第八話「襲撃!伝説の戦士(中編)」・1
結構長いです。五部構成でお送りします。
ウォータルト帝国の一角に存在する村『レイニーヴィレッジ』。
ここを治める靄花は、欠伸をしながらある作業をしていた。
「はぁ、最近はどうにも治安が悪いですわね。タルマルーク王国が事実上壊滅したも同然となって、民の皆様が不満を行動に表してるんですわ。まったく……確か、お話ではお世継ぎがいらっしゃらないとか仰ってましたわね。あっ、でしたら私が王様になってもいいんじゃありませんの!?」
などと、よく分からない事を口走る靄花だが、すぐに頭を振って頬杖をつく。
「ダメですわ~。全く書類の整理が追いつきませんの。もう少し人員を増やした方がよろしいかしら? ですけど、最近はこの村の治安も芳しくありませんし、警護で手一杯ですもの。そもそも人が少なすぎるんですのよ、この村はっ! もう少し多くてもよろしいんじゃなくて?」
ついには独りで愚痴を零し始めた靄花は、筆を置いて手を組み、ぐ~っと上に腕を伸ばした。所謂伸びの運動だ。
「んぁ~。今日はこの辺にして、そろそろ寝ませんと。お肌に良くありませんものね」
それ相応の理由を取ってつけた靄花は、うんうんと自分に言い聞かせて椅子から立ち上がろうとする。
刹那――背後に人成らざる物の気配を感じ取った。
「――っ!? な、何者ですの!?」
雰囲気的に、間違いなく振り返れば殺られてしまうであろう敵だ。そう直感した靄花は、頬から冷や汗を流しながら背後にいる敵に問うた。
【んっふふふふふ、我の気配に気づくとは、貴公もなかなかやるな。単刀直入に言おう。我が望むは、輝かしき成功と、貴公の死だ】
「はぁ? あなた、馬鹿ではありません? この私が、あなた如きにそう易々と殺られると思いまして?」
あくまで上辺だけの言葉だ。本当に相手に負けないとは言い切れない。何より不覚にも背後を取らせてしまったのだから。本来なら、今にも殺されていて不思議はないのだ。
【ふっ、威勢だけは認めてやろう。だが、貴公こそ馬鹿なのではないか?」
「な、なんですってぇ!?」
鼻で笑って馬鹿にする赤髪長身男に、靄花は顔を真っ赤にして憤慨する。
【貴公はこの村のトップ……。それなりの護衛がついていて、我がいとも容易くここへ来る事は不可能であろう?】
「い、言われてみればそうですわ。表には護衛の方々がいらっしゃるはずですのに……どうして?」
指摘されて初めて気づいた。大抵位が上にある人物には護衛がつく。それは靄花も例外ではなく、入り口付近には二人組みの護衛をつけさせていた。それなのに、訪問者が来るとの報告もなしに部外者が入ってくるなど、異常だ。
「あ、あなた何者ですの!?」
【んっふふふふ、ようやく我に興味が沸いたか。我が名は『トム=ガーリ=ディートヘイゴス』。ディートヘイゴス一家の長男だ】
足首付近まである漆黒で染められたマントを翻し、赤髪長身男――トムが自己紹介する。
「でぃーと、へいごす? 聞いた事もない名前ですわね。どこの組織からの刺客ですの?」
トップを狙うのならば、やはりそれなりの理由があるに違いない。世の中には自分の地位をあげようと上の者を殺す輩もいるのだ。ならば、自分も類似した理由で狙われているのではと、靄花は考えたのだ。
【組織……か。まぁ、敢えて言うならば我は冥霊族の者だ】
冥霊族、その言葉に靄花は酷く狼狽した。
「な、ど……どうしてあなた方がここにいらっしゃるんですの!? 冥霊族は冥霊界でひっそりと暮らしているはずでは!?」
【一体いつの時代の話をしているのだ、貴公は? 我らはもう、あのような燻った場所での生活には飽き飽きしている。自由がほしいのだ。この世界は実に素晴らしい……多くの有能な人材が揃っている。有属性者……だったか? 彼らも優れた人材だ。特に……そうだな――伝説の戦士】
「――っ!?」
しばしの間を取ってから口にするその言葉。そして同時、トムはこちらを強く睨めつける。青白い双眸が一気に赤く眩い光を放つ。
ごくり。
靄花は、今まで培ってきた経験と女の第六感で理解した。この男は只者ではない、と。
「くっ、急いで水恋さんに連絡致しませんと!!」
【んっふふふふふ、させると思うか?】
口の端を吊り上げ、不気味に笑むトムに、靄花は下唇を噛んで走り出す。
トムの横脇をサッと通り過ぎ――。
ガッ!!
