第二十話「嫉妬に嗤い狂う妖艶なる夢魔」・2
【まずはハグよ。勝敗は七海に決めてもらうわ。どっちのハグが気持ちよかったかで判定してもらうわ。時間は一分よ】
一本目の勝負内容を説明され、渚は七海の前に立った。
「そ、それじゃあいくわよ?」
「うん」
少し恥ずかしそうに照れた様子を見せる渚に、七海は虚ろなままゆったりと両手を広げた。そんな彼女を抱きしめハグする渚。が、正直な所身長差のせいもあってハグしているというより、渚が一方的に七海に抱き着いているようにしか見えなかった。
【はい終わりよ、次はわたしね】
一分をカウントし終えたレイラが、さっと渚をどかし、流れ作業のようにスムーズに七海をハグする。
【やっぱり豊満な体してるだけあって抱き心地は最高ね……どうかしら、七海?】
「うん、気持ちいいわ」
【ふふっ、ハグ勝負はわたしの圧勝のようね。さ、次いきましょ?】
次の勝負内容はマッサージ。レイラが用意した簡易マットに七海を寝そべらせ、肩や腰、足など全身を隈なくマッサージしていくというのが勝負内容だった。これも先ほど同様七海が気持ちよかったと思った方が勝利。
今回も先攻だった渚が彼女の上に跨り、肩や腰を指圧マッサージしていく。だが、マッサージなど普段全然した事がない渚は勝手が分からず、たどたどしい手つきでマッサージを進める事になった。今回の制限時間は十分。だが、七海の反応は多少声がもれる程度で、正直満足している様子は見られなかった。
そこに無情にもレイラの時間終了の声が響く。
【全く、てんでダメね。これじゃあ七海も悶々とするだけで一向に気持ちよくなれないわよ?】
「う、うっさいわね! ま、マッサージなんてアタシはする側じゃなくてされる側だもの。やった事ないんだから出来るわけないじゃない!」
【うっふふ、まあそこで大人しく見てなさい。本当のマッサージがどんなものか、見せてあげる♪】
そう言うと、手指を軽くストレッチしてレイラがうつ伏せの七海の上に跨り、その腰に両手を這わせた。
刹那、七海が甲高い声をあげた。本人もハッとなって慌てて口を手で塞ぐ。
【相当凝ってるわね……マッサージのしがいがあるわ。その胸だもの、ここも相当でしょう?】
と、今度は肩を強く掴んだ。すると、またもそれに呼応するように七海が体を大きく捩らせてくぐもった声をあげた。必死に声を押し殺しているようだが、正直声が大きすぎてあまり意味を成していなかった。
マッサージが始まってもう五分が経過した頃だろうか、渚の時とは異なり、七海の全身は発汗してすっかり熱を持っていた。まるで激しい運動をした後かのように息遣いが荒い。
一方で、ただその光景を見ていただけの渚も、知らず内に息があがっていた。顔が火照り、首筋を一筋の汗が伝う。
結局十分間、一度も七海の気持ちよさそうな声が途切れる事はなかった。それを聞いているだけで、第二試合の勝敗もどちらの勝ちかなど明らかだった。
【あなた、霧霊霜七海をボディーガードにしているってことは、彼女がどれだけ疲れているかだって分かっているでしょうに……まぁ、所詮はあなた達の関係性もその程度って事よね、やっぱり】
「勝手な事ばかり言って……!」
【……まぁいいわ、既に二勝してる時点でわたしの勝ちは確定だけど、そこまで足掻くのなら最後の一勝負で完膚なきまでに思い知らせてあげる。さぁ、最後の勝負はキスよ。特別に、この勝負に勝ったらあなたの勝ちでもいいわ。まぁ、無理でしょうけど】
完全に勝ち誇っている。既に勝者の余裕さえ見せているが、それも当然の事だ。既に決着はついているのだから、余裕綽々にもなるだろう。だが、ここで諦める渚ではない。正直まさか七海とキスする事になるとは想定すらしていなかったが、彼女を助けるにはこうするしかない。
意を決して渚は一呼吸置くと、真剣な面持ちでレイラを睨みつけた。
