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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

未来の季節 短編集

砂の暁光

作者: 沙魚川 出海

『雪の果、春の光』のネタバレ。ガチ百合描写あり。軽いですが完全に姉妹レズですね。

 あたしには子宮がない。

 その事実は幼い頃から知っていたけれど、十歳を過ぎるあたりまでその意味を深く理解してはいなかったかもしれない。

 あたしはほかの女の子とは違う。

 セックスができない。

 赤ちゃんを産めない。

 子孫を――遺せない。

 その事実は彼岸西風(ヒガンニシ)があたしを――彼岸西風春暁(シュンギョウ)を切り捨てるには十分すぎる理由だったのだろう。

 あたしは無力だった。

 どうしようもないほどに無力だった。

 あたしを産んだことで母様は亡くなり、天明(テンメイ)姉様も彼岸西風を離れた。『春姫(ハルヒメ)』と呼ぶ世話係の者達の声からは、常に同情と哀れみが漂い、あたしの心を冷たい冬に閉じ込めた。

 ――あたしなんて生まれてこなければよかった。

 何度そう思っただろう。

 特別な力も使えず、子供を産むこともできない、ただ周囲から妬まれ疎まれるだけの存在。

 春暁。

 母様や姉様と同じ、夜明けの名。

 母様は何を想い、あたしにこの名前を与えてくださったのだろう。

 春よ。

 夜明けの光よ。

 もしお前が昏い冬の闇を畏れぬのなら、あたしをこの夜から連れ出してくれ――



「春日子」

 顔の前で、優しい声がした。聴き慣れた温かな声。

 気づけば薄暗い部屋の中、姉様があたしの顔を心配そうに見つめていた。

「怖い夢でも見ていたの……?」

 頬を伝う液体の感触。どうやら眠りながら泣いていたらしい。うっすらと額に汗も浮かんでいた。

 姉様の指がそっと目元に触れる。

「夢……。夢――か」

 夢の中の光景が脳裏に焼きついて離れない。冷たい視線。独りの小さな子供。大人達のつくり笑い。機械みたいな口調で症状を告げる医師。嫌な感情。忘れたいできごと。

 ――全て、あたしの記憶。

「昔の夢を――見ていたようだ。姉様と出会う、もっと前の――」

 そう言うと、姉様はとても悲しそうな顔をした。そんな顔をしてほしくない。嘘を吐けばよかった。もう遅いけれど。

「ごめんね――ごめんなさい、春日子……」

 姉様は布団の中で、きつくあたしを抱き締める。姉様の匂い。寝間着越しに伝わる、柔らなかな胸の感触。――母様も、こうやってあたしのことを一度でも抱いてくれたのだろうか。

 あの日――姉様があたしとユキに全てを告白したあの日から、姉様は変わった。

 時間を取り戻すように、あたしやユキと一緒にいてくれるようになった――というより、あたしの傍を離れなくなったのだ。

 家にいる時も、外出する時も、眠る時でさえあたしの傍を離れない。さすがに学校にまではついてこないが。

 正直なところ、姉様の変化をどう受け止めてよいのかわからなかった。

 ずっと憧れていた姉様と――荒野レイ様と以前より親密になれて、嬉しくないはずはない。けれど、それでも――

 不安なのだ。

 姉様はあたしを、未だに母様の代わりとして見ているのではないかとか、何か無理をしているのではないかとか。

 他人に触れられたことのないあたしは、他人にどう触れてよいのか知らない。もしかしたら――姉様もそうなのだろうか。どうしたらよいかわからず、ただもがくようにあたしに接しているのだろうか。