――ようとして、失敗した。トムが鋭利なガーネット色の爪で襲い掛かってきたのだ。すんでの所で傘を展開し、雨属性の防御膜を付与して防ぐ。
【ほぅ……さすがは三十一人の伝説の戦士の一人なだけはあるな。が、頭脳はよろしくないらしい】
「くっ、いちいち癇に障りますわねあなたはっ!! どこかの誰かさんを彷彿とさせますわ」
思わず脳裏に月の淡い光に輝く男を思い浮かべる靄花。
【んっふふふふふ、仲間にも似たような事を言われているとは、哀れな女だ】
「なんとでも言いなさいっ!」
どこまでも人を馬鹿にする男だ。ほんと、あの男に似ている。が、今はそんな事を気にしている暇はない。レイニーヴィレッジも含めたここら一帯を治める、ウォータルト帝国元帝王の水恋に急いで報告しなければ。
靄花は入り口の扉を破壊して外に転がり出た。文字通り転がった靄花のドレスには、土や泥などが付着して汚れてしまっている。恐らく、先ほどまで雨が降っていたので、それで地面が濡れてしまったからだろう。いつもならば、綺麗好きの靄花はそれらを払い落とすか、新しい衣服に着替える所だが、生憎とそんな事は気にしていられない。今はあのトムとかいう男から逃れるのが先決だ。
決心した靄花は確かな足取りで連絡通信魔方陣を展開させようとする。
が、それを快く思わない人物が阻害に入った。
【キキッ!!】
「きゃっ!? な、何ですの!? こ、コウモリ?」
赤黒いシルエットが靄花の視界を遮り飛び回る。バサバサと翼を羽ばたかせ、何匹ものコウモリが水恋に連絡を取らせまいと、靄花の邪魔をする。
「くっ、しゃらくさいですわね!!」
目障りだといわんばかりに傘を展開させると、傘の骨組みの先端部分に雨属性の力を付与させる。同時、勢い良く回転させて振り回した。
傘はまるでチェーンソーの様な切れ味でコウモリを一匹、また一匹と斬り殺していく。
すると、どこからともなく先ほどの男の声が聞こえてきた。
【酷いなぁ、我が一部を斬ろうとは……。さすがは我らが主を殺した伝説の戦士なだけはある】
「はぁ!? あなた方のボスを殺したですって? 冗談ではありませんわ!! 一体誰からホラを吹き込まれたんですの!? そんな事致しておりませんわ!!」
トムの根も葉もない言いがかりに、靄花は身に覚えがないという風に、未だ襲い掛かる小癪な敵を一掃する。
が、数が多くなかなか減っている気配がない。
と、その時、コウモリの一匹が背後から首筋に噛み付いてきた。
「あぐっ!? 無礼者っ!!」
首筋に噛み付いてきたコウモリを引き剥がし、肘鉄をくらわせる靄花。コウモリは勢い良く吹っ飛ばされて地面に叩きつけられて消滅した。
しかし、召還獣という訳ではなさそうだ。召還獣の場合、粒子になって消える。一方、こちらは消え方が少々特殊で、闇に溶けるように消えたのだ。
「召還したワケではないんですの?」
【んっふふふふふふ、言ったであろう? これらは我が一部である、と。さて、準備は整った。貴公にはしばし眠りについてもらおう】
「? な、何をおっしゃって――っ!?」
首筋に鋭い激痛が走る。先ほど噛みつかれた場所だ。そこを起点に、痛みが熱を帯びて円状に広がっていく。まさか、毒でも注入されたのかと、靄花は焦る。
「くっ、面倒な事をしでかしてくれましたわね……ですが、この程度……、血管内から毒素のみを取り除けばいいだけの事――えっ!?」
おかしい、確かな違和感を感じる。靄花達氷水系属性は、液体を操る事が出来る。それは己の体内にある液体も同様。なので、毒などでやられはしないのだ。
が、今回ばかりは勝手が違う。体内から毒素を取り除こうとしても取り除けないのだ。
すると、トムが含み笑いをしながら暗闇の中に姿を現した。
【んっふふふふふふ、貴公ら氷水系属性に毒が通用しないのは理解している。が、神経にならば無駄であろう?」
「――っ!? ま、まさか神経毒を、注入して――」
ドサッ。
理解した時には遅かった。体の自由が途端に利かなくなる。立っていられなくなった靄花は、崩れるように濡れた地面にうつ伏せに倒れた。
