ヨシロウ編 ― 影の護衛
夜の商店街は、昼間の賑わいが嘘のように静まり返っていた。
シャッターはすべて降ろされ、街灯が照らすのは濡れたアスファルトだけ。
その路地裏の一角、電柱の影に、一人の男が息を潜めて立っていた。
――ヨシロウ。
江戸の忍びであり、今は令和の街を影から見守る影の護衛だ。
耳を澄ませば、遠くで車のタイヤが水たまりを切る音が聞こえる。
ポケットの中で手を握りしめながら、ヨシロウは心の中で呟いた。
「またあのチンピラ共か…」
数日前から、この商店街では不穏な事件が続いていた。
深夜、酒屋や八百屋の裏口から売上金が盗まれる。しかも、犯人はまるで煙のように逃げる。
警察もパトロールを強化したが、どうしても捕まえられなかった。
ヨシロウは、昼間に顔なじみの八百屋の主人から「頼むよ、ヨシロウさん。警察じゃ手が回らないんだ」と頭を下げられ、今夜も見張りに出ていた。
ふいに、路地の奥から足音が近づいてきた。
カサッ…カサッ…。
闇の中から現れたのは、黒いパーカーにマスク姿の男たち三人。手にはバールと工具袋。
その目は冷たく、酒屋の裏口にまっすぐ向かっている。
「……またか」
ヨシロウは電柱の影から静かに抜け出した。
男たちが鍵をこじ開けようとした、その瞬間――
「やめとけ」
低く鋭い声が背後から響いた。
「なんだぁ?」
振り返る間もなく、ヨシロウの足が地面を滑るように動き、男たちの足元を払った。
「ぐっ!」
全員がバランスを失い、膝をアスファルトに叩きつける。工具がカランと転がった。
ヨシロウは刀を抜くことはなかった。
手に握られていたのは、令和で手に入れた黒い金属製の警棒。
「江戸じゃ命を奪ったかもしれねぇが、この時代じゃそうはいかねぇ。血を流さずに済むなら、それが一番だ」
その声には、ほんの少しの寂しさと、今の時代に合わせようとする覚悟がにじんでいた。
男たちが立ち上がろうとすると、ヨシロウは素早くロープを取り出し、両手両足を縛った。
「な、なんなんだお前…」
「影の護衛だ」
そう言い残し、スマホを取り出して110番にかける。
「……ああ、えーと、不審者三名確保だ。早く来い」
現代の言い回しにはまだ慣れないらしく、最後の一言はどこか江戸っぽかった。
やがて、通りがかりの老人が近づいてきた。
「おぉ、あんたがやってくれたのか! 本当にありがとうよ」
その皺だらけの顔に浮かんだ笑顔を見て、ヨシロウの表情がほんの一瞬だけ和らぐ。
「礼はいい。だが…」
彼は老人の肩を軽く叩き、目を細めた。
――笑顔を守る。それが俺の任務だ。
その夜、パトカーの赤色灯が商店街を照らす中、ヨシロウの姿はもうどこにもなかった。
ただ、静かな夜風が、彼の残した言葉をそっと運んでいった。




