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名君の連鎖:慕容一族の覇業⑭

広大な中華ちゅうかに、あらしあられていた。前秦ぜんしん皇帝こうてい苻堅ふけん理想りそうえ、東晋とうしんほろぼそうとした「淝水ひすいの戦い(たたかい)」での大敗たいはいは、まるで巨大きょだい波紋はもんのように、全土ぜんど混乱こんらんを広げ(ひろげ)ていた。

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悲報ひほう慟哭どうこく


西暦せいれき385ねん後燕こうえん建国けんこくし、河北かほくあらたな時代じだいきずはじめていた慕容垂ぼようすいのもとに、衝撃的しょうげきてきな知らせ(しらせ)がとどいた。かつて、自分じぶん厚遇こうぐうし、おおいなるゆめかたった盟友めいゆう苻堅ふけんられたというしらせだった。


慕容垂ぼようすいは、そのほうくと、しずかにじた。彼の脳裏のうりには、理想りそうを語る(かたる)苻堅ふけん真剣しんけんかおかんだ。あの「あまちゃん皇帝こうてい」と内心ないしんんでいたおとこが、まさかこのような最期さいごむかえるとは。


陛下へいか……苻堅ふけん陛下へいかが……」


側近そっきん将軍しょうぐんが、ふるえるこえ慕容垂ぼようすいかたりかける。


慕容垂ぼようすいは、ふかいきき、ゆっくりとけた。そのには、悲しみ(かなしみ)と、そして複雑ふくざつ感情かんじょうまじっていた。


「ああ、陛下へいか……。貴方あなたゆめは、あまりにも広大こうだいすぎた。そして、あまりにも純粋じゅんすいすぎた……」


慕容垂ぼようすい言葉ことばは、どこかとおくをながめているようだった。


だれ陛下へいかったのだ? どの裏切うらぎものが、あの御方おかたいのちうばったのだ!」


将軍しょうぐんが、いかりにこえふるわせる。


姚萇ようちょうだ……羌族きょうぞくの……姚萇ようちょうたれた……」


慕容垂ぼようすいこえは、静か(しずか)でありながらも、たしかなひびきをっていた。


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苻堅ふけんったおとこ姚萇ようちょうとは


姚萇ようちょうは、五胡十六国時代ごこじゅうろっこくじだい活躍かつやくした羌族きょうぞく指導者しどうしゃで、後秦こうしん建国者けんこくしゃとなる人物じんぶつだ。元々(もともと)は前秦ぜんしん将軍しょうぐんとして苻堅ふけんつかえ、その才能さいのうみとめられていた。しかし、「淝水ひすいの戦い(たたかい)」での大敗たいはい前秦ぜんしん混乱こんらんおちいると、かれこころ独立どくりつ野心やしん芽生めばえたのだ。


苻堅ふけん淝水ひすいやぶれたあと長安ちょうあんかえ途中とちゅう姚萇ようちょうへいひきいて離反りはんした。そして、ついには、苻堅ふけんとらえ、かれ禅譲ぜんじょうせまった。しかし、苻堅ふけんは、みずからの理想りそうげることをいさぎよしとせず、断固だんことして拒否きょひした。


ちんは、天下てんか統一とういつするゆめいだいたものだ! おまえのような裏切うらぎものに、このくらいゆずるなど、天地てんちがひっくりかえってもありえぬ!」


そう言いはなった苻堅ふけんを、姚萇ようちょうはついに殺害さつがいした。このとき苻堅ふけんは、みずからの理想りそう終焉しゅうえんさとったのだろうか。そのは、五胡十六国時代ごこじゅうろっこくじだい転換点てんかんてんとなる出来事できごとだった。


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瓦解がかいする帝国ていこくあらたな群雄ぐんゆう


苻堅ふけんによって、前秦ぜんしん急速きゅうそく瓦解がかいしていった。かれきずげた統一とういつ国家こっかは、まさに砂上さじょう楼閣ろうかくだった。各地かくち割拠かっきょしていた異民族いみんぞく部族ぶぞくが、次々(つぎつぎ)と独立どくりつ宣言せんげんし、中華ちゅうかは、再び(ふたたび)群雄割拠ぐんゆうかっきょ時代じだいへと突入とつにゅうした。


