第十三話 飢狼
第十三話 飢狼
≪ヴェリオス≫
北方の飢狼。
その名は中央まで名を響かせた武人でありガラニア家の将軍。
現当主グリロスの弟レティムス。
アリーシャの叔父にあたる男。
その戦いは、狡猾であり、一切の妥協を許さない。
武人としての腕もなかなかと聞く。
性格も狡賢く、人を蹴落とすことを何とも思わない。
ただ、兄である現当主を崇拝しており、彼を慕っている。
一言でいえば、主人に忠実な番犬と言ったところか。
「俺は、レティムス様がくせぇと思うんだよな」
ダレスは酒を傾けながら俺に言う。
俺達はダレスの部屋で杯を重ねながら、互いの情報を交換していた。
存外ダレスとは馬が合い、こうやって時折、夜を徹して飲み明かすこともある。
またあの一件以来、当初の堅さもなくなり砕けた口調で話すようになった。
存外気さくで分かりやすい男。
武を信じ、強い者には心を許すタイプらしい。
銀の杯に並々と葡萄酒を注いでやる。
中央でもなかなか味わえない酒。
ダレスのコネで、この地方でも一等の酒が手に入るからだ。
彼は一息で飲むと、俺の杯に注ぐ。
紅い色が何とも心を落ち着かせる。
それは人の血に似ているせいか。
「レティムスと言えば、中央でも聞こえた武人であろう。当主に忠実な男が逆らうのか。解せんな」
「それは、ヴェリオスが北方のことをよく知らないからだ。あのレティムス様が忠実なのは、グリロス様にだけ。他は関係ねえんだよ」
「なるほどな」
俺はダレスのように一息で飲み、杯を空にする。
俺の空になった杯に新しく酒を注ぐダレス。
「ならば、現当主が危うい今、アリーシャ様を亡き者にして、自分が当主の座に着くか。さすがは飢狼。異名も伊達ではないな」
「感心されても困るぜ。こいつをどうにかしねーと、いつまでたっても落ち着かねーや」
銀の杯を一つ、飢狼に見立ててであろう、ダレスはつま弾きにする。
キーンと乾いた金属音がこだます。
暖炉の炎がダレスの顔を照らすが、その顔は不穏な雰囲気に満ちていた。
「ヴェリオス。あんたと俺がいれば、奴を消せるかもしれねーぞ?」
「消したところで、後をどうする? 飢狼あってのガラニア家であろう。あの将軍が消えれば、脅威が一つ消えたと喜び勇んで周囲が攻めて来るのではないかな?」
ダレスは面白くなさそうに舌打ちする。
「どこかに、飢狼クラスの将軍が落ちてねーかな。そうすりゃ楽なのによ」
「落ちてるぞ」
俺は不敵な笑みを浮かべる。
「ハァ?」
呆けた顔のダレス。
そうそう名のある武人が転がっているはずがないからだ。
今や自身に自信のあるものは、国を流れ歩き、自身が見込んだ領主に仕える時代。
当然、領主も躍起になり、あの手この手で絡め取る。
有名なものは、そうそう主家を離れない。
高待遇だからだ。
「中央で暴れまわった傭兵のケルガン。北方のお前でも名前は聞いたことあるのではないか」
「“猛牛ケルガン”か!!」
ダレスの顔が一気に引き締まる。
「俺が拾われた時に戦っていた山賊とは、あいつだ」
「道理でつえーわけだ……」
ダレスはあの時の戦いを思い出したのか高揚して言う。
興奮冷めやらぬまま、手酌で葡萄酒を注ぎ、一気に飲み干した。
「理由は分からんが、今や山賊まで身を落としている。条件次第では、こちらに靡こう」
そんな話をしていると、扉が開き、風の音とともに、雪が部屋の中に入ってきた。
外を見れば、そこには鎧で武装した兵士が二人、立っていた。
有無を言わせぬ態度で。
「ヴェリオスという男はお前か?」
一人が俺に槍を突き付けて、言う。
俺は、この無礼な男をひと睨みして頷く。
俺の眼光に怯む兵士。
「レティムス様がお呼びだ、来い」
もう一人の兵士が、震える声で虚勢を張って言う。
「レティムス様が?」
ダレスは怪訝な顔をしていた。
それはそうだ。
我々はアリーシャの護衛であり、指揮系統が違う。
呼び出される覚えもない。
筋が違うというものだ。
もし俺に用があるのならば、アリーシャを通して呼び出すのが筋というもの。
それともアリーシャなどは眼中にないと言ったところか。
俺は取りあえず、相手の様子を探ることにした。
「ダレス。飲みの続きはまた今度だ」
そういうと、ダレスの肩を軽くたたき、兵士の元に歩く。
「お前ら、このことはアリーシャ様に報告させてもらうぞ」
ダレスが叫ぶが、彼らはせせら笑うように言う。
「どうぞ、ご自由に。元護衛頭殿」
蔑むように言う兵士。
「ちょっと待てや、こら!!」
「ちゃんと役職名で言ってやったのに、気に入らなかったのか?」
