切り取られた映像
事件と呼ぶには、小さすぎた。
夕方の商店街。
駅前に近い、古い宗教施設の前。
買い物帰りの人々が行き交う、ありふれた場所だった。
若者が立っていた。
二人。
一人は、この国の言葉を話し、もう一人は少しだけ訛りがあった。
「だからさ、ここは公共の場なんだよ」
声は荒れていない。
だが苛立ちは隠せていなかった。
「信仰は個人の自由だ。
だが、通行の邪魔になるのは違うだろ」
もう一人は、静かに首を振った。
「我々は、祈っているだけだ。
誰も強制していない」
その瞬間だった。
通りの向こうで、スマートフォンが持ち上がった。
別の角度でも、また一つ。
誰も「撮るな」とは言わなかった。
この国では、撮る自由もまた、尊重されている。
「自由って言葉で、何でも許されると思うなよ」
声が、少し強くなる。
その言葉の直後。
映像は、そこで切れた。
数時間後。
その動画は、別の文脈で拡散されていた。
《非信仰者が祈る者を威圧》
《信仰への迫害が始まった》
編集は巧妙だった。
前後のやり取りは消され、
声を荒らげた一瞬だけが繰り返される。
コメント欄は、瞬く間に埋まった。
「ひどい国だ」
「これが寛容?」
「非暴力って、差別を放置すること?」
反対の声もあった。
「切り取りだ」
「全部見ろ」
「また煽りか」
だが、訂正は拡散しない。
翌朝、ニュース番組。
司会者は慎重な口調だった。
「現在、警察は事実関係を確認中です。
暴力行為は確認されていません」
暴力はない。
だが、感情は燃えていた。
専門家と呼ばれる人物が画面に映る。
「これは象徴的な事件です。
多宗教社会が抱える摩擦が、
表面化しただけとも言えます」
象徴。
その言葉が、事件を大きくした。
保安庁。
ミナトは、映像の元データを確認していた。
「……完全に切ってるな」
冒頭と末尾。
穏やかなやり取り。
通行人が割って入る場面。
すべて、消えている。
「誰が最初に上げた?」
「国外サーバー経由。
複数のアカウントが同時に拡散」
偶然ではない。
「止められるか?」
同僚が聞く。
ミナトは、首を横に振った。
「止めた瞬間、
言論弾圧の証拠になる」
国会では、緊急質疑が行われていた。
「政府は、この事態をどう受け止めているのか」
答弁は、想定通りだった。
「事実確認を進めている。
いかなる差別も容認しない」
誰も間違ったことは言っていない。
だが“調整役”の政治家が、そこで言葉を足す。
「同時に、我々は冷静であるべきです。
映像一つで社会が揺らぐなら、
それこそが問題ではありませんか」
理性的な言葉。
拍手が起きる。
街では、空気が変わり始めていた。
宗教施設の前を、
遠回りする人が増える。
大学では、対話会が中止になる。
理由は「安全配慮」。
誰も暴力を振るっていない。
だが、距離が生まれる。
夜。
宗教国家の通信室。
若い報告官が言った。
「第一波、成功です」
「犠牲者は?」
「いません」
指導者は、満足そうに頷いた。
「それでいい」
彼は、静かに言う。
「血を流せば、彼らは結束する。
だが」
モニターに映るのは、割れた世論。
「疑念は、最も安い兵器だ」
その頃、ミナトは自宅で、
ニュースの音を消して画面を見ていた。
事件は終わっていない。
始まったばかりだ。
彼は理解していた。
この国は今、
何かを守ろうとして、
何かを失い始めている。




