第二十一話「燃え盛る憎悪に包まれし魔女」・2
場所はエレゴグルドボト帝国領のサンダルコ街。その一角の建物内で、鍛錬塾は開かれていた。
周囲を見渡すと、二人以外にも大勢の参加者がおり、その見た目からいろんな所から訪れているのは一目瞭然だった。彼らもまた、自分達と同じく弱い自分を変えたくて訪れた仲間なのだろうと、アンジェラは思った。
そこに、眼鏡をかけた男性がやってくる。ニコニコ笑顔で糸目の男性は、手を左右に大きく広げ、歓迎ムードの明るい調子で声をあげた。
《よく来てくれました。私達は貴方達を歓迎しますよ。これから、貴方達一人一人に力を与えます。これで貴方達は変わるのです。きっと、人生が変わって見えるでしょう。順番にお呼びしますから、呼ばれた方から奥の部屋へとお越し下さい》
軽い挨拶を済ませ、男性が説明をくれる。この奥で、力がもらえる。そうしたら、今までの生活が変わるのか?
アンジェラは不意に自身の手を見下ろした。
と、隣に立っていた友達の少女がアンジェラの右手を握ってきた。その手はじっとりと汗ばんでおり、不安と緊張からか、少々震えている。
《大丈夫よ、あたしはすぐ傍にいるから》
《う、うん。ありがとう》
どうにか安心させられないかと、そう声をかけてあげると、少女は少し落ち着いたのか一呼吸置いて、アンジェラにお礼を口にした。
と、少女の名前が呼ばれた。順番が来たらしい。
《は、はい》
一人ずつと言われた以上、ここで別れざるを得ない。二人は手を放して互いに力が与えられるのを待つこととなった。
《さぁ、最後は貴方の番ですよ》
《……ええ》
アンジェラは首肯して男性の後についていった。
後ろをついていく間、周囲を見渡してみる。辺りは薄暗く、何が置いてあるのかは正直よく分からない。臭いと言えば、何やら少し鼻をつく刺激臭が漂っていた。何かの薬品だろうか。
しかし不思議だ。ここは鍛錬塾のはず。であれば、むしろ汗臭かったりしそうなものだが。
トレーニングマシンのようなものも見当たらない。また別の場所に置いてあるのだろうか。
と、少し歩いて辿り着いたのは、周囲を壁に囲まれた窓一つない一室だった。
《ここでお待ちください。すぐに担当の者が来ますからね》
そう言われて待つこと数分。
ふと足元に目をやる。暗がりでよく見えないが、何か赤黒いシミが広がっているのが見えた。何か鉄錆びのような臭いもする。
――え、これってまさか――。
嫌な予感が脳裏を過るが、そこに扉の開く音が聞こえてくる。
《お待たせしました。すぐに済みますからね》
そう言って別の男性がアンジェラのか細い色白の腕を掴み、何かのスイッチを押す。すると、腕置きに格納されていた腕枷が、がっしりとアンジェラの手首を掴んだ。
《え!? な、何するんですか!?》
突然強引な手段を取られ、アンジェラは驚愕して目を丸くし声を荒げた。それはそうだろう。力を与えられると言われ着いてきてみれば、急にこんな大掛かりな事をされ、一体これから何をされるのかと身構えない方がおかしい。
身の危険を感じ、アンジェラは慌てて拘束具を取り外そうと右手を伸ばす。しかし、背後から現れたもう一人の男性に手を掴まれ、それ以上の自由が奪われてしまった。
《んなっ!?》
《大人しくしていてください。言ったでしょう? すぐに済みますから……》
そう言って顔を近づけてきた男性は、ニヤリと悪い笑みを浮かべて懐から取り出した銀色のケースから、一本の注射器を取り出した。その中には、真っ赤な液体が入っていた。
《な、何それ……》
《これは力の源です。これを貴方に注入するのですよ》
《待っ――》
アンジェラの制止の声など聴く耳持たず、男性は針をアンジェラの左腕に突き挿し、一気にその赤い液体を注入した。