姚萇ようちょうは、その混乱こんらんなか後秦こうしん建国けんこくした。さらに、慕容垂ぼようすい建国けんこくした後燕こうえんはじめ、西燕せいえん南燕なんえんなど、かつての慕容ぼよう一族いちぞくが次々(つぎつぎ)とくにて、乱世らんせはさらに激化げっかしていく。


慕容垂ぼようすいは、苻堅ふけんいたみながらも、そのこころなかでは、あらたな時代じだい到来とうらい確信かくしんしていた。


陛下へいか……貴方あなた理想りそうは、わたくしいでみせましょう。ただし、わたくしのやりかたでな……」


慕容垂ぼようすいは、しずかにつぶやいた。彼の眼差まなざしは、とおくのそら見据みすえていた。そこには、かれきずげるであろう後燕こうえんの輝かしい(かがやかしい)未来みらいひろがっているかのようだった。


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なお、西燕せいえん南燕なんえんについて補足すると以下のようになる。


西燕せいえん


西燕は384年、前秦ぜんしん苻堅ふけん淝水ひすいの戦いにおいて敗北はいぼくした後、前燕ぜんえん皇族こうぞくである慕容泓ぼようこう樹立じゅりつした政権せいけんである。現在の山西省さんせいしょう陝西省せんせいしょう一部いちぶ支配しはいした。しかし、指導者しどうしゃ短期間たんきかんで次々(つぎつぎ)に暗殺あんさつされるなど、内部ないぶきわめて不安定ふあんていであった。一時期いちじき慕容沖ぼようしょう長安ちょうあん陥落かんらくさせるいきおいをせたが、かれもまた殺害さつがいされた。結局けっきょく、わずか10ねん存続そんぞくのち、394年におな慕容氏ぼようし後燕こうえんによって滅亡めつぼうした。


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南燕なんえん


南燕は398年、後燕こうえん皇族こうぞくである慕容徳ぼようとくが、北魏ほくぎ圧迫あっぱくけて現在げんざい山東省さんとうしょうみやこいて建国けんこくした。慕容徳はすぐれた統治者とうちしゃであり、戸籍整備こせきせいび人材登用じんざいとうよう推進すいしんし、国力こくりょく安定あんていさせた。東晋とうしんと北魏という大国たいこくはさまれながらも、周辺勢力しゅうへんせいりょく吸収きゅうしゅうし、一時期いちじき相当そうとう勢力せいりょくほこった。しかし、405年に慕容徳が死去しきょすると国力こくりょく衰退すいたいし、最終的さいしゅうてきには410年に東晋とうしん劉裕りゅうゆうによる北伐ほくばつによって滅亡めつぼうした。




あらくる五胡十六国時代ごこじゅうろっこくじだい中国ちゅうごく前秦ぜんしん皇帝こうてい苻堅ふけんは、まるで暴風雨ぼうふうう最中さなか巨大きょだいたおれるような衝撃しょうげきを、全土ぜんどはしらせた。その混乱こんらんなか慕容垂ぼようすいは、つぎなる一歩いっぽそうとしていた。


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皇帝即位こうていそくいへのみち


西暦せいれき386年、後燕こうえんみやこ中山ちゅうざんは、活気かっき期待きたいちていた。前年ぜんねんの「淝水ひすいの戦い(たたかい)」での大敗たいはいと、苻堅ふけんによって、中華ちゅうか秩序ちつじょは完全にくずった。これは、慕容垂ぼようすいにとって、長年ながねんいだつづけてきた野望やぼう実現じつげんする絶好ぜっこう機会きかいだった。


中山ちゅうざん宮殿きゅうでんでは、連日れんじつ群臣ぐんしんたちが慕容垂ぼようすい皇帝こうていくらいとなえるよう懇願こんがんしていた。


燕王えんおうさまいまこそ、てんときです! 苻堅ふけんすでく、華北かほく群雄ぐんゆう割拠かっきょする乱世らんせ突入とつにゅうしました! たみ安定あんていもとめ、英雄えいゆう出現しゅつげんっております!」


一際ひときわこえがった将軍しょうぐんが、慕容垂ぼようすいの前にすすて、ひざいた。


しかし、慕容垂ぼようすいは、かたくなにくびよこった。


て。わしは、かつて苻堅ふけん陛下へいかせ、その恩義おんぎけた。かれきているあいだは、いくら群臣ぐんしんすすめようとも、皇帝こうていとなえることはできぬ。燕王えんおうという立場たちばで、後燕こうえんてるのが精一杯せいいっぱいだ」


