悪役令嬢に転生したネイリストは、異世界でネイルサロンを開く
「はい、完成です。どうでしょうこんな感じで?」
「わあ! メッチャ可愛い! いつ見ても江澤さんのネイルアートは、魔法みたいですね!」
「ふふ、恐縮です」
こうしてお客さんの喜ぶ顔を見られた時が、ネイリストとして一番嬉しい瞬間だ。
仕事としてやっている以上、楽しいことばかりではないのが現実だけれど、それでもお客さんのこの笑顔が、私にもっと頑張ろうと活力をくれるのだ。
今日も常連の佐藤さんは、何度も大袈裟にお礼を言いながら帰って行かれた。
「由紀子ちゃん、そろそろお昼行って来ていいよ」
「あ、はい、ありがとうございます」
店長にそう言ってもらえたので、お言葉に甘えて一足先に昼休みにさせていただく。
午後からの仕事に備えて、しっかり休憩も取らないとね。
「何食べよっかなー」
職場のネイルサロンを出た私は、大通り沿いを交差点のほうへと進む。
春の陽射しがポカポカと心地良い。
よし決めた。
今日は交差点の先にあるパン屋さんでパンを買って、近所の公園で食べよう。
「聞いてよ。うちの旦那ったら、仕事が忙しいとか言って、最近全然家事手伝ってくれなくなっちゃったのよー」
「あー、うちもようちも! 結婚した時は『洗い物と掃除は任せて』って言ってたクセに、やってたのは最初の一年くらいだもん!」
交差点の手前で、20代後半くらいの女性二人が立ち話をしていた。
道路側に立っている女性の隣には、女性によく似た5歳くらいの男の子が、大きなゴムボールを地面に突いて遊んでいる。
おそらく親子なのだろう。
あんな交差点の前でボールで遊んで、大丈夫かな……。
「あっ、ボールゥ」
――!!
その時だった。
ボールが横断歩道の方向に飛んでいってしまい、男の子はそのボールを追って、赤信号なのに飛び出してしまった――。
男の子のお母さんはお喋りに夢中で、その様子に気付いていない。
しかも男の子に向かって、大型のトラックが物凄いスピードで走って来ている――!!
「あ、危ないッ!!」
咄嗟に私は横断歩道に飛び出し、男の子の身体を突き飛ばした。
その直後、ドンという鈍い音と共に、私の意識は途切れた――。
「――ハッ!?」
目が覚めると、そこには見慣れた天井が広がっていた。
今のは、夢――?
……いや、違う。
今のは私の、前世の記憶――。
私の前世は、日本のネイリストの、江澤由紀子だったんだわ――。
今日までずっと胸の奥にあった違和感の正体が、やっとわかった。
私は元々この世界の人間じゃなかったから、言いようのない居心地の悪さを感じていたんだ。
……とはいえ、それで私の今後の人生が変わるわけではない。
今の私は伯爵令嬢の、グウィネス・ディケンズなのだから……。
貴族令嬢として生きている以上、自由なんてないのも同義。
ましてこの中世ヨーロッパ風の異世界では、前世で仕事として使っていたジェルネイルなんてものは存在すらしていない。
仮にジェルネイル自体は自分で作れたとしても、ジェルネイルを硬化させるための専用のLEDライトは、この世界の技術レベルでは再現不可能だし。
残念だけどネイリストとして生きていくのは、いろんな意味で諦めるしかないようね……。
さて、今日は大事な夜会の日。
夜に備えて、今から準備をしなきゃ。
「レナード様は、まだ着かれてないのかしら」
そしてその日の夜。
夜会の会場に着いた私は、婚約者のレナード様の姿を探すも、どこにも見当たらない。
レナード様がエスコートしてくださらないと、私も会場内に入れないのに、困ったわね……。
「ふぅ……」
ふと、自分の指先の爪に視線を落とす。
今の私の爪は、メイドが塗ってくれたポリッシュ(所謂マニキュア)で赤く染まっているものの、如何せんこの世界のポリッシュは質が悪く、色がくすんでいるしむらもあるので、ハッキリ言って全然可愛くない。
嗚呼、ジェルネイルさえあれば、自分の手で好きなようにアートを描けるのに――!
「……グウィネス」
「――!」
その時だった。
レナード様の声がしたので振り返ると、そこには――。
「…………え?」
私の義理の妹の、アンジェリカをエスコートしたレナード様が、神妙な顔をして立っていたのだ――。
ど、どういうこと……?
「グウィネス、見損なったよ」
「……は?」
レナード様は軽蔑するような視線を、私に向けてくる。
見損なった??
私何か、悪いことしましたっけ??
