違法ではない
最初に現場が動いたのは、警察でも軍でもなかった。
法務部門だった。
分厚い資料が、会議室の机に積み上げられる。
出席者は、治安当局、保安庁、内務省、そして数名の法律顧問。
誰も声を荒らげない。
だが空気は、重かった。
「整理します」
法務次官が静かに口を開いた。
「入国手続きは適正。
滞在資格も有効。
活動内容は、表現の自由と信教の自由の範囲内」
彼は一枚、紙をめくる。
「集会、配信、出版。
いずれも暴力的扇動、差別扇動に該当せず」
結論は、すでに見えていた。
「つまり……」
保安庁の幹部が言葉を継ぐ。
「違法ではない」
その四文字が、会議室に落ちた。
ミナトは、黙って資料を見ていた。
違法でない。
それは、この国において最強の免罪符だった。
「しかし」
彼は慎重に言葉を選んだ。
「活動が同時多発的で、
思想的な方向性が一致しています」
「思想は取り締まれない」
法律顧問が即答する。
「それを始めた瞬間、この国は別の国になる」
誰も反論しなかった。
数日後、治安部隊の現場会議。
「巡回強化の要請が来てる」
現場指揮官が報告する。
「だが、何を基準に?
犯罪が起きていない」
若い隊員が戸惑いを隠さない。
「集会を解散させる理由はありません。
むしろ、我々が映される」
カメラ。
スマートフォン。
編集され、拡散される未来が、容易に想像できた。
「刺激するな」
それが、唯一の指示だった。
その頃、国会。
例の政治家
後に“調整役”と呼ばれる男が、穏やかな声で発言していた。
「過剰反応は、最も危険です」
議場は静まり返る。
「信仰の自由を疑えば、
我々自身の理念を疑うことになる」
拍手が起きる。
反対する理由が、見当たらない。
「治安強化を求める声も理解できます。
ですが、違法でない行為を
力で止める国にはなってはならない」
その言葉は、正しかった。
正しすぎた。
夜のニュース。
《政府、宗教活動への規制否定》
《表現の自由を尊重》
街頭インタビュー。
「安心しました」
「ちゃんとした国ですね」
一方で、別の声もあった。
「じゃあ、何が起きたら動くんですか?」
「手遅れにならないと?」
その問いに、答えはなかった。
保安庁の分析室。
ミナトは、モニターを睨んでいた。
「次の段階に入ったな」
同僚が聞く。
「どういう意味だ?」
「相手は、我々が動けないことを確認した」
それは、試験だった。
どこまでなら許されるか。
どこまでなら止められないか。
そして
どこで、この国が自分を疑い始めるか。
同じ夜。
海の向こう。
宗教国家の小さな会議室。
報告を受けた男が、ゆっくり頷く。
「良い」
彼は満足そうだった。
「彼らは、自分たちの法を信じている。
ならば、それを使おう」
側近が尋ねる。
「次は?」
男は微笑んだ。
「矛盾を見せる」
「彼らが守りたいもの同士を、
ぶつければいい」
島国では、何も変わらない日常が続いていた。
通勤電車。
学校。
商店街。
だが見えないところで、
一つの前提が崩れ始めていた。
この国は、法があれば守られる。
その信仰が、
静かに削られていく。