直後、謎の痙攣がアンジェラの左腕を襲い、激しくのたうち回った。まるで、左半身だけが別の何かになったかのような感覚に、気持ち悪くなってアンジェラは眩暈がした。
《ふむ……初期症状はこんなものですか。これは期待が持てますね》
《はぁ、はぁ……こ、これで本当に力が手に入るのよね?》
《ええ、勿論ですとも……どうやら貴方は"選ばれた側"の人間のようですからね》
何か企んでいるのか、怪しい笑みを浮かべる男性に、アンジェラは腕を押さえながら口を開いた。
《ど、どういう……》
《さて、授与は終了です。さぁ、待機場所へ移動しますよ。あなたのお友達もお待ちです》
《あ、そうだった!》
自身に及んだ一瞬の危機に、思わず友達の彼女の事を忘れていた。この男達の口ぶりから、きっとこの場へ訪れた他の人達も同じ目に遭ったに違いない。つまりそれは、例に漏れず彼女もこの注射を打たれたという事だ。心配だ、急いで彼女に会わなければ。
《急いで会わせて!》
《そう焦らず……こちらですよ》
そう口にする男性に連れられて、アンジェラはそわそわしながら待機場所へやってきた。
《あ、やっときた!》
《よ、よかった、無事だったのね!》
一見なんともなさそうな友達を見つけ、ほっとしながらその安堵感から友達をぎゅっと抱きしめるアンジェラ。
《え? うん……》
そんな彼女の反応に、友達の少女は抱きしめられながら少し怪訝そうに首を傾げた。
しかし、どういうことだろう、あの注射を打たれたはずなのに、何も疑問を抱かなかったのだろうか?
ふとそんな疑問が湧く。
周囲を見ると、確かにアンジェラ以外にも何人か警戒心を強めている人はいる様子だった。
すると、またあのメガネの男の声が聞こえてくる。
《さて、鍛錬塾は始まったばかりです。しかし、授与式を終えてまだ力が体に馴染んでいないはずですから、本日はここで終了にして、休息をお取りください。明日また、次の流れをご説明致します》
そうして、この場は解散となった。
アンジェラと友達の二人は、女性に連れられて小部屋へと案内された。二人は隣同士の部屋だった。
《それじゃあまた明日ね》
《うん、明日》
互いに挨拶を交わし、部屋の扉を閉める。部屋の中は、やや湿気の籠った場所だった。窓はなく、外の様子は窺えない。ベッドも簡素なもので、正直寝心地はあまり保証出来なさそうだった。仮眠を取れれば、それで十分といったレベルだろうか。壁には備え付けの時計があり、静かな一室に秒針の動く音が響き渡っている。
やることも特にないので、アンジェラは仕方ないと内心諦めてベッドにダイブした。中に仕込まれたスプリングが、年季の入った音を鳴らして弾む。
《……埃っぽい》
あまり手入れも行き届いていないようだ。ここまで準備が整っていないとなると、この鍛錬塾は突発的に催されたのだろうか? それにしては、授与などに関しては前々から綿密に計画されていたようにも思える。
となると、自分達の扱いがぞんざいにされている? まるで、招かれているはずなのにそうではないような感じだ。
しかし、ベッドの寝心地はそこまで良くはないというのに、謎の眠気に襲われ、アンジェラは重い瞼を閉じて眠りに就いた。
その夜、アンジェラは凄まじい高熱にうなされ、寝苦しい一夜を過ごした。部屋の気温が高いからなどではない。自身の体が異常に熱い。まるで、身体の中心に熱エネルギーがあるかのようだ。
そして、その寝苦しさはやがて息苦しさへと変わり、ついには気絶する形でアンジェラはそのまま朝を迎えた。
翌日。
ハッと目が覚めたアンジェラは、息を乱して上半身を起こした。ふと視線を下ろすと、全身汗だくだった。
それにしても不思議だ。あんなに寝苦しい思いをしたというのに、あの高熱は嘘のように引いていた。ただ、悪夢ではない。現にこの異常な寝汗の量が証拠だろう。
寝汗を吸い、ぐっしょり濡れてすっかり変色した衣服に不快感を覚えたアンジェラは、急いで荷物から着替えを取り出し着替えた。