「君は陰でコソコソ、アンジェリカに陰湿な嫌がらせをしていたそうじゃないか」
「……!?」
なっ!?
私がアンジェリカに、嫌がらせ……!?
そんな……まったく身に覚えがない……。
「アンジェリカの小物を隠したり、二人きりの時に何度も罵詈雑言を浴びせたりしていたそうだね? 貴族の端くれとして、恥ずかしいとは思わないのかい?」
「う、うぅ……ぐすん。レナード様ぁ」
アンジェリカが目元に涙を浮かべながら、レナード様にしなだれかかる。
こ、この子……!!
完全に噓泣きだわ!!
いつもは私のおやつも平気な顔して横取りしてくるような、ふてぶてしい性格してるのに!
――読めたわ。
この子、私からレナード様を寝取るつもりなのね――!
そのためにこんな嘘までついて……!
それにコロッと騙される、レナード様もレナード様よ!
これだから箱入りのお坊ちゃんはッ!
「誤解ですレナード様! どうか私の話も聞いてください!」
「いいや、もう二度と君の顔など見たくもない。――今この時をもって、君との婚約は破棄させてもらうよ。その代わり僕は、アンジェリカと婚約を結ぶ。それならどの道僕はディケンズ家に婿にいくことになるのだから、ディケンズ家としても問題はないよね?」
「はい! 嬉しいです、レナード様ぁ」
あ、あぁ……。
――前世では若くして交通事故で死に、今世では義妹に婚約者を奪われるなんて。
私ってそんなに、悪いことしたのかしら……?
「……話は聞いたぞ。レナード様はお前との婚約を破棄して、新たにアンジェリカと婚約を結びたいと仰ったそうだな?」
「は、はい……」
家に帰るなり、お父様が眉間に皺を寄せながらそう訊いてきた。
お父様の隣にはアンジェリカとアンジェリカの母親である私の継母が、勝ち誇ったような顔でふんぞり返っている。
「……ハァ、そういうことなら、受け入れるしかあるまい」
お父様は腕を組みながら、深く溜め息を吐かれる。
レナード様は我が家に婿に来る立場とはいえ、レナード様のご実家の家格は我が家より数段上の侯爵家。
レナード様がそうしたいと言うなら、お父様としても文句は言えないのだろう……。
「では、我が家の家督はアンジェリカに継がせるものとする。よいな?」
「…………はい」
到底納得できるものではなかったが、こうなってしまった以上、最早私の手では、どうすることもできないのが現実だった……。
「よかったわね、アンジェリカ」
「うん、母様、私、頑張るわね!」
継母とアンジェリカが、肩を寄せ合いながら満面の笑みを浮かべる。
これだけ見れば微笑ましい親子の光景かもしれないが、実状を知っている身としては、何ともおぞましいものだった……。
これで名実共にこの親子は、この家を乗っ取ることに成功したのだから……。
「グウィネス、跡取りでなくなったお前を、この家に置いておくわけにはいかん。――お前とは今日限りで、親子の縁を切る。荷物を纏めて、早々にこの家から出て行くがいい」
「……承知いたしました」
私が頷くと、お父様は心なしか肩の荷が下りたようなお顔になった。
おそらくお父様としても、再婚して以降の私は、扱いに困っていたのだ。
継母とアンジェリカは明らかに私のことをウザがっていたし、本心ではアンジェリカが跡取りになってくれたほうが楽なのになと思っていたに違いない。
だからこうして私をこの家から追い出す口実ができたことは、お父様としても渡りに船だったのだろう……。
「ふふふ」
「うふふふふ」
アンジェリカと継母の嘲笑う声が、いつまでも私の頭に木霊していた……。
「……ハァ」
大分秋の色が濃くなってきた街中を、一人当てもなく歩く。
こうして私は貴族令嬢から、ただの平民の女に成り下がったのであった。
まあでも、前向きに考えれば、元に戻っただけとも言える。
前世の私は、ただの一般人に過ぎなかったんだから。
むしろ貴族という枷が外れたことで、今後は自由に生きることができるようになった。
幸い貴族時代に貯めていた個人資産はそこそこあるし、これを機に、念願だった自分のネイルサロンを持つのもアリかもしれない。
「うん、そうと決まったら、早速物件を探さなきゃね!」
おお!
目標が出来たら、俄然元気が湧いてきた!
よおおし、やってやるわよおおお!!
この世界では史上初の、ジェルネイルのネイルサロンをオープンさせてみせるわ――!
――ネイリスト王に、私はなる!!!!(ドン!!)