かれ言葉ことばには、恩義おんぎを重んじる(おもんじる)武人ぶじんとしての誇り(ほこり)がにじみ出ていた。しかし、そのうらには、好戦的こうせんてきかれらしい、計算けいさんかくされていたのかもしれない。苻堅ふけんくなったという確証かくしょうがなければ、むやみに自立じりつ宣言せんげんして、余計よけいてきやすことはけたかったのだ。


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「さあ、諸君しょくん時代じだいうごかすぞ!」


だが、その状況じょうきょう前年ぜんねん苻堅ふけんによって一変いっぺんした。姚萇ようちょうによって、苻堅ふけんはすでにこのにいなかった。もはや、遠慮えんりょする必要ひつようなど、どこにもない。


宮殿きゅうでんおくから、慕容垂ぼようすいこえひびわたった。彼のこえには、いままでになかった、決意けつい自信じしんあふれていた。


諸君しょくん! よくけ! 苻堅ふけん殿どのは、すでにこのった! かれ理想りそうついえ、中華ちゅうかあらたな時代じだいもとめている!」


慕容垂ぼようすいは、玉座ぎょくざからがり、あつまった群臣ぐんしんたちを力強ちからづよ見渡みわたした。


いまこそ、我々(われわれ)鮮卑せんぴが、この乱世らんせおさめるときだ! わしは、この後燕こうえんを、中華ちゅうか統一とういつする国家こっかとして、正式せいしきてる!」


群臣ぐんしんたちは、いきをのんで慕容垂ぼようすい言葉ことばみみかたむけた。


「よろしい! ねがってもないことだ! 慕容垂ぼようすいは、本日ほんじつ、ここに皇帝こうていくらいとなえる! あらたな時代じだいは、いま、この瞬間しゅんかんからはじまるのだ!」


慕容垂ぼようすいは、てんかって高々と両腕りょううでひろげた。彼の表情ひょうじょうは、自尊心じそんしんち、その好戦的こうせんてきひかりはなっていた。


「さあ、諸君しょくん時代じだいうごかすぞ! 我々(われわれ)の後燕こうえんが、天下てんか統一とういつするのだ!」


慕容垂ぼようすい言葉ことばに、宮殿きゅうでんじゅう歓声かんせいれた。


陛下へいか万歳ばんざい皇帝陛下こうていへいか万歳ばんざい!」


群臣ぐんしんたちは、感極かんきわまってひざまずき、あらたな皇帝こうてい誕生たんじょういわった。こうして、慕容垂ぼようすいは、かつてつかえた前秦ぜんしん皇帝こうてい苻堅ふけんに、しん自立じりつたし、後燕こうえん初代しょだい皇帝こうていとして、その名を歴史れきしきざむことになったのである。



前秦ぜんしん皇帝こうてい苻堅ふけん姚萇ようちょうたれ、中華ちゅうか全土ぜんど激動げきどう渦中かちゅうにあった西暦せいれき387ねん後燕こうえん初代皇帝しょだいこうていとなった慕容垂ぼようすいは、その自尊心じそんしん好戦的こうせんてき性格せいかく存分ぞんぶん発揮はっきし、あらたな時代じだい幕開まくあけをげようとしていた。

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あらたないくさの始まり(はじまり)


後燕こうえんみやこ中山ちゅうざん宮殿きゅうでんは、連日れんじつ活気かっき緊張きんちょうあふれていた。慕容垂ぼようすいは、即位そくい儀式ぎしきえると間髪かんはついれず、周辺しゅうへん勢力せいりょく平定へいていに乗りのりだした。


諸将しょしょうよ、け! 前秦ぜんしん瓦解がかいし、関中かんちゅうにはその残党ざんとううごめき、南には姚萇ようちょう後秦こうしん建国けんこくした! だが、かれらはまだ盤石ばんじゃくではない! こののがはないぞ!」


慕容垂ぼようすいは、地図ちずを広げ、ゆび河北かほく各地かくちした。彼の眼差まなざしはするどく、そのこえには、好戦的こうせんてき皇帝こうていらしいねつがこもっていた。


「わが後燕こうえんが、この河北かほくしん統一とういつするためには、目障めざわりな勢力せいりょくたたつぶ必要ひつようがある。とくに、黄河こうが中流域ちゅういきでうろつく丁零ていれいぞく翟遼てきりょうは、早急そうきゅう始末しまつせねばならん!」


