できる状況になったからこそ可能になったことで、今回の戦にはガラニア家の武臣のみが参加し、農民兵はいなかった。
数こそ少ないが、精鋭の集団とも言えた。
エガンドリ領の豪族は、抵抗する者、降伏する者と反応はさまざまであったが、所詮はガラニア家全軍を率いてきた数に対し、多勢に無勢であった。
抵抗する者に対しては、全ての抵抗勢力が息絶えるまで徹底的に殲滅し、降伏する者には自領を安堵していった。
そして、敵の伝令がエガンドリ家中枢に着く前に、ケルガン率いるガラニア勢はエガンドリ家当主の屋敷に辿り着いた。
しかし屋敷とは言っても、他国でもよく見られることではあるが、実質的には城に近い。
エガンドリ家の屋敷は二重の堀と高く厚い塀に囲まれていた。
中枢に勤めるのは家臣ばかり。
しかも、もはや逃げ場はないと覚悟を決めたエガンドリア家の家臣達は一致団結し、士気は高まっていた。
軍勢の数にものを言わせて、屋敷を囲むガラニア勢。
本陣には、髭をしごきながら愉快そうに悩むケルガン将軍の姿があった。
≪ヴェリオス≫
鎧に身を包むケルガンは、戦場用の椅子に腰かけていた。
俺の方をジロリと見て、口を開く。
「どうすればよいと思う? 千突の」
中央に焚かれた焚火が暑く、冬の夜風が涼しく感じた。
それを楽しむと、俺は言った。
「アシュリー様の命は速やかに、そして被害は最小限に事を進めること。ここで力攻めすれば、被害は大きなものとなるでしょうな」
「分かり切ったことを言うな。その対策を聞いている」
俺の言葉にケルガンは再び聞いてくる。
こちらの策と自分の策が、同じかどうか試しているのであろう。
「被害を抑えるのであれば兵糧攻めによる持久戦。情報では今年は不作で、蓄えもないとか。しかし、それでは最初の命に背きます。しかし、今後のことを考えると……」
俺は一旦を切り、冷たい目でケルガンに言う。
「力攻めによる早期殲滅。それにより、各地に我らの恐ろしさが伝わります。そうすれば今後は無駄な抵抗も減り、降伏して来る者が増えると思います。大きな目で見れば、そちらの方が犠牲は少ないでしょうな」
ケルガンは一瞬目を見開き、次の瞬間、大笑いしていた。
「なるほど、なるほど。よもや殿にべったりの貴殿からそのような言葉が聞けるとはな。さすがは千突。人の下に就いても変わらぬか」
さらに大笑いするケルガン。
「そうそう人の性が変わる訳が無かろう?」
俺は済まして答える。
「済まぬ。貴殿を見損なっておったようだ。……なるほど。貴殿のことを、俺が暴走せぬために殿が付けた目付と思っておったが、どうやらそうではなかったようだな」
再び髭をしごきながら、ケルガンは古参の傭兵を呼びつけて次々と指示を出し始めた。
その的確な指示は、名将に相応しいものであった。
そして、戦いの火蓋は切って落とされた。
攻城兵器により四方の門が壊され、一気に突入するガラニア勢。
屋敷の守りを支えるエガンドリア勢も負けてならないとばかりに、少数にもかかわらず、獅子奮迅の働きをしていた。
しかし、少数の悲しさ。
エガンドリア勢はあちこちで駆逐されていった。
そして、遂に当主の部屋まで突入し、戦は終わったかと思えた時、それは起きた。
「ケルガン将軍、このままでは本陣へ攻める第一陣が保ちません。至急応援をお願いします!!」
真っ青になった伝令が、本陣に入るなり悲鳴の様な大声で叫んでいた。
(おかしい)
俺は咄嗟に思った。
先ほどまで、多少の犠牲は出ても優勢であり、第一陣が崩壊するほどの状況ではなかったはず。
俺が思考を巡らしていると、ケルガンも同様のことを思ったのだろう、苦い顔をする。
伝令に状況を聞く。
「……何があった」
俺の質問に、伝令が答える。
「死兵です!!」
その一言で、俺とケルガンは全てを理解した。
死を覚悟した武将は強い。
そして、それに感化された兵は、痛みなど臆することなく、ひたすら死に向かって果敢に戦い続ける。
椅子からのそりと立ち上がり、本陣から現場に行こうとするケルガンを、俺は止めた。
「将は本陣で大きく構えねば、兵の士気に関わる。ここは俺が行こう」
「軍師が前線へ行くのか?」
ケルガンが低く俺に問う。
彼の表情は、古傷が元で身動きできなくなって死んでも知らないぞと警告していた。
「行ってはならんという法は無かろう」
軍師といえば将の傍に控え、進言のみを行っている姿を思い浮かべる者が多い。
しかし、あくまでもそれはイメージだ。
俺は立ち上がると、伝令に死兵のいる戦場へと案内させる。
屋敷の奥へと誘導する伝令。
行く端々に、攻防の果てに命を落としたエガンドリア家の兵の死体が転がっていた。
不意打ちに近い攻撃であり、碌な準備もできずに戦っていた様子が手に取るように分かる。
どの兵も鎧すら着ていなかったからだ。
此方は万全の状態で攻めている。
しかも多勢に無勢であり、勝敗は最初から分かりきっていた事だ。
ただ、死兵は想定外の出来事であった。
三家の家風を考えるなら、一度は降伏し、態勢を整えると思っていた。
死兵が生まれるということは、それだけ此方の損害が広がることも意味している。
アリーシャからの命令は、出来る限り犠牲を抑えること。
この乱世にあって、兵の命など紙よりも軽いというのに、奇特としか言いようがない。
――いや、慈悲の女神のように優しいと言うべきか。
そんな彼女の悲しむ姿は、あまり見たくなかった。
なればこそ、数で押し包めばなんとかなるであろう死兵に対し、俺は体を張ることにした。
現場は凄惨極まりなかった。
転がる何十もの死体。
赤く血塗られた大広間。
ガラニア家の兵が防戦一方であり、思っていた以上に場はエガンドリア家最後の兵が支配していた。
(幾ら俺でも手に余る……。仕方あるまい)
俺は決意する。
危険な賭けを。
構えると、ゆるりと『窮奇伝来』に手を添える。
以前この太刀を手にした時と同じく、痺れるような電撃が、指先から体に突き抜けた。
しかし、この太刀でなければ、もはや現状を打破することはできないように思えた。
俺はゆっくりと鯉口を切る。
幾度も走る電撃が、俺に本能的な危険を感じさせ、抜くことを思い留まらせようとする。
(だが、ここで抜かなければ。ここから軍は崩れ、崩壊の道を辿りかねない)
それはアリーシャの失敗を意味し、彼女の理想が崩れることを意味していた。
(それだけはできない。それだけは……)
死兵を見つめ、俺は、心を決めて一気に刀を抜き放った。
全身に落雷のような衝撃が走り、意識を何かに乗っ取られそうになる感覚が広がった。
歯を食いしばり耐えるが、全身に悪寒が走り、意識が呑み込まれそうになる。
俺はアリーシャの姿を思い浮かべ、持ち堪えよう試みた。
彼女を悲しませるわけにはいかない。
そう思うと徐々に意識が強まり、体の支配権が次第に自分に戻ってくるのが分かった。
初めてこの太刀を抜いた時のように、身体に力がみなぎるのを感じる。
太刀に封じ込められた、窮奇を屈服させた証拠だ。
俺は息を切らせながら、太刀を構える。
もはや、誰にも負ける気がしなかった。