「これでよし、と」
運良く格安の物件がすぐ見付かったので、貯金をはたいて買い取り、最低限ネイルサロンを開けるだけの設備は整えた。
ジェルネイル自体も何とか自作できたし、残る問題はジェルネイルを硬化させるLEDライトだけ。
だがこれについても一つだけ、秘策があった。
――ここは異世界なだけあって、魔法が存在しているのだ。
電気がない代わりに魔法の力をランプとして使い、夜でも道は明るく照らされている。
つまりそれを応用すれば、LEDライトの代わりになるかもしれない。
「そうと決まれば、早速実験ね!」
私は試しに自分の左の親指の爪にベースジェルを塗り、そこに右の手のひらをかざした。
そして頭の中に、前世で幾度となく目にした、LEDライトの光をイメージする――。
「包むように 語り掛けるように
ゆりかごの中の無色の子へ
明日の色を授けよ
――【慈愛の閃光】」
おお!
私の手のひらから、それっぽい青白い光が出てきた!
これぞまさに、LEDライトだわ!
30秒ほど光を当ててから、恐る恐る指を傾けてみると、ベースジェルはまったく動かなかった。
――完全に硬化してる!!
成功だッ!
遂に私は魔法の力で、異世界でもLEDライトが使えるようになったんだわ!
「よぉし、テンション上がってきたわあああ!!」
その流れで私は親指の爪にカラージェルで簡単なアートを描いてLEDライトで硬化し、その上にトップジェルを塗って、再度LEDライトで硬化した。
そして仕上げに未硬化部分を拭き取ると――。
「……か、完成だわ」
親指の爪に、前世で365日目にしていた、ネイルアートが顕現したのだ――。
「う、ううぅ……!! うぅ……!!」
涙が溢れて止まらない。
やった……!
これで私はこの世界でも、ネイリストになれる――!
「よっしゃあ! 早速明日から開店するわよぉ!」
この日私は一日かけて、開店準備に明け暮れたのである――。
「よし、と!」
そして運命のオープン初日。
震える手で店の前に看板を掲げた私は、逸る気持ちを抑えながら店内に戻った。
ちなみに店の名前は『ニャッポリート』にした。
前世でよく読んでいたとあるネット小説の中に、頻繁に登場していた謎のワードなのだが、響きが気に入っていたので、拝借したのだ。
「はぁ、何人くらいお客さん来るかなぁ」
もしも一人も来なかったらどうしよう……。
い、いや、流石にそんなことはないと思いたい。
まあ、とにかく今は信じて待つだけね。
私は暇つぶしを兼ねてネイルチップにサンプルを作りながら、お客さん第一号の来店を待った。
「だ、誰も来ない……」
が、現実はあまりにも無情だった。
既に陽も傾き始めたというのに、未だお客さんはゼロ……。
仕上げたネイルチップのサンプルも、既に10セットに到達していた。
迂闊だった……!
そもそもこの世界ではまだネイルサロンの存在自体マイナーだし、この物件は安かっただけに、あまり人通りも多くはない。
前世で働いていたお店は大通り沿いにあったこともあり、絶えずお客さんが来ていたので、閑古鳥が鳴くという経験をしたことがなかった。
――このままでは、飢え死にしてしまうわ!
「あ、あのぉ、営業されてますかぁ?」
「――!!」
その時だった。
20歳前後くらいの黒髪の女性が、オドオドしながら店内に入って来た。
お客さん第一号キターーー!!!!
「あ、はいッ! やってます! どうぞお掛けください!」
「あ、はい、ありがとうございますぅ」
第一号さんはちょっとポワポワした雰囲気の、おっとりした人だった。
よし、記念すべき最初のお客さん、全力でおもてなしするわよぉ……!
「本日は、どのようなアートをご所望でしょうか?」
「アートォ? 私ちょっと、爪に色を付けてもらえればよかったんですけどぉ」
ああそうか。
ジェルネイルが存在しなかったこの世界じゃ、まだネイルアートという概念は一般には浸透してないわよね。
「実は私が最近独自に開発した、ジェルネイルというものがございまして。ジェルネイルを使えば、このような複雑なアートを爪に載せることもできるんです」
私は今さっき作ったネイルチップのサンプルを、第一号さんにお見せする。
「わぁ! すっごぉい! これ、全部店長さんの手作りなんですかぁ!?」
「え、ええ、一応」
店長さん……!
そうか、私念願だった店長に、遂になれたんだ……!
「あっ、この花、可愛い~」
第一号さんは、桜の花びらを描いたサンプルを手に取って、目を輝かせた。
ああ、この世界には桜は存在してないから、珍しいのね。
「それは私の故郷にしか咲かない花で、桜というんです」
「へぇ~! そうなんですねぇ。これ、とっても気に入りました。私の爪にも、これを描いてほしいですぅ」
「承知いたしました。お任せください」
よぉし、本気出すわよぉ!