【貴公には相応しい死に場所がお似合いだ。殺す手立ても既に組み立ててある。後は貴公をその場所へ連れて行けばいいだけだった。が、簡単には動向してもらえそうにもないのでな。強硬手段を取らせてもらった……んっふふふふふふふふふふふふ】
不適な笑みを見せながら含み笑いしたトムは、靄花と自身を囲うように転移魔方陣を展開させる。
そして、真紅の光を眩い程発光させて消失した。
「……うっ、ここは一体どこですの?」
靄花は気だるい感覚を感じつつ頭をあげる。周囲一面が薄暗く、よく分からない物が散乱している。もう少し明るければそれが何であるか分かったのだろうが、今は少なくとも理解したくなかった。
動こうとして体が動かない事に気づく。ふと手元を見れば、枷を嵌められていた。足にはされていない。ちょうど、ペタンと座り込んだ状態で、手だけを枷で吊るし上げている感じだ。
「くっ、あのトムとかいう方の仕業ですわね」
誰がこのような事をしたのかは分かっている。なにせ、数分前に彼と対峙したのだから。
トムは自分を殺そうとしている。ならば、早く逃げなければ。自分の身にに危険を感じた靄花は、どうやって脱出しようか方法を考える。が、思いつかない。先ほどの神経毒がまだ完全に抜け切れていないのだろう。しかし、まさか神経毒如きで眠らされようとは思わなかった。一種の麻酔なのだろうか?
そんな事を考えつつ、靄花は手に力を込める。すると、手の表面から染み出すように透明度の高い雨粒が出現する。それを意思で動かし、枷の鍵穴に忍ばせる。
靄花は精神集中しようと瞑目し、雨粒を形状変化させた。鍵の形にし、軟水を硬水に変化させてそこにさらに高密度の魔力を凝縮させる。これで鍵を回す事が出来る。
少々無茶ではあるが、無事に枷を外す事に成功した靄花は、手首を優しく撫でながら出口を探した。
すると、ちょうど靄花の頭部くらいの高さの位置に、小窓が鉄格子付きで設置してある扉を発見した。
「ここから脱出する事さえ出来れば……」
鉄格子を両手で掴み、外に向かって声を発する。
「どなたか、どなたかいらっしゃいませんかー? 助けてくださいまし、私閉じ込められているんですのー!!」
声を張り上げ助けを求めるが、返答はなし。この付近に人の気配はない。まさか、無人の廃墟などに閉じ込められているのだろうか?
しかし、それほど長い間眠っていた感覚はない。寝ていたとしても、せいぜい三十分程度。その間に移動出来るとしてもウォータルト帝国から出る事は無理だろう。
そう考えた靄花は、とりあえず連絡通信魔方陣を展開させようとする。が、何故か魔方陣が展開しない。
「ど、どういうことですの!? ま、魔法が使えない!?」
いや、そんな事はない。現に先ほど魔法(?)とまではいかないものの、属性を使って脱出したのだ。それなのに、連絡通信魔方陣だけ使えないというのはおかしい。
と、その時、足音が聞こえてきた。
「た、助けてくださいまし! 私、ここに閉じ込められて――」
【おや、もう起きていたか。んっふふふふ、さすがだな潤木靄花。まぁ、頼みの連絡通信魔法陣は使えないだろうがな?】
「あなたの仕業ですわね!?」
【如何にも……。貴公に仲間に連絡される訳にはいかんのでな】
腕組してそう言うトムに、靄花は悔しくて歯噛みした。一体どういうメカニズムか知らないが、実に歯がゆい。だが、このまま抵抗しないというのもいささか気分が悪い。どうにかして、目の前の敵に一泡吹かせてやりたい。そんな気持ちが芽生えた靄花は、精一杯何かないかと方法を模索した。しかし、普段そのような作戦を考える担当ではなかったため、上手く方法が組み立てられない。
そして、そうこうしている内にトムが先手を打った。
【時間は限られている……貴公には約束通り相応しい死をくれてやる】
「私に相応しい死ですって? そんなものございませんわ! 私はまだ生きていますもの!!」
自身の胸に手を当て、はっきりとそう言い切る靄花に、やれやれとトムは首を左右に振る。
【理解出来ないようだ。仕方ない、では実際にその身を持って味わってもらうとしよう】
