名君の連鎖:慕容一族の覇業⑮
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荒れ狂う五胡十六国時代。後燕の初代皇帝、慕容垂は、その好戦的な本性を隠すことなく、中華の覇権を掴むため、勢力の拡大に心血を注いでいた。
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新たな脅威の出現
西暦389年、後燕の都、中山の宮殿では、連日、緊迫した軍議が繰り広げられていた。
「翟魏の翟遼め、粘り強い奴だ! 我が軍の猛攻にもかかわらず、未だ息を吹き返そうとしている!」
慕容垂は、地図の上で黄河中流域を指し示しながら、苛立たしげに言った。彼の表情は、獲物を逃がし(にがし)かけた猛獣のようだった。
「陛下! 翟遼は、丁零族の気性そのままに、諦め(あきらめ)を知り(しり)ません。ですが、我が軍の攻撃により、その勢力は確実に削がれております!」
側近の将軍が、毅然とした態度で報告する。
「うむ。だが、慢心は禁物だ。この混乱の中、新たな火種が北に生まれつつある。北魏だ……」
慕容垂は、北の方角を睨むように遠くを見つめた。彼の目には、好戦的な光の中にも、警戒の色が宿っていた。
「あの拓跋氏が、急速に勢力を広げ(ひろげ)ている。いつか、我々(われわれ)の脅威となるだろう。だが、今は、まず目の前の敵を叩き潰す(たたきつぶす)ことに集中するぞ!」
慕容垂は、再び(ふたたび)翟魏の地図に目を落とし(おとし)、決然と言い放っ(いいはなっ)た。
389年頃の拓跋氏は、後の北魏となる勢力の基礎を固めている最中であった。386年に拓跋珪が代王を称して事実上の北魏を建国した後、華北における勢力拡大を本格化させていた。
特に、西方の遊牧民である高車の袁紇部を大に破り、20万を超える人や家畜を捕獲するなど、軍事的な成果を挙げていた。これは、彼らが漠北(ばくほく、砂漠の北)や黄河以北の地域における支配力を確立していく上で重要な時期であったと評価される。この強力な軍事行動により、拓跋氏は周辺の諸部族に対する優位性を確立し、後の華北統一への道筋を着実に進めていたのである。
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黄河に轟く勝利の雄叫び(おたけび)
西暦390年、慕容垂は、翟魏への総攻撃を命じ(めいじ)た。彼は自ら精鋭部隊を率い、翟魏の主要な拠点を次々(つぎつぎ)と陥落させていった。
とある黄河沿い(ぞい)の砦。激しい攻防の末、後燕軍がとうとう城門を破った。兵士たちがなだれ込む中、慕容垂は、馬上から戦況を見守っ(みまもっ)ていた。
「よし! この勢いだ! 翟遼を逃がす(にがす)な! 奴の首を獲って、この戦に終止符を打つ(うつ)のだ!」
慕容垂の声は、鬨の声に紛れながらも、兵士たちの心に響き渡っ(わたっ)た。
しばらくして、一人の(ひとり)将軍が、血に塗れた顔で慕容垂のもとへ駆け寄ってきた。
「陛下! 翟遼は、わずかな兵を引き連れて逃亡しました! しかし、主要な拠点は全て我々(われわれ)の支配下に置きました!」
「ほう、逃げたか。だが、それで十分だ! 奴に再起の機会は与えぬ!」
慕容垂は、満足げに頷い(うなづい)た。彼の好戦的な目が、勝利の喜びに輝いていた。
「この勝利は、我々、後燕の河北における優位を確立するものだ! 今後は、残党の掃討を進め、真の統一を果たすぞ!」
慕容垂の声が、黄河の雄大な流れに沿って、遠く(とおく)まで響き渡っ(わたっ)た。兵士たちは、勝利の歓喜に沸き立ち(わきたち)、皇帝の力を讃え(たたえ)た。
慕容垂は、次なる(つぎなる)目標である河北統一に、さらに集中していくことになる。彼の視線の先には、まだ見ぬ(みぬ)天下の統一という、壮大な夢が広がっていた。
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西暦391年、後燕の都、中山。皇帝慕容垂は、玉座に深々と腰を下ろし(おろし)、眼下に広がる地図を凝視していた。丁零族の翟魏は、もはや風前の灯火。黄河以北の大部分は、後燕の支配下に入り(はいり)つつあった。しかし、彼の心は晴れ晴れとはしなかった。
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北方からのざわめき
宮殿の奥に、情報を携え(たずさえ)た斥候が駆け込んできた。
「陛下! 北方からの報告です!」
斥候の声は、微かに震え(ふるえ)ていた。慕容垂は、ゆっくりと顔を上げ(あげ)、鋭い眼光で斥候を見据え(みすえ)た。
「何かあったか。申してみよ」
「はっ! 北魏が、国境地帯で小競り合いを仕掛けてきております! 我が軍の兵士と、幾度か衝突したとの報が……」
慕容垂は、一瞬、眉をひそめた。北魏――。かつては取るに足りない存在だったあの遊牧民族が、この数年で急速に勢力を拡大していることは、彼も承知していた。
「ふむ……。あの拓跋氏め、いよいよ牙を剥き始めたか。今は翟魏の掃討が先決だが、奴ら(やつら)の動向は常に(つねに)注視せねばならぬな」
