第二十三話「濃霧に融ける白銀の騎士」・1
今回は五部構成です。
遡る事幾年……まだ七皇族が存在し、天候を操作する力を天の神に授与されていた時代。
光闇戦争による甚大な被害で七皇族が治めていた皇国はその機能を失い、四帝族が新たに大陸を立て直していく事で領土を広げ直していた。そうして、嘗て七つに分かれていた大陸の領土は大きく四つに分けられ、各帝族が治める事となった。
そんな中、ウォータルト帝国領土で、匿われる事になった七皇族の一つ――霧堂皇家は、一つの湿地帯の森林区域を与えられた。
天変地異――霧天を授与された九代目当主『霧堂皇 桐香』は、その霧の力を使い、一瞬にして周囲一帯を濃霧に包み込んだ。
これが、現在の『濃霧の森』誕生の経緯である。そう、嘗て彼の森は霧堂皇家の住処だったのだ。
しかし、皇族襲撃事件により、霧堂皇家も滅んでしまい、今となっては訪れる者を迷子にしてしまう無人の森となってしまった。
時刻は真夜中。満点の夜空のど真ん中に淡く光り輝く満月が佇み、ウォータルト帝国の濃霧の森を優しく照らす。
そんな森で、桐香は今日も今日とて六本の剣を巧みに駆使して、一人修行していた。
上着を腰に巻き、アームカバーを着けて肘より先の素肌を決して見せない恰好をした彼女は、薄い紫がかった銀髪を靡かせ、しなやかな身のこなしで剣を振るう。しかし、その動きは常に刹那の内。一瞬で標的たる大岩を薙ぎ、細切れにしてしまう。
と、そこへ一人の人物が姿を現した。
《貴殿が霧堂皇桐香殿か……?》
《……誰?》
背後に現れた謎の男性。周囲を漂う霧で、既に謎の訪問者がいる事は分かっていた桐香は、さして驚く様子を見せる事もなく、至って冷静に、静かに後ろを振り返りながら相手に訊ねた。
《これは失礼した……拙者の名前は『騎士ヶ谷 剣丞』。しがない剣士だ……》
《剣士……そう》
剣丞と名乗る剣士の紹介を聞き、桐香はまた一言だけ呟いて再び修行を始めた。
しばし流れる沈黙の時間。聞こえるのは桐香が振るう剣戟による風切り音と、それによって細切れにされる岩や木々の数々の崩壊音だけ。
その沈黙を破ったのは、剣丞の方だった。
《ここへ来たのは他でもない……霧堂皇桐香殿、貴殿に弟子入りを懇願しに参ったのだ》
《……弟子入り?》
耳がいいのか、瞬時に動き回って衝撃波や轟音を耳にしている最中でも剣丞の声が聞こえたようで、彼女はピタリと動きを止めて再びこちらを一瞥した。
《そうだ……お願い出来ないだろうか?》
コクリと頷き、剣丞が桐香に問う。
《わたしは、一度も弟子なんて取った事ない……教えた事も、ない。なにより、めんどくさい……》
《それでもお願いだ……貴殿の使う『刹那の六剣』の噂は聞いている。その御業、是非ともこの目で確かめてみたいのだ》
ゆっくり首を傾げ、そう口にする桐香に、ここで引き下がるものかと食い下がる剣丞。
そんな彼の言葉を聞き、桐香は手元の剣に視線を落として口を開く。
《……そう。あまり動きたくないから、あれはそんなに使いたくないんだけどな……》
その言葉に、剣丞は怪訝な表情を浮かべた。
《おかしな事を言う……先ほどから貴殿は目にも留まらぬ速さで動き、岩や木を薙ぎ倒しているではない》
《……? わたしは動いてないよ》
《何? ……馬鹿な。姿を消し、一瞬の内に標的の間合いに入り、剣を振るっているではないか》
この場に訪れた時から目にしている彼女の動きに関して、剣丞がそう言及する。
《あぁ……剣は振ってるよ? でもこの場からは動いてないの。……だけど、目はいいみたい。姿を消してるっていうのはその通り。わたしは霧に融けて、霧が立ち込めている場所の任意の場所に瞬時に移動できるの》
《なッ――!?》
あまりに信じられない衝撃的な発言をされ、剣丞は激しく動揺して絶句した。あれは目にも留まらぬ速さで動き回っているのではなく、本当に一瞬で霧の中を瞬間移動していたというのだ。あまりにも人間離れしているその行動方法を聞き、これではいくら弟子入りして教えを請うたとて、神速の移動を習得するのは不可能かもしれないと、剣丞は項垂れた。
《……わたしは天使様に加護を授与されているから》