「はい、完成です。どうでしょうこんな感じで?」
「はわぁ! とってもとっても可愛いですぅ! すっごいツヤツヤだし、自分の爪じゃないみたい~」
うんうん、このツヤも、ジェルネイルでしか出せないものだからね。
「これならこれから会う友達にも、自慢できちゃいますぅ」
「はは、それならよかったです」
なるほど、大方これから女子会ってところかしら。
前世で働いてたネイルサロンでも、女子会の前に気合を入れるために来店したお客さんは多かったものね。
こうして第一号さんは大変満足したご様子で、帰って行かれた。
結局この日のお客さんは第一号さんだけだったものの、私は確かな手応えを感じていた。
やはりこの世界でも、ジェルネイルは通用する――!
よし、明日もまた、バリバリ働くわよぉ!
「こんにちはぁ!」
「――!」
そして訪れたオープン二日目。
開店して間もなく、20歳前後くらいの茶髪でそばかすがキュートな女性が入って来た。
お客さん第二号キターーー!!!!
「いらっしゃいませ。どうぞお掛けください」
「あ、どうも! あのあのあの! アタシ昨日ケイシーにこのお店のこと聞いて、居ても立っても居られなくなって、速攻で来たんです!」
なるほど。
多分ケイシーさんというのは、昨日の第一号さんのことね。
昨日ケイシーさんと女子会をしていたのは、この第二号さんだったんだわ。
「そうでしたか。それは光栄です。本日は、どのようなアートをご所望でしょうか? こちらにいくつかサンプルもございますので、ご自由にご覧になってください」
昨日あれから更に10セット追加でサンプルを作ったので、大分サンプルも充実してきた。
「わああああ!!! ヤバあああ!!! マジでこれ、店長さんが一人で作ったんですか!?」
第二号さんは新しいオモチャを前にした子どもみたいに、瞳をキラッキラ輝かせている。
ふふふ、わかりますよわかりますよ。
私も初めてネイルサロンでサンプルを見た時は、そんな感じでしたから。
「ええ、昨日は開店初日ということもあって、あまりお客様がいらっしゃらなかったので、一日中こればかり作ってたんです」
「一日でこんなに作ったんですかッ!!? マジで天才じゃないですかッ!!!」
「いえいえ、プロならこれくらい、当然のことですから」
それこそ私も前世でプロになる前は、練習のために毎日20セット以上は作ってたし。
「はえぇ、すっげぇ。やっぱどの世界も、プロになる人は、格が違うんですねぇ。……それにひきかえ、アタシは……」
途端、第二号さんは目に見えて落ち込んでしまった。
ううむ、これは、何か悩みを抱えているパターンね。
前世でお店に訪れたお客さんの中には、そういう人も多かったので、何となく空気でわかる。
「……何か、お悩みでもあるんですか?」
「へへ、わかりますか。……実はアタシ、こんなナリだけど歌手目指してて。歌唱力じゃ誰にも負けない自信あるんですけど、この通りあんま可愛くないんで、どこのオーディションでも毎回最終選考で落ちちゃうんですよねぇ。受かるのは決まって、絶世の美女ばかりで……」
ああ、確かに歌手の世界は、そういう風潮にあるかもしれないわね……。
特にこの異世界では歌手というのは、貴族の夜会を盛り上げるために呼ばれることが多い。
そうなると必然的に、美しい女性のほうが貴族受けがいいのだ。
……でも、せっかくこうしてニャッポリートに来てくださったんだもの。
何とか私でも、この方のお力になりたい――!
「そういうことでしたら、いっそジェルスカで目立つ爪にしてみるというのは、いかがでしょうか?」
「ジェル……スカ?」
ああそうか、ジェルスカと言われても、この世界の人には通じないわよね。
「ジェルスカというのは、ジェルで爪を長くすることです。その分アートに使える面積も広がるので、ド派手で目を引くネイルアートを施すことも可能になりますよ」
「マ、マジですか!? それ、すっごくイイじゃないですかッ! それでオーディションで目立てれば、アタシでもチャンスあるかも! 是非やってください!」
「承知いたしました。デザインはこちらにお任せいただいてもよろしいですか?」
「はい! なるべく注目を集められそうなやつでお願いします!」
「了解です」
よぉし、イメージが湧いてきた!
いっちょやってみますか!
