科学的な魔術 - Wish a hope -
「話を戻そう」
と、明石は切り出した。
「『金色の夜明け』という。我々の所属する魔術結社の名前だ」
「先ほど言った通り、僕たちは魔術結社……つまり寄り合いの一員だ。いいとこ20名程度の小規模なものだがね。その寄り合いの長が弥生……僕の従兄妹が通う大学の教授なのだよ」
あれこれ話す明石を弥生と呼ばれた女の子は渋々といった形で黙って聞いていた。
「この教授というのが僕の学生時代の恩師でもあるんだが、とにかく変人でね。僕が教え子だった頃にもあれこれと無理難題を言われたものだよ。しかもタチの悪いことにことあるごとに単位を人質にしてくるしね」
昔を思い出すように言う。
「彼は当時から生徒に自分のことを教授なんて呼ばせていた。そのせいで僕もその癖が抜けていない。そして教授は魔術結社は自らの存在や活動を秘密にすべし―――そんな方針を断固として動かさないのさ」
つまり弥生は単純に教授の指示に従って周りくどい真似をしていたということらしい。
「それで、どうしてその結社とやらが俺に声をかけたりするんです?」
「『コレクター』」
明石は喜一の目を射るように見つめながらそう言った。
「君がそうかもしれないと僕が報告した。最近結社の議題に上がった、ありていにいえば特殊能力者さ」
あんたが発端だったのか。
「教授に報告すると、すぐに弥生に指示がいったらしい。今すぐ連れて来いってね。だが教授の指示が回りくどかったせいでこの有様さ」
「しかし、『収集する者』ですか……。でも俺は別に魔術のマニアってわけじゃ……」
「そう誤解しておいてもらえると僕としても助かる。ほぼ8割方、君がその能力者だと思っているが、もし違った場合にはそのまま忘れて何もなかったことにしてもらいたいからね」
むしろ、そもそも結社の名前なんぞよりこっちを秘密にしておくべきなんだ、と呟く。
「8割方…ですか。確かめる方法があるんですか?」
「おそらく簡単なテストで調べられるはずだ。君を呼んだのもそれが目的でもある。魔術室に行こう。あそこなら実験のための道具も揃っている。弥生も手伝え。どうせ暇だろう?」
「えー、ボク講義サボってまで来たのに結局魔術の勉強するわけー?」
心底嫌そうに抗議する。
「サボったからこそ、今ここで勉強していけ。それに木原くんが『コレクター』かどうかは弥生も興味があっただろう」
「まあ、それは確かにそうなんだけど……」
「今のところ『連中』が『コレクター』を発見したという情報はない。つまり、我々が最初に発見するかもしれないんだぞ。日本中で、ひょっとしたら世界中かもしれない。ワクワクするだろう?なあ、そうだろう?」
手をわきわきしながら笑う明石だった。
ああ、さっきはちょっとだけ近親感湧いたけど、やっぱこの先生おかしいわ。
「うっわー、なつかしー!」
魔術室に着いた途端、弥生はやけにはしゃいでいた。
喜一といえば、廊下を移動する際に先生や白ゴスの女の子と歩いているところを誰かに目撃されないかと気が気ではなかったため、魔術室に到着してようやく一息ついたといったところだった。
校内に残っている生徒が少ないくて助かったが、あんなところを見られたらどんな噂されるかわかったもんじゃない。
「如月さん……は、この学校の卒業生なんですか?」
ふと訪ねてみた。
「弥生でいいよ。ボクは違う学校だったけどね。高校の魔術室なんてどこも一緒だし。まだ高校卒業して一年も経ってないのにやけに懐かしく感じるよ」
つまり大学一年生、喜一達からすると2つ上ということか。
昨晩は怪しげな人物だと思っていたがこうして話していると格好や喋り方はともかく、ただの歳上のお姉さんという感じだ。
まあそれはそうだ。変な演出をつけろと指示されていただけで、この人だってただの学生なのだし。
「しっかし、カズ兄遅いね」
カズ兄こと如月はといえば、弥生に手伝えと言っておきながら二人を魔術室に残して一人で準備室に入っていってしまった。弥生にその辺のものを触られると困るからと言っていたが、実際のところ身内とはいえ学校関係者でない者を準備室に入れるのは抵抗があったのかもしれない。
「待たせたね」
噂をすればであった。
如月はA4のプリント束と何やら怪しげな石やら羽根やら、それから筆記用具の類なんかをダンボール箱に詰めてまとめて持ってきた。
それからB5サイズのノートPC。
天体の位置が関わってくる魔術を使うにはどうしても必要なものだ。なにしろ手作業では数日かかってしまうような膨大な計算が必要になる。
あとは詠唱だ。魔術によっては人間には発声不可能じゃないかと思うほど奇妙な詠唱もあったりするため、詠唱は必ずボイスレコーダーやPCなどの音声再生用の機械も必須だった。
本当にただの魔術の授業みたいだ。
テストとは言っていたが、こんな普通の授業みたいな準備で一体何をするつもりなのだろうか。
喜一が訝しんでいると、6枚ほどのプリント用紙を並べ始めた。
すでにある程度の魔法陣は描かれているようだった。
「ああ、すまないが木原くんは念のため、しばらくの間は向こうを向いていてくれるかな」
見ていたらテストにならないのだろうか。