そう言うや否や、ポツリ靄花の右肩に何かが降ってきた。
「な、何ですの? 雨?」
雨が降り出す寸前のアレに似ていると感じた靄花は、そう口にしたが、トムは頭を振って言った。
【んっふふふふふふふ、まだまだだな潤木靄花。貴公はそれでも雨属性戦士なのか? 期待外れにも程がある。よいか、先ほどの場所を見てみよ】
トムに言われ、ついさっき肩に落ちてきた物体を見ようすると、
本来なら覆っているはずのドレスの布が存在せず、肩が露出していた。
「へ!? ど、どうなっていますの!? あ、ありえませんわ! どうして私のドレスが……」
【やはり理解出来んようだな。特別に教えてやろう……貴公の上から落ちてきているのは酸性雨だ】
その発言に靄花は目を見開いた。が、すぐに冷静になって口を開く。
「あら、私を溶かそうという魂胆でして? 残念ですけれど、酸性雨如きで私は死にませんわよ? それに、人間は酸性よりもアルカリ性に弱いそうですし」
【ほほぅ……馬鹿かと思ったが、ある程度勉学には努めていたようだ】
「ふんっ、馬鹿にしないでくださる? さぁ、あなたの目論見は尽きましたわ。早くここから出して下さらないかしら?」
再び小馬鹿にしてくるトムを鼻で笑ってあしらい、命令に近い口調で言う。
【貴公は己の立場というものが分かっていないようだな】
「何ですって? もう詰んでるんですのよ? 諦めて降伏なさいませ!」
【出来ない相談だな。それに、まだ詰んでなどいない。逆に貴公が詰んでいるのだ】
「何を言って――っつ!?」
突如走る痛み。それは身を焦がされるような、焼かれるような熱さの痛み。とてつもない激痛に、慌てて痛みの走る箇所を見れば、それは先ほど露出してしまった肩からだった。
「きゃぁああああああああああ!?」
自分の身に起きた悲劇に、靄花は絶叫を上げた。
【んっふふふふふふふふふふふふふ、ようやく理解したか】
「ど、どういう……うぐ、事ですの?」
訳が分からなかった。先ほど露出した肩の肉が溶け、筋肉と骨が血に塗れて露出していたのだ。
「ぐぅっ、……人間の体は酸よりもアルカリに弱い……んじゃ、ありませんの?」
【んっふふふふふふふふふふ、例えそうであってもphがマイナスの物であればどうだろうな?
「そ、そんな!? そのようなものを使えば、この周辺の物も溶けてしまいますわよ!?」
【構いはしない。ここはウォータルト帝国だからな】
その発言に靄花は驚愕した。まさか、ここが行こうとしていた目的地だというのか?
【驚いているな……。まぁ無理からぬ事だ。ここはウォータルト帝国の地下に存在する静寂水槽――通称『凪の間』だ】
「凪の……間?」
聞いた事がある。悪事を働いたり間者を発見した場合、この施設を使って拷問するらしい。その方法は多種多様で、主に水に関わる拷問が多いと聞くが……。
「まさか、私は拷問施設にいるんですの!?」
【今頃気づいたか……】
「ではこれらは――」
【如何にも、拷問器具だ】
周囲にある様々な道具を一瞥して言う靄花のセリフを遮るように、トムが笑む。
彼女は知らなかった。今まで拷問という事をしたことがなかったため、こういった器具を使う事を知らなかったのだ。
「くっ、不潔ですわ! 汚らわしいですわ!! 純粋で綺麗な心を持つのがウォータルト帝国の在り方ではありませんの!? 私、失望いたしましたわ!」
【今更嘆いた所で全て遅いのだ。貴公はこれから我によって殺される。酸性雨によって、体をじわじわと溶かされてな……。あらゆる負の感情を抱いて消え去るがいい】
「じ、冗談ではありませんわ!! 絶対に脱出してみせますわよ!!」
そう言って靄花は傘を差す。その姿を見て、トムは嘲笑して言った。
【貴公は余程の馬鹿のようだな。傘など差しても無駄だぞ?」
実質その通りだった。傘を差したとはいえ、未だ降り注ぐ酸によって傘を溶かされていくのだ。何せ、降り注ぐ酸の強さは最早最強。溶かせない物が殆どないのだから。少なくとも人体くらいは簡単に溶かしてしまうだろう。傘の範囲外に降り注ぐ酸は、既に地面をいくらか溶かしていた。そのせいで、足場はだんだん不安定になっていく。地面を穿つ酸によって出来るクレーター状の凹み。