「はい、完成です。どうでしょうこんな感じで?」
「うわああああああ!!! すっげえええええええ!!!!」
今回のテーマはズバリ『炎』。
ジェルスカで長くした爪全面に、燃え盛る炎を描いてみた。
この繊細な色のグラデーションを出せるのも、ジェルネイルならでは。
うん、我ながら会心の出来だわ。
「……夢を叶えるというのは、決して簡単なことではありません。でも、常に心の中に炎を灯して努力し続けていれば、いつかきっと夢は叶うと私は信じています。ですからどうか、諦めずに頑張ってください。私も陰ながら、応援しておりますので」
「て、店長さん……」
第二号さんの瞳が、水の膜で潤む。
「あ、ありがとうございます……! ありがとうございます……!! この御恩は、一生忘れません! あ、そうだ、アタシ、イレインっていいます! このお店のこと、知り合いたちにもガンガン宣伝しとくんで!」
「わあ、ありがとうございます。そうしていただけると、とっても助かります」
こうしてケイシーさんやイレインさんが宣伝してくださったこともあり、徐々にお客さんも増え始め、半年も経った頃には、ニャッポリートは毎日予約で一杯になるほどの、大人気店となったのである――。
――そして私がニャッポリートをオープンさせてから一年ほどが経った、ある日。
「じゃ、また来ますねー」
「ありがとうございました」
今日最後の予約のお客さんを見送った私は、いつも通り閉店準備を始めた。
すると――。
「あの、失礼いたします」
「――!」
一人のひょろりと背の高い若い男性が、おもむろに店内に入って来た。
長い前髪で目元を隠しており、顔はよく見えない。
だが、着ている服はカジュアルながらも、明らかに高級なものばかりだった。
全身からただならぬ気品も感じるし、とても平民には見えない。
どこかの大貴族のお坊ちゃまかしら……?
「あ、申し訳ございません……。本日はもう閉店の時間でして……」
「ああ、いえ、予約を取らせていただきたいなと思いまして」
「あ、ご予約ですか。承知いたしました。ご希望のお日にちはございますか?」
「明後日は空いておりますでしょうか」
「明後日、ですか」
私はパラパラと予約帳を開く。
「明後日でしたら、16時からでしたら空いております」
「ではその時間にお伺いしますね。私の名前はバートといいます」
「バート様でございますね。もしご希望のデザイン等がございましたら、お聞きしておきたいのですが」
「ああ、実際に施術していただきたいのは、私ではなく、祖母なんです」
「あ、お婆様ですか」
「はい。……実は先日、祖父が病気で他界してしまいまして。祖父母はおしどり夫婦で有名だったので、一人残された祖母は、大変気落ちしてしまっているのです」
「あ、それは、お悔やみ申し上げます……」
そういえば先月も、先代の国王陛下がご病気で崩御されて、大々的に国葬が開かれていたっけ。
最近は大分寒くなってきたし、お年寄りには厳しい季節なのかもしれない。
「祖母は昔からお洒落をするのが趣味だったので、こちらでネイルアートを施していただければ、少しは元気も出るんじゃないかと思った次第です。このお店の評判は、知人から聞いていましたので」
おお、これは責任重大ね。
――でも、そういうことなら、私もプロとして受けて立つわ。
「左様ですか。承知いたしました。では当日は、精一杯頑張らせていただきます」
「ふふ、よろしくお願いいたします」
バートさんは軽く頭を下げると、颯爽と帰って行かれた。
結局最後までバートさんのお顔は、長い前髪に隠れてよく見えなかった。
そういえばバートって、我が国の第二王子殿下と同じ名前ね。
……まさか、ね。
「失礼します」
そして訪れた予約当日。
バートさんは身なりの良い老婦人と一緒に、時間ちょうどに来店された(今日もバートさんのお顔は、前髪に隠れてよく見えない)。
この方が、バートさんのお婆様ね。
バートさん同様、全身から気品が溢れ出ており、思わず圧倒される。
も、もしかして、このお方は……。
い、いやいやいや、そんなわけあるはずがない……!
何はともあれ、今は仕事に集中よ!
