第二話 深層の姫君
第二話 深層の姫君
北方一帯を治めるガラニア家当主グリロスには、双子の息子と娘がいるという。
双子の兄の名はアシュリー。
跡取りである彼は、細面で、まるで女性のように見目麗しいと噂されている。
そして双子の妹の名は、アリーシャ。
彼女はガラニア家の令嬢として屋敷から外へ出ることはなく、その存在はあまり知られていないが、兄がそれほどの美貌の持ち主なのだから、女性である彼女はなお一層、奥ゆかしく美しい女性であろうと領民たちは勝手に想像を膨らませていた。
――だが、真実は違う。
ガラニア家当主グリロスには、息子などいなかった。
双子の兄、アシュリーと呼ばれる人物は架空の存在であり、実際にいるのは娘、アリーシャのみ。
アシュリーという人物が創造されたのには、相応の理由がある。
男児が跡取りとなるのが当然のこの世界。
息子がいないということが公になれば、どうなるか。
ガラニア家の領地は広大だ。
跡取りである男児がいないことを理由に、遠い親せき筋の格下の領主たちによって、瞬く間に領地を奪い取られてしまうだろう。
それが当然のようにまかり通る世情であった。
故に、娘アリーシャは幼い頃から表向きは男として、息子アシュリーとして生活することを求められた。
一方で彼女自身の存在――、アリーシャという娘の存在は、表に一切出ることの許されないものとされたのである。
≪アリーシャ≫
金銀の細工が施された雅な輿は、人目を避け、森林の中にある小道を辿って屋敷へ向かっていた。
護衛を周囲に侍らせ、アリーシャを乗せた輿はいつものように、雪道を進んで行く。
秘密を抱えたアリーシャ自らが、輿から外へ出ることはない。
なるべく人目を避けなければならないからだ。
それでも、外へ出たかった。
自分がいずれ継ぐことになるであろう、領内を見て回りたかった。
領主である父も、輿から出ないことを条件に外出を許してくれていた。
(それでも、随分説得が必要だったけれど……)
父の許可を得るために、男らしい男、息子らしい息子を努めて演じて見せた。
いずれ領主となるならば、領内のことを知っておくのに越したことはない。
(父の中でも葛藤があったのに違いない。せめて私は父の期待を裏切らないようにしなくては)
そんなことを思いながら、今日見た領地の様子に思いを馳せる。
すると突然、輿が速度を落とし始めた。
怪訝に思い、外を見ようとした時、いつもと違う物音に気付く。
静かであるはずの森林にこだます、鉄と鉄のぶつかり合う音。
激しい、気迫のこもった叫び声が聞こえてくる。
「何事です?」
外に向かって問いかけると、侍従の一人が声を落として答えた。
「誰かが争っておるようです。今、護衛の者に様子を見に行かせておりますので、しばらくお待ちを」
(こんな森の中で、一体何が……)
しばらくして、護衛の者が帰って来たのだろう。
先程の侍従が不安げな声で言った。
「この先は通れぬようです。引き返して、別の道を行きましょう」
「なぜ、通れぬのです? 一体何があったのですか?」
私の問いに、侍従はしばらくためらっていたようだったが、早口で言い募った。
「山賊どもが争っておるのです。見てきた者の話では、十人は下らないと……。危険ですから、迂回しましょう」
「山賊ですって?」
声を荒げた私に、付添の女官が袖で口元を隠しながら、なだめるように首を横に振る。
彼女たちは山賊が恐ろしいのだ。
私は思わず輿から顔を出したが、侍従と護衛の男が、それを押し戻そうとする。
「見つかっては面倒なことになります。ささっ、急ぎましょう」
そう言って、周囲の者たちに指示を出し、輿は再び別方向へ元来た道を引き返そうとし始めた。
「お待ちなさい。このまま放っておくというのですか? 町外れとはいえ、この領地内に山賊など……。退治しなければ、民が被害に遭って苦しみましょう」
私は思ったことを口に出していた。
父上はよくおっしゃっていた。
民あっての国。
民を大事にせねば、国はいずれ滅びる、と。
「姫様!!」
護衛たちは、怖い顔で睨んでくる。
護衛たちは私の安全ばかりを考えて、山賊退治などとんでもないと言わんばかりだった。
私の安全が第一ならば……。
私は輿を勢いよく飛び下り、一気に声の方向に走り出した。
長い髪が風に吹かれ、後ろに流れる。
雅な若武者風の、絹の服を重ねた着重ねは、走るのに邪魔でしかなかった。
雪と同じ白さの肌が、今は凍えた空気で痛い。
しかし、そんな事を言ってはいられないと自分に言い聞かせた。
ここで、山賊たちを退治してしまわないと、無力な民草に被害が広がる。
護衛の男たちは父が付けてくれた強者ばかり。
山賊ごときに後れを取るとは思えなかった。
後ろから護衛たちの制止を求める叫び声が聞こえてくる。
これで護衛たちも私を助けるために戦わざるを得ないはず。
それに……。
私は、自分のとって扱いやすい小太刀の柄をぎゅっと握る。
こう見えても、武芸の嗜みは一通りできている。
特に小太刀は、師範と互角に近いほどの腕前。
山賊程度に、そう後れを取るはずはない。
私は自信を持っていた。
声の方向に徐々に近づく。
そして、その影を遠目に見た時、私は思わず息をのんでいた。
男たちの激しい攻防――、正確には一人の男に。
みすぼらしい汚れた服に使い古された長靴、長く伸びきった髪は後ろに乱雑に結ばれた、青年と言うには年が行き、壮年と言うには若すぎる武人風の男。
対峙する山賊の頭と思わしき老人の方がよほど、小奇麗なように見えた。
しかし、鋭く光る眼、その体格、まとう気配が私を彼にくぎ付けにさせた。
あんなにもみすぼらしそうに見えるのに、どうしてあんなにも強烈な目ができるのだろう。
父の家臣でもあそこまでの眼力のある者を、私は叔父上以外に知らない。
よく見れば、その服の下に隠された体格も鍛え上げられた者のみが得られる鋼の筋肉。
その身に似合わず、振りかざす太刀も、名刀の類と察せられる。
分からないことだらけ。
それでも、私は彼に目を奪われていた。