《霧天の力か……》
かつての光闇戦争。その活躍の褒美として、七皇族の当時の当主に授与された天変地異の力。その一つが霧天。どんなに天候が晴れていたとしても、瞬時に天気を霧へと変え、周囲に濃霧を発生させる事の出来る――まさに人を超えた力。
《それは知ってるんだ。……うん、七皇族の代々の後継者に受け継がれてきた天候を操る力……。わたしは、これがある事で外に出る事が出来る》
《どういう事だ?》
《……わたしの肌、デリケートみたいでね……長時間陽の光に肌を晒すと、発作を起こして倒れちゃうんだ。だから、こうして陽の光が届かないじめっとした場所で、尚且つ霧でも立ち込めてないと外にまともに出る事も出来ない》
初めて知る桐香の秘密。まさか、彼女にそんな弱点があるとは思ってもみなかった剣丞は、ふと彼女の体に視線を落とした。
指ぬき型の白いアームカバーで包み隠された左右の細腕。露出した両足も、白いストッキングで肌を覆っている。確かに顔や指先くらいしか、肌は露出していない。
《そうだったのか、しかし……良いのか? そのような弱点、拙者に話してしまって》
《別に……あなたからは、敵意を感じない。純粋に強さだけを求めているように見えたから……わたしに興味があるというより、わたしの力や、その強さに興味があるだけ……でしょ?》
桐香の意見に、確かにその通りだと顎に手をやりながらも納得の声をあげる剣丞。
《如何にもその通り……して、教えてもらえるのだろうか?》
ここが肝心だ。認めてもらえるかどうかで、ここまで来た苦労が浮かばれるかが決まる。ひたすらに強さを求めていた剣丞が、ようやく見つけた強者への弟子入り。
固唾を飲んで目の前の年下の少女の返事を待つ。
と、ようやく桐香が口を開いた。
《……赤の他人にわたしの秘密を教えてしまった以上、生かして帰す訳にはいかないし……だけど、さっきも言ったように教えるのはめんどくさいから、見て覚えて》
気怠げにしつつ、六本の内の最後の一振りを納刀して桐香は嘆息混じりに答えた。
どうやら、遠回しではあるが認めてもらえたらしい。
剣丞は少し表情を和らげ内心歓喜していた。だが、ここで大手を振って喜んでいてはただの子供のようだと必死に内心の感情を押し殺し、上辺を取り繕ってから返事の声をあげた。
《……承知した。では早速――》
《待って、もうすぐ朝になる……言ったでしょ? 極力わたしは陽の光を避けたい、だから今日はもうお終い》
冷静に振る舞っているつもりだろうが、意気揚々としているのが語気の様子からバレバレだった。だが、桐香は特にそれに関しては言及せず、むしろ今から特訓を始めようとしている彼の行動を制止にかかった。表情にはあまり出ていないが、既に相当力を使って疲労していた桐香は、今すぐにでも濃霧の森内の屋敷へ帰って寝たいのだ。
《くっ……もっと早くに訪れるべきだったか、濃霧で迷わなければここまで時間はかからなかったというのに……》
歯噛みして心底悔しそうな様子の剣丞。ここに来て初めて見せる彼の表情に、桐香も初めて表情を綻ばせ、柔和な笑みを浮かべて濃霧の森に関して事情を教えてあげた。
《濃霧で感じてたよ、あなたの事……なかなか諦めて帰ってくれないから渋々招いてあげたと思ったら、まさか弟子入り志願者だった……とはね》
《見ていたのか……》
霧の中を彷徨いまくる自身の情けない姿を一部始終見られていたと知り、剣丞は否応ない羞恥に襲われ頭を抱えた。
すると、桐香がさらに霧の力について教えてくれた。
《霧の中を瞬時に移動出来るって言ったでしょ? 霧と感覚も共有出来るの……それで敵の訪問をすぐに察知出来る。だから、決して敵の闇討ちには遭わない》
《何故そこまで……》
《慎重にもなるよ。この力は特別……人外のパワーはとてつもない脅威になり得る……味方なら戦力、敵なら勢力ってところかな……》
濃霧の森の中を徒歩で歩きながら、桐香は自身の持つ力に関して考えを述べた。
確かに力を持つ以上、それを狙う者や恐れる者はいるだろう。だからこその、この森の自衛方法ということか。