「ようこそおいでくださいました。どうぞお掛けください」
「ありがとうございます。本日は孫がご無理を言ったそうで、ごめんなさいね」
お婆様はバートさんと並んで、椅子に腰掛けた。
「いえいえ、これが私の仕事ですので、どうかお気になさらないでください。――それで、本日は、どういったデザインのネイルアートをご所望でしょうか?」
「それがねぇ、私もネイルアートにはあまり詳しくないものだから、どうリクエストしたものかしら」
お婆様は頬に手を当て、思案顔になる。
そんな仕草すら様になっているのだから、思わず見蕩れてしまう。
「お婆様、それでしたらお爺様との思い出の、薔薇をモチーフにしていただくのはどうでしょうか?」
バートさんが助け船を出してくれた。
「あぁ……、薔薇、ね……。ふふ、あの人ったら、昔から情熱的で、事あるごとに私に真っ赤な薔薇の花束をプレゼントしてくれていたのよ」
「ああ、それは、素敵ですね」
だからこそ、先立たれた悲しみは、筆舌に尽くしがたいものだろう……。
――よし。
「でしたらデザインは、薔薇の花にいたしましょう」
「まぁ。でも、私の爪はこんなに小さいけど、薔薇なんて複雑なアート、大丈夫かしら?」
確かにお婆様の爪は小さいので、あまり面積に余裕があるとは言えない。
――でも、たとえ米粒だろうと、お客様が望むならそこにアートを描くのが、プロのネイリストよ!
「まったく問題ございません。どうか私にお任せくださいませ」
「ふふ、じゃあ、お願いしようかしら」
「承知いたしました」
よぉし、イメージが浮かんできた浮かんできた――!
いっくわよおおおおお!!!
「――はい、これで完成です。いかがでしょうか?」
「――まぁ」
お婆様の皺に囲まれた目が、大きく見開かれた。
私はお婆様の10本の爪全てに、真っ赤な薔薇のアートを施したのだ。
指を揃えれば、薔薇の花束にも見えるように――。
「これは凄い……。ジェルネイルというのは、こんなこともできるのですね。まさに魔法だ」
バートさんも顎に手を当て、しきりに頷かれている。
相変わらずどんな顔をしているのかは、前髪で隠れて見えないけれど。
「あ、あぁ……、これは、あの人がくれた薔薇の花束と、同じだわ……」
不意にお婆様の瞳から、大粒の涙が零れた――。
お婆様……。
「ありがとう、グウィネスさん。これで私はこれからも常に、あの人を側に感じられるわ」
お婆様は私に深く、頭を下げられる。
「お役に立てたのでしたら光栄です。おそらく一ヶ月はもたないと思われますので、またいつでもいらしていただければ、施術いたしますので」
「ええ、今後も通わせていただくわね」
「グウィネスさん、私からもお礼を言わせてください。本当にありがとうございました」
今度はバートさんに頭を下げられた。
「いえいえ、私は自分の仕事をしただけですので……。あっ、バートさん、もしよろしければ、バートさんにも施術いたしましょうか」
思ったより早く施術が終わったので、まだ次の予約までは時間があるし。
「えっ、私にもですか」
「まぁ、いいじゃない。せっかくだからあなたもやっていただきなさいよ、バート」
「で、ですが、私にはそんな、派手なネイルアートは似合わないと思いますし」
「あら、そんなことはございませんよ。最近では男性でもネイルアートを施すのが、珍しくないですし」
「そうなんですか?」
まあ、それは前世の世界での話だけど。
「それに、アートを施すだけがネイリストの仕事ではありません。失礼ですが、バート様は爪のお手入れはあまりされていないようにお見受けしますが」
「ああ、そうですね。どうにもその辺は疎いもので……。事務仕事も多いので、爪が傷みやすくて、何とかしなきゃなとは思っているんですが」
「あなたは本当にその辺昔からズボラよね。その長くて鬱陶しい前髪も、切りなさいっていつも言ってるのに」
「あはははは……」
お婆様がバートさんをたしなめる。
ふふ、仲がいいのね、お二人は。
「爪をちゃんとケアすれば、傷みづらくなりますよ。よろしければ、私のほうでケアをいたしましょうか?」
「あ、では……よろしくお願いします」
「承知いたしました。では、手をお出しいただけますか」
「あ、はい」
うわぁ、バートさんの手、すっごく大きい……。
しかも指も長くて、爪の形もとても綺麗……。
「グウィネスさん?」
「あ、何でもないです何でもないです! では、ケアしますね」
「はい」
危ない危ない。
今は仕事中なんだから、集中しなきゃ――!
――私はまずバートさんの爪の甘皮を取り、しっかりと磨いてから、仕上げに透明なトップジェルを塗ってLEDライトで硬化させた。
「はい、こんな感じです。どうです、綺麗になったでしょう?」
「ほ、本当だ……」
色こそ付けていないものの、ケアをする前と今では、爪の輝きが全然違う。
「こうしておけば爪も傷みづらくなりますし、爪も綺麗に見えるしで、一石二鳥ですよ」
「あらあら、バート、とっても素敵よあなた。よかったわねぇ」
「はい……。グウィネスさん、あなた様のその腕、惚れ惚れいたしました」
「ほ、惚れ……!?」
急にそんなことを言われたので、思わず全身がカッと熱くなった。
いや、バートさんはあくまで、私の腕を褒めてくれただけなのはわかってるんだけどね……!