そう思いながらも反対方向を向いて椅子に座り、スマホで適当に暇を潰し始めた。
ブラウザを開くと、今朝開いた怪しい魔術アプリのページが表示されたままになっていた。
『魔術結社 ブラックローズ』
瞬間、亮平と校長の言葉が頭をよぎる。
―――アングラで最近有名になってるらしいこのサイトがヒットした。
―――この学校でも最近、被害にあった生徒がいます。
実際のところ自分には直接関係のない話だ。首を突っ込む理由もない。
もし危ないと思うのだったら放置していたって誰も責めないだろう。
ただ、どうにも頭にくる。
このサイトが関係しているかどうかはわからないが、いきなり強力な魔術を手に入れたからといって他人より強い気になって調子に乗っている連中がいる。
そう考えるだけで喜一は心の中から何かどす黒いものが吹き上がってくるのを感じるのだった。
「木原くん」
「は、はい!?」
思わずうわずった声で返事をしてしまった。慌てたせいでスマホを取り落としそうになる。
だが明石は特に気にした様子もなく、喜一の後ろから尋ねてきた。
「魔術とは何だと思うね?」
「ええと、陣・方・素・唱・魔の5要素で発動する現象のことですよね?」
魔術行使には然るべき条件が必要だ。
それが『魔法陣』『方角』『触媒』『詠唱』『魔力』の5要素だ。
をれを略して陣・方・素・唱・魔というが、特に魔力以外の残りの4要素を合わせて『式』や『魔術式』と呼ぶ。魔力を流せば発動するまでの前提条件という意味だ。
しかし、明石は声だけで否定してくる。
「それは原理だろう?僕がいっているのは、”魔術とはなんなのか”ということだ」
「哲学的な話……ですかね?」
明石は魔法陣を描きながら話をしているらしく、紙に鉛筆を走らせる音が聞こえてくる。
「いや、科学的な話だ。木原くんは、まさか魔術が科学の一部だなんて思っているのかい?」
「違うんですか?」
ぴたり、と鉛筆の音が止まった。
「違うさ。いいかい?木原くん。こんなもの、科学のわけがないんだよ」
そう言うと、明石は再び魔法陣を描き始めたらしい。
だが先ほどと違い、鉛筆はがりがりと不機嫌そうに音を立てている。
魔術は科学じゃない?魔術の先生が一体何を言うのだろう。
これだけ使い方が研究されて世に出回っているというのに。
「魔術というのは、世界の古傷を開いて塩を塗り込むの行為のことだ」
魔術教師の彼は、忌々しそうに呟く。
「魔術の発見は基本的に昔の文献からだ。つまりは魔道書だ。そこに書かれている方法を真似てみたらたまたま書いてある通りのことが起きた。ただそれだけだ」
明石の言っている意味がわからなかった。
だがその苛立ちを含んだ声に、喜一は反論することができない。
「だが、それだけが問題だったんだ。科学というのは再現性こそが最も重視される。つまり100回やって100回成功したらそれはもう科学として認められてしまう。うまくいかなかった場合を例外として書き加えて証明は終わりだ。だがね」
明石は言葉を区切る。
「そもそも、一体誰が魔術なんて考えだしたんだ?」
喜一は言葉が出てこない。
いや、むしろ明石は一体誰に向かって喋っているのだろう。
「過去の文献、つまり魔道書を書いた連中は一体何を元にして魔術なんて編み出したのか。たまたま落書きして、思うままに石やら羽根やら置いて、適当に喋って、たまたま魔力を流したら魔術が発動した?そんなばかなこと、あるものか」
がりがり、がりがり、と紙が鉛筆を削る。いや、ひょっとしたら鉛筆が紙を削っているのかもしれない。
まるでその音は自分の体や心が削られていく音ではないかと勘違いしそうになる。
後ろにいる明石が一体どんな表情をしているのか、喜一は振り向くことすらできない。
その声に引き込まれるように、明石は喜一をどこかに引きずり込もうとしているのかもしれなかった。
どこに?知るわけがない。
ひょっとしたら永久に抜け出せないほど暗く深い闇に―――。
人が到達できないほどの遥か遠くの深淵に―――。
「…ぃ!カズ兄!」
はっと二人が息を飲む。弥生の声で二人して現実に引き戻されたみたいだった。
喜一は額に汗をかいていることに気付いた。手はスマホを掴んだままじっとりと汗で濡れている。
「落ち着いて」
「あ、ああ。すまん」
はあ、と明石はため息をついたようだった。
「いいかい木原くん?魔術なんて科学じゃない。そもそも魔力すら、その存在が証明されていないんだ」
明石は先ほどとは違い、落ち着いた声で話す。
いつの間にか鉛筆の音も先ほどと同じようにさらさらと走るような音になっていた。
「だから魔術なんて得体の知れないもの、今あるものだけを仕方なく使うべきなんだよ。すべての魔道書を調べ尽くして、この世にはもうこれ以上の魔術は存在しないのかもしれないと思ったとしても、それ以上の魔術なんて望むべきじゃないのさ」
先生の声には失望が含まれているようだった。
そんなことが、できるわけがないと。
このときの喜一はまだ、明石がなぜこんなことを言っているのかまるでわかっていなかった。
その失望の意味すらも、自分とは無関係の事柄だと勝手に思い込むようにしていたのかもしれない。