【ふぅん……気に食わない顔。ほら、さっさと始めてちょうだい? 第三試合キス勝負。制限時間一分の間に、キスをして七海を満足させた方が勝ちよ、簡単でしょ?】
「……言ってくれるわね。やってやるわよ! な、七海……す、少し屈んで」
「わかったぁ~」
身長差のせいで背伸びしてもキス出来る高さになかった渚は、ちんちくりんな自身に恥じらいつつ相手が自分に身長を合わせてくれるのを待った。
そして七海がやや顎を上げて目を伏せ、唇を少し突き出して待機状態になった。
「……ふぅー。……い、いい? す、するわよ?」
「……うん」
いざキスするとなるとやはり恥ずかしさが増してきて、渚は耳まで真っ赤にして顔を伏せると、盛大に息を吐いてもう一度七海に確認を取った。七海も少し緊張してきたのか、目を閉じたままやや頬を赤らめている。
「んっ……ちゅっ」
腰を落としてやや屈む七海の両肩に手を置き、彼女の唇に自身の唇を重ねた。驚くほど柔らかい……そんな率直な感想を抱いてしまう渚に、ようやくレイラの声が聞こえてくる。
【何してるの? ほら、制限時間は一分しかないのよ? 早く七海を満足させてあげなきゃ】
――そ、そんな事言ったって! き、キスはしたんだし……こ、これ以上どうしろっていうのよ!
まだ齢十二の渚にとって、キスの経験など皆無。そんな彼女にとってキスの知識など唇同士をくっつける程度しかないのだ。
それどころかキスにこれ以外の種類がある可能性があると分かり、渚は困惑した。思わず内心で抱いていた文句が口を継いで出そうになる。
と、そこで問題が起きた。渚が唇を重ねたまま声をあげようとして口を開いた次の瞬間、つられて七海の口が開き、彼女の舌が渚の口腔内に侵入したのである。
刹那――。
「~~~っ!?」
目を見開き、渚は思わず無意識に七海の側から飛び退いてしまった。目を白黒させ、先ほどの味わった事もない感触と全身に走った衝撃に、言葉を失う。それから不意に、今しがた味わった感触を思い出すように自身の唇に手の甲を触れさせた。
ふと七海を見やると、彼女は特に何食わぬ顔で不思議そうに空を見つめていた。今の彼女は完全に正気という訳ではない。未だ尚レイラのかけた幻術にかかっている最中なのだ。無意識下で先のような事故が起きてしまったのだ、そうに違いない。そう自身に言い聞かせる渚。
【あらあら、マセガキだと思っていたけれど、やっぱり年相応のお子ちゃまなのね? Dキス程度でそこまで動揺するだなんて】
「でぃ、でぃーぷ?」
【くすくす……もっとお勉強しなさい、旋斬渚……まあでも、今更学んだところでもう遅い……一分――時間よ】
キスの知識も然程ない彼女に、レイラは自身がどれだけ優位であるかを再認識して、思わず小馬鹿にするように小さく嗤った。
これで彼女達の敗北が決するのだ。本来は七海一人を始末する予定だったが、予期せぬ獲物の追加。脅威は多く潰しておくに越したことはない。
レイラはニタリと白い歯を見せて口の端を吊り上げると、舌なめずりして七海の前へ歩み寄った。
【可哀想な霧霊霜七海……大事な親友にロクに満足もさせてもらえず、さぞかし欲求不満でしょう? 安心なさい、今のあなたの目の前にいるわたしこそが本物……わたしなら十二分に満足させてあげるわ】
そう言うとレイラはやや頬を上気させた七海をぐいっと抱き寄せ、それから彼女の顔をがっしりと掴むと、口を開けて舌をめいっぱい突き出し、啄むように七海の唇を奪った。先ほどまで虚ろな表情を見せていた七海も、その未体験の感覚に体を痙攣させ、とろんとした垂れ目を見開いてくぐもった声をあげた。
――あらあら、Dキスは知っている様子だったけど、こんなに激しいのは初体験だったかしら? ふふっ、膝が笑ってるわよ? でも、まだまだ放してあげない……もっと愉しみましょう? くすくす……。