「あづっ!?」
ついに傘も本来の役目を果たせなくなってきた。雨属性の防御膜を張って中和しようとしても、酸性が強すぎて少々ダメージをくらってしまう。それに、魔力も無限ではない。精製するにもそれなりの体力を消費する事になる。だが、肝心な体力も先ほどの神経毒をくらったせいか、いくらか消費してすっかり衰弱してしまっている。何よりも、眠気だ。今の時間帯は真夜中。皆就寝している時間なのだ。寝込みを襲われるとは少し異なるが、似たような状況だ。
しかし、ここで死ぬわけにはいかなかった。彼女には大切な、守るべき存在がいるのだから。
「……娘にまで、手を出すおつもりですの?」
【娘? ほぅ、初耳だな。貴公にも家族がいたか……】
「当たり前ですわ! 私も三十代……子供を作っていてもいい頃合ですわ」
【今回の目的は、あくまで貴公らの殺害。その子孫にまで手を出すつもりはない……今のところはな】
「……それを聞いて、少し安心しましたわ」
靄花は油断していた。敵が最後の最後に漏らした小さなセリフを聞き逃していたのだ。
「あの子のためにも……ここで無様な姿は晒せませんわね!!」
そう言うと、目つきを一変させる靄花。
【ん? 何をするつもりだ?】
「あら、酸性雨をお作りになったんでしたわよね? でしたら、私にも同様、または類似した事くらい可能ですわっ!!」
スッと手を前に突き出す靄花。少々遅れを取ったが反撃開始だ。
両手から発せられる大量の雨水。それをピザ状に薄く延ばし、片方を自分の真上に、もう片方をトム目掛けて放つ。回転するピザ状の雨水は、物凄い回転スピードで扉を破壊した。
【くッ!? 扉を破壊しただと!?】
「このまま脱出ですわ!!」
勝利を確信したという顔で、トムの方へ突撃していく靄花。が、彼女は気づいていなかった。敵が不気味な笑みを浮かべ、何か奥の手を持っている事に。
「先程までの私へ対する無礼千万……その身で以って償って頂きますわよ!!」
セリフを掛け声代わりにして駆けて行く靄花。降り注ぐ酸によって、ピザ状の雨の膜に混じったそれが、彼女の長い髪の毛や衣服を酸で溶かしていく。しかし、彼女はそんな事意にも介さず得物に雨属性を纏わせて鋭くし、トムに向かって突き出した。
刹那――真っ赤な血しぶきが迸る。一見敵の物と思えなくもないが、実際は異なる。
「ど、……どういう事ですの?」
理解出来ない。そんなはずはない。あらゆる超常現象にも似た出来事に、靄花は冷静さを完全に失って目を泳がせまくった。
【んっふふふふふふ、貴公の腕は溶けて落ちてしまったな】
トムに言われて足元を見ると、融解して原型を留めていない腕が、無残に落下していた。そう、先程迸った鮮血は、靄花自身の物だったのだ。
【貴公は気づいていないようだから教えてやろう。貴公が我に攻撃しようとした瞬間、我が酸性雨を操り大量の酸を貴公の腕にぶっ掛けてやったのだ。そして我が貴公の腕の間接部分を蹴り上げてやった。あらぬ方向に力を加えれば壊れるのが、人間の体が脆い証拠だ。分かるか? 貴公は酸と私の蹴り上げによって腕を失ったのだ】
「そんな……嘘ですわ。私は、伝説の戦士で……世界を破壊から救った三十一人の一人で」
狼狽しながら自分達が成し遂げてきた功績を口にする靄花。すると、その功績に対しトムが意見した。
【所詮それも偶然の産物よ。貴公の敗北は決したのだ。諦念して溶かされるがいい】
「ふざけないでくださる!? 私は絶対に負けませんわ!! ええ、負けませんとも!! あなたに負ける訳には行きませんの!! 例え四肢を失おうと、関係ありませんわ! 私は最後の最期まで諦めたりいたしません!!」
そう言い切った靄花は、何かを決めたかのように視線を鋭くすると、傷口から未だ滴る血液を掬って親指と中指と小指にそれぞれ塗り、手を組み合わせた。
「はぁ、これには頼らないつもりでしたけれど、命の危機ですもの。気にしてなんていられませんわ!!」
【ん? 何をするつもりだ?】