「……グウィネスさん、もしよろしければ、来週の王家主催の夜会に、あなた様をご招待したいのですが、よろしいでしょうか?」
「…………え?」
今、バートさん、何と仰いました???
王家主催の、夜会……!?
そんなものに招待する権限を持ってるってことは、やはりこのお方たちは……!!
「あら、とってもいい考えじゃないバート。是非あなたにも来ていただきたいわ。いいかしら、グウィネスさん?」
「あ…………はい。わ、私なんかで、よろしければ」
どの道こうなってしまった以上、私なんかには断る権利も勇気もない……。
「それはよかった。では当日は、16時にこちらに迎えをよこしますので」
「しょ、承知いたしました」
「当日は、あなたがちゃんとグウィネスさんをエスコートするのよ、バート」
「もちろんです、お婆様」
こ、これは、大変なことになってきたわ――!
――そして訪れた夜会当日。
バートさんの仰っていた通り、16時ちょうどに豪奢な馬車が店の前に止まり、そこからゾロゾロと使用人の方々が降りてきて、私は半ば連行されるように、会場へと連れて行かれた。
そしてそこで豪華絢爛なドレスやアクセサリーで着飾らせられ、まるでお姫様みたいな格好にさせられたのだった。
こんな最高級のドレス、伯爵令嬢時代にさえ着たことがない。
平民に落ちた私がこんなことになるなんて、随分皮肉な話ね……。
でも、こうなることを見越して、今日はかつてないほどに派手なネイルアートを施してきてよかった。
これならこのドレスにもマッチしてるわ。
「ああ、とてもよくお似合いですよ、グウィネスさん」
「――!」
その時だった。
私の前に、まるで王子様みたいな格好をしたバートさんが現れた。
しかも今日は長い前髪を上げて素顔が露わになっており、そのあまりのイケメンっぷりに、私は絶句した。
流石にこれはもう、疑いようがない……。
バートさん……いや、バート様は――!
「さあ、そろそろ会場の時間です。参りましょうか」
「あ、は、はい……!」
バート様にすっと差し出された左肘に、震える手で掴まる私。
ど、どうしよう……!!
さっきから冷や汗が止まらないわ……!!
「あれ!? なんでグウィネスさんがここに!?」
「っ!? あ、どうも、イレインさん……」
会場に入ると、深紅のドレスで着飾った、ニャッポリートの常連のイレインさんとばったり会った。
イレインさんは今から半年ほど前、念願だった歌手デビューを果たし、それ以来その抜群の歌唱力で世間を圧倒し、今では国を代表するほどの歌姫に成長していた。
この夜会のオープニングセレモニーでも歌うことになっており、そのための特注ネイルアートを、昨日私が施術したところなのだ。
私も夜会に参加することは何となく言いそびれてしまっていたので、こんな場所で再会したことに、イレインさんが驚くのも無理のない話だろう。
「ああ、あなたが話題の歌姫のイレインさんですね。本日はよろしくお願いいたします」
バート様がイレインさんに頭を下げられる。
「え? あ、はい、どうも。――っ!? まさかあなた様は――!?」
どうやらイレインさんも、バート様の正体に気付かれたらしい。
「あれえ? なんであなたがここにいるのぉ!?」
「――!」
この声は――!
「……アンジェリカ」
振り返ると、そこには元義妹のアンジェリカと、元婚約者のレナード様が、仲睦まじく手を組んで立っていた。
そうだ、この二人と会う可能性があることを、すっかり失念していた……!
平民の私と違って、今でもバリバリ貴族のこの二人は、この夜会に呼ばれていても不思議ではないのだから……。
「アンジェリカ様でしょ? 下賤な平民如きが、伯爵家の跡取りである私を呼び捨てにしていいと思ってるの?」
アンジェリカが私に、ゴミを見るような目を向けてくる。
……クッ。
「も、申し訳ございませんでした、アンジェリカ様」
私は渋々、アンジェリカに頭を下げる。
「グウィネス、アンジェリカの質問に答えなよ。なんで平民である君が、こんな場所にいるんだ?」
今度はレナード様が、氷のように冷たい目を向けてきた。
二人とも、私が平民であることを、これでもかと強調してくる。
余程私がこの場にいることが、気に食わないのだろう。
「――それは私が、この方をお招きしたからですよ」
その時だった。
バート様が二人から私を守るように、私の前に立たれた。
バ、バート様……!