レイラは自身の持っている舌技をこれでもかと七海にお見舞いした。両者の口の端から溢れ出た涎が顎を伝って床へと滴り落ちていく。
そんなあられもない光景を目にして、渚は顔を真っ赤にしてその場にぺたんと座り込んでしまった。思わず恥ずかしさに目を背けてしまいそうになるが、思春期真っ盛りな彼女も多少気にはなるようで、無意識の内にその光景を食い入るように前のめりになって見続けてしまう。瞬きもすっかり忘れて、自身のドライアイがさらに悪化するのも厭わずに。
そうして、制限時間一分が経過した。
レイラががっしり掴んでいた七海の顔を放すと、彼女は既に足腰が立たなくなっていたのか先ほどの渚同様その場に座り込んでしまった。身体をビクビクと震わせ、すっかり蕩けきった表情を晒している。散々舌を弄ばれたせいか、口も緩み切り、だらしなく舌を垂らして胸元に涎が滴っている。
【……ぷはぁ、あらあら腰砕けになっちゃったかしら? まぁでもその表情からしても、満足はしてくれたんじゃないかしら? どこかのお子ちゃまの"ちゅー"なんかじゃ到底満足出来なかったでしょうし】
「……ゔっ」
レイラに痛い所を突かれ、渚は呻いた。
【さぁて、これですべての試合は終了。結果は言わずもがな、わたしの圧勝ね。うふふふ、あっははははは! 思わず笑えてくるわ! 勝てもしない勝負にまんまと乗っかって、挙句の果てに大敗! は~おっかしぃ!】
顔を俯ける渚と七海。すっかり疲労しきっている二人を後目に、レイラは愉悦に笑みながら再び口を開く。
【ふぅ、さてと……偽物には死んでもらいましょうか。さぁ、霧霊霜七海……偽物の旋斬渚を殺しなさい!】
「……わかったわぁ~」
レイラに命じられた七海は、ゆっくり膝に手を突いてその場に立ち上がると、ハルバードを構えてレイラと座り込む渚の下へ歩み寄った。これでハルバードの攻撃範囲だ。
「……さようならぁ」
一言別れの言葉を口にして、七海はハルバードを振るい袈裟切りを繰り出した。思わず渚は殺されると思って目を瞑ってしまった。
しかし、空を切る音と同時、肉が斬られる音が木霊したにも拘わらず、渚は未だに意識があった。それどころか、何かの飛沫が自身に降りかかってくる。
思わず頭を抱えたままゆっくり頭をあげると、レイラと渚はほぼ同時に声をあげた。
【――は?】
「え?」
七海の袈裟切りを受けていたのは、渚ではなくレイラの方だった。
訳が分からなかった。七海は確実に幻術にかかっていた。現にレイラの指示に従って動いていたのだ。それなのに、トドメという所で突然の反逆行為。
【ぐふっ!? ごほっ、な、なに……これ】
傷口から感じる身体の異常。慌てて精力回復を試みるが、肌艶は戻っても傷が癒えない。それどころか酷い立ち眩みにレイラは体をよたつかせた。
すると、混乱して狼狽するレイラの耳に七海の声が聞こえてきた。
「……対冥霊族用の聖水をハルバードに塗り込んでたの~、すっかり油断しててくれて助かったわぁ~」
【む、霧霊霜七海……あ、あなた、幻術にかかってたんじゃ――】
血反吐を吐いて大の字に倒れたレイラは、訳が分からず目を白黒させた。
「かかってはいたわ~。だけどぉ、ハグもマッサージもキスも上手い渚ちゃんが、本物な訳ないでしょう~? だからぁ、言われた通り偽物であるあなたを斬り捨てたの~」
その七海の説明を聞いて、レイラは合点がいった。言われてみれば全く持ってその通りだ。彼女に幻術をかけて渚の姿に見せているからといって、それはあくまで見てくれだけ。中身もきちんとなりきらなければ、バレるのは当然の事だった。
相手を絶望のどん底に突き落とせる事で悦に浸り、すっかり油断していたのが甘かった。
【……はは、あははは。わたしの圧勝だと思っていたのに、何よこれ……わたしの完敗、じゃない……ごほっ、ごほぉ、げほっ! ……はぁ、……っはぁ、っは、ぁ……】