挑発するように言う兵士。
「当たり前だ!!」
酒のせいで沸点が低くなり、激昂するダレス。
「俺達は、お前らが若様相手に後ろでふんぞり返ってる間も、前線で戦っている。俺ら一人一人は、弱い。が、俺を相手に喧嘩するということは、北軍全てを相手にするということになる。それでもやるか?」
どうやら前線の兵士たちは、アリーシャの護衛たちに良い感情を持っていないようだった。
「くっ!!」
悔しそうに拳を握りしめるダレス。
「なら、邪魔だてするな」
「行くぞ」
兵士が二人、言葉を重ねる。
俺は、まるで犯罪者のように挟まれながら、二人について行った。
遠目から見てもそれは異様だった。
大きな石造りの頑丈は塀に囲まれた、ちょっとした城のような屋敷。
現当主の弟、レティムスの邸宅。
まるで戦を想定したようなその作りは、本人の性格もあらわしているようだった。
誰も信じない。
信じられるものは自分一人。
俺を連れてきた男が『開門』と叫ぶと、木製の大きな扉は左右に開き、中は篝火が庭の中央にある広場まで続いていた。
俺はそのまま、言われるがまま付いていく。
そして中央の広場に着くと、その周りには四方にかがり火がたかれ、夕方のように赤々と場を照らす。
見ると、何十人もの兵士がそこには整列していた。
そして、屋敷を背に、一人の陰鬱そうだが、やけに威圧するオーラを醸し出す大男が、椅子に座って、杯を片手に飲んでいた。
「お前が、ヴェリオスとかいう男か。存外小さいな」
こちらを一目見るなり大男が口を開く。
(この男がレティムス本人か)
「こんな時間に人を呼び出して、その御言葉とは。存外底が知れておられるようですな」
『なっ!!』
血気にはやりそうになる兵士たち。
それを手で制するレティムス。
「良い。弱い犬程よく吠えるという。今日はうぬを試したくてな。我が可愛い甥の命を守る者。それがどれほどの者か知りたい思うたまでのこと」
ニヤニヤと陰鬱そうに笑うレティムス。
(なるほど、ただでは帰してくれぬというわけか……)
「何をすれば満足していただけるかな?」
「何、簡単な事。こいつと戦って勝てれば良し。さもなければ、さっさとこの地より離れよ」
レティムスの指差した方向には、大きな檻があった。
厳重な鍵。
その中には、普通の熊よりも二周りは大きな熊がいた。
唸り声をあげて。
主同様にニヤニヤ笑う兵士たち。
俺が戦わずに逃げるか、命乞いすると思っているのだろう。
「御意」
俺は短く答えると、檻に向かって歩みだす。
まさか俺が挑むとは思っておらず、度肝を抜かれる兵士たち。
レティムスのみが、頷き、悦に入っている。
(よほど血を見るのが好きな御仁のようだ)
俺は鍵を開けさせると、ゆっくりと中に入った。
俺が入ると、鍵が再び閉められる。
熊は、のそりのそりとこちらに近づいてきた。
熊の筋肉は厚く、斬ったところで、中の脂肪で切れ味が鈍り、一刀両断はできない。
刺したところで、分厚い肉に武器は絡め取られ、その後は爪でなすがままにされる。
(狙うなら一撃――)
それを外せば、クマは存外動きが早いと聞く。
後は無い。
俺は心を決める。
熊が近づく間に奥義『炎帝の呼吸』で体を整える。
膨れ上がる俺の体の変化に驚く兵士たち。
ここで手の内を明かすのは癪だが、致し方なし。
二の奥義『風神の太刀』を頭に浮かべ、体にイメージさせる。
しくじれば二度目は無い。
失敗したとたんに、クマにわしずかみにされ、嬲り殺されるのが落ち。
チャンスは一度きり。
俺は息を整え、万全の準備をする。
腰を落とし、低く構える。
警戒しながら、やってくる熊。
(もう少し……。もう少しで間合いに入る……!)
熊の足が間合いに踏み込んだ瞬間。
(――良し!!)
俺は縮地で一気に攻めに入った。
突然のことに、驚き、立ち止まる熊。
その熊の首に向かって、太刀『獅子帝』を抜き放ち、居合切りで斬りつける。
ただの居合ではなく、全身全霊をかけ、腕の筋肉を特殊な方法で活性化させることで、動きがいつもよりも倍速化される。
太刀の刃には、真空の刃が生まれ、熊の厚い筋肉、脂肪を切り裂く。
その後に続く太刀の刃が、熊の首の骨ごと断ち切り、首を跳ね飛ばした。
終わってみれば一瞬の出来事。
その出来事に、唖然とする兵士たち。
熊は自分が死んだことが分からないのか、胴体のみが立ったままだった。
俺は後ろを振り向く。
「クッ!ハッハッハッハッハ!!」
そこには杯を投げ捨て、面白そうにこちらを見て哄笑するレティムスがいた。