慕容垂は、独り言のように呟いた。彼の心の中では、既に次なる戦の構想が練られ始めて(はじめ)いた。しかし、同時に、目下の課題を疎かにするつもりもなかった。
「翟魏の残党は、まだ完全に(かんぜんに)消え去ったわけではない。内政の安定も不可欠だ。両者を並行して進め(すすめ)るぞ!」
彼の声には、好戦的な皇帝らしい、揺るぎない(ゆるぎない)決意が満ちていた。
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河北統一の雄叫び(おたけび)
そして、西暦392年。後燕軍は、翟魏への最後の総攻撃を敢行した。翟遼の残党は、慕容垂の圧倒的な軍事力の前に、もはや抵抗の術を持た(もた)なかった。
ある曇りの日。翟魏の最後の砦が、後燕軍によって包囲されていた。慕容垂は、最前線の指揮台に立ち(たち)、自ら(みずから)兵士たちを鼓舞した。
「諸君! この戦で、翟魏は終焉を迎える(むかえる)! 我々(われわれ)後燕が、河北の真の支配者となるのだ! 勝利の雄叫び(おたけび)を上げ(あげ)ろ!」
慕容垂の言葉に、兵士たちは一斉に鬨の声を上げた。その声は大地を揺るがし(ゆるがし)、空に響き渡っ(ひびきわたっ)た。攻城兵器が火を噴き(ふき)、矢が雨のように降り注ぐ。ついに、砦は陥落した。
「陛下! 翟魏を完全に滅ぼしました! 河北は、今、我々後燕のものとなりました!」
報せ(しらせ)を聞い(きい)た慕容垂は、天を仰いで、大きく息を吐き出した。その表情は、達成感と、次なる野望に燃える(もえる)光に満ちていた。
「ふははは! よくやった! これぞ、わが後燕の力だ! 今後、この河北を拠点とし、さらに版図を広げていくぞ!」
慕容垂は、河北統一という偉業を成し遂げ(なしとげ)た。彼の好戦的な性格は、後燕を一大強国へと押し上げた。しかし、北魏という新たな(あらたな)脅威が、彼の視線の先に、静かにその影を落とし始めていた。
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394年(東晋・太元19年)。後燕の皇帝慕容垂は、長年の宿敵、西燕についに最後の時を告げようとしていた。
西燕。それは、かつて強大を誇った前燕の皇族たちが、前秦の淝水の戦いでの大敗後、各地で蜂起した際に生まれた国の一つだった。
後燕を建てた慕容垂と同じく、鮮卑慕容部の血を引く彼らは、故郷である燕の再興を夢見ていた。最初は慕容泓が皇帝を称して立ち上がったが、内部の対立からすぐに殺害された。
次いで慕容沖が後を継いだ。美貌の若君として知られた慕容沖は、一時は前秦の都・長安を陥落させるほどの勢いを見せたが、結局は配下の裏切りによって命を落とした。
その後も西燕は、指導者が目まぐるしく変わり、内紛が絶えなかった。慕容瑤、慕容暐、慕容顗、慕容盛、そして最後に慕容永が皇帝を称し、山西の地で細々(ほそぼそ)と命脈を保っていた。
しかし、その力は、もはや全盛期の面影はなく、慕容垂の統一の野望の前には、風前の灯に過ぎなかった。
後燕の宮殿。皇帝慕容垂は、息子の慕容宝を呼びつけた。
慕容宝は、慕容垂の四男として誕生した。皇太子として重用され、軍事や政務を委任されることもあった。
「宝よ、時がついに来た」
慕容垂の声は、静かだが、その奥には決意が秘められていた。
「父上、いよいよ西燕を討たれるのですか!」
気弱な慕容宝の声にも、高揚の色が窺えた。
「そうだ。長年、わしらの背後にまとわりついてきた厄介者だ。ここで根を断たねば、後々まで禍根を残す(のこす)」
「しかし父上、西燕とて、かつては我が慕容の一族。同族同士の争いは、避けられないのでしょうか」
慕容宝の言葉には、わずかな躊躇が見られた。
「甘いことを言う(いう)な、宝!彼らは、自ら 分離の道を選んだのだ。そして今、わしの天下統一の邪魔をする。ならば、容赦はせん!」
慕容垂の声は厳しい。その眼光は、獲物を捉える猛禽のように鋭い。
「それに、西燕と名乗ってはいるが、その実態は分裂と混乱の極みだ。指導者は次々と倒れ、民は塗炭の苦しみを味わっている。わしが討つのは、もはや燕の正統などではない。ただの群盗の頭、慕容永に過ぎん!」
「しかし、彼らの中にも、かつての栄光を覚えている者もいるでしょう。我々(われわれ)と同じ血を引く者たちが……」
慕容宝は、なおも食い下がる。
「血か……。血は繋がっていても、志が違えば、それは赤の他人も同然だ!彼らは、父祖の築いた基盤を忘れ、内輪揉めに明け暮れてきた。そんな者たちに、明日はない!」
慕容垂は、立ち上がると、堂々(どうどう)と歩き始めた。
「聞け、宝よ!天下を取るとは、そういうことだ。情けなどかけていられる余裕はない。邪魔者は徹底的に排除する。それが、天下を治める者の務めなのだ!」
慕容垂の言葉は、厳かで、有無を言わせぬ力強さがあった。慕容宝は、父の圧倒的な迫力に、ただ、だまって頭を垂れるしかなかった。
数日後、慕容垂は自ら大軍を率い、西燕の本拠地へと進撃した。もはや、かつての勢いを失った西燕に、老練な慕容垂の軍勢を食い止める力は残っていなかった。激しい戦いの末、西燕の皇帝慕容永は捕らえられ、処刑された。
ここに、かつて一時代を築いた西燕という国は、歴史の舞台から完全に姿を消したのである。慕容垂の天下統一の道は、また一歩、確実に進んだのだった。