大量の失血と不死身の力を聖水によって消失したレイラは、意識の薄れゆく中、霞む視界にぼんやりと七海の姿を捉え、そちらに視線を向けた。
【……う、っく……ぁ、はぁ、な、にか……用?】
「どうして、そこまで親友に執着するのかなーって」
【……ふん、無様なわたしの忌々しい過去に興味があるだなんて、……ぐっ、とんだ物好きね……】
七海の質問にぼそり嫌味を口にしたレイラは、静かに語り出した。
――▽▲▽――
わたしは生前、少々ナルシスト気味の少女だった。自慢ではないが、中の上くらいの見た目だったと自負している。
出身は夢鏡王国近くのドムトリア。夢属性を持っていたわたしは、幼い頃からよく見ていた夢に出てくる一人の男を王子様と思って恋焦がれていた。
仲のいい大親友の女友達とその夢の話をして、よく盛り上がっていたものだ。
《あたしもそんなロマンチックな恋、してみたいなぁ》
《うふふ、きっと出来るわよ。あなたも十分カワイイんだもの》
《そう? あなたにそう言ってもらえると自信持てるわ》
他愛のない会話。親友の彼女とそんな話を続けて早数年。
ついに、わたしは運命の出会いを果たした。なんと、夢で度々出会っていた男が、現実世界にいたのだ。即座にわたしは彼に恋をして、告白した。結果は見事成功、晴れてわたし達二人は付き合う事になった。親友の彼女にも報告すると、彼女はまるで自分の事のように嬉しそうに笑い、喜んでくれた。
何もかも順風満帆で、悩みの種など一つもない日々。
だけど、不幸は突如として巻き起こった。
彼と付き合ってから一年経ったある日、突如彼氏に呼び出された。
《ど、どうかしたの? こんな所に呼び出して……》
少々不安な思いを抱きつつ、わたしは恐る恐る彼に問うた。
すると彼は、一瞬閉じかけた口を再度開いてこう切り出した。
《すまない、僕と別れてほしい》
《……は?》
わたしは我が耳を疑った。今目の前にいる彼は、なんと口走った? もしかしてだけど、別れてほしいって言った? 何で? 何で別れるの? 訳が分からない。
《もう、これ以上君と付き合う事は出来ない、だから頼む……別れてくれ》
最早彼はわたしに視線すら合わせてくれなかった。だけど、わたしはここで認める訳にはいかない。
《嫌よっ! どうして? 理由を説明して! でないと納得出来ないわっ!!》
精いっぱいの抵抗だった。そもそも理由など説明できるはずがない。そう確信を持てる程、わたしには非の打ちどころがないと思っていたのだ。
だけど、彼は理由を説明してくれるどころか、ただひたすらに首を振るばかりで答えてくれやしなかった。
それどころか、彼はなかなか引き下がってくれないわたしに業を煮やしたのか、唇を噛み締めて渋面を浮かべながら顔を上げると、大きく口を開いた。
《別れてくれッ! でなければ、僕はこの場で死ぬッ!!》
衝撃的なセリフだった。そんな言葉を言い放たれ、わたしは次に言おうとしていた言葉を言い淀み、嚥下した。完全に言葉を失い、わたしは絶望に肩を落とし、その場に膝から崩折れ、座り込んだ。
《……ぐす、どうして、どうしてなのよぉ……お願い、わたしが悪かったのなら、謝るわ。改善するよう全力で努めるから、お願いよ……捨てないで》
とうとう混乱の限界を迎えたわたしは、どうしていいか訳も分からず、胸のつっかえるような苦しさに堪らず涙を溢れ出させ嘔吐き始めた。
だが、そんな嘗ての彼女を目の当たりにしても、彼は駆け寄ってくれるでもなく、ただわたしを見下ろして。
《すまない、もう君を愛する事は出来ないんだ……》
とだけ言って、わたしの横を通り過ぎ、どこかへと姿を消した。
《なんで……なんでなのよぉおおおおおお!》
わたしは絶望と悲壮感に打ちひしがれ、握り拳を作って地面に蹲って号泣した。そんなわたしに、天もまた呼応するように泣きじゃくった。
こうしてわたしは、交際一年にして破局し、ずっと夢に見ていた王子様を失ったのだった。