と、しばらく歩いていた二人は、やや開けた場所にやってきた。そこにあったのは、濃霧や木々が避け、月灯りに照らされた泉だった。澄んでいるのか、水底の様子も少し窺える。
《こんなところに泉が……》
《汗かいちゃったから、ついでに水浴びしてこうかなって……》
《待て、一応言っておくが拙者は男だぞ?》
水浴びと聞いて思わず脱ぎだすのかと慌てた剣丞は、さっと隣にいる桐香に制止の声をかけた。
《……知ってるよ。誰も一緒に入ろうなんて言ってない》
流石にそれくらい自覚してると、普段の気怠げな半開きの目をジト目にして、呆れた様子で桐香が口にする。それから彼女はどこかを指さした。それは泉の方とは分かれ道となっている別の道。そこは霧がさらに立ち込めていたのだが、桐香が指を差した瞬間、その動きに同調するようにして霧が彼女の指を避けるようにして晴れたのだ。
《ほ、本当に摩訶不思議な力だ……まるで手品だな》
《わたしの屋敷へ続く道。ルートは霧が教えてくれるから……迷うことなくたどり着けるはず。先に行ってて》
《承知した、しかし、屋敷にいる貴殿の家の者達にはなんと言えば?》
《あぁ、心配しないで。既に霧に乗せて伝言を飛ばしてある。それで伝わってるはずだから》
《……霧とはこうも便利な物なのだな》
恐らくこのような霧の使い方を出来るのは桐香だけではなかろうかと半ば思いつつ、剣丞は感嘆の声を漏らした。
《……早く行って、汗でベタついて気持ち悪いんだから》
《あ、ああ……そうであった。では、後程……》
《……うん》
桐香に急かされ、剣丞は少し足早にこの場を立ち去った。
《……もう、行ったかな》
霧と感覚を共有し、視覚情報で剣丞の姿を確認する。どうやら、きちんと霧の避ける方向へ向かって歩いているようだ。
《これなら大丈夫そうかな……》
桐香は、閉じていた目をゆっくりと開き、アームカバーから腕を抜き取った。汗ばんだ色白の素肌が露出し、周囲から漂う風に撫ぜられてその心地良さに笑みを浮かべる。
両腕のアームカバーを脱ぎ終えると、今度は腰に巻いている上着とスカートを下ろし、白ストッキングを脱いだ。
《肌を露出出来ないとはいえ、これはこれで汗で蒸れて嫌なんだよね……》
残りの下着を脱いで衣類をまとめ、傍の木陰に隠した桐香は、一糸纏わぬ姿で泉の縁へ歩いて行った。霧は泉の周囲までしか覆えない。そのため、ずっと霧の立ち込めた中にいた桐香は、霧の中から姿を現すことになる。
《水場にだけは、どうしても霧が張れなかった……水場にも張れれば、どこにいても安全だったんだけど》
そう、これが彼女のもう一つの弱点。彼女の感覚共有や霧移動はどれも霧に触れていなければ行えない。そのため、霧から出てしまうと途端に戦力がガクッと下がってしまうのだ。そのため、霧から出ている間は常に緊張した状態で警戒態勢を強めている他ないのだ。それが、自身を守る術なのだと、桐香は汗をかいた自身の肢体に水をかけながら言い聞かせた。
《……やっぱり水よりお湯じゃないと安心出来ないな》
お湯の場合、水蒸気により湯気が立ち込めるため、霧同様の力が使える。そのため、取り急ぎの汗を洗い流す以外は、屋敷へ戻って、そこでしっかり疲れを取るようにしていた。
《そろそろ戻ろう》
桐香は周囲を見渡しながら霧の中へと戻った。すぐさま感覚共有して周囲の様子を確認する。五感全てで濃霧の森を感じ取る。この瞬間だけ、彼女は森と一体化したような状態になる。
どうやら、濃霧の森全域に張り巡らされた霧の中には怪し気な人物はいないようだ。
ふぅと安堵の溜息を洩らし、霧香は衣服を身に着け霧移動で屋敷へ瞬時に移動した。
こうして桐香と剣丞の剣の修行が始まった。
元々二刀流の剣の使い手だった剣丞は、修行を始めて一か月経つ頃には三本の剣を使うまでに成長していた。その成長の速さには、桐香も驚きを禁じ得なかった。自分とは異なり、皇族という訳ではない。特別な力を持たぬ彼は、その身一つを鍛え上げているのだ。もしかすると、素の実力という点でいえば、現時点で桐香を凌駕するほどになっているのではないだろうか、そう考える桐香だが、剣丞は決して認める事無く己を強くすることに意固地になっていた。




