第5話 快適空間《アーススフィア》
(結局、奥さんって人は出てこなかったわね)
一時間後。
食事を終えたセラフィーナは、ユージンの後を歩いていた。
前を歩くのは彼一人だけだ。食事には彼の奥さんも誘われたのだが、大人数が苦手とか、今は胸がいっぱいだとか、そんな理由で食事の場には現れなかった。
日はもう暮れている。休むにはまだ早い時間だが、ユージンが機体の内部を案内してくれるということで付いてきたのだ。
ただ、こうして夜になって少し不安を覚えてきた。
考えてみれば、彼の妻という人間は声しか聞いていないのだ。
もしかしたら、真実は人工精霊だったのかもしれない。
――そう。彼の妻は最初からいないのだ。
(まさか私を誘い込むため?)
そんなことを推測してしまう。
命の恩人に対して失礼な話だが、旅ではそういうケースも多いのだ。
商人たちが女性としてセラフィーナを気遣っていたのも、旅する者として誠実であらんと心掛けているからだ。でなければ商隊として信用をなくしてしまう。
『……セラ』
小声でユキが言う。
『失礼であっても警戒はしなさいよ。相手は男であなたは女なんだから』
「……分かってるわ」
そう答えると、不意にユージンが足を止めた。
そこは彼の愛機の入り口前だった。背中にある謎の巨大なでっぱりの最後方が一部開いて、それが機体へと続く長い階段になっている場所である。
(………あ)
その長い階段の中央辺り。そこに一人の少女が立っていた。
年齢は十六歳ほどか。腰辺りまで伸ばした銀色の長い髪に、金色に輝く眼差し。幻想的であると思えるほどの美貌を持つ少女が、そこで佇んでいた。
少女は夜空を見上げていた。
瞬く星々。輝く月をその双眸に映していた。
(……なんて綺麗な子……)
思わずセラフィーナが彼女の姿に魅入っていると、
(え?)
目を見開いて息を呑んだ。
不意に、少女がポロポロと大粒の涙を零し始めたからだ。
彼女は涙を零しながら、視線をセラフィーナたちの方に向けた。
「……ユージン」
とっとっと階段を駆け下りると、少女は全身でユージンの胸に飛び込んだ。
ユージンは揺らぐこともなく、彼女を正面から抱き止めた。
「……ありがとう。ありがとう。私を連れ出してくれて」
「……トワ」
ユージンは彼女の髪を優しく撫でた。
「これからだ。お前はもっと沢山のものに触れて、見ることが出来るんだ」
「……うん」
少女は頷いた。ユージンは彼女を抱きしめたまま振り返り、
「紹介しよう。俺の妻のトワイライトだ」
セラフィーナに彼女を紹介してきた。
それに対し、セラフィーナは、
「――疑ってすみませんでした!」
堪らず、深々と頭を下げて謝罪するのであった。
まあ、それはともあれ。
ユージンはトワを抱きかかえて階段を登っていた。
その後にセラフィーナが続く。
(……ま、まあ、ともかくよ)
あれほどの動きをした機体の内部を見れるのだ。絶好の機会である。
セラフィーナは気持ちを前向きに切り替えることにした。
(でも、入る場所は構造的に見てコンテナかしら?)
きっとコンテナを背負うためにあの大きさの機体になったのだ。戦闘用ではないというのも案外、嘘ではないのかもしれない。
そんなことを考えていると、ユージンは階段の最上階まで登った。
そこで彼は妻を降ろす。その先には鋼鉄のドアがあった。ユージンが近づくと、カシュンとドアがスライドして開いた。
そして、
「ようこそ。ガロンさん。君は初めての客人だ」
セラフィーナの方を一瞥して、ユージンがそう告げる。
そうして、二人はドアの奥へと入っていった。
セラフィーナも歩を進める。と、
(……え? 涼しい?)
何やら心地よい空気を感じた。
いよいよ彼女もドアの奥へと入り、
「………え?」
思わず目を丸くした。
『……はい?』と、ユキもまた困惑している。
そこは長方形型の明るい部屋だった。
「え? え?」
目を瞬かせて振り返る。まだドアは閉まっていない。目に映るのは夜空の景色だ。けれど、視線を戻すとそこは部屋だった。ますます困惑した。
(え? なにこれ?)