「あなたに見せて差し上げますわ! 氷水系属性の底力……嘗めないでくださいましっ!!」
靄花はすぅーと息を吸って詠唱を唱える。
「水は散り散りて尚、水。それら集まりて一つの力と成り得る。気・液・固と形態変えし三態よ。三叉となりて、我……潤木靄花に力を貸し与えよ!! 禁術・水溶化!!」
詠唱を唱え終え、技名を叫ぶ靄花。その言葉に、さしものトムも少し焦燥感に駆られる。
【禁術……だと? あらゆる技の中に手を出してはいけない力があるという。その一つが禁術。貴公……血迷ったか!? 我に殺されるくらいならば、自らその命を絶とうというのか!!】
靄花の覚悟の大きさが信じられず、トムは酷く狼狽える。
「この技は氷水系属性の人間にしか扱えませんのよ? これであなたを倒して差し上げますわ!!」
一体どんな攻撃をしてくるのか皆目見当もつかないトムは、歯噛みしてやや後退する。
「随分怯えていますわね? 先ほどまで勝利を確信していた方が浮かべる表情とは、到底思えませんわよ?」
少し自分にも勝機が見えてきたせいか、靄花は相手に皮肉を言えるほど余裕の表情を浮かべている。
【調子に乗れば足元を掬われるぞ?】
「あら、今の私は無敵の様なものですわ。同じフィールド内にいる状態ですし、あなたも迂闊に酸を降らせる訳にも参りませんでしょう?」
【ふんッ、忘れたか? 我の後ろは出口……脱出する事など容易いぞ?】
退路はすぐ傍だ。回れ右をして数歩歩けば外へ出られる。が、靄花は可笑しそうに口元に手を運び、笑った。
「あははは、あなたもご冗談がお好きですわね。後ろが出口? うふふ、出口などとうにございませんわよ?」
【何ぃ?】
そんなはずはないと後ろを振り返るトム。瞬間、彼は目を見開いて絶句した。そこには出口がありはするものの、邪魔な氷で封じられていた。
【なッ!? こ、これは……どういう事だ!?】
「ふふ、私がやったんですの。あなたが逃げ出さない様に手を回させていただきましたわ。これでもうどこにも逃げられませんわよ?」
扇子を顔のラインに添わせて勝ち誇ったような笑みを浮かべる靄花。その生意気な表情に、トムは奥歯をギリと噛んだ。
【くッ、なるほど同じ部屋に閉じ込めれば、酸を降らせはしないと、そう考えたのだな?】
「ええ、考えがとち狂ったような方でもない限り、酸を降らせるなんて事はなさいませんでしょうし」
【ふッ、我も随分と買い被られたものだ。何を根拠に我が酸を降らさないと決め付けているのだ?】
「え? で、ですけど、ここで降らせればあなたも溶けますわよ!?」
」
まさか本当に捨て身の行動に打って出るのかと、靄花は焦った。
まだ禁術を使えばどうにか出来なくもないが、曲りなりにも禁術。ならば、それなりの代償はある訳で……。
「うっ、ゴホゴホッ! カハッ!!」
突如呻いたかと思うと、激しく咳き込み、口元を手で覆う靄花。手にはべっとりと血が付着していた。喀血を起こしたらしい。
【禁術とは恐ろしいな。使用者にそのような代償を引き起こすとは……】
「ゲホッ! ……ええ、あまり多用はオススメ出来ませんわ。ですが、これがなかなか有能なのは私も一目置いていますの。それに、あなたに負ければどちらにせよ死ぬんですの。でしたら、多少の無茶は致し方ない事ですわ」
垂れる血をコットン製のハンカチで拭い取り、靄花は開いていた扇子を閉じた。
「ご覚悟くださいな! 私の本気はこれからでしてよ!!」
そう言って靄花はドレスのスカート部分を摘んで優雅にお辞儀した。
それを合図とするように、靄花の足元を起点にトムに向かって猛スピードで氷の衝撃波が走る。
【――ッ!?】
トムは靄花が氷属性の力を使った事に対して驚愕の色を示した。ありえないと言わんばかりの表情を浮かべ、慌ててその場から飛び上がり漆黒の翼を展開する。
「あら、避けましたわね。しかし、随分驚きになっているご様子ですけれど、どうかいたしまして?」
【貴公……まさか、混合属性所持性者なのか?】
不意に思った疑問を口にするトムに対し、靄花は片眉を一瞬動かし、口元に笑みを浮かべて言った。