《喉乾いた……》
アンジェラは喉の渇きを潤そうと、部屋に設置されていた小型の冷蔵庫から水を取り出した。それからコップに水を注ぎかけて、急激な立ち眩みにコップを落としてしまった。慌てて水の入ったコップを拾おうとしたが、一歩間に合わずコップは無情にも割れた。
しかし、その時だった。摩訶不思議な現象が起きたのだ。思わずコップに手を伸ばした姿勢で固まってしまうアンジェラは、目を数回瞬きさせて、それが現実であるかを再確認した。が、何度見てもそれは変わらない。どうやら、現実らしい。
一体何が起きているのだろう。アンジェラの目の前に広がっていたのは、コップに注いだはずの水が宙に浮かんでいる光景だった。
と、ようやく我に返ったアンジェラは、ハッとなって手を引っ込めた。同時、水は自然落下してコンクリの床に広がった。
自分の掌を今一度見下ろし、恐る恐る水の入ったボトルに手をかざす。すると、容器を破壊して水が周囲に飛び散った。
《ほ、本当に目醒めたんだ……これが、あたしの、力……》
アンジェラは自身が力に目覚めた事を自覚した。喜び勇んで隣の部屋にいる友達の所へ向かい、扉を数回ノックする。どうやら、友達はまだ寝ていたらしい。寝ぼけ眼を擦りながら開いた扉から顔を覗かせる。
《ねぇ、聞いて! あたし、水属性の力に目醒めたの!》
《……え、すごいっ! いいなぁ、わたし、さっきからちょっと熱っぽいんだよね。ちょっと痰も絡んで……》
と、どうやら自分と同様昨晩熱にうなされていた様子の友達が、うだる気に頭を押さえて咳ばらいを一つした刹那――その口から火を吐いた。
《きゃっ!?》
《これってもしかして――》
《や、やった! わたし、火属性に目醒めたみたい!》
《おめでとう!》
友達は火属性の力に目醒めていたようだ。
二人は一夜にして、互いに無属性者から有属性者になったということだ。二人は嬉しくなってハイタッチして喜びを分かち合った。
だが、二人はまだ気づいていなかった。異変は既にゆっくりと起き始めていることに。
二人が集会に行くと、あれだけいたはずの参加者が半分近くに減っていた。
《え、こ、これだけ?》
《い、一体何が……》
アンジェラと友達が周囲を見回して戸惑っていると、昨日出会ったあの男性が姿を現し口を開いた。
《他の参加者の方々は昨晩から体調不良のため、鍛錬塾参加を辞退されました。実に残念です……せっかく授与を行われたというのに》
きっと昨日自分達も見舞われた、あの高熱が原因に違いない。
アンジェラは内心そう確信していた。だが、確かな証拠もないし、これ以上追求してもどうにか出来る訳でもないと、意見するのは止めておいた。
翌日。
アンジェラ達は本格的な鍛錬に参加する事となった。
ここからアンジェラは徐々にこの鍛錬塾に感じていた違和感が確かなものとなった。そしてその異常さに気づいた時には、時既に遅しだったのである。
《お、お願い……もう無理》
アンジェラは激しい疲労感に襲われ、床に四つん這いになって呼吸を乱して懇願していた。想定していたよりも遥かに多い鍛錬量のノルマを課され、それを達成出来ずに疲労困憊状態だった。体力にはそれなりに自信があったアンジェラも、調子が良かったのは最初の内だけ。後半には魔力も底を尽き、限界を迎え今に至るというわけだ。
《なりません……これでは力の測定が出来ないではないですか。ほら、立ちなさい》
男の冷たい言葉が投げかけられる。
アンジェラでこうなのだ。元々体の弱かった友達が耐えられるはずがない。
彼女が気がかりで急ぎ周囲に視線を向ける。そして、見つけた。倒れている彼女を――。
《や、やめてえええええ!》
アンジェラは既に限界の自身の肉体に鞭を打ち、急ぎ駆けて友達に駆け寄った。僅かに意識はあった。だが、自分以上に彼女は衰弱している様子で、既に意識が朦朧としているのか、うわ言のように何かを呟いていた。
