カガミカミ
午前3時過ぎ。
車どころか人さえ通らない辺境の地。赤い橋の欄干を掴み、山深い谷底を見下ろし深呼吸をする。清浄な草木の青い匂いが全身をめぐりヨドミを消されてしまいそうになって、慌てて息を止めた。
「ボクはこれからヤツラを呪う」
自らの命をかけて呪う。昏く強い思いを全身にみなぎらせる。
ザザァーッと風が吹く。
谷底を荒々しく流れる川を見下ろし、橋の欄干を乗り越えようとした、その時。
「その強き願い。私が受け取ってやろう!」
後ろから襟首を、もの凄い力で掴まれ引っ張られ地面に叩きつけられた。
アスファルトの冷たさが、尻もちをついて手のひらに伝わりヒリツク。すりむいた肘から血がにじむ。
ゆるゆると見上げると、腰ほどまで伸ばした艶やかな黒髪、いつの間にか登りはじめた朝日に照らされギラつく黒の瞳。身にまとう喪服も相まって、まるで死神のような男が立っていた。
「誰だ? なぜ止めた?」
口元を楽しそうにニヤつかせ、ボクの目の前に膝をつく。
視線が絡み合う。
「母親から”お前を探して渡して欲しい”って依頼されたからね」
少し低めの声音は身体のナカにまで染み入り響いてくる。
「……アイツが?」
「母親をアイツ呼ばわりか?」
「……あんたには関係ないだろ」
視線を外し吐き捨てる。
「まぁ、たしかに、そんなこと私には関係ない。私はただ届けるだけだからね」
「届けるって何を?」
男は立ち上がり空に向かって手を広げ「ピュィ!」と口笛を吹く。するとすぐに真っ白で尾の長い鳥が飛んできて男の頭上をひと回りしてから、ボクの肩にとまった。
「お前には”ソレ”が何に見える?」
ボクの肩で毛繕いをはじめた鳥を指さす。
「白い鳥だろ。名前は分かんないけど」
「クックックッ! 堕ちてなくてよかったよ」
「あんたが邪魔したからな」
「その”落ちる”じゃない、が。まぁ、いい」
機嫌良さげに笑み、よく分からない呟きを漏らし、ボクの頭をポンポンと軽く叩く。まるでぐずる子供をあやすように。
「やめろ」
「やめないし、放ってもおかない。それより鳥に触れてみろ」
怪しさまんてんの男の言葉に従うつもりはなかった。けど肩にとまった鳥の深い吸い込まれてしまいそうな青の眼と、目が合った瞬間。
無意識に鳥に触れていた。
「なッ!?」
鳥は羽に姿を変え散り散りになって、まるで花吹雪のように舞い上がったかと思うと、ボクを目がけて降り注いだ。
『小太郎、ようやく貴方に伝えることができるわ。この手紙が届く頃にはアタシは、もうこの世にはいないと思う。だからと言うわけじゃないし、貴方を追い出しておいて、今更かもしれないけど実家を売らずに残してあるの。もしもどこにも行くあてがないなら戻っておいで』
心に母の少しかすれた響きを含む声が、脳内に直接、響く。同時に幼い頃に住んでいた家と沢山の草花が生い茂る庭の懐かしい風景が次々に思い出されていく。けど胸の奥は冷えたまま心が揺さぶられることはなかった。
「本当に今さらだよ。それにもういないって一体どういうことなんだ?」
「体調を崩して医者にもかからず、そのまま……だったようだね。私が彼女と初めて会ったのは3か月前、スーパーの惣菜売り場だった。その時にはもうかなり弱っていたよ」
「なぜ助けなかった?」
「そんな義理はないからね」
温度をもたない言葉に思わず、カッ! となり男の胸ぐらをつかんだ。が、男はボクの手を振り払うことなく静かに目を閉じて「それに彼女は死を受け入れていた。だから私に依頼したんだよ」と小さくもらした。
ゆっくり胸ぐらから手を離し、ボクは橋の欄干にもたれる。
「……5歳のとき、母はボクを友人に預けて消えた。母の友人からすれば、それこそ関係ないどうでもいい赤の他人。ほったらかしだった。しかも母の友人がボクにして借金をなすりつけて逃げたんだ。親友だと思っていたはずの友人もボクに借金があると分かったら会ってもくれなくなった。バイトとかじゃ返せないし盗みに入ってもうまくいかなかった……」
とっ散らかって要領の得ないボクの話を、男はただただ聞き続けた。
「なるほど……分かった。その母の友人とやらを呪い殺したいわけだな?」
「いや、これまでボクが払った金と、残った借金を払ってくれさえすればいいんだ」
「命をかけて呪おうとしたのに?」
男の言葉に、ハッ! となる。
「そうだった。でも違うんだ。どんだけ逃げても見つかる。たとえヤツが死んでも息子が借金取りに追われたらいいのにって思ったんだ」
「ハッハッハッ! 優しいね、お前」