「面白い言葉を知っていますわね。残念ですけれど、これは属性……という訳ではありませんわ。禁術の力の一つですの」
【どういう事だ?】
さしものトムも、靄花の言葉の意味が分からず、説明を求めた。
「ずっと悩んで悶々させるというのも一興ですけれど、よろしいでしょう……教えて差し上げますわ。私の使った禁術は、物質の状態を変化させる力ですの。水はある一定の温度を上回るか、下回るかで、霧になったり氷になるのはご存知ですわよね? それと同様の事ですわ」
【つまり貴公は、禁術の力を用いて雨属性の力を一時的に氷属性の力に変えたというのか?】
靄花の説明を聞いて得た知識により、答えを口にするトム。
「ええ、正解ですわ。本来ならば絶対にありえない……してはならない禁忌の一つ、それがこれですわ」
失った片腕を庇うようにしながら、靄花は言う。
「お分かり頂けたでしょう? 力は時に、異常なまでの発展を見せる。ですけど……ガハッ! ゲホッ、ゴホッ!!」
盛大に口から血反吐を吐く靄花。禁術を使用し過ぎたのだ。
「あらあら、私とした事が調子に乗りすぎましたわね。これでは、あのお方にまたどやされますわ。私がもう少し潜在魔力を引き出せていれば、このような情けない最期を迎える事は、なかったでしょうに。ほんと、悔しいですわ」
心の中でとある一人の人物を想起しつつ、靄花は自嘲気味にそう言った。
【ふッ、厄介な技だがどうやらそれも終わりのようだな】
「ええ、あなたの仰る通り、馬鹿な私はここで舞台から退場ですわね。いいでしょう、嬲るなり溶かすなりお好きになさいませ。ですが、一つ言わせて頂きますわ……あまり私達を嘗めないほうが、よろしくってよ?」
最早限界が近いのか、靄花の足取りは不安定でフラフラ。喋りながらもゴボゴボと口から赤黒い血を流し、ついには鼻や目からも血が出だした。
そんな彼女の姿が滑稽に思えたのか、はたまた勇ましく見えたのか、トムは靄花の発言に対し、こう告げた。
【んっふふふふふふ、貴公の遺言の様なものだ。記憶の片隅にでも留めておこう】
「そうして頂けると、幸いですわ」
その言葉を皮切りに、靄花が心臓部を両手で掴んでもがきだす。
「がっ、あっ……ぐぅ、うぁがぁあ――、ゴパァッ!!?」
目を見開き、苦しそうに呻いたかと思うと、次の瞬間ありえない量の血反吐を吐き出した。辺り一面を真っ赤に染める程鮮血を迸らせた靄花は、何かを掴むかのような動作をした後、目をぐるんと回転させて微動だにしなくなった。
体中の穴という穴から流血し、見るも無残な死体を晒す靄花を見下ろしたトムは、懐から妖しく光り輝く紺碧色の玉を取り出すと目をカッと見開いた。
刹那――天井から大量の酸が降り注ぎ、靄花の肉体を骨も残らず溶かしきった。
【んっふふふふふふふふ。潤木靄花、貴公の死体……確かに見届けたぞ? これで、我が望みの成就に一歩近づいた】
トムは踵を返すと同時にマントを翻し、そのまま大量の赤黒いコウモリと化して闇夜に溶けた……。
――▽▲▽――
時刻は靄花がトムに殺されるより数分前、真っ暗な闇夜の中に、ポツンポツンと点在するのは、淡い照明の光。ここは、ウォータルト帝国の領内に存在する風の里『ウィロプフロスト』。年中吹き荒れる風によって火は使えないため、淡い光を用いている。また、風が強いため、家屋が破壊されないように風の抜け道を作っている。なので、年中隙間風が尋常ではない。だが彼らはあまり気にしていない。ちなみに、ウィロプフロストの住人はあまりベッドなどを使用しない。基本的にハンモッグのような物を風の気流に乗せてその上で寝る。
一応客人がやってくる場合もあるので、ベッドも用意してはいる。
と、そんなのどかなウィロプフロストに、危機が迫りつつあった。
【えへへー、ねぇねぇお兄さんたちー♪】
「ん、聞こえたか? 今の声」
「ああ、何なんだ一体?」
付近の警備を務める衛兵が互いに首を傾げて周囲を見渡す。というのも、突然耳元に何者かの声が聞こえてきたのだ。それも若い少女の声。
【ここだよ?】
そう言って少女がひょっこり真上から姿を現す。
『うわぁ!?』