流石にそれを見て、彼らもこれ以上の鍛錬は不可能と感じたのか、嘆息交じりに口を開いた。
《本日はここまでとします。明日また同じ時間にここに来なさい。今日出来なかった分の鍛錬は明日まとめて行ってもらいます》
《そんな……》
《ノルマを課せなかったのですから当然でしょう? 強くなるためです、必ずこなしてもらいますよ》
そう言い残すと、男達はこの場を後にした。
部屋に戻ったアンジェラは、彼女を一人きりには出来ないと、強引に許しを得て友達と同じ部屋にしてもらった。相変わらず手入れの行き届いていないベッドに、ないよりはましだという思いで友達を寝かせる。
《ねぇ、大丈夫?》
水属性の力で生成した水でタオルを絞り、彼女の額に乗せる。相当な熱なのか、すぐにタオルは温くなってしまう。
何度もタオルを取り換えていると、ようやく意識を取り戻したのか、少女が乱れた呼吸を繰り返しながら口を開いた。
《はぁ、はぁ……帰りたい。わたし達の、町に……》
《……大丈夫、きっとあたしが連れて帰るから……》
震える手を虚空に掲げる彼女の手を優しく両手で握り、アンジェラは少しでも安心出来るように、語り掛けるようにそう言葉にした。
すると、少し安堵したのか少女は再び眠りに就いた。
《あたしが……何とか、しなきゃ》
そう決心を強めるアンジェラ。
だが、翌日。そんな彼女の決意を打ち砕くように、想定外の出来事が起きた。
《おい、起きろ! とっとと本日の鍛錬を始めるぞッ!》
《な、何!?》
《い、嫌……》
突如扉を蹴破り姿を現れたのは、がっしりとした体格に、短髪にやや髭を蓄えた強面の男だった。男は眉間に皺を寄せ、ベッドに横たわっているアンジェラ達を見るや否や、強引に二人の腕を掴んで叩き起こした。
《いたっ!?》
《は、放して!》
《遅刻しておいて何を言っているッ! タイムスケジュールには一分一秒の遅れも赦されんのだッ!!》
《な、何言ってるの? まだ予定の時間の十分前じゃない!》
壁にかけてある時計の時刻を一瞥くれて、アンジェラはそう叫ぶ。
だが、男は逆切れしたように言い返す。
《十分前行動も知らんのか貴様は! とっとと来いッ!!》
《ふ、ふざけないで! こんな格好のまま着替えてもいないのに、鍛錬になんていけないわ!》
あまりに強引な男の行動に、横暴だと言わんばかりにアンジェラが声を荒げて文句を口にする。しかし、男は決してこちらの意見は受け入れず、自身の信条を貫いてきた。
《鍛錬に恰好など関係ないッ!! その身一つあれば十分だッ!!》
まるで熱血な教師の如く、その両目に熱い闘志の炎を灯す男。
《……くッ、貴様とのやり取りのせいで、二分三十秒の遅れだ! これではいかんッ! 強引にでも連れて行くぞッ!!》
タイムスケジュールを確認し、予定していた時刻がずれそうな事に苛立ちを憶え舌打ちした男性は、ぐいっと二人の腕を引いて部屋から引きずり出そうとした。
と、アンジェラは既に辛そうな表情を浮かべている友達を見て、待ったの声をあげた。
《ま、待ってよ! この子は昨日から体調崩してるの。今日だって熱があって、こんな状態で鍛錬なんて無理だわ!》
《熱だと?》
アンジェラの言葉に片眉をひくつかせた男性が、少女の顎をぐいっと持ち上げてまじまじと顔を覗き込む。その顔は赤ら顔で、目も虚ろでとろんとしており、額にはじっとりと汗をかいていた。呼吸も少し荒い。
だが、男はしばしの沈黙の後、口を開いた。
《ふんッ、これくらいで休むなど笑止ッ! 鍛錬塾に休みという文字はないッ!!》
《そ、そんな……》
絶望の表情に彩られるアンジェラ。それは友達も同様で、喋るのもしんどいのか、ただ息を乱して意気消沈した様子を見せている。
結局交渉虚しく、二人は鍛錬場へと連行された。