「いや、優しいヤツは呪いをかけないと思うけどな」
「たしかに! よし。お前、私のところで働け。住む場所は母親がのこした家から通えばいい」
「は? いきなり意味、分からないんだけど……」
「お前は金持ってないだろ?」
頷く。実際、ポケットには数百円しか入ってない。
「私が母の友人とやらに仕返ししてやる。その代金を労力で支払えってことだ」
「そんなことできるのか? 居場所さえ分からないのに?」
母の友人は付き合っていた男性と共に夜逃げをした。ボクが熟睡した後に。
「造作もない。私の仕事は手紙を届けること。どんなに遠くても、たとえ相手が外国にいたとしても思いは届く」
「もしかして、さっきの鳥?」
「あぁ。そうだ。アレはカミトリ。心の中の本当の思いを手紙として渡す事ができる。手紙を受け取った者は相手の心を直接見て感じることが可能なんだ」
「凄いな。嘘もつけなさそうだ」
「あぁ。カガミのようなモノだからな。ではもう一度聞く。私の元に来ないか?」
母からの手紙を受け取っていなければ、胡散臭いと言って断っていただろう。けど実際に心に直接、届いた手紙……カミトリを見たあとだ。この男は信用できると感じた。
「分かった。あんたのところで働く。そうすればヤツラに一泡吹かせられるんだろ?」
「クックックッ! 契約成立だね。では早速、仕返しといこうじゃないか」
男はニッと口角を上げ笑んでから、ピュィ! と口笛を吹く。すると先ほど見た白い鳥が2羽、ボクの頭にとまった。
「ソレらに額をつけ思い描け。それだけでソレに全て手紙として記憶される」
「分かった」
ソッと白い鳥を両手でつかみ、鳥の額とボクの額をくっつける。ヤツラがボクにしてきた事、さらには借金取りから逃げられないようにと願い。いや、この場合やっぱり呪いか? 望むイメージの全てをトリに伝えた。
「こんな感じでいいのか?」
「あぁ。手を離せば必ず相手の元へ飛んでいく。逃げることはできない」
鳥から手を離すと、ボクの頭上をひと回りしてから、それぞれ北と東に向かい羽ばたいていった。
「届いたかどうか確認はしないのか?」
「私自身が感じることができる。あとは手鏡さえあればお前にも見ることが可能だよ」
スーツの胸ポケットから折りたたみ式の小さな鏡を出して、ボクに渡してくれた。妙に可愛らしいライオンのイラストが描かれた鏡を開いた途端。
「キャー! な! なによコレ!? あっち行ってよ!!」
見覚えのある女性、母の友人が尻餅をついて顔を引きつらせ手をばたつかせる様子が写しだされていた。
「彼女にはトリではなく悪魔や悪霊といった邪悪なモノに見えているんだ」
「!?」
「言っただろう。アレはカガミなんだ。そして今頃は借金取りの元にもトリが現れ彼女の居場所を知らされているはずだよ」
再び口角を上げニッと笑み、ボクが持ったままの鏡を人差し指で弾く。
場面が変わり、なんだか厳ついスキンヘッドの男と、トサカのようなツンツン頭の男が、ハエ叩きでトリを追いかけて叩き落とす光景が映し出された。部屋の雰囲気からすると、たぶん借金取りたちの事務所だろう。
「どうやら男たちには虫に見えてるようだね」
「見る人によって違うんだ」
なんだか面白いと思ってしまう。トリがスキンヘッドの頭にとまったところを、ツンツン頭の男がハエ叩きで勢いよくパシーン! とはたく。「イッテーなぁ!」と睨んだが、ピタリと動きを止めた。しばらくしてからスキンヘッドは驚いたように目を見開くと「見つけた」と呟き、ツンツン頭の襟首を掴み部屋を飛び出していった。
「ハエ叩きで手紙を受け取るとは面白い。まぁ、これでもうお前の言う母の友人は逃げることは一生できない。悪魔とハエは対にして貼りつかせたからね」
「そっか。もうボクは追われたりしないんだ」
ホゥと息を吐いてペタリと地面に座りこむ。なんだか安心したら力が抜けてしまった。そんなボクの頭を再びポンポンと撫でてから、意地悪そうに楽しそうに微笑み。
「さてと今さらだが自己紹介といこうか。私は紙鳥スイ。紙鳥家は脳内いや心の中に残った風景を読み取る一族なんだが、私は第52代当主だ。よろしくな。雑用係くん」
「ボクは冬山小太郎。よろしく」
「ちなみにカミトリを操れるのは女性のみなんだ」
驚いて思わず立ち上がったボクを見て、紙鳥スイは大きく口を開けて「あっはっはっはっ!」と笑った。
全てに絶望して命を捨てにきたはずが、命拾いをした。
いや、救われた。
姿も心も美しくかっこいい彼女に。