丁零ていれい族の翟遼てきりょうは、前秦ぜんしん混乱こんらんじて勢力せいりょく拡大かくだいしていた。この頃、彼は東晋とうしんりょう黎陽れいようせていたが、黎陽郡太守れいようぐんたいしゅすきき、そのうばった。これにより、黄河南岸こうがなんがん足場あしばきずき、周辺しゅうへん勢力せいりょく吸収きゅうしゅうしながらいきおいをしていった。東晋とうしんぐんによる討伐とうばつけたが、泰山郡太守たいざんぐんたいしゅ降伏こうふくするなど、その影響力えいきょうりょく着実ちゃくじつばしていた。この時期じき活動かつどうは、2年後ねんごかれ翟魏てきぎ建国けんこくするうえ重要じゅうよう基盤きばんとなった。


将軍しょうぐん一人ひとりが、力強ちからづよこたえた。


「ははっ! 陛下へいかのお言葉ことばむねきざみました! 翟遼てきりょうなど、我々(われわれ)のてきではありません!」


「うむ! よし、では早速さっそくぐんととのえよ! まよいなど無用むよう勝利しょうりあるのみだ!」


宮殿きゅうでんには、慕容垂ぼようすい命令めいれいひびわたり、将軍しょうぐんたちは、その熱気ねっきあおられるように、次々(つぎつぎ)とこえげた。


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翟魏てきぎとの激突げきとつ


翟魏てきぎは、中国の五胡十六国時代に、丁零ていれい族の翟遼てきりょうが建てた短命な国家です。


翟遼は黄河南岸の滑台(かつだい、現在の河南省)を都として「魏天王ぎてんのう」と称し、翟魏を建国しました。彼は巧みな外交と軍事力で、東晋とうしん後燕こうえんといった周辺の強国と渡り合いました。


西暦せいれき388ねんはいると、後燕こうえん翟魏てきぎあいだで、本格的ほんかくてきいくさはじまった。翟魏てきぎ首領しゅりょう翟遼てきりょうは、丁零ていれいぞく遊牧民族ゆうぼくみんぞくとしての気性きしょうからか、粘りねばりづよ抵抗ていこうせた。しかし、慕容垂ぼようすいもまた、並々ならぬ軍才ぐんさいぬしだった。


とある戦場せんじょうで、後燕こうえんぐん翟魏てきぎぐんはげしく衝突しょうとつしていた。が飛び交い(とびかい)、けんけんがぶつかり合う(ぶつかりあう)おとが鳴りなりひびなか慕容垂ぼようすいは、戦況せんきょう冷静れいせい見極みきわめていた。


「どうだ、戦況せんきょうは!」


慕容垂ぼようすいが、側近そっきんいかける。


陛下へいかてき抵抗ていこう予想以上よそういじょうはげしいですが、我々(われわれ)の攻勢こうせいまりません!」


側近そっきん将軍しょうぐんが、いきらしながら報告ほうこくする。


「ふん、翟遼てきりょうめ、なかなかやるではないか。だが、わしをめることはできぬ!」


慕容垂ぼようすいは、不敵ふてきえみかべた。その表情ひょうじょうには、いくさを楽しむ(たのしむ)かのような、好戦的こうせんてきひかり宿やどっていた。


全軍ぜんぐんげよ! 一気いっきめ立てよ! 翟魏てきぎなど、我々(われわれ)後燕こうえんてきではないことを、かれらの骨身ほねみきざみつけてやれ!」


慕容垂ぼようすいこえが、戦場せんじょうとどろいた。兵士へいしたちの士気しきは高まり(たかまり)、再び(ふたたび)猛攻もうこう開始かいしした。


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河北統一かほくとういつへの執念しゅうねん


このとしいくさは、決着けっちゃくにはいたらなかったものの、後燕こうえん着実ちゃくじつ翟魏てきぎ勢力せいりょくいでいった。慕容垂ぼようすいは、河北かほく統一とういつという目標もくひょうかって、一歩一歩いっぽっぽ着実ちゃくじつすすんでいた。


翟遼てきりょうめ、ねばづよやつだ。だが、この慕容垂ぼようすいあまてもらってはこまるな!」


慕容垂ぼようすいは、よるおそくまで軍議ぐんぎかさね、つぎなるさくっていた。彼の脳裏のうりには、広大こうだい河北かほくが、後燕こうえんはたもと統一とういつされるが、はっきりとえていた。

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