 不安は尽きない。

「ん――」

 唐突に、唇を塞がれる。

 美しい顔が目の前にあった。甘い感触に溺れるように、あたしは目を閉じる。這い寄っていた不安はどこかへと逃げていった。

「もう、泣かせないわ」

 何かを後悔するような、決意するような――小さいけれど、確かな声色。

「春日子を絶対に泣かせない……。アタシが――絶対に守る。アタシがずっと傍にいるわ。だから――大丈夫。もう泣かないで……」

 髪を撫でてくれる手に触れて、あたしだって――と、当然のように返した。

「――どこにも行かない。ずっと姉様と一緒にいる」

 もう一度、キス。

 抱き合って、髪を撫でて、顔に触れて、何度もキスをする。

 空白を埋めるように。

 空虚を満たすように。

 あたしたちは互いを知ろうとする。

 母を愛し、母から産まれた姉様。

 そして、母の命を奪ったあたし。

 たとえ血と肉が――絆や縁が二人を姉妹と結論づけても、あたしたちの心は姉妹とは遠いところにあった。

 今、腕の中で甘えるようにあたしの胸に縋りつく姉様の心は、ちゃんとあたしの傍にあるのだろうか。

 再び忍び寄る不安。それをかき消すように、姉様が首筋にキスをする。

 何度も、何度も、あたしたちはキスをする。

 姉様とキスをしていると安心する。

 キス。口づけ。接吻。

 それ以上のことは――考えない。

 カーテンの隙間から射し込んでいた青白い光が、いつの間にか明るんでいる。

 もう朝だ。

 あたしたちは抱き合っていた体を離す。

「――さあ、起きましょうか。雪花(ゆきばな)はもう起きているみたいだし……」

 互いの温もりと匂いを服に残しながら部屋を出る。リビングには既にユキがいた。おはよう、二人とも――眠たそうな声。

「今日から二年生かあ。クラス替え、どうなるんだろ」

 その何気ない言葉に対して。

 ユキと一緒のクラスがいいな――気づいたらそう口走っていた。

 あまりにも自然に出てしまったため、自分でも何を言ったか一瞬わからなかった。

「そうだね。私も春と一緒がいいけど」

「あ、いや、今のは違うぞ。別にユキがいなくたって――」

 ユキはにやにやと嫌な笑みを浮かべている。妙に腹が立つ笑みだ。ひっぱたきたい。

 砂原(すなはら)雪花。

 少し前まで話をしたことすらなかった少女。けれど今では、一番の友達で、そして――

 家族だ。

 あたしの、大切な妹。

 あの病室で、涙を流しながら謝る彼女を見た時、あたしは少なからず衝撃を受けた。涙――感情の嵐。誰かにそんな感情をまっすぐぶつけられたのは初めてだったからだ。いつだってあたしに突き刺さったのは陰から滲み出るような暗い感情で、どろどろしたものだった。だからあたしは、ユキのあの姿――感情を爆発させた他人の姿に衝撃を受けたのだ。

 ――ああ、なんて弱い女の子だろう。

 この子はあたしなんかとは比べものにならないほどの業を背負っている。

 守ってあげたかった。助けてあげたかった。友達に――なりたかった。無力なあたしは彼女のために何もできないかもしれないけれど、それでも、彼女のことをもっと知りたいと思った。もっと一緒にいたいと思った。

 姉様がユキにしたことは許されることではないだろう。けれどあたしは、何があっても姉様の味方でいるつもりだった。だからユキが姉様を殺さず共に生きる道を選んでくれたことが、何よりも嬉しかったのだ。

 あたしは――ユキに感謝している。

「じゃあ、今夜は何か食べに行きましょうか……。三人で、美味しいものでも」

「あれ、黎さん、今日は夜まで仕事があるって言ってませんでしたっけ」

「どうにでもなるわ、そんなもの……。お前達と一緒にいるほうが大事」

「怒られても知りませんよ……」

 ユキがカーテンを開ける。窓の外は――朝だ。

 朝。

 夜が明ければ――朝が訪れる。

 当たり前のことで――当たり前だからこそ、夜に囚われ続けるのは恐ろしいことだ。

 もうあたしは、あの夜には戻りたくない。

 姉様とユキと一緒に、朝の世界で生きてゆく。

 無力なあたしに何ができるのかはわからない。

 それでも――

 あたしは、この暁光を絶対に失いたくないのだ。



〈了〉

かなり前に書いたものです。

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