撃てば終わる
引き金は、
まだ引かれていない。
だがその存在は、
全員の指に重くのしかかっていた。
官邸の会議室。
前日の決定が、
すでに共有されていた。
《先制措置、実施せず》
短い一文。
だが重さは、
条文よりも重い。
防衛担当の幹部が、
珍しく感情を抑えきれずに言った。
「……本当に、
これでいいのですか」
誰も、即答しなかった。
「撃てば、
この件は終わります」
彼は、言葉を選ばずに続ける。
「浸透も、声明も、
次の段階には進めない」
事実だった。
「だが」
彼は、拳を握った。
「撃てば、
我々はもう戻れません」
“調整役”の政治家が、
ゆっくりと頷く。
「その通りです」
彼は、落ち着いていた。
「撃った瞬間、
この国は“非暴力国家”ではなくなる」
「守るための一撃でも?」
誰かが問う。
「守るため、という言葉は、
常に便利です」
彼は、静かに言う。
「一度使えば、
次も“守るため”に使う」
その言葉に、
会議室は沈黙した。
同時刻。
現場。
治安部隊が、
宗教施設の前で立ち尽くしていた。
抗議ではない。
衝突でもない。
ただ、
人が集まり、
祈り、
声を上げている。
「近隣住民から、
不安の声が出ています」
無線が入る。
「対応は?」
「……経過観察」
その指示が、
何度も繰り返される。
住民の一人が、
隊員に詰め寄った。
「何か起きてからじゃ、
遅いんじゃないのか!」
隊員は、答えられなかった。
夜。
SNS。
《警察は何もしない》
《国家は誰を守っている?》
煽りでも、
嘘でもない。
現場の実感だった。
保安庁。
ミナトは、
未送信の報告書を閉じた。
そこには、
赤字でこう書いてある。
《先制能力を行使しない場合、
事態は不可逆段階へ移行する可能性が高い》
だが彼は、
送らなかった。
屋上。
夜風。
ミナトは、
自分の手を見つめる。
この手で、
引き金を引くわけではない。
それでも、
選択の責任は、
等しく重い。
彼は理解していた。
これは、
合理の問題ではない。
自分たちが、
何者であるかの問題だ。
宗教国家。
地下施設。
指導者は、
最新の報告を聞いていた。
「島国は、
先制措置を見送りました」
彼は、
ゆっくりと息を吐く。
「良い」
「恐れは?」
側近が問う。
「ない」
彼は、断言した。
「彼らは、
撃てば終わることを知っている」
周辺諸国。
非公開会合。
「島国は、
カードを切らなかった」
「想定通りだ」
「次は?」
短い沈黙。
「期限だ」
官邸。
首相は、
一人で資料を読んでいた。
最後のページに、
走り書きのメモ。
《撃てば終わる。
撃たなくても、終わる》
彼は、
目を閉じた。
この国は、
二つの終わりを前にしていた。
撃って終わる国
撃たずに変わる国
どちらも、
元の姿には戻れない。
引き金は、
まだ引かれていない。
だが、
終わりは、すでに始まっていた。