セラフィーナは室内を凝視した。
右側にあるのは壁沿いのキッチン。無数の調理器具に銀色のシンク。赤い丸印が二つ描かれた鉄板。コンロなのだろうか。土台には小さな冷蔵庫が組み込まれていた。
左側にあるのは固定された木目調の長テーブルだ。すぐ傍にL字型の革製のソファーが壁に沿って設置されている。左右合わせてダイニングキッチンだった。
さらに奥にはもう一つドアがあり、右側の壁には固定型のパイプ梯子。その先の天井には四角い穴が開いている。左側の壁沿いの床にも穴は開いていた。どうやら下層へのパイプ梯子が設置されているようだ。
「は? え? 家? 部屋?」
セラフィーナは完全に混乱していた。保管庫に入ったつもりが、間違ってどこかの家の中に迷い込んでしまったかのようだった。
「ここがユージンと私の家。居住キャビン・《アーススフィア》だ」
と、トワが言う。
「今夜、お前が泊まることはユージンから聞いてるぞ。私が説明してやろう」
「は、はい」
セラフィーナが頷くと、トワは彼女の前に立って腰に手を当てた。
「まずこの階はダイニングキッチンだ。リビングも兼ねている。入り口があるから一階と呼んでいるぞ。奥にあるドアの向こうは操縦席だ。《アトラス》を動かすことが出来るぞ」
「は、はあ」
まだ困惑しながらセラフィーナは頷く。
「二階にあるのはユージンと私の寝室なんだ」
トワは天井を指差した。
「書斎も兼ねているんだ。クローゼットもその部屋にあるぞ」
続けて、彼女は部屋の隅にある穴へと向かって、
「お前が泊まる部屋は地下だぞ。ついてこい」
そう言って、穴の下へと降りて行った。ユージンも続いたので、困惑しながらもセラも穴をくぐってパイプ梯子を降りた。
そこも一階と同じほどの広さの部屋だった。奥に大小の個室がある。壁沿いには見慣れないデザインだが、洗濯機が置かれているようだ。ランドリーラックもある。
(いやいやいや。魔装機兵の中に洗濯機って……)
言葉に出してツッコミを入れられないほどに、これはあり得ない光景だった。
しかし、そんな驚きが落ち着く余裕もくれずに、トワは説明を続けた。
「あれはドラム式洗濯機。乾燥機でもあるぞ。この部屋は客室兼ランドリールームなんだ。そして奥の大きな部屋はバスルームだ。小さな部屋はトイレだぞ」
「……………え?」
セラフィーナは唖然とした顔でトワを見やる。
十数秒の間を空けて、
「はいィ!? バスルーム!? トイレ!?」
驚愕の声を上げた。
ギョッとしながらも、トイレと紹介された部屋を開けた。
そこには本当にトイレがあった。しかも水洗だ。
『……うそぉ』
人工精霊であるユキさえも驚愕している。
一方、セラフィーナは恐る恐るトワとユージンに視線を向けて、
「あの、流してみてもいいですか?」
「ああ。構わない」ユージンが言う。右足の爪先で床を叩き、
「この下には倉庫と濾過装置のついた貯水庫があるんだ。水は充分にある」
「そ、そうですか……」
セラフィーナはトイレのレバーを動かした。水が勢いよく流れていく。
「ほ、本物だ……」
「いや。本物じゃないトイレってなんだ?」
と、トワがツッコみを入れるが、それも聞こえていない。
とりあえずバスルームも見せてもらった。洗面所もあるバスルームだ。流石に少し狭い感じはするが、シャワーも完備してある。当然、これも水が使えるのだろう。
「な、なにこれ……」
理解が及ばず、セラフィーナが立ち尽くしていると、
「異国……とても遠い異国では『キャンピングカー』というものがあるそうだ」
ユージンが補足説明をしてくれた。
「快適な宿泊を目的にした魔導車輛だとでも思ってくれたらいい。言ってみれば、動くホテルだな。この《アーススフィア》はそれを参考にしてトワが設計したんだ」
「そ、そうなんですか……」
セラフィーナは茫然とした顔で話を聞いていた。
そう言われると多少の説得力もあるが、これは完全に想定外の光景だった。
「さて。君の寝室だが」
ユージンは洗濯機の反対側の壁に移動して、カチッと何かのスイッチを押した。
すると、壁が倒れてベッドになったではないか。
「隠しベッドが出てきた!?」
「来客用の予備ベッドの一つだ。他にも三つ壁に内蔵されている」
ユージンは、パンパンとベッドの上を叩いた。
「床で寝るよりは快適なはずだ。今日はこれを使ってくれ」
「は、はい」セラフィーナはコクコクと頷いた。
ユージンは少し優しい目をして、
「今日はとても疲れただろう。色々とありすぎた。ゆっくり休んでくれ」
「あ、ありがとうございます。アサルトさん」
セラフィーナが頭を深く下げて感謝を伝えると、
「俺のことはユージンで構わない。トワもアサルトだからな」
「うん。私もアサルトなんだ」
トワが両手を腰に当てて大きく頷いた。それからセラフィーナを見やり、
「私のことはトワと呼んでくれていいぞ」
「は、はい」セラフィーナも頷く。
「なら、私のことはセラフィーナか、セラで構いません」
「そうか。了解した。セラ。洗面所などの設備は自由に使ってくれて構わない。タオルも使ってくれ。では、今日はゆっくりと休んでくれ」
そう告げて、アサルト夫妻はパイプ梯子を上っていった。
しばしの間、セラフィーナは茫然と立っていた。
本当は操縦席が見たかったのだが、それも完全に思考から飛んでいた。
『……なんか、より謎が深まったわね』
と、ユキが言う。
「う、うん。だけど」
セラフィーナは、ちらりとバスルームに目をやった。
「ちょとだけ。ちょっとだけ、お風呂を使ってみてもいいかな?」
そんなことを呟くのだった。