同時に野太い悲鳴をあげる衛兵二名。それが面白いのだろう、愉快そうに少女は笑った。
【あはは、お兄さんたちおもしろーい♪ ねぇねぇ、聞きたいコトがあるんだけど、いいかな?】
暗がりでよく分からないが、明らかに人間ではない。人の成りはしているが、どこか妖しい雰囲気が漂う。しかも、彼女の肩甲骨付近からは漆黒に近い紫色の翼が左右に一枚ずつ生えており、尾てい骨からは同色の尻尾が伸びている。
羽はそこまで大きくないが、それでも十分飛行出来る大きさだ。所謂小悪魔みたいな感じに見える。
二名は再度互いに顔を見合わせると、少々訝しみながらも口を開いた。
「何だ?」
【えーと、旋斬風浮って……ドコ?】
満面の笑みを浮かべ、八重歯を妖しく光らせながら少女は問うた。その問いに対し、衛兵二人は表情を険しくさせて手に持っていた得物を構える。
「き、貴様……風浮様に何の用だ!!」
「そうだ、事の次第では会わせる訳にはいかん!!」
【えぇ~、そんなひどいコト言わないでよ~。でもま、場所は有属性者の匂いで分かるんだけどねぇ~。ちょっと聞きたかっただけだし……居場所を素直に教えてくれないなら、もうお兄さんたちに用ないや。さよならー♪】
ペロリと小さな舌で舌なめずりした少女は、両目を怪しく光らせて二人を見つめた。
「うぐッ!?」
「な、何だ……体が、動かない!?」
【うふふ、無駄だよん♪ お兄さんたちはもう、わたしの……と・り・こ♪ 逃げられないよ? わたしの魅力から逃られるはず、ないんだから】
やけに自信たっぷりの少女に、二人の衛兵は必死に身じろぐ。が、やはり動く事は出来ない。
「貴様のその姿……噂に聞く夢魔というやつか?」
衛兵の片方が歯噛みしながらそう尋ねると、少女は意外そうな顔で答えた。
【おっ、よく知ってるね~♪ そだよ、わたしの名前は『レイラ=キュルバ=ディートヘイゴス』。男の人から精気を満足するまで搾り取る、キュートなサキュバスちゃんで~す♪ どう? 嬉しい? 嬉しいでしょ? だって、気持ちよくなって死んじゃうんだよ? 本望でしょ?】
目を爛々と輝かせて言うレイラに、二人は声を荒げる。
「ふざけるなッ!! 今すぐ開放しろ!!」
「そうだ! 貴様のような怪物を風浮様に近づけてなるものかッ!! ここで退治してくれるッ!!」
【……ふぅ~ん、言うじゃん。わたしに勝てると思ってるの? 有属性者ならまだしも、あなたたちは無力な無属性者……せっかくおに――おっさんたちなんかの精気を吸ってあげるって言ってるんだから、苦しんで死ぬよりそっちの方を選んだらー? 気持ちいいよー? 天に昇るような気持ちよさなんだから……まっ、ホントに天国逝っちゃうんだけどね? きゃはは】
妖しい目つきをしたかと思うと、無邪気な子供っぽい表情を浮かべて手元に口を添え笑い出すレイラ。表情がコロコロと変わる忙しい人物だ。いや、人ではないが。
「くっ、どこまでも我々をコケにするか……!」
【はぁ、どうやら相当頭がお堅いようだねー。まぁ、硬いのは一向に構わないんだけどね? そっちの方が早く済むし……。石頭で頑固だと、嫌われるよ?】
「大きなお世話だッ!!」
「そうだ! 降りて来い!! 刀の錆びにしてくれるッ!!」
そう言って果敢にレイラに挑む二名の衛兵。が――。
【はぁい、残念♪】
と、口元に不敵な笑みを浮かべたレイラ。刹那――。
「ぐぁあああああああ!?」
「あぐぁああああああ!?」
二名の衛兵の体から突如何かが抜け出ていった。しかも、それが抜け出ると同時進行で、二名の顔がどんどんやつれていく。最早何も出なくなった時には、干物の様な変わり果てた姿になってしまっていた。
というわけで、役二ヶ月ぶりです。いやはや、もう少し早めに投稿したかったんですが、中編が思いのほかえらく長くなってしまい、こんなことに……。まぁ、前回はそんなにあちこちでバトってはいませんでしたから、今回ウォータルト帝国の領内では、あちこちでバトルが展開。後、今回それぞれのキャラの過去話も強引に詰め込んでるので、長めになってます。無論、作者のあとがきも長いですw
てなわけで、二部に続きます。