「ん? 誰だ君は? ――っ!? ま、まさかあなた様は……!?」
レナード様も、バート様の正体に気付いたらしい。
「あらぁ、グウィネスさん、来てくれていたのね」
「あ、ご機嫌麗しゅうございます」
今度はバート様のお婆様が、私に声を掛けてきてくださった。
私は咄嗟に、カーテシーで挨拶する。
今日のお婆様はそれはそれは神々しい衣装を身に纏っており、まるで女神様が降臨されたかのようだった。
「っ!? キャロライナ殿下……!!?」
レナード様がわなわな震えながら、お婆様をそう呼ぶ。
そう、このお方は、先代王妃殿下であらせられる、キャロライナ殿下だったのだ。
――つまりキャロライナ殿下のお孫さんであるバート様は、第二王子殿下であらせられる、バート殿下。
バート殿下は滅多に人前には出ないことで有名なお方で、私も直接お会いした経験はなかったので、このお方がバート殿下であることを確信したのは、ついさっきだけど……。
「グウィネスさんが施術してくれたこの薔薇のネイルアート、城内でもとっても評判だったのよ。本当にありがとうね」
「いえいえ、勿体ないお言葉でございます」
「……なっ」
「……そ、そんな……」
レナード様とアンジェリカが、有り得ないものを見るような目を向けてくる。
ただの平民に過ぎない私が、キャロライナ殿下と親しげに話している光景が、信じられないのだろう。
「さて、あなたたちはディケンズ伯爵家の跡取りのアンジェリカ嬢と、その婚約者のレナード氏ですね」
「……! は、はい」
「さ、左様でございます」
バート殿下が、圧のある笑顔を浮かべながら、二人に声を掛ける。
二人とも、蛇に睨まれた蛙みたいになってしまった。
なんでバート殿下は、二人のことをご存知なのかしら……?
直接面識はなかったっぽいけど……。
「お二人のことは少し調べさせていただきました。――何でも今から約一年前、アンジェリカ嬢は虚言で当時グウィネスさんの婚約者だったレナード氏を寝取り、跡取りの座も奪い取ったとか」
「っ!? それは……!!」
「きょ、虚言……!?」
んんんん!?!?
何故バート殿下が、それを……!?
……ああ、そうか。
私を夜会に招待してくださるにあたって、一応素性は調べておいたのね。
もしも私が他国のスパイとかだったら、大変なことになるものね。
そして調べたら私が元ディケンズ伯爵家の娘だったこともわかり、芋づる式にアンジェリカの悪行も明らかになったってわけか。
……やれやれ、やっぱり悪いことはいつかバレるものなのね。
「ご、誤解ですバート殿下! 私は決して、噓なんてついていませんッ!」
「おや? では、王家の諜報部の調査結果が、間違っていると?」
「……ぐっ!?」
これは、詰んだわねアンジェリカ。
ここで間違っていると言えば、王家に盾突いたことになるし、虚言だったと認めたら、それはそれで、二度と貴族社会では生きていけないだろう。
「あ、わ、私ちょっと、お腹が痛くなってきました……! お、お花を摘みに行ってきます!」
「なっ!? 待ってくれよアンジェリカ! どういうことか、説明してくれよおお!!」
逃げるように走り去って行くアンジェリカと、それを慌てて追い掛けるレナード様。
うーん、これぞ因果応報。
「……差し出がましいことをして、申し訳ございませんでした、グウィネスさん」
バート殿下が、私に軽く頭を下げる。
「い、いえ! こちらこそとても助かりました! ……お陰様で一年越しに、私の濡れ衣も晴れましたし」
「……もしよろしければ、私のほうであなた様がディケンズ伯爵家の跡取りに戻れるように、取り計らいましょうか?」
――!
バート殿下……。
「いえ、お気持ちは嬉しいのですが、ご遠慮いたします。――私は貴族でいるより、ネイリストでいるほうが、性に合っておりますので」
「ふふ、そうですか」
「――!」
バート殿下の弾けるような笑顔に、私の胸がこれでもかと高鳴った。
あわわわわ……!?
か、勘違いするんじゃないわよ、私……!
バート殿下は私のことなんて、何とも思ってないんだから……!
「あらあら、お安くないわねお二人さん。さあさあ、そろそろ夜会が始まるわよ」
キャロライナ殿下が、私たちのことを茶化してくる。
も、もう!
勘弁してくださいよ!
「よっしゃ! お二人の門出をお祝いして、私も全力で歌いますんで、楽しみにしててくださいね!」
イレインさんまで!?
何を言い出すんですッ!?
「ハハ、よろしくお願いいたします」
バート殿下も悪ノリしてるし!
……ああもう。
何となくこの時私は、今後は平穏な生活は送れなくなるような予感がしていた――。
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