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第十七話 未練

第十七話 未練


 ≪ヴェリオス≫


 俺は気づくと、どこか知らない部屋に寝かされていた。

 天蓋付のベッド。

 滑らかな肌触りは、絹のシーツか。

 天井から吊るされてベッドを覆う薄い布越しに、周りが気品に満ちた雰囲気の部屋だと気づく。

 一刻も早く部屋を出ようとするが、体がままならなかった。

 動かそうとすると、全身に激痛が走る。

「くっ……」

 このところの連戦が体にかなりの負荷をかけているのは、明らかだった。

 体中の古傷と筋肉の疲労で、身体が悲鳴を上げている。

 痛みに耐えながら体を起こそうとするが、言うことを聞かない。


(焼きが回ったものだ。全盛期であれば、この程度の連戦など、何ということもなかったが)


 それでも無理に体を起こそうとすると、得も言われぬ香りが鼻腔をくすぐる。

 花のような甘い香り。

 そして何故か、心が落ち着く。


(どこかで嗅いだ覚えのある香りだ。どこか……)


 そして、はっと思い出す。

 あの時の情景が、心に映し出されて。


(アリーシャか……?)


 彼女と初めて会った時。

 窓越しに話をしていた時と同じ香りだ。

 男と思い込み、話し合っていた時。

 すれ違った時にふと漂ってきた、あの香り。


(アリーシャのベッドなのか……?)


 俺は驚く。

「気が付きましたか?」

 声がする方を見ると、布越しに動く影。

 その細い影が、彼女だとすぐに分かった。

 天蓋の布を左右に分けて入ってくるアリーシャ。

 その顔には、凛とした男装の時とは違い、心配そうな表情が浮かんでいた。

「アリーシャ様。ここは……?」

 俺がいぶかしんで聞くと、アリーシャはさも当然と言ったように答える。

「ここは私の部屋です。心配しなくとも、部屋の外では護衛達がここを守っています」

「私もその護衛ですが……」

 苦笑いして言う俺に、彼女はささやく。

「貴方は領主の息子である私のためではなく、女である私の為に闘ってくれた大事な人。他の者とは違います」

 それは俺の心を見通しているようだった。

 甘く甘美な声。

 聞きたくても聞けるはずもないと思っていた言葉。

 そのどれもが、俺の意志を縛っていく。

 彼女の為に、自身を殺して生涯を捧げよと。

 他の者には決して見せないであろう、儚げで悲しそうな、女性の表情。


(彼女を抱きしめたい……)


 だが、そんな思いと同じくして、自分を制する気持ちが湧き上がる。

 先祖からの願い。


(それを叶えずして、女に走るのか?)


 己が野望の根本も、そこにある。

 アリーシャは、ゆったりと俺にしなだれかかってくる。

 それを抱きしめたいと思う衝動を殺して、引き離す。

「ヴェリオスは、私が嫌いですか……?」

 悲しそうに、俺を見つめるアリーシャ。

 俺は自分にここが岐路だと言い聞かせながら、表情を消して言う。

「お気持ちは嬉しく思います。しかし、ここで貴方様を受け入れてしまえば私は私でなくなってしまうでしょう。それは我が一族の悲願を投げ捨てることになります。それだけはできないのです」

「悲願……?」

 その言葉に、反応するアリーシャ。

 俺はここで全てを話さなければ、彼女に理解してもらえないと思った。

 今まで心の内に隠し、兄弟のように共に汗を流した同門にも話したことのない、胸の内を。

「我が一族は、元々は帝に仕える臣。なれど、ある時、当時の帝の不興を買い、朝廷を放逐されました。いつかは帝に直接会って誤解を解き、朝廷に戻るのが我が一族の願い。武にて名を轟かせたのも、いつかは帝の耳に届くかもしれぬと思えばこそ。軍師なる理由も同じ。仕える主が名を成せば、その下で支える者の名が出るのは道理。なればこそ……」

 いったん言葉を切り、アリーシャを離すために掴んだ両肩に力を入れて言う。

「ここで流されるわけにはいかないのです。一族の、……百年を無駄にせぬためにも!!」

 アリーシャは悲しそうにこちらを見つめていた。

 濡れそぼった瞳で。

 その瞳を見ると、つい前言を撤回したくなる。

 その唇を奪いたくなる。

 すぐにでも抱きしめたくなる。


(――未練だ。浅ましい)


 次から次へと溢れ出す感情。

 それらを全て、己が心を押し殺す。

「……私も、家のため、領地の為に全てを捧げてきたつもりです。父の熱い思いに応えたくて」

 俯きながら、涙をこぼすアリーシャ。

「でも、でも……。これ以上、自分の心をだませない。どこへなりと連れて行ってください。二人でいられるのなら、私はどこへでも付いて行きます」

「アリーシャ様……! それ以上はいけません」

 俺は彼女を睨みつける。

 そうでもしなければ、自分も同じ思いになってしまいそうだから。

「貴方様には貴方様の、父上から示された大義があるはずです。私には私の祖先より託された願いがあるのと同じように」

「ヴェリオス……」

 俺は大声を上げる。

「外で待機している護衛達よ、若様は執務室に戻られる。扉を開けよ!!」

 扉が左右に開かれる。

 護衛達は静かにアリーシャが出るのを待っていた。

 立ち上がるアリーシャ。

 そこには先ほどまでの可憐な姿はなく、一人の凛々しい若武者がいた。

 そう、初めて見た時のような、芯のある若者に。

「ヴェリオス……。先ほどのことは忘れてください」

 そして全てを切り捨てる声。

「仰せのままに」

 俺はこれで良かったのだと、己に言い聞かせた。

 二つ追えば、そのどちらをも見失う。

 一つ得ることさえも難しい時代に、それは無謀というもの。


(俺は後悔しない。己の生き様に……)


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